1話 プロローグ
『凶悪志願』、ここまで順調に筆を進めてきた私ですが、無性に物足りなさ・虚しさを感じて筆が止まってしまいました。
物語の作者・創造主として、高天原から登場人物に感情移入して康太に成りきったり、達己に成りきったり、真知子に成りきったりしていい気になって遊んでいましたが、待てよ、俺は俺じゃないか、物語の創造主で万能の神なら、いっそ俺自身を物語に投入させてやれ、と考えるに至りました。
生き生きと活躍する康太は私の分身、達己は死んだ親父の分身で、現世での悔しさの溜飲を下げてはくれましたが、いつの間にか独り歩きを始めてしまい、康太など、今の私とは全く違うアイデンティティーを持つに至ったからです。
達己って、どんだけ強いんだよ!
康太の神業ヌンチャクって、どんだけのスピードと破壊力があるんだよ!
真知子って、どんだけかわいい子なんだよ!
佐和子の胸って、どんだけ大きんだよ!
なんて夢想するだけじゃ飽きたらず、実際に物語の中で見たくなってしまったんです。
虚しさの根源は、自分がこの素晴らしきキャラを持った人物たちに直接関われないことではないのか?
ならいっそのこと派生作品を産み出して、強烈な個性を持った自分自身を物語の主役に据えてしまえば面白くなるし大満足できる筈です。
現実の世界で打ちのめされている今の私には本当に癒しが必要です。物語の中で人生をやり直すことも違う人生を歩むことも可能になり、まさに一石二鳥です。
そういう訳で、「凶悪志願」は「夢界の創造主」に引き継ぎます。
追記
思い知らされました。
私にとって、これらの小説は独り善がりの産物以外の何物でもないのかもしれません。
その証拠に、小説を人気ブログに移しても、今までと変わらず、訪問者はほとんどやって来ません。コメントも皆無です。
ランキングに参加すれば毎日の励みになるんじゃないか、もし大人気を博すれば車を売らずとも生活できるようになるんじゃないか、と淡い甘い期待を持ちましたが、予想通り鳴かず飛ばず状態です。
棺桶が死んで朽ちた肉体を収めるためにあるのなら、私は自分の報われない魂を小説の世界に誘うためにこの小説を書きます。言うなれば心の棺桶です。
粗筋
棺桶が死んで朽ちた肉体を収めるためにあるのなら、私は自分の報われない魂を小説の世界に誘うためにこの小説を書きます。言うなれば心の棺桶です。
独身の頃の俺は1Kのアパートで初中、訳の分からない金縛りに悩まされていた。眠りに就いて数時間もすると金縛りがやってきて、えもいわれぬ悪寒に心身が支配され、奈落の底に引き摺り込まれるような物凄い恐怖に強襲される。
落ちたらお終いだと必死に頭を振り捲って抗い、冷や汗を掻いて目が覚める。これでは辛い日常を生きることで疲弊した心身を眠りで休めることなどできやしない。
あるときふと、そう大したこともない人生、いっそのこと、夢の誘惑に身を任せて奈落に落ちてみるのも一興かなと考えるに至る。
万年床に就いて数時間後、想定通りの金縛りが襲ってきて、ぞくぞくっとする悪寒が走った。
「来た〜!」
極度の恐怖の中、俺はやけくそで、「殺すなら殺せや!」と心で叫んで、頭を振って抗うこともせず、従容として身を任せる。
一度落ちてみると、「あれっ、どうってことないやないか!」
てっきり、心臓麻痺で死にでもするのかなと思っていた俺は拍子抜けした。それ以来、金縛りはぴたっと収まり、悪夢もなくなった。
撃ち殺される場面でも、断崖絶壁から突き落とされる場面でも、おどろおどろしい幽霊が眼前に現れる場面でも、俺にはそれが夢だと分かるようになってしまった。だから、平気で銃で撃たれてやるし、崖から落ちてやるし、刺されてもやるし、幽霊には質問してやる。どうせ夢だし死にやしないしどうもない。
こうなったら俺にとってもう夢は現実逃避の駆け込み寺だ。どこででも、ただ眠りさえすれば安らぎをくれる。俺はドリームコントロールができるようになってしまった。
このことが俺に小説のヒントをくれた。『夢界の創造主』だ。俺は理不尽な仕打ちに耐えながらの仕事、障害者の人生から逃避するかの如くブログ小説を書き始めた。
そのブログに仙人が住み着いて、俺にうやうやしく宣う。
「ご主人様は我々B界の創造主様でございます。このB界にいらっしゃりさえすれば何でもご主人様の思いのままでございます」と。
俺は即座に答えた。
「なら1973年の世界に行って凶悪志願の真知子に会ってみたい」と。
この物語はフィクションです。登場する個人・団体名はすべて架空のものです。どうぞご了承下さい。
本文
もし、死んで望みが叶うなら、ブログの中に蘇って真知子に会ってみたいと妄想しながら辛い仕事を頑張ってきた俺ではあるが…。まさか、現世で自分が作り出した絶世の美貌を持つヒロイン・真知子に会えるとは。
『凶悪志願』を書き出したのが2008年、それから四年色々あった。家系ではあり得ない病気になった俺は、一生薬を飲み続けなければならなくなり、美味い物を腹一杯食うという楽しみを奪われた。
仕事では劣等セールスマンのレッテルを貼られ、この会社に居る限り、常に車を売り続けなければ俺のポジションは無いという状況まで追い込まれた。四十代の絶好調のときにマネージャーに上げて貰っていれば。今更、俺にマネージャーの芽はない。車売りの能力のなさを露呈し捲ってしまったから。
そして、一番悲しい出来事。2011年、最愛の親父を肺癌で亡くした。まだ八十歳だった。親戚の伯父・伯母なんかとうに八十歳を超えているというのに。残念で無念でならない。俺は毎日親父に思いを馳せる。
もう、故郷のあの家に俺の帰りを待ってくれている者は誰も居ないし、会社にも腹を割って話せる者は居ない。みんな辞めてしまった。俺は孤独だ。唯一安らげる時間は、仕事から解放されてパソコンの前に坐っているときだけだ。
3月第一週の週末は北九州総合展示場のエキサイティングセールが控えている。年間3月・6月・9月・11月と四度あるこの恐怖の展示会、一部の仕事命の上を目指す奴らを除いて、セールスマンを恐怖のどん底に陥れる。営業歴28年、俺も近頃は年のせいか、この展示会が嫌で嫌で堪らない。ゼロイコール死だ。
俺は9月の北九州総合展示場商談会にゼロを刻んでしまった。生きた心地がしなかったと言っても過言ではない。この会社を辞めた者は口を揃えて言う。何が嬉しいかって、もう北展に行かないでいいのが最大の幸せですよと。
どんなに足掻いても売れないときは売れない。俺はこの数年で、今まで何台も買ってくれた上客のほとんどを失った。こんなときは下手にじたばたせず、運に縋った方がましだ。
そんな折、諦め切って、山腹の寺の横の路側帯、いつもの憩いの場所に停めた車の中で惰眠を貪る俺の夢の中に、白装束で総白髪の長く白い顎鬚を蓄えた変な老人が出てきた。
その老人が俺に慇懃に頭を垂れて言う。
「爺は、ご主人様にお逢いするために、この世界で頸を長くして待ち続けました。やっと願いが叶いました」
――ありゃ、夢にしちゃ豪くリアルな爺さんやな。普通、俺の腐れ夢は支離滅裂やけんな。この爺さん、もう少ししたら死んだ親父にでも変わるんやねぇか。
俺は胡散臭そうな目で老人を見る。
「もしかしてご主人様、この爺をお疑いでございましょうか。ただ、現にご主人様の前に姿を現すことができぬ故、こうして白昼の夢に参上させて頂きました。実は4年前、この世界をご主人様に生み出して頂いた折、直ぐにでもお逢いしたかったのですが、バーチャル界の法則によって、ブログがある一定段階まで膨らむまでは不可能だったのでございます」
――現実?
俺は夢の中でよくやる仕草、頬をおもいっきり抓って見た。痛みも何も感じない筈なのだが…
「い、痛ぇ!」
老人はちょっと相好を崩して、「ご主人様、現実でございます」
展示会の恐怖を少しでも忘れようと、短い昼休みに安眠していたのに、夢の癖にゴごちゃごちゃと…
俺は憤って、「そういう爺さんないったい誰や?」
「ご主人様、自己紹介が遅れまして申し訳ございません。私めはご主人様のブログの世界、バーチャル界…バーチャル宇宙とでも申しますか、その管理をご主人様に代わって司らせて頂いております、バーチャル仙人でございます。私には特に名はありません。ご主人様は私めを爺とでもお呼び下さい」
「それで申し訳ございませんご主人様、爺さんはご勘弁下さい。一応、このバーチャル界では主として住民に畏まられる存在でもございますので」と、バーチャル仙人は愛想笑いを浮かべる。
「へぇ、そのバーチャル界の主の偉い仙人様が俺をご主人様ちゃ、俺はそげん大した人間なんか?」
「何しろ、50過ぎてまだ一兵卒の車売りで、マネージャーになった同い年生まれ・年下の高卒の奴らに馬鹿にされとんのによ」
俺は口の端を歪めて自虐的な笑みを浮かべた。
「ご主人様御冗談を。ご主人様はこの30年間、才能を押し殺して涙ぐましい頑張りで生き馬の眼を抜く業界を生き残ってこられました。お労しや。爺は涙を堪え切れません」
バーチャル仙人は袖で涙を拭ってきっぱりと、「ご主人様は創造主様で在らせられます」
俺は自分を指差してへっという顔で、「俺が…創造主?」
バーチャル仙人はキッと表情を引き締めて、「はい。ご主人様は私を始め、このバーチャル界の住人たち、このバーチャル宇宙を創造された創造主様でございます。そのご主人様に一生お仕えするのがこの爺の無上の喜びでございます」
俺は煩わしそうに、「そいで爺、その創造主とかいう俺に何か用か?」
「はいよくぞお聞きになられました。爺は心配でならなかったのでございますが、法則のため逢いに行くことができなかったのでございます。近頃のご主人様の苦悩、この爺お察しいたします。私どもはご主人様の文章を糧に日々生きているのでございます。ご主人様が安穏と、悩みに苛まれることなく、毎日どんどん素晴らしい文章を打ち込んで頂くことがバーチャル界の平和でございますし、平穏でいられるのでございます」
「馬鹿馬鹿しいぜ」と俺は一笑に付した。
バーチャル仙人は悲しい目をして、「ご主人様、信じて頂けないとは爺は悲しゅうございます」
「しゃぁねぇやねぇか。阿呆らしゅうて付き合いきれんのちゃ。俺も忙しいんじゃ」
「ご主人様はご自分の視野に展開する世界をどのようにして現実か夢かを判断なされましょうや?」
「そりゃ簡単じゃ。夢は夢じゃ。リアルじゃねぇ。すぐ覚めるうえにすぐまた違う夢に変わる。はちゃめちゃじゃ。とにかく馬鹿らしいけすぐ判る。そいに夢にゃぁ現実のごと連続性がねぇ。昨日の夢で大怪我したっちゃ死んだっちゃ今日の夢じゃピンピンしとるぜ」
「ご主人様、よくお聞き下さい。この世とは現実と表現される世界だけではございません。動物は必ず睡眠を取らねば死んでしまいます。脳を休めるためです。ただ、人は高度に頭脳が発達しているため、夢を見ます。一日24時間の内、平均6時間以上、人は眠るでしょう。今まで生きてきた時間の内、四分の一は夢の世界です。厖大な時間です。もう一つの人生と申しましても過言ではございません」
バーチャル仙人は一息吐いて、俺に問い掛ける。
「確かに夢は夢と簡単に判ります。でも、もしご主人様のご覧になる夢がリアルで、何の不自然さも瑕疵もなく、昨日の夢と今日明日の夢が連続していたら夢とお分かりになるでしょうか?」
「そりゃ夢じゃねぇな」
「そうでございましょう」
バーチャル仙人は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「ばって絶対にありえねぇ」
俺は言下に否定した。
「この世に絶対はありません。必ず相手が存在するという相対的世界観です。端的に申し上げれば、現実があれば夢があるように、二つの世界が存在するのでございます。ご主人様が今まで生きて来られた現実世界をA界とすれば、もう一つは夢の世界、B界でございます。残念ながらA界には爺の力は及びませんが、この爺の力をもってすれば、B界は御主人様にとって現実世界でございます」
「創造主で有らせられますご主人様の、B界でのお力はA界の神を超越いたします。B界での御主人様に不可能はございません。今すぐアメリカ大統領になることさえ可能です。B界に蘇られた瞬間に、大統領としての記憶とスキルは御主人様の脳にインプットされます。英語もぺらぺらです。B界の歴史を変えることさえ造作ないことでございます」
「そんなもんや?」
俺は頷くしかなかった。確かにバーチャル仙人の言うことには説得力がある。
バーチャル仙人はにこっと微笑んだ。
「ご納得いただけましたか?」
「分かった爺、ほんなら一つ試させて貰うわ。『凶悪志願』の真知子に会ってみてぇ」
――夢に決まっとる。言うだけタダや。何で小説上の人物に現実で会えるんじゃ?
バーチャル仙人は俺の心を読む。だが、今度は何も小言を言わなかった。
「御主人様には簡単なことでございます」
「俺はどうすればええんじゃ?」
「御主人様がお使いになってますパソコンがバーチャル界への入り口でございます。ブログに真知子様にお会いに行かれる旨、書き込まれれば結構です。後はすべてこの爺にお任せ下さい。ご主人様はご自分で指定された日に眠りに就かれるだけです。目を覚まされたらそこは1973年の世界でございます。B界で眠りに就かれる折、帰るぞと念じられたらA界にお帰りでございます」
「ただご注意下さい。A界で眠りに就かれた場所の、半径10キロ以内でB界の眠りに就かれないとA界へはお戻りになれません。御主人様がB界に行かれたときだけ、B界の一日はA界の一日でございます。あまり長くB界に逗留なされますと、A界にある御主人様の肉体が持ちません。A界で肉体が滅んだ場合は、B界にいらっしゃる御主人様も滅びてしまいますのでご留意ください」
「では、存分にお楽しみ下さい」
2020年6月17日修正