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08,異界のブラッド・ファントム


 千夜鈴は非常識なほどに長いポニーテールを揺らしながら、駆け足で夜道を行く。

 千夜鈴の到着を待つ人達のために最大限は急ぎつつ、しかし、飛び出し事故などを起こさない程度には配慮して、駆ける。


 ――急に、不気味だな。


 独り夜道を駆けながら、千夜鈴はふとそんな事を思った。

 ……そう、独り。今、千夜鈴は独りだ。つい数日前までは脅すような事を言ってまで同行してきた翠戦(ヤカン入り)が、いない。


 今夜に限った事ではない。ここ数日の仕事には、一切ついて来なくなった。急に、パッタリと。


 まるで、何かのタイミングを図っているかのようで……不気味でしかない。


 しかし、何を企んでいるのやら。

 一挙手一投足がいちいち人智を超越する存在――河童の考える事。人間如きに推察できる訳がない、か。


 余所事に気を割きながら走るのは危ない。

 千夜鈴は翠戦の意図を読む事を諦めて、周囲への気配りに意識を傾けた。


 やがて、今夜の目的地に辿り着く。


 ――聖教せいきょう系の教会だ。

 聖教系の女子校に通う千夜鈴には割と馴染み深い十字飾りが乗った丸い屋根の建物。民家と比べれば大きいだろうが、多人数が活用する施設と言う観点で見ればやや小振りな規模と言える。つまり、小さな教会だ。

 廃教会ではなく、現役。その証に、見慣れた黄色テープでガチガチにされた正門は綺麗に整備されている。


「おはようございます。お待たせしました。お疲れ様です」


 いつも通り、魔物出現地点の警備にあたる二人のお巡りさんへ向けて、千夜鈴は丁寧なお辞儀と挨拶。

 これには当然お巡りさん達だって、「はっ、お待ちしておりました! 頑張ってください!」といつもの返事をせざるを得ないに決まって――


「…………え?」


 しんっ、と言う擬音が聞こえるような、沈黙。

 お巡りさん達が、何も応えてくれない!?


「あの、大丈夫で――、ッ!」


 直立不動で沈黙を守るお巡りさんの顔色を伺って、千夜鈴は気付いた。


 ――顔色が……酷い……!?


 何と言う薄い顔色……顔面蒼白と言う表現はよく聞くが、ここまで見事な顔面蒼白がこの世に有り得るとは!

 目も虚ろだ……! 精巧な人形だと言われれば納得できてしまう……眼球と言うよりは濁ったガラス玉だと言った方がしっくりくる、無機物めいた球体と成り果てている!


 明らかに、尋常ならざる状態!

 お巡りさん達の身に、何かが起きている!

 考えられる可能性は――


「ッ!」


 不意に、お巡りさん達がふらぁっと動き――その振り上げた腕を、千夜鈴へ目がけて振り下ろしてきた!

 明白な、攻撃行動!


 ――やはり……!


 お巡りさんが放った唐突な暴力を躱し、千夜鈴は己の失態に対する苦悩を表情に滲ませた。


「僕は――遅れたか!」


 可能最大限に急いで来た千夜鈴だが……一歩、遅かった!


 お巡りさん達は既に……魔物による何らかの能力を受け、傀儡のようにされてしまっている!


 ――事前報告では、退治対象は詳細不明だったけれど……!


 この手の怪異は記録で予習した事がある。

 妖怪……候補としては【蜘蛛童子おにぐも】か【憑狐おとらぎつね】か。


 前者ならば、お巡りさんの体のどこかに操作術の要糸が付着しているはずだが……退魔士の強烈な眼筋が保証する眼力で探しても見当たらない。

 では、後者か。憑狐おとらぎつねに憑かれた人間への対処は――可能な限り傷つけないように、気絶させる事!


 すべき事を明確化した千夜鈴は退魔士の足筋を如何なく躍動させ、残像の尾を引くほどの全速力移動!

 魔物の傀儡と化したお巡りさん達が生気の無い攻撃の狙いを定める暇を与えず、揃って並ぶその背後へと回り込む。そして、


「あて身!」


 両の手刀を使い、二人同時に首の付け根あたりを軽く叩いた!

 退魔士の眼力で的確なツボを見抜き、退魔士の筋力をピンポイントで叩き込む、完璧なあて身だ!

 蜘蛛童子おにぐもの糸で操られていたならば意識を奪っても無駄だが、憑狐おとらぎつねに憑かれている人ならば、意識を奪うのは最適解!

 憑狐おとらぎつねは人の意識に浸透して取り憑くのだ。つまり、意識を断てば、人質を解放できるだけでなく、引き剥がせる!


 出てきた所を二体まとめて即に一刀両断する! と言う意気で、千夜鈴は素早く竹刀袋を開放、薄桜色の刃を持つ退魔の刀【首落はなおとし】を抜刀するが――


「……何……?」


 刃を振りかぶった千夜鈴に肩すかしを食らわすように……何も、起こらない。

 お巡りさん達は静かにドサドサッと倒れて動かなくなり……以上。異変は、皆無。


 取り憑ける意識ばしょを失くした憑狐おとらぎつねが排出される気配は……無い!


 ――蜘蛛童子おにぐもでも憑狐おとらぎつねでも、ない?


 現状、出せる結論はそれだろう。

 想定していた二種以外に人を操る異能を持つ妖怪は聞いた事が無い……つまり、相手は未知の妖怪か、それとも妖怪以外の何か。


「……仕方なしとは言え、荒々しい真似をしてしまって、申し訳ありません」


 倒れ伏したお巡りさん達にぺこりと頭を下げながら、千夜鈴は更なる違和感を覚えた。


 ……そう言えば、妙じゃあないか、この二人の様子。

 この二人はどうして、千夜鈴が来るまで全く動こうとしていなかったのか。


 魔物の異能は、糧となる「命を収集する」と言う目的を果たすためのものだ。

 魔物が起こす怪異は例外無く、殺戮へと繋がっていく。


 人を操るタイプの魔物ならば、その制御下においた人間に誰かを襲わせて、収集する。


 しかし、この二人は――獲物を探し求める素振りが無かった。むしろ逆、漫画だったら「ピタァッ……」と言う擬音を背景に入れても良い待機ぶりだった。

 それが千夜鈴に反応して、まるで千夜鈴だけを狙うかのように、行動した。


 ――まさか、退魔士ぼくへのカウンターとして配置されていた?


 そう考えれば、すべて辻褄が合う。

 今回の退治対象は――自身を退治しに来る退魔士を、千夜鈴を迎え撃つ気で満ちている!

 そのために、この二人をこの場所に待機させ、不意打ちをさせた!


 そこからわかる事はふたつ!


 ひとつ。

 今回の退治対象は、己を退治しようとする者達の存在を事を知っており、そしてそれと戦う意志がある!


 ふたつ。

 相手は、人間を操る異能を持ち、退魔士へ狡猾なカウンターを用意する――即ち、高い知性を持ち、なおかつ性格が悪い!


 気配を探る。


 ……ああ、在る。何者かは測りかねるが、とにかう魔物の気配が、教会の内に確かに在る。

 このカウンターを乗り越えてしまった退魔士を迎え撃たんと、待ち構えているのか。


 敵が来るとわかっている場所に居座る……腕に自信があると言う表れ。

 であれば、入口に配置していたカウンターの意図は小手先調べ、または露払いか。


「……正体不明。こちらへの明確な殺意と高い知性を持つ悪性の者であり、おそらくは戦闘慣れしている……か」


 厄介者である、と言う事だけは確定として良いだろう。


 ……脳裏を過ぎるのは、数日前の朝に戦った厄介者の部類。大皿番長さらばんちょう

 戦った、と言うのもおこがましく思えるくらいに、詳細不明の異能によって完封され、容易く殺される所だった。


 敵は厄介者で、異能の詳細は不明。

 どうにも、あの時の状況と被る。


 ……喉に違和感を覚え、嫌な汗をかく。

 古傷が疼き、体温調節以外の発汗……精神面に強い負荷が掛かっている証拠だ。


 恐い。恐い。恐い。恐い。

 でも、行かなきゃ。


 例え、殺されるかも知れなくても。


「……僕は、必ず魔物を殺す……」


 殺されてでも、魔物を殺す。それが退魔士。

 魔物を殺して殺して殺して、いつかは魔物に殺されて死ぬ。

 それが退魔士の迎えるべき最期。宿命。


 だから――仕方ない。


「僕は、必ず、魔物を殺し続けなきゃ、いけない……!」


 泣きそうなくらいに表情を歪めても、涙腺を緩めても、涙は出ない。

 無駄だと、体が諦めているから。


 そう、無駄だ。「助けて」と泣きじゃくった所で、救済は無い。わかりきっている。宿命からは逃げられない。逃げるべきではないのだ。


 退魔士は皆、そうして死んでいく。

 それが、当然。この世界の理。


 だから、だから……仕方、ない。


 進む。見慣れた黄色いテープの向こう。

 いつも通り、怯えながら臨む。宿命の死地へ。



   ◆



 教会内部、聖堂。真ん中に道を作る形で、横長の木椅子が両脇に一列ずつの二列、等間隔に並べられている様がまさしくと言った感じ。

 真ん中の道を真っ直ぐに進めば、神父さんが説教をするための教壇がある。


 教壇に立っていたのは、黒衣の男だった。

 ……だがしかし、ステンドグラスから僅かに差し込む僅かな月明かりしかない薄暗闇の中でも、「あれ」を聖職者と見間違える事はないだろう。


「ヴァファファファ……よく来たな。我輩に挑む愚か者よ」


 奇妙な笑い声をあげ、教壇にてふんぞり返る黒衣の男。

 血黒色の長い髪をオールバックヘアに整えており、一目で悪辣なニュアンスを感じ取れる笑みを浮かべている。

 眼球は黒く、瞳は紅い。笑う口にずらりと並ぶのは狼のような鋭い牙。黒衣の正体は、マントだ。妙に襟が高く尖っていて、留め具部分には無駄に大きな琥珀色の宝石があしらわれた、妙に気取ったマント。


 明らかに、人外。


 その外観的特徴に合致する妖怪は知らない。正体はやはり不明か。


 警戒の糸がほんの少しもたゆまないように気を付けながら、千夜鈴は静かに腰を落とした。

 刀を水平に構えて、いつでも飛びかかれる体勢を作る。


 正体不明の敵に対して、後手に回るメリットは少ない。


「ヴァファファファ。ふむ、悪くないのである。とんだ美丈夫かと思えば、女であったか。うむ。うむ。褒めてやるのだ。見目麗しい女は、我輩の好物なのである」


 蛇のように先が割れた細い舌をチロチロさせながら不気味に笑う黒衣の男。

 構わず、千夜鈴は床を蹴り砕いた! 刀を振りかぶりながら全速力で、突っ込む!


 退魔士の心得――何かが起きる前に、殺せ!


 韋駄天が如き健脚を以て、刹那の間に接触距離へ。


「シッッ!」


 全力、横薙ぎの一閃。薄桜色の残像で弧月を描き、首落の刃は黒衣の男の首を完璧に捉えた!


「適度に華弱かよい所も、い」

「――なッ」


 何と言う事か! 千夜鈴は黒衣の男の首に完璧な斬撃を入れた……だがしかし、黒衣の男は平然ッ! 薄桜の刃は首の薄皮一枚すら穿てていない!


 千夜鈴の腕に、じんわりと不快な麻痺が広がる。鉄の棒で鋼鉄の壁を叩いたような、そんな反動。

 ……これは、この感触が物語るのは、異能による斬撃無効や強烈防御の類ではない……純粋に、この黒衣の男の肌が堅いと言う事実!


 退魔士の腕筋によって振るわれた全力の一太刀が、何の種も仕掛けも無しに、一蹴されたのだ!


「ヴァファファファ! おいおい、驚き過ぎだろう? 可愛過ぎであるか、貴様」


 明らかな嘲り。しかし、千夜鈴にはその嘲笑に対して不快感を覚える暇は無かった。

 黒衣の男が、異様に伸びた爪の五指を大きく広げて、腕を伸ばしてきたのだ。

 襟を掴まれる、と判断した千夜鈴は、急ぎ、バックステップで後退した。


「うむ、髪の質も良いのである。まるで聖水の流れに手を浸しているような触り心地なのだな」


 声は、背後から、耳元に囁かれた。

 視界の端に、馬の尾のような毛房を弄ぶ爪の長い指が見えた。


「ッの!」


 背後を取ってくる魔物なんて、珍しくもない。

 振り返り様、千夜鈴は全力で刀を振るって攻撃――だがしかし、またしても、黒衣の男の肌は穿てない。

 ガギィンッ、と激しい音を鳴らして火花を散らし、千夜鈴の腕に痺れをもたらすだけ。


「おおっと。何と言う事か。貴様が急に動くものだから、見ろ。我輩の爪が貴様の髪をいくらか切ってしまったではないか」


 首にあてがわれ、現在進行形でギャリギャリ火花を散らしながら切断を試みる刃になど気にも留めず、黒衣の男は掌に残った千夜鈴の髪の数本を残念そうに見下ろしている。

 そして、何を思ったか――


「やれやれ、この逸品を放り捨ててしまうのはしのびない、のだなぁぁ……」


 その細長く先割れした舌で、千夜鈴の髪の切れ端を、ねっとりとねぶり舐め回しながら、口の中へとしまいこんだ……!


「ひッ……!?」


 これには千夜鈴、背筋を舐めずるような不快感を覚え、思わず高い声で短い悲鳴。まぁ、当然だ。今のは余りにもキモい。

 青ざめる千夜鈴とは対照的に、黒衣の男はやや頬を紅潮させてうっとり気味だ。心底キモい。


「ヴァファァァ……味も、重畳ォ。反芻しておくか。ぅえぷ」

「うああああああ!? やめろ! 僕の髪を堪能するなぁぁぁ!」


 悲鳴のように叫びながら千夜鈴は黒衣の男を何度も斬りつけるが、結果は変わらない。

 どこを斬っても、千夜鈴の腕の方が痛むだけ。黒衣の男はうぷうぷ言いながら恍惚の表情。非常にキモい。


「ヴァファファ、そうか、髪を堪能されるのは嫌か。では……」


 黒衣の男が腕を軽く振るった。ただその一動作だけで、千夜鈴の腕が止まる。

 刃を、掴み止められた。それも、指二本で挟む形で、いとも容易く。


「……!?」


 指二本に挟まれただけで、両腕の全力押し込みが完全に止められてしまっている。

 プルプルと震えながら力を込める千夜鈴に構わず、涼しい顔で、黒衣の男は大口を開けた。

 唾液が付着して、月明かりに煌めく無数の牙。それを剥いて――


「本命を、いただこうなのだ」

「ッ、ぁ……!?」


 首が、焼けるように熱い。

 深々と、牙を突き立てられたのだと、すぐにわかった。


 熱の正体は、黒衣の男の唾液と吐息、そして千夜鈴自身の血の感触……!


 じゅるッ、と言う嫌な音が鳴る。


 ――吸……!?


 吸われている、血が。

 牙が皮膚と肉を穿って噴出した血を、黒衣の男が啜り、ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んでいる……!

 どこまでもキモいッ!


「は、な……せ……!」


 拒否する、と言う返答代わりか、じゅるるるるるるッと吸血音が激しくなった。

 酷く激しく強烈にキモい……とか、言っている場合ではない。


「ぅ、あ、ぁ、ぁああぁぁぁ……!?」


 まるで、搾り取られるようだ。血が、どんどん吸い取られていく。


 やがて、千夜鈴は奇妙な感覚に襲われ始めた。


 それは――快感だ。

 何とも言えない快感。全身を優しく揉みほぐされているような、心地好い幸福感が、脳を痺れさせていく。


 ――絶対に、おか、しい……こん、にゃ、のぉ……!


「ぁ、ん、んん、はぁ、ぁぁ……!?」


 放せ、離れろ。もうやめろ、やめてくれ、おかしくなる。


 そう叫びたかったのに、千夜鈴の口からこぼれたのは、嬌声とも言えるような艶のある喘ぎだけだった。


 なんとはしたない声だろう、淫猥にもほどがある……!

 そんな声を自分が出してしまったと言う恥辱が背筋をゾクリと舐めずり、どう言う訳か快感を加速させていく。


 口から零れる唾液を止められない。足腰がどうしようもなく震えてしまう。混乱する思考すらも、溶かされ、蕩かされていく。


「……ぁ、ぁぁ……」


 遂には、喘ぐ事すらできなくなり――千夜鈴の意識は、暗転した。



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