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00,狂った世界における、ある男の終焉


 退魔士たいましの殉職率は、ほぼ一〇〇%だと言われている。

 理由はふたつ。

 ひとつ。職務内容が「強烈な力を持つ人外との戦闘」だから。

 ふたつ。退魔士と言う人種はどいつもこいつも、死ぬまで戦い続けるのが当然だと思っているから。


 ――正直、イカれてるよな。こんな仕事。


 寒空の下、白昼の公園。迫害され追い詰められたような、窮屈な喫煙スペースのベンチにて。

 肺に落とす価値も無い粗末な紫煙を溜息と共に吐き捨てて、男はぐったりとうなだれていた。

 解れや埃っぽさの目立つ薄い黒コートの下には、シワだらけのワイシャツに、擦れた黒のスラックス。

 全体的に漂う気怠さは「くたびれた中年男性」と言う表現が実によく似合う。


「あー……っとに、この銘柄マッズイわー。そら妙に安いはずだ」


 安物買いは銭失い、とはよく言ったもの。

 うんざりしたように「げー」と呻きながら、男は「まだ二酸化炭素の方がうめぇわ」と言わんばかりに舌を出した。


「……せめてもの楽しみだし……優雅に葉巻とか吸ってみてぇなぁー……」


 命懸けの仕事だと言うのに、叩き上げの退魔士じゃあ良質な煙を嗜む経済的余裕すらありゃあしない。

 ……まぁ、それもそうだろう。

 退魔士になるべくして生まれ育つ名家の退魔士様ですら、その寿命は長くない。孫と言う概念を実際に体感できた名家の退魔士が、この世にどれだけいたのだろうか。多分、歴史資料を引っ張り出して数えてみても、三桁はいかない。

 純正の退魔士様ですらそんなもんだ。

 中途から退魔士の世界に入ってくるような輩じゃあ、持って数ヶ月。

 そんな先の無い奴らに投資できるほど、退魔協会の資金は潤沢じゃあない。


 叩き上げの退魔士なんて、短期的な穴埋めでしかないのだ。

 ……だが、その穴埋めがいなければ、守れないものもある。

 やり甲斐搾取も甚だしい。

 つくづく、イカれているとしか思えない。


「……、!」


 男が吐き捨てる紫煙を器用に輪っか状にして遊んでいると、不意にポケット内部で振動が起きた。

 男はタバコを灰皿に押し付けながら、ポケットの中で震えるそれを取り出す。割れた画面を放置したままにぜざるを得ない、そんな悲しい経済力を体現するスマートホンだ。


「本当に、やれやれだ……」


 着信は、メール。発信者は、退魔協会の事務局。

 サプライズで賞与のお知らせ、なんて事は、退魔協会に限ってはあり得ない。

 仕事の話だ。「今夜どこそこにいって、仕事をしろ」、懇切丁寧に回りくどく、それだけの事が記されたメール。


「……今夜あたりが、ヤマかな」


 ――自分の限界は、自分が一番よくわかる。


 自身に残された人生の尺は、もうそんなに長くはない。

 それを理解した上でも、男はあっさりと立ち上がった。傍から見る限りでは、何の躊躇いも無く。


「お仕事、最期まで頑張りますか」



   ◆



 魔物。

 それは、世の理の埒外に生きる怪物の総称。

 幽霊であったり、異形として生まれた生物であったり、欠片も理解の及ばない異世界産の異次元存在であったり。


 細かな分類は雑多にあるのだが、とにかく共通している事は、「自然界の法則の中に居場所の無い連中」。営みを壊す事はあっても、営みに加わる事はない。

 その証左とも言うべきか。幽霊か異形か異次元存在かに関わらず、命尽きた魔物の肉体は、粉微塵も残らずに消え失せる。世界の理を無視してまさしく理不尽に振る舞う輩は、力を失えば当然、世界から拒絶され、完全に消滅する。……まぁ、「例外」もあるようだが極稀な話だ。


 殺せば消える。殺さなければ、理不尽が振りまかれる。それが魔物。

 故に、魔物の命を絶つ事で世の平穏を守る、退魔士が必要。


 ――薄三日月が不気味に笑う頃。

 黒衣を身に纏い、魔物に致命打を与えられる希少金属で作られた日本刀を腰に帯びて、男はある場所へ足を運んだ。

 そこは、ありふれた河川敷――だった場所。

 無数のパトカーによってかなり広範囲のバリケードが作られ、不動の意気を漂わせながら警戒にあたる無骨な警察官らも多数。やたらに物々しい雰囲気だ。


「よっ。待たせたな。お勤めご苦労さん」


 男はバリケードの前に立ちはだかる警察官達に軽い調子で挨拶。

 すると、警察官達は相対照的。一糸乱れぬ機敏な動きで、シュビッと空を切る音が聞こえる見事な敬礼。

 そして、


「「「お待ちしておりました! 頑張ってください!」」」


 歓待・応援の言葉を、そりゃあもう豪咆と言った感じで男に浴びせてきた。


「ああ、おう。応援どうも」


 何か懐かしむような雰囲気で、男は警察官達の敬礼を眺める。


「んじゃあ、まぁ、行ってくるわ」


 笑いながら頷いて、男は跳んだ。

 男はふわりと軽々、警察官達の頭上を跳び越え、パトカーのバリケード上も通過し――ズドンッ! と大きな音を立てて着地。

 男が着地した衝撃で、土手の草や土が派手に吹き飛んだ。

 その音と光景、まるで巨大な鉄塊が落下したかの如くだ。しかし、男本人は勿論、警察官達もそれには反応しない。当たり前の事だから。


「――さて」


 男はゆっくりと立ち上がり、土手を滑り下りる。


 河原は、耳に違和感を覚えるほどの静寂に満ちていた。「もしかして、耳が聞こえなくなっちまったのか?」なんてあらぬ不安に駆られて、ついつい無意味に声を出したくなるほどの静けさだ。

 草葉を揺らす風は無く、こんな「危険地帯」に留まる虫や動物がいるはずがないのだから、静かなのは当然か。


 男はしばらく河原を歩いた。どれだけ目を凝らしてもバリケードを構成するパトカーランプが見えなくなるくらい。

 そして「気配」の濃さから「この辺りだろうな」とあたりをつけて、立ち止まる。


「……出て来いよ。気付いてんだろ」


 男は川の水面に向けて声を投げた。

 呼応して、静かな流れの中に星空と薄三日月を映していた水面が大きく揺れる。


「ジャハハハハハハハハハ!」


 静寂を引き裂いたのは、水が弾ける破裂音と、地鳴りのように低い笑い声。

 水面を突き破った太く長い影が、星空へ登っていく――が、不意にそれは止まり、先端がぐにゃりと曲がって、男の方を向いた。


「報告通り、【水大蛇みずち】か」


 それを端的に言うならば、へびだ。

 水面から生えた塔のように巨大な蛇。月明かりを浴びて、濡れた水晶の鱗をやかましく煌めかせている。


「ジャハ! ジャハハハハ! 遥か遠巻きにワシを囲っているだけかと思えば唐突に! しかもワシの正体を知りながら、その認知領域に踏み込むか! 人間風情ッ!」


 いちいち地を揺らす太く重い声。まぁ、その巨体を考えれば当然の声量か。対峙する男が三人抱き合ったとしても、この水晶の大蛇ならばペロリと一呑みにしてしまうだろう。


「不敬! 不敬! 不敬! だがしかァし、不快ではない! ちょうど退屈に飽いていた所よ! その不遜な態度、健気な供物ではあるまい!? なれば、決まっておる! 我らを退けるべく武を研鑽せし愚か者――退魔士だな!」

「ああ、そうだよ。博識だな。流石は妖怪様だ」


 魔物にくくられる存在の中でも、最も厄介な部類。それが妖怪。

 知性を有し、感情を有し、悪虐を好む。ただ野性的に破壊行動を繰り返す悪霊や異形共の方がよっぽど質が良いと思える相手。


 並の退魔士では、まず相手になれない。

 妖怪相手の仕事に臨まされるのは、一握りの優秀な退魔士か、「ある特殊な事情を持つ退魔士」に限られる。


「しかし悪ぃな……蛇野郎、こちとら芸人じゃあねぇからよ。楽しませるつもりはねぇぞ」


 男の雰囲気が、変わった。先ほどまでは、どちらかと言えば軟派でへらへらとした雰囲気だったが、跡形もない。腰に帯びた刀、その柄に指をかけた途端に豹変した。

 男は繊細な小動物なら視線だけで殺せそうな鋭い眼光を、水晶の大蛇へと向ける。


「ジャハハハ! 構わん! 勝手に楽しむ故な!」


 男は言葉を返さず、抜刀! 夜闇に煌めく軌跡を刻みながら、白刃を引き抜いた!


 それを開戦の合図とみたか、水晶の大蛇が動く。

 簡単に言えば、体当たりだ。しかし、頭部だけで成人男性数人分のスケールの大蛇が鞭のように身をしならせたとなれば、「たかが体当たり」などと侮れるはずもない!


 土がごっそりと吹き飛び、河原が抉れて川の形が変わる。――即ち、地形をも変える一撃ッ!


「……デタラメか……!」


 男はどうにか回避――いや「向こうに当てる気が無かった」と言うのが正確か。

 地形を歪めるほどの一撃が放射する凄まじい衝撃波に煽られながら、男は数歩バックステップ。


「ジャァハハハハハハハハハハ!」


 猛りと愉悦を内包した大蛇の咆哮!

 水晶の大蛇は地を割った巨体をくねらせ、上陸。川から尻尾の先まで引き抜き、とぐろを巻けば小高い丘のようにもなる全容を月明かりの元に晒した。


 ――馬鹿げたデカさだな。


 つくづく、デタラメだ。普通に考えれば、人間が生身で相手にできるスケールではない。

 アニメや漫画に出てくるような巨大人型兵器を用いて戦うべき次元だ。


 でも、そんなものは存在しない。

 それでも、やる。


 大蛇と比較すれば爪楊枝にもならないだろう日本刀を構え、男は一歩、前へと踏み出した。そのたった一歩で、跳躍、高速で空を滑る。


「おお、退魔士ならではよなァ!」


 どうやら、この大蛇は退魔士と戦った事があるらしい。

 人外めいた筋力が無ければ到底実現できない芸当を目の当たりにしても、「退魔士ならばそれくらい」と喝破した。


 退魔士と戦った事がありながら、健在の妖怪。

 それが意味する所は――


 ――知るか。


 男は心中にて一言。余計な思考を捻じ伏せて、白刃を振りかぶりながら突っ込む。

 大蛇の懐に潜り込んで、全力で、刀を横薙ぎに振るう!


 水晶の鱗もろとも一刀両断――するつもりだった。


 だが、べきりと音を立てて真っ二つに折れたのは、男の刃の方だった。


「!」


 退魔士に支給される刀は、当然ながら特別製だ。

 世の理の埒外に在る魔物に有効打を与えられる「奇跡の金属」を惜しみなく用いた、魔物を殺すために研ぎ澄まされた武器だ。

 その金属が持つ人智を超えた強度、それと帳尻を合わせるように常軌を逸した重量。

 常人では振るうどころか持ち上げる事すらできない代物。それ故に魔を断つと言う奇跡を体現する刃。

 男が振るっていた刀も大きめの自動車程度の重量があり、それに見合う強度を誇っていた。


 ――それが、水晶の鱗に傷一線残す事なく、へし折れた。


「なんだ、多少は期待したのだが……有象無象であったか」


 残念至極。そんな溜息まじりのつぶやきが、地を揺する。


「興醒めよな。もう死ね」


 お返しと言わんばかり、大蛇がその太く長い体を横薙ぎに振り回した!

 水晶の巨大な鞭が地表をごりごりと削り飛ばしながら、男へと襲いかかる!


 刃がへし折れたショックから立ち直れなかったのか、男は回避する素振りも、防御の構えもなく――直撃ッ!

 音速の壁を突き破るスパァンッ! と言う破裂音を置き去りにして、吹き飛ばされた!

 数十メートルの距離をノーバウンドで、まさしく刹那の間に駆け抜ける。音速で吹き飛ばされた男の体は、軽い隕石のようなものだ。直撃した土手が、大きく抉れて、割れる!

 まるで小さな災害が巻き起こったかのような、崩壊の風景……!


「ああ、つまらん。何のためにワシがこんな汚水しかない場所までやって来て、じっと待っていてやったと思っておるのだ? まさか、この程度が当世で最も強い退魔士なのか?」


 つまらん、実につまらん。そう嘆くように、大蛇が頭を左右に揺すっている。

 勝負は着いたと確信している風だ。

 超重量の退魔の刃を振り回すために狂気じみた鍛え方をしている退魔士とは言え、今の一撃を直で受けて生きていられるはずがない。死体が人の形を残していれば、歴史に残していい偉業だ。


 身を捻るだけで地形を変える化け物が放つ、本気の体当たり。

 人間風情が耐えられるはずなど――


「――やっぱ、刀じゃあ無理だよな」


 耐えられるはずなど、ないはずだのに。男は、生きていた。

 まるでモグラのように土砂の中からモサッと這い出て、ゆっくりと立ち上がる。手で土埃を払いながら。その所作に、痛みに堪えるような雰囲気は一切無い。……無傷だ。衣類や肌が土砂で汚れているが、ただそれだけ。


「刀で片付くなら、俺に御鉢が回ってくる訳もねぇし」

「……ほぅ」


 最初は驚愕に目を剥いていた大蛇だったが、やがてその目を細めて笑った。

 何やら知らないが、退屈の解消を望む己に取って歓迎すべき事態が起きているのだろう。と、大蛇はただその要点だけを理解した。


 笑む大蛇に対して、男はどこか、悲しげ。


 ――ああ、覚悟してたつもりだけど……いざとなると、やっぱヤだなぁ。


 男は、深く、深く、溜息を吐いた。哀愁の滲んだ透明の吐息が、フゥ……と虚しく空に溶けていく。

 できれば、刀で片を付けたかった。無理だろうとはわかっていたが、それでもそう望んだ。

 だって、刀で済むのならば――生き残れる。明日もまた、戦える。「あの子」のために。

 ……だが、結果はまぁ、残念ながら当然と言うやつだ。


 だからもう、使うしかない。


 男は、深く、深く、溜息を吐いた。蒸気に濁った白い吐息が、ボワァ……と拡散し、虚空へと消えていく。

 切り替える、全身を。「こいつは妖怪と戦えるだけの戦力だ」と退魔協会に判断されるに足る性能、それを発揮できる状態へ。


「……! 貴様、その気配は――ジャハ、ジャハハハハ! よもや! よもやそこまで愚かか、退魔士ッ! そこまでして――自らを魔物の身と混ぜてまで、我々を殺したいと望むのか! もはや、愚を通り越えた狂気とすら思える! 正気の沙汰ではなァい!」


 大蛇の豪咆大笑を浴びながら、男の肌が変色していく。苔に覆われた泥のような、禍々しい深緑色に。

 変色した肌が、歪に膨張していく。ボゴボゴと沼が煮え立つような不快な音を伴って、筋肉が膨らんでいく。


「うるせぇ……テメェらに、何がわかる……!」


 ――男は、元警察官だ。

 特務捜査課、退魔補助班所属。今、この河川敷周辺を警備している警察官達と同属の、凡庸な人間だった。

 警察官になった理由は、別に、正義の心だとかそう言う綺麗なものではなく。ただ肉体派だったから。自衛官か警察官になろうと思い、先に合格通知が来たので警察官になった。

 言うなら「なんとなく」。そんな理由で警察官になって、退魔補助班に配属され、魔物出現地点の周辺警備業務に駆り出されていた。


 ……だけど、そこで出会ってしまったのだ。「あの子」に。


「テメェらなんかに……何が、わかるってんだ……!」


 もう、五年も前になる。

 初めて見たあの子は、ランドセルを背負っていた。

 魔物出現地点へと赴くにあたり、周辺を警備していた男に、あの子はぺこりとお辞儀をして「こんばんわ、お疲れ様です。お待たせしました!」と、元気良く挨拶をした。

 ――大きな声も、小さな体も、妙に長ったらしいポニーテールヘアも、酷く震えていた。


「……あんな小さな子が……何で……戦わなきゃあ、いけないんだよ……!?」


 それがこの世の中に必要な事なのだとしても。到底納得できるはずがない。


 ……それでも、男はただ見ていた。何度も。あの子が震えながら戦いに赴く姿を何度も何度も見た。ただ、立って、見ていた。

 あの子の兄が殺された現場にも立っていた。葬儀中に泣き崩れてしまったあの子を見ていた。

 それでもその夜……お辞儀をして、微笑みを取り繕いながら挨拶をするあの子を見た。


「正気で、いられる訳がねぇだろうが……! こんなイカれた世界で!」


 正義感など、持ち合わせてはいない。

 だがそんな男にも――怒りはある!

 己の不甲斐なさを呪い、吠え立てる感情がある!

 許し難いこの世の理不尽に噛み付き、突き立てる牙がある!


「俺は、戦う! 俺が、戦い続ける! 一匹でも多くの魔物を、俺がこの手で殺してやる!」


 足掻きだ。ほんの一回でも、二回でも良い。三回か四回だって、ああ、やれるだけやれるならそれが良い。

 あの子が震えながら戦いに行く回数を減らせるのなら。理不尽がまかり通る夜の数を、ほんの少しでも減らせるのならば!


「そのためなら、人間をやめるくらい――屁でもないだろうがッ!」


 退魔士に求められる最低限のスペックは、自動車並の重量がある刀を片手で取り回せる膂力だ。

 そんなの、普通の人間に到達できるはずがない。遥か先祖の代から退魔士として脈々と、遺伝子レベルで肉体を改造してきた名家の連中だけが許される領域だ。


 一般人がある日、思い立って退魔士になるなんて、ほぼ不可能。ほぼあり得ない事。

 そして、「ほぼ」とは「必ず」ではない。何事にも例外がある。


 並の人間では到達できない領域だと言うのなら、人間をやめれば到達できると言う事だ。

 その手法として、例えば――ある特殊な因果によって消滅しなかった魔物の死骸を、摂取する事。

 それにより、人の肉体は部分的にだが、魔物へ――人の外へと近付く。


 ――まるで名家の退魔士のように。

 その身は洗練された筋肉の塊と化す。

 ただ軽く跳ぶだけで空高く舞い上がり、着地すればまるで巨岩の落下を彷彿とさせる音を鳴らす。

 自動車より重い刀だって、意のままに取り回せる膂力を得る。


 全力全開、人外としての力を制限無く振るうべく全身のスイッチを切り替えたならば、更に強烈な力を発揮できる。


 ……無論、タダでは済まないが。

 人間をやめる代償は、決して安くない。


 人を超えた力を日常的に発現する過度な身体的負担、常人の体ではまずあり得ない超エネルギーの奔流による超発熱。肉体は、内から焼け焦げていく。

 人外化している一部以外の部位――常人のままになっている臓腑の大半が死に、ろくな食事を摂れなくなり、口寂しさを煙で誤魔化すしかなくなる。

 徐々に徐々に壊れていく。失っていく。

 しかし、魔物のそれに等しくなった一部身体機能のおかげで、生き続けられる。

 半死半生、人外の怪物としてしばらくは戦い続けられる。そう、しばらくは。

 ……いずれ、完全な限界がくる。

 所詮は半人半魔、半端者の肉体。

 常に崩壊し続けている挙句、全力を出せば加速度的に壊れていく。粗悪極まる欠陥品。

 戦う度、急激に劣化して、そう遠くない内に使い物にならなくなる。低品質の消耗品。


 ――それで構わない。


 ほんの少しでも、長く持てばいい。

 一匹でも多くの魔物を殺せるのなら、それでいい。


 そして、今回が最後だろう。

 自分の限界は、自分が一番よくわかる。

 命の蝋燭は今、生存に必要な臓器と共にすべて燃え尽きた。

 ここに在るのは、ただの余熱。やがて跡形もなく虚空へ溶ける、最期の陽炎。


 ……死ぬのは、当然、恐い。嫌だ。


 そんな恐怖と戦い続けるあの子を、放っておけるか。


 魔物と戦える才覚を持って生まれたと言うだけで、この恐怖から逃げる事を許されない。

 いつ兄のようになるか。いつ両親のようになるか。そんな風に怯える小さな少女をただ見ているだけで、いられるか。


「魔物は、俺に殺されろ」


 男が――汚濁した緑色の怪物が、内出血で濁った眼球を剥いて、大蛇を睨み付ける。

 捉えた。殺すべき対象を。

 煙幕の役割すら果てせそうな量の蒸気を一息に吐き捨てて、一歩。

 河原に巨大なクレーターを刻み付け、怪物が跳ぶ――いや、飛ぶ。それはもはや、飛翔の領域!


 薄三日月を突くように高く構えていた大蛇の頭に、一歩の飛翔で殴りかかる!


「――ッ」


 大蛇の口角が、一瞬で下がった。

 本能で察したのだ。「くらえば、殺される」と。


「ア、アアアアア!?」


 大蛇、先ほどまでの笑い混じりの咆哮とは別物、必死な悲鳴をあげて、全力で身を捻った!

 回避行動! まるで神物のように悠然と理不尽な力を振りかざしていた大蛇が、余裕の欠片もない形相で回避!


 その判断は、「流石だ」と賞賛に値する。


 怪物の拳が、空を切る。まさしく、虚空を断裂させる!

 夜闇がバックリと裂け、その向こうには闇よりどす黒い何かが奔流する亜次元空間!


 素拳の一振りが、空間を破壊する――世の理を遥かに逸脱した、圧倒的パワーッ!


「ぎッ……待て……待て待て待て! その緑の肌にその膂力……まさか、教えに聞く……馬鹿な、貴様……なんと、なんと大それた事を!?」


 焦りを隠せない大蛇に、怪物は答えない。

 世の理を超越した脚力を以て虚空を踏みしめて、空中で体勢を整え、次の攻撃を用意する。


「【水神みじうかみ】様を食ったのかァァァ!?」


 ――その妖怪は、妖怪の界隈において「水辺に住まう神の化身」即ち水神みじうかみだと畏れられる。

 殊、この大蛇のように水辺を住処とする者達に取っては、信奉の対象ですらある。


 伝承に記されるその行いの数々は、まさしく破天荒。

 妖怪も人間も分け隔てなく蹂躙をしたかと思えば、妖怪にも人にも分け隔てなく施しを与える事がある。

 一貫性が無いと言う一貫性を見出せるような、万事が己の気の向くままと言わんばかりの振る舞い。「木登り勝負で己を負かした猿妖怪に逆上して川底に沈めた」なんて記録の隣には「己の腕を斬り落とした人間の武士を咎めるどころか気前よく褒美に妙薬をくれてやった」と言う記録が残っている。


 妖怪の中でも、群を抜いた理不尽の体現者!


 その名は――【河童かっぱ】ッ!

 素手で万物万象を破壊すると言われる、豪力の大妖!


 魔物と総称される存在の中でも常軌を逸した存在であるが故か、死してなおその肉体は失われる事はなく。

 退魔協会は河童の木乃伊みいら化した遺体を三体所有している!(少ない、と思われるかも知れないが、そもそも河童の絶対数が少ない上に死ぬ事も少ないので多く回収できるはずもない)

 そしてその遺体から僅かに削り取った粉末を叩き上げの退魔士に投与して、即席使い捨ての妖怪殺しの怪物を量産しているのだ。


 河童の逸話には「胡瓜きゅうりを対価として人間に妙薬を授けたり、魚を取ってきてやったり、ある時は命をいただく代わりにと力を貸してやることがあった」と言うものがある。それも、複数。

 きっと、そう言う性質があるのだろう。河童には。


 例え己の遺骸を弄ぶ人間が相手だろうと――命と言う対価を支払うならば、引き換えにその大いなる力を貸してくれる。


「――――」


 怪物が、身を捻る。


「ひッ」


 その所作を見て、大蛇は情けなく喉を鳴らした。もはや、先ほどまでの大物感は見る影も無し。

 大きいのはその体躯だけとなってしまった大蛇は、一心不乱。怪物から目を背けて鼻先を翻すと、川へ向かって這い出した。

 回避に続いて、逃避!


 ――水神みじうかみ様を食らうだなんて、なんと悍ましい気狂イカレの所業!


 その感想に付随する感情は怒りではない……ただひたすらの恐怖と嫌悪だ!


 水神みじうかみ様の力を断片でも体現する相手に勝てる気がしない、と言う恐怖!

 そして、信奉すべき神聖を食い下し、その御業の断片を己が物にすると言う、余りにも度し難い行為への嫌悪!


 自分よりも強い上に、生理的に拒否反応が出るレベルで理解し難い怪物との遭遇。

 人間に置き換えると「人間を一捻りにできる化け物ゴキブリとの遭遇」とでも例える所か。


 そりゃあ、一心不乱に逃げたくもなるだろう。


 ……だが、嫌悪と恐怖の余り、大蛇は失念していた。


「――殺――す――」


 怪物はギギギと言う軋みが聞こえそうな重苦しい所作で身を捻り続け、その拳を大きく振りかぶった。


 河童の特徴に関する記述には、こんなものがある。

 ――その堅い肉で膨れ上がった緑の肉体は、無骨な外観からは想像も付かない高い弾性と伸縮性を持つ。戯れに付き合い腕を引っ張ってみると、どこまでもぐんぐん伸びるのだ。


 そう、河童の腕は――伸びるッ!


「殺す!」


 怪物が吠え、身を捻って大きく振りかぶった拳を放った!

 禍々しい色合いの緑の拳は空間を引き裂きながら、音を置き去りにして駆け抜ける!


 そして――恥を捨てて必死に逃げる大蛇の頭を後頭部から撃ち抜き、粉々に消し飛ばしたッ!



   ◆



 ――ああ、そうかい。俺も、そうやって消えるのかい。


 霞む視界の中で、ふたつの崩壊が見えた。

 ひとつは、水晶の鱗に覆われた巨体。頭部を失い、絶命し、世界に拒絶されるように消えていく。

 もうひとつは、足だ。爪先から徐々に、粒子以下の滓に分解されて消えていく足。


 それが自分の足だと言う事くらい、脳まで焼けただれた男にだって理解できた。


 魔物のように消えて、遺体の一片も残らない。

 きっと、魂さえもこの世界から消し去られるのだろう。そんな感じがするのだ。


 ――人間をやめた奴には、相応の末路か。


 覚悟はしていた。それでも、苦しいものだと思う。

 ――……人間らしく泣き叫ぶ機能が残されていたなら、きっと酷い醜態を晒していた事だろう。


 ああ、辛い。

 何が辛いって……もう戦えない事が、ただひたすらに辛い。

 そう長く戦えない事はわかっていた。覚悟もしていた。でも、惜しい。


 他に、もっと上手いやり方があったのではないだろうか。

 もっと上手く、あの怪物の力を使う術があったのではないだろうか。

 そうしていれば、あと一度か二度は多く戦えたのではないだろうか。


 ……そんな不毛な未練、途方もない悔しさを覚える。


 人間とは、強欲な生き物だ。

 死の際になっても、思い付くのは未練がましい事ばかり。

 恥じる事もなく奇跡を望んでしまうのだ。

 荒唐無稽でどこまでも自分勝手な願いを思い描きながら、願いよ叶えと強請ってしまう。


 ――もう、神様でも悪魔でも、何でも良い。誰か、俺の願いを聞いてくれ。どうか、俺の代わりに――


「おう? 珍しく【御同類】の気配を感じたから見に来てみたんだが……何だぁ? 混ざり者って所か、お前さん。珍妙なもんだな」


 ――祈る男の前に唐突に現れたのは、神と呼ばれる事もある魔の類だった。


「クァパパパ。ああ、珍妙だが、嫌いじゃあない匂いがする。ふんふん。いいよ、言わんでもわかる。筋肉を見りゃあ、大体の事は読み取れるもんさ」


 巨体を揺らしながらしゃがみ込んで、そいつは男を吟味するようにじろじろと観察。


「――ああ、いい、良い、好いよ、お前さん。睨んだ通り、オレの大好物。欲深な人間様だ。世の理に不満を持って、必死懸命に、死ぬ者狂いでまさしく死ぬまで足掻き続けたその末路にいる。身の程知らずに世界を引っ繰り返そうとした愚か者の成れの果て。最ッ高の見ものだぜ。クァパパパパパパパ!」


 そいつは、黄色い嘴をぐしゃりと歪めて笑った。

 嘲笑……ではない。


「今も昔もオレは! そんな愛らしい愚かな人間に! こう言って手を差し伸べると決めている!」


 ぬぅっと男の眼前に差し出された、大きな手。

 しっとり湿ったまるで翡翠の宝石のような皮膚に覆われたその手は、成人の頭を摘まんで潰せそうなほどに大きく、それ故に頼もしいものだった。


「お前さんの願い、このオレが叶えよう。……なぁ~に。御代はその辺の羽虫ですら持っているありふれた乱造品――お前さんの、命、魂さね。こりゃあ悪くない話だろう? その風前の灯火みたいにしょぼくれた生命に、破格の高値を付けてやろうってんだ」


 ――その存在は、命を対価として、力を貸してくれる事があると言う。


「さぁ願えよ、人間。この河童オレに、その身に余る大望ねがいを!」


 これは、ある男の終焉。

 そして、狂った世界への反逆、その始まりである。


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