王太子アレクセイ(中)
エーデル伯爵家令嬢、リリアーナ・エーデル。それが彼女の肩書きだった。そしていつかの茶会で、俺が恋に落ちた女だ。
リリアーナは暖かな春風の様な女だった。時には寄り添い、時には背中を押してくれ、俺の欲しい言葉をくれる。しかし俺のしている事や考えが間違っていたなら、必ず叱って明後日の方向を向いていた俺を正してくれた。
そんなリリアーナに惹かれるな、という方が無理があるだろう。いつしか俺は、リリアーナに穏やかな恋情を抱くようになり、そしてリリアーナもまた、俺の気持ちに応えてくれた。
けれど俺にはアリアンヌという婚約者が居て、おおっぴらにリリアーナと想いを伝え会うことなど出来るわけがない。もしもリリアーナがレーナード公爵家よりも力を持った貴族だったならば、少しは話は変わっていたのだろう。しかしリリアーナは伯爵家の令嬢。その位は決して低い訳ではないが、それでも公爵家になど敵うわけがなかった。
嫉妬深いアリアンヌにこの事がばれれば、リリアーナもエーデル伯爵家も只では済まないことは容易に想像がついた。だからこそ俺達は、密かに交際を始めたのだ。
それからの日々はとても充実していた。こんなにも心の底から誰かを愛したのは初めてで、こんなにも満ち足りた気持ちになったのも初めてだった。
けれどそれをどうやって嗅ぎ付けたのか、アリアンヌが母上と手を組み、リリアーナの命を狙ってきた。
リリアーナの馬車に仕掛けがされていたこともあった。悪漢をけしかけられたこともあった。食事に毒が入れられたことさえも、あった。
ここまで来て黙っていることなで出来るわけがなく、俺は母上の所に直談判しに行った。今思えば愚かとしか言いようがないが、何よりも大切なリリアーナに手を出され、頭に血が上ぼり正常な判断が出来なかったのだ。
『わかりました』
それが、母の返事だった。
安堵した。これでもう、リリアーナに被害が及ぶことはないのだと。けれどそれは大きな間違いだった。数日後、リリアーナが行方不明になったのだ。
その知らせを聞いたアリアンヌが嗤った。その顔は、奇しくも数年前に母が見せた顔に驚くほど似ていた。
『行方不明?、まぁ…それはお気の毒に…』
(『アレクセイ、あなたは私の誇りよ』)
何がお気の毒に、だ。何が私の誇り、だ。できることなら激情のままに殴り付けてやりたかった。しかし仮にも王妃と公爵令嬢。その時の俺にできることは、リリアーナの行方を探ることだけだった。
『リリアーナ!返事をしろリリアーナ!!』
リリアーナは王都から遠く離れた森の中にある洞窟で、ぐったりと横たわっていた。恐らく森に捨てられ、安全な所を求めて洞窟にたどり着いたのだろう。
リリアーナを一度医師に預け、それから俺は母上とアリアンヌが今までリリアーナにしてきたことの証拠集めに奔走した。
そしてリリアーナが目覚める頃、俺はとある人物から託された決定的な証拠を手に、母とアリアンヌの元へと向かっていた。
『っ!、アレクセイ、一体これをどこで…!』
『あ、アレクセイ様、違うのです!わたくしはただ…!』
確かに婚約者のある身でありながら、リリアーナと恋に走ってしまった俺にも沢山の責任があるのだろう。だが、それでもあの二人はやり過ぎた。何度も言うが、リリアーナは伯爵令嬢。公爵令嬢であるアリアンヌと比べれば、確かに家柄は劣る。だが、それでも低い訳ではないのだ。それにエーデル伯爵は父からの信頼も厚い。
もう、あの二人に未来はないだろう。
『安心しろ、リリアーナ。貴様に降りかかっていた脅威は俺が消し去った!』
『アレク、様…』
『そしてこれからも、愚かにも俺の最愛であるお前を脅かさんとする者共から、お前を守ると誓ってやろう。だから…!』
『俺と結婚しろ、リリアーナ・エーデル!』
それから三年後。俺達は国中に祝福される中、夫婦になった。
…だが、誓いのキスを交わして数秒と経たない内。俺は学園に足を踏み入れたその日に巻き戻っていた。
勿論そこにはリリアーナも居た。リリアーナには俺と結ばれた時の記憶はなかったようだが、それでもリリアーナがリリアーナであるのなら何も問題はなかった。二人で再び愛を育めば良いと思ったからだ。
だが、リリアーナが選んだのはエドワードだった。