ロスト・ウィング ~人型兵器が闊歩する空を、鉄の猛禽が駆け抜ける~
『管制塔よりクロウラー1。二番滑走路への進入を許可する』
ヘルメットに内蔵された無線機の向こう側から聞こえる焦り気味の声を聴くと同時に、エンジンのスロットルを僅かに押し込む。途端に空焚き状態だったエンジンの回転数が目に見えて上がり、目の前のデジタルメーターへとすぐに反映された。自走状態へ入った愛機が、何もない滑走路へと進入を果たす。
『大神級の"アマツカミ"、基地南方400 kmを北上中!! "ニルヴァーナ"の起動急げ!!』
『現在エネルギー充填率70%、起動まで残り15分!!』
相も変わらず、オープンチャンネルの無線通信網は決戦兵器の起動準備が完了していない旨を報告するものばかり。大空への玄関口足る、滑走路の中央にて空を見据えている俺たちとはまるで対照的だ。タキシングによる制動からエンジン出力を落とし、虎視眈々と離陸の許可を待つ。エンジン出力計、高度計、速度計。目の前に映る全ての計器に異常はなく、当然燃料は満タンだ。
敵の出現はいつだって唐突だ。だからいつも決して"主力陣ではない"俺たちへの指示はこうしてタイムロスを強いられることがある。待てど暮らせど離陸許可はおろか離陸前の最終チェックの指示すら入っては来ない。酸素マスクの奥でため息を漏らし、そして無線チャンネルを切り替えた。
「クロウラー1より各機。各自、計器を精査しろ。敵の目の前で燃料切れだなんて泣き言は聞かんぞ」
『クロウラー2、了解――』
管制塔とは一転して、僚機たちの反応は普段と同じく素早いものだ。自身も愛機の計器を再度チェックし終えて、とうとう若干のいらつきと共に無線通信のチェンネルを元に戻した。
「こちらクロウラー1。管制塔、離陸準備は既に整っている。早く離陸しないと俺達が主力陣に文句を言われるんだ」
『――クロウラー1、離陸を許可する。後続機も順次発進せよ』
向こうからの指示はなんともおざなりなものだ。数年前ならば、全ての機体に対して厳格に指示が飛んでいたであろうものの、随分と扱いが軽くなってしまったものだ。だが例え管制塔からの指示が足りなかろうが、この晴れて見晴らしの良い状況で、尚且つ十分な電子制御が施されたこの機体であれば、よほどのことが無ければ離陸は難しくはない。
「各機、間隔は十分に取れよ。離陸後そうそうに前機のジェットに巻き込まれるんじゃねぇぞ」
『了解、そんなヘマはしませんよ』
そして一気にスロットルを押し込んだ。コックピット内にまで聞こえるエンジン音が一気に高音になるとともに、急加速が引き起こす体への締め付けが降りかかる。滑走路の景色は流れる速度を増していき、速度計はぐんぐんとそのメーターを上げていく。速度は十分。最終離陸ポイントよりも余裕を持った手前で、操縦桿をゆっくりと引き始めた。体が下へと押し付けられる感覚、そして離れていく滑走路の点滅灯。幾度となく繰り返した操作だ、たとえそれがスクランブル発進のものであっても何かが変わることもない。
一度空中に飛び出せば、失速でもしないかぎり姿勢は安定する。本国から離れた温暖な気候の孤島では、スコールを除けば快適なフライトが約束される。スロットルペダルを段々と手前に戻し、地上から飛び出すための爆発的な加速はなりを潜めていった。
『クロウラー5、離陸しました』
「クロウラー1、了解。各機、方位を1-7-5、700ノットまで加速せよ」
本来であれば管制塔が行うべきである指令を代わって宣告する。卓越したレーダー機能にデータリンク能力を保有するこの機体だからこそ出来る芸当だ。管制塔には交戦経過くらいは抜け目なく記録してもらわなければ困るが、向こうも"ニルヴァーナ"の起動準備でてんやわんやなのだろうから多少の指示の遅れには目をつぶる。それくらいのおおらかさが無ければ、今のご時世戦闘機乗りなどやってはいられない。
「全機、俺に続いて高度を上げろ。これより敵アマツカミへの威力偵察を行う。このまま索敵可能範囲までいくぞ」
敵性飛行生命体、通称アマツカミ。自分たち以外の存在に対して見境なく攻撃、殲滅する困った連中。初めて確認されてから今日に至るまで、奴等の狙いやどこから送り込まれているのかはまるで不明。そして見た目についても、巨大な人型だったり竜のような形だったり、はたまた大きな球体だったりと安定しない。
10年前に太平洋のど真ん中に出現したそいつらは、最初にハワイ島を攻撃した。アメリカ太平洋軍のお膝元への襲撃、当時の世界最強の戦力が引いた防衛線が僅か二日で陥落したというニュースは全世界を揺るがした。大量に出現した小型のアマツカミの物量に最初は押され、続いて現れた大型種により戦線が突破される。特に大型種の脅威は大きく、同じく空を飛ぶ物として当時最強を誇っていた何機もの第5世代戦闘機が撃墜されるという憂き目をみた。
グアムの米軍だけではなく、オーストリアや中国の軍までもが参加した連合作戦によりなんとか戦線後退は防いだものの、アマツカミとの空戦における戦闘機のキルレシオが良くて1対3ではいつか限界が訪れるのは明白だ。
そんな絶対的に不利な膠着状態のなか、突如戦線に投入された試作兵器が状況を一変させた。有人人型戦術機ニルヴァーナ。ミサイルや機関砲といった装備の他に、超近接武器である巨大なブレードをも持ち合わせた大型のロボット兵器だ。そいつらは特に超近接戦闘で高い勝率を叩きだし、戦線を一気に押し戻していく。奴等のパイロットがまだ二十歳にもなってない子供ばかりだという批判も、ニルヴァーナの活躍と共に下火になっていく。戦況が改善に向かうなかで投入されるニルヴァーナの数も増え、人類滅亡の空気の漂っていた戦場にはパイロットである若い少年少女の場違いな声が混ざり混んだ。
結果として、3年前に連合軍はハワイ一帯を奪還し、そしてアマツカミ達の集団を一掃するにまで至った。ホノルルで行われた連合各国の首脳陣が集う記念式典では、その背後を作戦成功の要因であるニルヴァーナの一個師団が護衛にあたった。人型兵器の出現を鼻で笑っていた連中の多くが、力強くホノルルの空を舞う彼らを見て手のひらを返して歓声を浴びせる。空の主役は、たったの数年間で戦闘機から彼らへと移り変わったのだ。
「標的まで約200マイル。これより交戦区域へ入る。管制塔、攻撃許可を」
ウエポンベイの中に詰め込まれた、合計8発の空対空ミサイル。射出スイッチを押すのは俺たちだが、射出するか否かを決めるのは俺たちではない。戦闘機の戦術的な意味合いが様変わりした現代においても、その基本は変わることはない。
『――こちらニルヴァーナ・イージス隊二番機。これよりあなた方クロウラー隊の指示を引き継ぎます。これより全武装の使用を許可、実際に撃つかどうかは全て現場のあなた方の判断にお任せします』
「……ラジャー。我々の仕事は無駄弾を撃つことだ。景気良くいかせて貰う」
無線通信の接続先が、レスポンスの遅い管制塔から年若い女の声へと変化した。俺ら戦闘機隊の上位部隊であるニルヴァーナ部隊は、管制塔と同じく戦闘機部隊の統率権限が与えられている。たったのそれだけで、今後の作戦展開がやり易くなったのだと理解をした。意思決定が素早い以上に、こちらに判断を投げてもらったことで格段に動きやすくなる。今の通信の相手は、それを理解して丸投げしたのだ。
「全機、射出系統をグリーンにしろ。それとタイマーを10分に合わせろ。ゼロになったらAIM-120による連続飽和攻撃を実施する」
無論、自機のウエポンシステムについてもチェックを行う。向こうの速度から考えて、射程に捉えるのはおよそ10分後で、レーダー索敵範囲に捉えるのは更に早い。距離にして70 km手前からの視界外攻撃は、正にこの機体の設計指針そのものとも言える。
ウエポンベイの操作に備えて開閉スイッチに伸ばした指が、レーダーへ突如映り込んだノイズを見た瞬間に無意識のうち別の装置へと伸ばされる。レーダー範囲を機体全方向に変更し、そして敢えてステルス特性を遮断させるように後方に向けてレーダー波を放つ。
「敵の超射程レーザーの予備線を確認した。全機、俺に続いて回避行動をとれ」
射程250 kmにも及ぶ超距離射程のレーザーは、奴等アマツカミと戦うにあたって洗礼ともいえる攻撃行動だ。メガワット級のエネルギーをもったそれが直撃したら一撃でお陀仏で、何機もの戦闘機がそれに撃ち落とされてきた。だが幸いにも連中のそれは射程線にむけて照射前に数秒間エネルギーチャージにともなう微弱な電波が放出される。それを見切れば直撃の憂い目に遇うことなどはない。
散開ではなく、密集。自機を先頭とした矢尻のような陣形で、ただ奴の元へ向けて飛び続ける。ともすれば一気にレーザーで焼き払われるリスクを抱えたその横を、一瞬の間強烈な青光が駆け抜けていった。
『あ、アマツカミからのレーザー!! 敵の射程範囲に入りました!!』
「各機、被害は随時報告せよ。続いて第二射――は大きく外れか」
再びレーダーが予備線のノイズを捉えたが、今度は俺たちよりもかなり離れた場所に向けられている。見当違いも甚だしい空域に向けて、強いレーザー光が突き抜けていった。
「奴は出鱈目に撃っている。まだこちらは発見されてはいないな。これより被弾時を除いて無線を封鎖、タイマーがゼロになったら予定通り当機を先頭に3秒ごとにAIM-120を連続射出せよ」
その無線を最後に、一時的に全ての通信が途絶える。レーダーの走査範囲も機体のごく近い周囲に限定され、前方遠距離からのステルス特性を限界まで引き上げる。一見して無謀な突撃行為だが、奴の狙いが適当ならばこれでもなんとかなる。
敵位置からは更に続けざまにレーザーが照射されるが、それらはこちらの位置から離れた位置に向けて放たれる。思っていた通り、一射目が偶然こちらの至近距離を掠めていっただけなのだろう。距離やこちらのおおよその場所といった場所は分かっても、流石は最新鋭ステルス戦闘機だけあって詳細な位置については連中ですら分からないのだ。刻々とゼロに近づくタイマーを見つめ、レーザーの射出場所に向かって航行を続けていく。
ハワイの奪還で太平洋の制海権を取り戻したのが3年前の話だ。しかし、それで完全にアマツカミが消え失せたわけではなかった。制圧むなしくも太平洋の大海原で不定期に出現する大型のアマツカミに対抗するため、連合軍を構成していた各国は自国独自のニルヴァーナ部隊の運用を続けた。もはや、戦闘機が国の防空を担う時代は終わりを告げたのだ。
ここハワイのヒッカム空軍基地においても、米軍が運用母体となっているニルヴァーナ部隊が存在する。決して運用コストが安いとは言えないそれらも、アマツカミの発生が確認されればその殲滅に向けて一部隊が出撃するようになっていた。しかし、彼らの動力機構は戦闘機のそれよりも複雑で、有事に際して即時出撃できるようなスクランブル配置を行うのは非常に難しい。また、いくら彼らがアマツカミに対して優位な作戦行動が出来るとは言えども、超近接戦闘を行う場合は敵の種別などの最低限の情報が無ければ有効な装備の選択すらもままならない。
スクランブル配置が可能で、敵の出現に際して最初に斥候として出撃していくための部隊。このヒッカム空軍基地では、そんな便利屋としてある存在を抜擢した。つい数年前まで空の主役であり続けて、一転してその座をニルヴァーナに明け渡すことになった戦闘機たち。元米空軍最強の機体であるF-22 ラプターが、現最強の機体たるニルヴァーナ・HF-02 アルテミスのバックアップ要員になった瞬間である。
だが例えバックアップ要員という立場で甘んじようが、俺たちにしか出来ないことはある。ニルヴァーナは近接戦闘においては無類の強さを誇り、そして遠距離からの攻撃も強化シールドやブレードでいなすことが可能だ。だがその形状は人型であり、空力的に必ずしも優れているとは言えない。
戦闘機とは、逆にその空力的な特性の一点を追求した存在である。ニルヴァーナはスラスターの出力を最大限に引き上げたところで、最高速力は超音速巡行が可能なラプターの半分以下だ。そしてレーダーと同じ役割を果たすと考えられているアマツカミの索敵行動からは、高度なステルス特性を保有するF-22が格段の隠匿性を示すことになる。
この性質から導き出されるF-22を基盤とする偵察戦闘機隊の最も有効な運用方法とは、ただ単に斥候として偵察するだけなのではなく、武器の使用を含めた威力偵察に加えてニルヴァーナの発進までの時間を稼ぐこと。そのような活動を続けてきた俺たちクローラー隊は、いつしか偵察ではなく先遣部隊としての役割が与えられることとなった。
「――ロックオン!! クローラー1、フォックス3!!」
タイマーがゼロになるのと同時にレーダー照射を行う。瞬時にロックオンされる未だ視界外にいるアマツカミ、その遠方の一点を射程範囲に捉えたAIM-120が開放したウエポンベイから放出される。それに続くように、僚機からの無線通信が再び舞い込んできた。白煙を後に引いて連続で対象に向けて突き進むミサイルの群れを一瞥しながら、再び自機のレーダーサイトに目を向ける。対象との距離はすでに70 kmを切っており、この距離ならば敵の大まかな種別くらいは掴めるはずだ。
「イージス隊二番機へ。当機とのデータリンクを行い、当該アマツカミの戦術データ収集に努めよ」
『了解しました。でもクローラー1、無理はしないで下さい。私たちが到着するまで、落ちることは許しませんよ』
次弾発射に向けて操作をする中で、無線通信の相手がそんなことを言い放った。これが管制塔の通信士ならば間違ったってこんなことは言ってはこないだろう。イージス隊二番機のパイロットは、ニルヴァーナ乗りとしては異例ともいえるくらいに戦闘機搭乗員に対しての辺りが柔らかい人間だ。これに慣れてしまったら、戦場引継ぎの時に話すことになる一番機との通信で憂鬱な気分になるとヘルメットの中で苦笑いを浮かべた。
「各機、再びレーザーが来るぞ。今度は向こうもこっちの位置を把握しているはずだ。脱落せずについて来い!!」
『クローラー3、ラジャー!!』
今しがた射出したAIM-120に対抗するようにして、電波線のノイズがレーダーサイトに映り込んだ。今度は先頭を行くこの俺に直撃するコースだ。ウエポンベイを解放してミサイルを発射した時点でステルス特性は意味を為さなくなる。間違いなく、こちらの位置を向こうは把握をしている。
機体の左を突き抜けていく青白い強烈な光線、その隣でレーダーサイトを凝視する。もう大分アマツカミに接近を果たしており、もうそろそろ敵の概形も把握できる距離だ。果たして敵の形は球形か竜型か、それともニルヴァーナと同じ人型か。後者に行くに従って接近戦闘能力が向上していき、俺たちにとっては面倒な敵へとなる。
『こ、こちらクロウラー4!! 翼端をレーザーが掠めました!! 飛行には問題ありませ――』
「クロウラー4、直ちに帰投しろ。本作戦は最低限3機いれば遂行が可能だ。高度を落としていれば海面がいくらかお前の姿を隠してくれる。ケツから止めを刺されんように気を付けろ」
『……クロウラー4、了解。申し訳ございません』
「謝罪はいらん。生き残ることに専念しろ。生き残れば、次のスクランブルで借りを返せるぜ」
そしてとうとう一機が戦域から脱落した。例え飛行には支障の少ない翼端の被弾だとは言え、ステルス特性には多大なる影響があることに間違いはないはずだ。それだけ狙われる率が上がる可能性があるのであれば、そうなる前にとっとと帰投させた方が良いに決まっている。編隊から離れていく一機を見送り、その穴を埋めるように5番機がやや前に出た。そして再び機体正面へと視線を向ける。ようやく明らかになる敵の概形。その形体は、細やかな解析をするまでもなく想像していた中でも一番相性の悪いタイプに他ならない。やはりか、と舌打ち混じりのため息を吐いた。
「敵のタイプが判明した。人型アマツカミ、近接用の刀剣類、そしてレーザー射出用の大弓。間違いない、識別コード:ブラックナイトだ。全機、下手に近づけば叩き落されるぞ」
遠近双方で高い戦闘能力を誇るブラックナイトは、特に戦闘機乗りに忌み嫌われているアマツカミだ。大弓から射出するレーザーは近づこうとする敵を撃ち抜き、そしてそれを突破した戦闘機は近接兵器である大型の剣によって直接撃破をされる。遠近共に隙が無く既存の戦い方が通用しないブラックナイトは、戦闘機がニルヴァーナに置き換わられた一因にも挙げられるほどだ。
そのブラックナイトへ、先ほど連続飽和で投射した中距離ミサイルが迫り行く。こちらの四倍の速度であるマッハ4で猛進する合計10に迫る槍たち。何本ものレーザーを潜り抜けてたどり着いたそれらは、レーダーサイトの表示の中で次々と標的へと襲い掛かる。戦闘機ならば一撃で粉砕されるほどの威力をもったそれが、最大50 Gに及ぶ驚異的な高性能誘導性能で迫りくるのだ。過剰とも言える攻撃は、しかしミサイルが着弾したはずなのに健在な標的から意味がなかったということを示している。
『ミサイル着弾を確認!! 内8本目までは近接ブレードで破壊され、残り2本は躱されました』
「敵の反射神経はなかなかのもんだな。続いて全機、今度は一斉にミサイルを射出するぞ。奴の同時攻撃対処能力を推し量る。ミサイル、ロックオン――」
一発の有効弾も無しという事実に、予想はしていたとはいえ変な笑いがこみ上げてくる。既にこのまま直進すれば数分で会敵という距離まで接近した状態で再びミサイルのロックを行い、そして射出トリガーに指を掛ける。僚機たちと足並みを合わせた状態で、一気にそのトリガーを押し込んだ。
同時に混線するフォックス3の合図、そして一斉に対象へ向かって突き進むミサイルたち。今度は先ほどのような一本ごとに3秒間のタイムラグを与えた攻撃ではなく、何本ものミサイルを全て同時に射出を行った。これで流暢に一本ずつ処理していくなどということは敵わないから、奴は同時にそれらに対処する必要がある。
「各機、まもなく会敵する。奴の攻撃範囲に近づけばハエたたきで落とされる。全機、方位2-4-5へ進路を変更せよ」
敵ブラックナイトは先ほどまで基地に向けての飛行を続けていたが、ミサイルの接近を受けて現在その巨体は空中に停止をしている。一方でこちらの速度はマッハ1を超える高速域のまま。対戦闘機戦とは明らかに異なる、自身だけが飛行を続けている状況だ。いわば空中に静止する地上目標、それも下手に近寄れば動き出して襲い掛かってくる。対アマツカミ戦の黎明期では相手を選ばず格闘戦が仕掛けられ、しかも機関砲の使用まで行われていたという冗談のようなエピソードがあった。今思えば、何という無謀な戦いだと思う。
「ミサイル直撃弾が4、直前撃破2発に躱しが2発と。命中率はジャスト半分、中々じゃないか。奴も幾つも同時に来られちゃあ堪らんか」
レーダーサイト上のミサイルが対象と重なり、うち2本が対象の後方へと抜けた以外はレーダー反応が消失した。一度躱されたそいつらは本来であれば反転して再度攻撃をするものであるが、対象が完全停止していることもあって完全にミサイルは標的を消失して明後日の方向へ突き進むばかり。そして敵の迎撃能力を超えて直撃したミサイルも、装甲の硬いブラックナイトに有効弾とはならなかったみたいだ。大きな腕で庇われた奴の本体は、今現在も弾け飛ぶことも無く健在な姿を見せている。
『こちらイージス2、ニルヴァーナ隊発進しました!! あなた達の収集した敵の情報、絶対に無駄にはしません!!』
「……ここらが潮時だ。威力偵察終了、各機基地に帰投するぞ。方位を反転、0-1-0に向けよ」
合計18本ものAIM-120、費用にして100万ドルは優に超える費用だ。対アマツカミ戦による量産を受けて単価がいくらか下がったものの相変わらず凄まじい値段だ。それらの内有効弾はゼロというのだから、毎度のことながらやってはいられない。
反転して背中を向けた俺達を追撃しようという心づもりなのだろう。今まで空中に静止していたブラックナイトが、急加速を持ってクロウラー隊の後方に向けて動き出した。敵の速度は、本来であれば高速飛行にはまるで不向きな人型の形状だというのに一瞬のうちに亜音速域まで到達する。そして向けられるレーザーの予備線。高速で追いすがりながらの滅多打ちは、しかしこと俺たちに対してはあまり脅威は高くない。
「全機、燃料計に余裕はあるな? アフターバーナーで一気に振り切るぞ。レーザーの回避は、何も考えずに俺に付いて来い」
離陸時を除いて今まで一切アフターバーナーを使用してこなかった理由がここにある。スロットルを一気に踏み込み、その瞬間既に超音速航行を続けていた機体に更なる加速度がかかった。ぐんぐんと上昇していく速度計の数値。見る間に巡航速度の上限を超えて、設計の上限値である音速の2倍、時速2400 km/hへと到達した。亜音速で追いすがるブラックナイトとは、相対速度だけでも音速を超えている。
その超高速状態で、レーダーに映る高出力レーザーの予備線から逃れた。高速域では多少なりとも機体の機動性は減少するが、敵との距離が離れれば離れるほど奴の狙いは正確ではなくなる。少し機体位置を修正しただけで、青白いレーザー光の軌跡は遠く離れた場所を通過していった。レーザーの発射元であるブラックナイトのレーダー反応が、瞬く間に索敵範囲外へと消えていく。恐らくレーザーの射程範囲内からも逃げきることが出来たのだろう、ある程度の乱射が続いた後は、再びそれらが迫りくることは無かった。
「各機、生存報告。クロウラー1、当然だがしぶとく生き残ったぞ」
『クロウラー2、問題ない……』
『3番機、同じく順調に飛行中』
『クロウラー5、機器の不調はありません』
今ここを飛行している面々は問題なく敵前から離脱し、作戦途中で帰投した4番機も無事ヒッカム空軍基地にたどり着いている。キルレシオが1:3で不利と言われる対アマツカミ戦で、クロウラー隊は結集から今まで一人の死者も出してはいない。俺たちが先遣部隊として運用される理由がそこにあった。最初から攻撃行為は威力偵察と割り切り、戦闘情報は全て味方全員で共用し、そして必要最低限の情報だけを持ちかえれば必ず深追いせずに離脱をする。
俺達戦闘機部隊は、最初から敵の撃破など求められてはいない。今日のような本隊が発進するまでの時間稼ぎ、そして敵の情報の収集。世界最強の戦闘機F-22の行き着いた果てがそんな斥候任務だとは、当時の開発者たちはつゆにも思っちゃいなかっただろう。しかしそれが、現代の現実なのだ。
「……おっ、主力部隊が見えてきたぞ。全機、フォーメーションを確認せよ。坊や達にカッコ悪いところは見せるなよ」
『クロウラー5、了解。しかし彼らの2番機はともかく、他はこっちに意識を向けるかも怪しいですよ』
「こういうのはやることに意味があるんだよ。今は四機だから、見栄え良くダイヤモンドフォーメーションだ。うだうだ言わずにさっさと整えろ」
5番機からの指摘はごもっともだが、もうお役目御免なのだから少しくらいは遊び心を出したって問題は無いはずだ。アフターバーナーによる超高速航行を中断したクロウラー隊の機体が、縦列型の編隊から菱形へと移り変わった。
レーダーサイトに映り込んだ、前方から接近してくる幾つかの機影。アマツカミに向けて亜音速で航行する彼らこそ、今の空の主役であるニルヴァーナたちだ。こちらと同じく4機編成の一個隊が、ぐんぐんと相対距離を近づけていく。そのやや右側を通過しようとしているニルヴァーナ部隊のイージス隊から、珍しく通信が入ってきた。
『こちらイージスリーダー。この戦域は我々が引き継ぐ』
「クロウラー1からイージス1へ。敵の攻撃防御能力はそこまで高くない。下手に攻撃を分散させず、同時攻撃で撃破を狙うのが良い」
『貴様らから言われることも無い。時代遅れのカラス共はとっとと基地に戻れ。これ以上我々の戦場を汚すことは許さ――』
「……だそうだ。各機、帰投を急ぐぞ」
相変わらず向こうのリーダーは釣れないものだ。もはや聞きなれたと言っても過言ではない罵倒混じりの通信を遮断し、そして僚機たちに呼びかける。彼らはどうせニルヴァーナ部隊の物言いにあまり良い感情を抱いては居ないだろうが、いちいち気にしていたら面倒だということをそろそろ学ぶべき頃だ。
『……こちらイージス2。私たちのリーダーが……すいません』
「秘匿回線をこんなことに使うな。無事にあのブラックナイトを海に叩き落してくれ。それが我々の総意だ」
そしてイージス隊の二番機がこうやって毎度個別に謝罪を入れてくるのも慣れたものだ。彼女も律儀な人間である。
人型兵器が闊歩する空を、鉄の猛禽が駆け抜ける。しかしそれは要撃や戦闘といった戦闘機としての花形任務ではなく、人型兵器の作戦を補助する威力偵察としての任務のみ。今の俺たちに与えられた役割は、結局のところそんなものだ。しかし、それが時代の選択だというならば、戦闘機乗りは受け入れるしかない。この空から本当に戦闘機が不要になるその日まで、俺たちはただ粛々と与えられた任務を達成するために飛び続けるのだ。
* * *
「ハヤテ・キリシマ大尉、貴君の移動を命ず」
基地襲撃を防いだ翌朝に、自分の身は基地司令の前へと呼び出されていた。普段のようにいつ来るかも分からないスクランブル迎撃に向けてパイロットスーツに身を通す間もなくここに来てみれば、待っていたのは唐突な異動届け。
ヒッカム空軍基地の司令官から言い渡された一言は、思わず顔をしかめるには十分すぎるほどの代物だ。
「……フリド中将も、もう戦闘機部隊は要らないと言うんですか。ただでさえ狭い肩身が、これじゃあもう無くなっちまいますよ」
正直に言って、中将の言葉はいつかは来るだろうと思ってはいたもののショックが大きい。彼はこの基地ではもはや少数派の、戦闘機隊による直前威力偵察に理解を示していた人だ。その人まで戦闘機不要論を押し出すとなると、ようやく用済みの烙印が押されることになる。
だが彼らお偉方が既に決定を下しているならば、一介の大尉に過ぎない自分に出来ることはほとんどない。乾いた笑い声と共に降参とばかりに両手を挙げる。俺がやれるのは、せいぜいがそんなところだ。
「まぁもうこの俺やラプターも潮時なんでしょう。ああ、クロウラー隊の連中の後は頼みましたよ。くれぐれも帰還も出来ねぇような作戦で使い潰すのは止めてやって下さい。せめて教導隊として各地に配属するよう手を――」
「――早とちりをするなよ。誰がこのご時世に貴様のようなトップエースの退官を許すものか。私は、適材適所として貴様の能力を必要としているところに、一時的に貸し出すとしか考えてはいない」
そんな俺の憎まれ口は、早急につぐまれることとなった。自分を必要としている、そんな言葉に耳がピクリと動く。
ニルヴァーナという万能にして最強の戦術兵器が闊歩する中、戦闘機隊を不要とするのは決して軍の上層部だけではない。むしろ軍ではない民衆や本国の議会の方が、そんなものは切り捨てろなんていう強行策を主張しているくらいだ。
そんななかで戦闘機隊、ひいては戦闘機しか操縦できないこの俺を必要としている酔狂な人間が一体何処にいるんだ。
「顔が言っているぞ。この俺を欲しているのはどこのどいつだ、とな。貴様の行き先、それはニルヴァーナでは先達者でも戦闘機に関して言えば遅れに遅れたとある国だ」
「……もったいつけずに教えてくれませんかねぇ。そんな変わり者の正体を」
中将の悪巧みをしていそうな笑顔が妙に腹立たしい。舌打ちをすんでのところでのみ込んで催促して得た答え、それはまた随分と奇妙なものだった。
「喜べ、里帰りだ。日本国東京小笠原、防衛人機専門学園。彼らがお前を特別講師として御所望だ」
まさか数年間離れていた母国への帰還がこのタイミングになるとは、予想すらもしていなかった。