第1章 第1話
僕の住まう街は、ジャポンアイランド内でも情勢の悪い地域のひとつに数えられている。
この国のシステムは、基本的に地方自治を主体とした運営が主だ。各地に自治者を派遣し、その一審によって方針も決定される。
完全一強システム。独占者による独裁で、情勢が悪化することも特に珍しいことではない。
「話すらできねぇのか!」
「はぁ、今日もおこしになられたのですかフェリスさん」
だから、朝っぱらからこの騒ぎようも何一つ珍しいことではない。ないのだが。
「お前俺たちに確かに喋ったよな!」
「俺もしっかり聞いたぞ!」
「はぁ……とにかく落ち着きなさいあなたたち」
そのウワサの自治者とやらが、今まさに僕の目先で市民からの非難にあっているようだった。ここらを治める地主官、バイルという貴婦人のような男。口元にシュピーンと尖らせた髭を生やし、それをいつも片手でサスサス触っている。僕と同じヒューマン種族の人間だ。
「おらその面出せやぁ!」
「財産を返せ!」
「俺の嫁に出ていかれたのどう責任とってくれんだ!」
「暑苦しい方々ですねぇ……そう一度に喋られてはこちらも困りますよ」
これだから獣人族は、とバイルは手をパタパタ仰ぐ。
バイルの側には護衛ロボが常備同行していた。ストライキ集団のとりまきを、電子バリアで跳ね除けている。
僕はそっとこの場を立ち去ろうと、人の垣根を分け入ろうとした。だがそれは叶わない。押し寄せる人の圧に、僕は簡単におしのけられてしまう。
と、そこで少し目立ってしまったかもしれない。
バイルと視線があってしまう。
「……おや? あなたは」
「チッ……」
一瞬にして場は静まり、いくつもの視線の針が、僕に突き刺さってくる。それは避難の目とはまたどこか違う。僕がいつも感じる雰囲気と同じだ。
「あなたは確か、アラスマ様の御子息様でいらっしゃられますな」
バイルは僕に話しかけてくる。
「……さぁね」
アラスマ。それは僕の姓。だが僕はこれがあまり好きではない。
「いや、私の目に狂いはありません。貴方はアラスマ アラタ様でごさいます」
「それがどうしたバイル」
一気にヒソヒソ声が巻き起こる。
(はぁ……)
「先日はお世話になりましたとお義父さまにお伝えください」
「それはお前がこの場をどうにかしてから、自分で直接言ったらどうだ」
「はて、私にはどうもこれがどういうことなのかさっぱりなのです」
「どうだかね」
僕は聴衆の数人に目をやった。どれもがすがるように僕のことを見返してくる。
「じゃあ僕はもう行くよ」
「ご立派な制服に身を包まれておられますな」
「ありがとう」
僕が後ろを振り返ると、人々が自然と道をあけてくれた。その真ん中を早歩きで通り過ぎる。
「あ、あの!」
「ん?」
僕の肩がガシッと掴まれた。
見れば頭に獣耳を生やした少女が僕の肩に手を置いている。
「君は……確かラムとかいったかな」
バイルに名前を呼ばれていた少女だ。
「はい、少しお待ちくださいアラタ様」
そう言うと、少女は自分の背中に背負った大きなバッグをゴソゴソ漁りだし、何かを発見したようでそれを僕に見せてくる。
「これは……小切手かな」
少女の手に握られていたのは、1枚の小切手だった。だが、一般的によく見られるものとは少し絵柄が異なるように思える。
「その通りでございます、発行元はバイルです」
バイル?
僕はその小切手をもう一度よく見た。すると、ある異変に気づく。
「そうか……」
なんとなくだが、ストライキが起こっているこの状況もわかってきた。
僕が小耳に挟んだ話だが、バイルは以前、自身の肖像を模した紙幣を発行しようと申請を出したことがあったという。もちろん全国区ではなく、特定の地域内でのみ価値の認められる紙幣だ。そのときはさすがに認められずに終わったようだが、しかし、それが実現してしまったのがついこの前の出来事である。
今もバイルの胸もとには、国から表彰された証である菊の紋章がつけられていた。
「……悪いけど、僕にはどうすることもできない」
「そんな……」
「でも、その小切手を持て余しているなら、中央バンクの方に行ってみるといい」
「中央バンク?」
「ああ」
少女の手に持つバイルの肖像が描かれた小切手。このままその流通が行われてしまえば、ほかの貨幣や紙幣との間で価値の相違が起こり、勿論のこと経済は崩壊する。一体これを許可した人間は何を考えているのだろうか。
それを想像するのは容易なことだった。
公共的には悪影響を及ぼすかもしれないが、おそらく一部の人間からすれば有益なことだったのだろう。その象徴がまさしくバイル。
彼の所有する自宅は最近大理石にリフォームが行われたらしい。天然資源が枯渇しているジャポンアイランドで、大理石などの物資はかなり高価なはずだ。
自身の利を考え、他をおとしめる。リーダーとして最もふさわしくない行動とはまさにこのことではないだろうか。
「僕の……じゃないけど、知り合いがいるんだ。この手の管轄を行っている人」
「はぁ……?」
「アラタ様、そのくらいにしてはいかがですかな?」
やや低い口調で、バイルが話に割り込んでくる。
少し長居をしすぎたみたいだ。
冷たい表情の上に笑顔を浮かべ、僕を睨むバイルの今にも発奮してしまいそうな勢いは、隣の護衛ロボに自動で伝わる。
「どうかしたかバイル」
「いえいえ、ただ、アラタ様はご冗談をおっしゃるのがお上手なようで」
「……そうでもないさ」
バイルを取り巻く護衛ロボが、僕と少しずつ距離を詰めてくる。
これはいよいよまずそうだ。
「そうか……じゃあ僕は失礼する」
「はい、そうなさるのがよろしいかと」
そして、さっきの少女を横目に、僕は早々とこの場を離れていった。
しばらくあと、鋭い銃声音が僕の耳に届いてくる。
今月三度目。僕が余計なことを口走らなければ誰も犠牲者なんて出なかったのだろうか。
僕は自分の父親にこう聞いたことがある。
ーーなんでお父さんはいつも怒られてるの?
当時の僕には、父親が政治家として活動していることなんて実感するだけの余地がなかった。いや、それに父親も僕に知られたくはなかったのだ。
そして返ってきた答えは僕を失望させた。
ーー民衆に非難されるのは、殺されるよりも楽なことだろう。
僕の父親が代表を務める国、ジャポンアイランド。近々、父親は任期の上限を迎え、職を引き継ぐ予定である。
to be continued……