ちょい前のお話。『近距離転移』
襲撃当日。
寝静まった頃を適当に見計らい宿屋をこっそり抜け出して、俺達2人は学校の前に立っていた。前といっても裏手だ。
草が鬱蒼とと茂っていてここなら確かに人に見つかる心配は無さそうだ。
しかしながら裏手なので、当然侵入に使えそうな扉などは見当たらない。聳え立つレンガ積みの壁があるだけだ。
あ。こういうのフランス積みっていうんだっけかな。
計画はネーレイに一任しているため俺は特に何も知らないのだ。
「で、どうする?どこから侵入する?」
無声音で尋ねる。黒マントを身に纏った浪人風な俺が。
「ああいえ魔法で一気に校長室に入りますので。兄さんは校長にかける魔法の事だけ考えてればいいです」
無声音で答える。これまた黒マントを身に纏った魔法使いな妹が。
そうなんだ。
スパイ的潜入作戦も忍者的侵入作戦も無いらしい。
だんだんこの衣装が恥ずかしくなってきた。
楽しみにしてたのはそれはそれ。楽チンなのは良いことじゃないか。
そういや転移魔法使えるなら初日なんであんなに走ったんだろう。
「あーあれ。罠とか絶対あると思うんですけど、どうするの?」
「壁とか床に触れなければ大丈夫なはずなので、常に浮いていきます」
ネーレイは空中をペタペタしながら答える。
多分何かしらのジェスチャーなのだろうが全く伝わってこない。
こういう抜けたとこあるんだよなー。
そんで俺のやることは宙に浮いて寝てるおじさんに魔法をかけるだけらしい。浮く魔法は得意なやつだし洗脳魔法は練習した。
なんだか思ったよりいけそう感ある。
それにしても。
改めてネーレイを見る。
新雪のように白い肌の細腕。目立ち過ぎる美しい銀髪はマントの中に仕舞えているが、紅の瞳は月夜に輝いている。
まるで幼い吸血鬼みたいと言ったら怒るだろうか。
魔王の娘だからそう間違っちゃいないけど。
俺の妹は本当に綺麗だ。
そんな事を思っていると、ネーレイは突然左手をこちらに差し出し、こう言った。
「それじゃ早速いきますね?手握ってください」
転移魔法は手握るのか。
彼女の顔を確認するとなんてことない表情があった。
俺は出された手を握る。
触れた手のひらから温かさや柔らかさが伝わってきた。
…………。
やましい気持ちはないのだが。
やっぱり女の子なんだなぁと思ってしまう。
常に妹として扱っているとはいえちょっと意識せずにはいられない。
そういえば初手繋ぎだ。
初めて女の子と手を握ったのがこんなトリッキーな光景だった奴は俺くらいだろう。
そして更にこれから空間転移するそうだ。手の感触を楽しんでいる余裕はない。
惜しむ気持ちはそこそこに、ぎゅっと離さないよう握る。
「いきますよ。いいですか?」
「どんとこい!」
「それでは。3、2、1、転移!」
ぐわんと、視界が回る感覚。聴覚も触覚もなくなり、脳が溶ける。位置情報が書き換えられ物理法則が追いつかない。
いつの間にか。
立派な応接間に立って、否浮いていた。
転移は成功したようだ。
素晴らしい。流石は俺の妹だ。完璧だ。
「あ、あの……」
右隣から伺うような声が届いた。
「な、なんだい……?」
ネーレイはこちらの顔を覗き込み、俺を心配そうに見つめる。
「あの、すごくすごーく震えてますが、大丈夫ですか?」
言われて、視界を下に向ける。
自分の手足を確認してみるとなるほど確かに震えている。
耳を澄ませば歯ぎしりの音が聴こえてくる。
自らの身体の異変に言われるまで気がつかなかった。
なんだか自分の身体じゃないみたいだ。
本能的な恐怖。
地球人には非現実的過ぎる体験に、身体は素直だった。
実感する。怖い。怖い。
こんなときこそ兄として気丈に振る舞いたいが、右の手は繋がれているから誤魔化すのは難しそうだ。
「そうだね……いや、大丈夫じゃない。とても怖かったんだ。たった今、大きく常識が塗り替えられた。何を指針にして動けばいいのか分からない。ルールが、理由が無いと不安で動けない。今までの全てが否定されたような気がして、怖かった」
少しでも軽口を言おうとしたが、口をついて出たのは素直過ぎる弱音だった。
もうなにやってんだ。こんなんじゃ全然ダメだ。
ごめんなこんな兄で。
ふと、温もりが消えた。
手のひらに空の冷たさが当たって、何も掴め無い。温もりは次第にどこかへ消えていき、粒の一つも無くなる。
俺と妹を繋いでいた手が離されたんだ。
理解した瞬間、耐え難い恐怖に晒される。
有限の宇宙に放り出されたような感覚。光も熱もなくエネルギーは常に0。幸せと不幸が反転して地に埋まる。星は何処かへ飛んで行き過去の記憶が締め付ける。全てを失い何も得れない世界に、今なった。
温もりの消えた方向。
ネーレイを見れない。虫を見るような目で見られたくない。罵倒を聞きたくない。
終に見放されてしまったのだろうか俺は。
仕方ないことだ。俺は何一つ兄らしいことが出来ず、守ってやれるほど強くもなかった。弱さを晒し彼女を傷つけ続けた。俺といるメリットなんて一つも無かったんだ。今まではただ気晴らしの相手に選んでくれただけ。いい加減愛想が尽きられてしまった。もう終わった。俺の存在は適当に消えて
「兄さん落ち着いてください」
はっとしてネーレイを見る。
ネーレイの声に引き戻された。
その彼女は睨むでもなく蔑視するでもなく、柔らかい表情でいた。
そして、両手を広げ俺を包み込んだ。
胸から下の体温が急激に上昇する。
彼女より俺の方が大きいんだから包み込んだなんて表現はおかしいのかも知れ無い。でも今感じている幸福感、温もり、満たされている感覚……。
次第に身体の震えが収まって、霧散していく恐怖。正常なペースに戻る鼓動。彼女の鼓動。存在。暖かさ。伝わってくる。満たされてゆく。
それは俺が憧れた強さそのもの。彼女の強さ。
…………。
どのくらい経っただろうか。数分な気もするし数時間な気もする。
「…………落ち着きましたか?」
「はい。落ち着きました」
なんとも情けない返事だ。
妹に抱かれて、甘えて、頼りっぱなしだ。
胸のあたりから声が聞こえる。
「私はちょっとびっくりしました。私にはどうして突然兄さんがその、そうなったのか全然分かりません。多分ずっと理解することもできないです。でも、でもですね。癒すことくらいできますよ。だって妹ですから。辛くなったら甘えてください。大変な時は助け合うのが家族なんですよ。助け合って支え合って一緒に歩いていくんです」
「……俺は君を支えることができるだろうか」
「ほんと兄さんはばかですね……。とっくに支えてくれていますよ。これ以上ないくらい私達は家族してますよ。10日しか経ってない急造の兄妹でも、世界一強い、最強の兄妹です」
妹は俺の目をしっかり見ながら確信したように言う。その瞳には一点の曇りもなかった。
俺が支える……?強い?まさかだ。
まだ、俺はわからない。妹の心の内も常識も。兄として知らなくてはならないことの殆どを知らない。
でも、信じることは出来る。
妹が賢いことは知っている。妹が正しいことは知っている。
この出来の良すぎる妹が言っているんだ。間違いな訳がない。俺は最強の兄たらんとあるべきだ。いつか心の底から最強の兄妹だと言えるように。
俺も彼女の瞳を強く見つめ返す。
「ありがとうなネーレイ。ほんとにお前は最強の妹だよ。しかし最強の兄だと思ってくれてるなら兄様と呼んでほしいのだが」
ぐりぐりと、俺の胸に顔を当て安心するように笑う妹。ちょっとくすぐったい。
よし、いつも通りの俺だ。
俺は大丈夫。妹がいれば……
「なんだそれは……」
どこからか聞こえた、俺でも妹でもない声。
ここは校長室応接間。
ここには俺たちしかいないはず……。
!
その可能性にやっと気が付き俺たちは慌ててパッと振り向く。
その声の主、強面白髭パジャマ姿の校長が半開きのドア前で呆然と立ち尽くしていた……
ああそういえば完全に
「「忘れてた!!」」




