過去からの衝撃 UROSHITOK作品集(嘘空間記より 5)過去からの衝撃・Nue(ぬえ)より
平安時代、京の都に暗雲が垂れ込め、不快感が流れる。魔物ぬえの出現である。強弓の武人、源頼政が立ち向かう。猪の早太と共に。
<序>
丑の刻、東三条の鬱蒼とした森の辺りから、御殿の上へ黒雲がたなびき、寝室で天皇が苦しみだした。
一声、また一声、怪しげな鳴き声が響きわたる。その声は鵺に似て、その声の主は魔物であって”ぬえ”と呼称されていた。
言いようのない不快感が、頼政の周辺にも漂う。
「南無八幡大菩薩!」念じつつ、鳴き声の中心に向かって、頼政は弓を引いた。
上空、暗黒の闇の中で、頼政は円輪が光ったのを見た。それに向かって矢を放つ。矢は光輪の中で止まった。光は消える。ふっと、不快感も消えた。
恐ろしい声があがり、矢を受けた黒い塊が庭に落ちてきた。落ちてなおも、もがいていた。頼政の従者、猪の早太は、無我夢中で刀を抜き放ち、止めを刺した。刀を突き立てること九度、黒い塊は動かなくなった。
火明りで照らして見ると、その黒い塊りは、血にまみれて、怪奇な姿を横たえていた。
顔は猿であり、尾は先端で口を開けて、蛇の姿である。四肢は鋭いかぎ爪を持ち、がっしりと逞しい。虎の四肢を想わせる。胴体は茶色っぽく、巨大な狸を連想させた。
平安時代仁平(1151~54)近衛天皇の頃、巷に”もののけ”が横行していた時節ではあったが、この姿は異常すぎる。
頼政は常識を備えた武人であり歌人であった。とりわけて、現実主義者であった。妖怪の存在など信じてはいなかった。この”ぬえ”の姿は、常識では、あり得ぬものだった。いにしえにあっても、人の判断常識は、現在人と、この様な点では、それほど大きくは変わらない。
射止め、その存在を目の当たりにしても、これが魔物や妖怪であると言う思いは湧かなかった。
彼は、有り得ざる現実に驚いたのである。
「この様な生き物がいたとは!」頼政は声に出して表現した。
「まさしく、奇妙で奇怪な、けだものです」猪の早太も、緊張で刀を握りしめたまま、凝視状態で、声だかに答える。
暗黒の上空世界から、怪奇な生物が落ちてきたのである。
”一瞬、光った円輪は、あれは何だったのか?”
頼政の脳裡に、焼き付いて消えない謎として残った。
そうこうするうちに、御殿の要人が幾人も集まる。
”ぬえ”の姿に驚くと共に、頼政の手腕に惜しみない賛辞を送る。
これは、源頼政50歳直前に起こった出来事であった。
武人、頼政にとっては意に背く役であった。彼は妖怪の存在などを軽々しく信じる人では無かった。朝廷に刃向う敵と戦うならまだしも、”病弱気弱な天皇が怯える魔物を退治せよ”などとの命令は気の進むものではなかった。
源頼政は清和源氏の一族である。
伝説的な英雄、源頼光を先祖とする摂津多田源氏の系統である。源頼光には数々の妖怪退治伝説があった。大江山の鬼や怪盗鬼童丸、さらに土蜘蛛等。
また、”ぬえ”を退散させた故事としては、八幡太郎と呼ばれた源義家の逸話もあった。義家は頼光の弟源頼信の系統である。義家は弓の弦を三度鳴らし、大音声で武勇高い自らの名を名のって”ぬえ”を退散させたと言われている。
頼政は弓の名人である。妖怪”ぬえ”退治を命じられたのは、それなりの理由と背景があったのだ。
結果、”ぬえ”から解放された、近衛天皇は喜び、剣”師子王”を頼政に与えた。
取り次ぎ役、左大臣藤原頼長は「真夜中にホトトギスが声高く鳴き声をあげるように、そなたはこの宮中で名をあげた」と褒めた。
しかしながら、頼政は「弓張り月の射るにまかせて」と、「矢を射ただけで、偶然当たっただけです」と答えたのである。控えめな表現が、彼の持ち味であった。
久寿二年(1155)、彼は兵庫頭となった(52歳)。
保元元年(1156)、保元の乱において、後白河天皇に味方して勝利した。
この乱では、源平が共に敵味方に別れて戦った。後に敵味方となる源義朝と平清盛は共に後白河天皇側につきました。
やがて、従五位(殿上人:昇殿許可人)となった頼政は、平治の乱(1159)においては、平清盛に味方した。源氏方で唯一、源義朝に刃向ったのであった。
ここで、平清盛の信を得た。
仁安元年(1166)、正五位下に叙任。
仁安二年(1167)、従四位下に叙任。
仁安三年(1168)、従四位上に叙任。
嘉応二年(1170)、右京権太夫に任官。
承安元年(1171)、正四位下に叙任。
治承二年(1178)、清盛の推薦もあって、従三位に叙任した。この時彼は75歳。従三位とは、公家の中納言であって、大臣に次ぐ地位である。すぐれた歌人として、宮廷にも、人間的な尊敬を得たのである。いわゆる、とんとん拍子の出世であった。
衰退する源氏にあって、唯一安泰を保った源頼政を”平家の犬”と誹る輩もいた。
彼の気質は柔軟、歌人としても優れた素養を持ち、年老いてなお、柔軟で強い体力を有する、武人であった。
”平家に在らざる者は人に有らず”の時代にあって、彼は源氏であった。
結果、彼は迷わざるをえなかった。当然として、平家優遇の世の中にも不満を抱いていた。不遇に置かれていた源氏一族の声が、彼の胸中を責めていた。
そんな時、彼の前に現れたのが、以仁王である。
彼は後白河法皇の第2皇子であったが、母の生家の格式が低いため、親王(しんのう:天皇継承権のある皇子)に成れない身分であった。ちなみに、兄は二条天皇になり、弟は高倉天皇になっている。
親王に成れない皇子を王と呼称する。
歌集十巻を編纂したと言われる後白河院、その子である以仁王は、その才能を受け継ぎ、幼少の頃より、学問・詩歌などに秀でていたと言われる。しかしながら、皇子に成れぬことから、反骨心も強い若者でもあった。
同じく、学問や詩歌にもすぐれた武人で、源氏の立場である頼政とは、年齢差(47歳)を越えて親交が深まって行った。
頼政は、平家の世で安穏としている自分を恥じている面もあった。治承3年(1179)彼は出家した。
平家の振る舞いが、人心から離れてゆくのを目の当たりに見ていた二人は、平家打倒を企てたのである。
そんなとき、治承4年(1180)2月に平清盛は、高倉天皇の中宮、自分の娘徳子の生んだ孫、第一皇子、子言親王を安徳天皇として即位させた。まだ2歳であった。
平家安泰を計る平清盛の見えすいた行為であった。
以仁王は、自分の弟高倉天皇が20歳の若さで、退位させられたことにも怒りをつのらせた。
治承4年4月、以仁王は源頼政と計り、自らを最勝王と称して、平家追討の令旨を全国の源氏に向けて発した。つまり、各地に散らばる源氏に挙兵を促したのであった。
比叡山、三井寺、興福寺等も、これに呼応した。
しかしながら、これはすぐに平家側に露見した。
体制未整備のままで、源頼政軍は、必死に戦ったが、宇治川の合戦において平家の大軍の前に敗れた。頼政軍一千余騎、平家軍二万八千余騎と言われる。この戦いで、頼政は重傷を負い、平等院で自害した。77歳であった。
以仁王も、南都の興福寺を目指して逃走を試みるも、頼政と同じく、平等院で、流れ矢に当たって戦死した。30歳であった。
だが、この二人の意思はつながった。
この令旨を受けて、木曽義仲と源頼朝が挙兵した。やがて平家は滅びることになるのである。
以仁王と源頼政の企ては実を結ぶことのなる。
歴史上に大きな意味を持つことになったのだ。
<転>
話は再び”ぬえ”退治に戻る。
源頼政が近衛天皇在位中の仁平時代に”ぬえ”を退治してからのち、およそ10年を経た応保時代(1161~1162)、時の二条天皇がまたもや”ぬえ”に夜な夜な悩まされだした。
再び、源頼政が呼び出された。彼はこの時、従五位上に叙任していた。まもなく60歳になる年齢であった。今度は、前回の様には不満を抱かず引き受けた。その理由は、十年前の光景が、彼の脳裡に焼き付いていたからであった。
奇怪な生物”ぬえ”の姿。そして、暗黒の上空で、それを射止めた瞬間が生々しく浮かび上がった。
”あの光の輪は何だったんだろう”
”あの光輪の中心に、ぬえがいたのだ。きっと何かがある”
この彼の好奇心が、恐怖や不安を凌駕したのであった。
その日、源頼政は使い慣れた弓と数本の矢を携えた。とりわけ、そのうちの二本に重きをおいた。一本は先鋭のわざもの、もう一本は先端大鏑のわざものであった。鏑矢とは、唸りを発して飛ぶ矢、別名で鳴り矢とも呼ぶ。
今度も、猪の早太を従えた。彼とは友とも言うべき程の、信頼で結ばれた付き人である。
前回”ぬえ”は丑の刻頃に出現した。だが今回は夕刻から出現している。夕闇が迫れば、すぐに現れる可能性もある。もちろん、現れない可能性もあるが、常に盤石の態勢と心境を備えていなければならない。
季節は皐月闇、当時の五月、今で言う六月梅雨時で、ホタルの飛び交う夜であった。
最初の日、二人は普段どうり、午の刻(正午)に食事をすませた。
今一度、服装弓矢武具などを確かめた後、夕闇がせまる一刻ばかり前に現場に着いた。庭木のかげに身をひそめ、ひたすらに時を待った。平屋の屋根、寝殿の屋根と、その上空がよく見える位置である。
晴天であった。普通であれば黒雲は無い。
猪の早太は、すでに青年期を過ぎていた。手足を動かし、首を回し、体をよじる。緊張をほぐしているのである。彼は名は通称か、体形も通称のごとくであった。筋骨が盛り上がり、走るのが速かった。
大槍を持ち、地上へ落ちてきた”ぬえ”へ止めをくわえることが彼の役目である。
”ぬえ”は強敵であった。
もちろん、頼政も大刀を持していた。さらに、武器を持った舎人達がそこここに控えていた。
酉の刻(午後6時)をすぎて、太陽は西の山並み上に浮かぶ。まだ明るい。さらに半時(約1時間)が過ぎた。太陽が西山に沈み始める。黄昏が始まる。
徐々に沈み行く太陽が、遂には沈みきったとき、まだまだ明るさの残る空に向かって、東三条の森方向から、黒雲が舞い上がってきた。
黒雲は渦を巻いて、御殿の上空を取り巻き、低く垂れ込めてきた。
一部は低く低く、寝殿の屋根に近づく。普通ならば現れる蛍の光も今はない。蛙の声や虫の音も止んだ。
奇妙な静けさが漂ってきた。
火明りの少ない庭は暗い。
頼政主従も暗黒に支配されていた。
頼政は、寝殿の上空に向かって、弓をかまえた。矢は大鏑矢であった。連射体制のもう一本には先鋭の矢である。あの光輪の大きさをも考慮して。
弓を構えて”ぬえ”を待った。同時にあの光輪を待っていた。
先ず、大鏑矢を、あの光輪の中に射ち込む。
”ぬえ”は2射目で撃ち取る。
これが、頼政の意図であった。彼は10年前、銀色の光の輪の中に、何か不可思議なものを感じたのだった。
黒雲が寝殿の屋根の上部に懸かったとき、弓を弾く頼政の腕に、ぐっと力が入った。同時にあの言いようのない不快感も彼を襲っていた。彼は耐えて待った。そしてすぐさま、屋根上の黒雲の中に、あの光輪が現れた。
頼政が鋭く動く。大鏑矢を放つ。唸りを発して大鏑矢は、光輪のヘリぎりぎりに内側へ消えた。唸りも消える。
間髪を入れず、2本目の矢を放つ。2本目の先鋭の矢は光輪の真ん中で止まる。
恐ろしい鳴き声が上がった。雷鳴が轟きだした。一瞬の後、光輪は消え、雷鳴も消える。そして辺りに漂っていた不快感も消えていた。
瓦屋根にぶつかって、二人に程近い火明りの中へ落下してきたのは、あの怪物であった。
二人は素早くその怪物に詰め寄った。
怪物の顔面、眉間の真ん中に、深々と先鋭の矢が突き刺さっている。四肢はぴくぴくと痙攣を繰り返す。すでに断末魔の様相を呈している。
だが、尾の蛇は鎌首を持ち上げて、激しく二人を威喝する。
その首を、無言で早太が薙ぎ払った。
<結>
統一歴3003年4月1日、オリンポスミュージアム。
この日、ミュウジアムの所長ゼウスは、散歩がてらに館内を見回っていた。このミュージアムは広大な敷地を有している。本日は天気も良い。行楽客の姿も多く見られる。今、ミュージアムのメインテーマは”バイオ”の展示である。
館内は大まかに、研究部門と展示部門に分かれている。
行楽客は展示部門のみに入場可能であった。展示部門は植物園と動物園からなり、中間に両者の共存園が設置されていた。展示生物の大部分はバイオ技術によって、創造および再生されたものであった。
絶滅した生物種の再生も研究部門の重要な仕事である。かって、大自然の変化に適応出来ずに滅んで行った生物や、人類によって滅ぼされた多くの生物種が蘇り、かつ蘇りつつあった。
その中でも恐竜は人気があった。
西暦20世紀に始まったバイオ研究は、21世紀に急速な進展を見せたのであった。
その中心となったのは遺伝子操作と幹細胞操作であった。法を含めた多くの難関をクリアしながら進展していった。
ゼウスは動物の展示園を過ぎ、所員専用扉を抜けて、研究部門の中庭に入った。研究部門では、バイオ以外にも、幾つかのテーマが採り上げられていた。
そのテーマの一つ”超三次元界”を取り扱う研究棟が、その中庭に面して建てられている。
三次元界とは我々の住んでいる空間である。超三次元界とは、文字どうり、三次元界を超えた世界である。超三次元の中の一つは時間である。
時間を操作することは大きなテーマの一つである。
もう一つの大きなテーマは異次元空間を探ることである。
裏空間、ネガ空間、その他の空間、果ては各空間を繋ぐ通路の探索等、目白押しの問題がひしめいていた。
部分的に成果が上がっていた。
この時代、すでに、過去の時代への通路(bfロード)も部分的に出来上がっていた。この通路を通ることは、未だ禁止状態に近かった。一部の研究者だけが、はるか遠い過去に行くことをj厳しい条件付きで認められてはいたが。
現状において、この通路の主たる用途は、過去を覗き観察することであった。それは過去の歴史をより正確に認識する事になる。
ゼウスがこの辺りを散歩に選んだのには理由があった。
このところ、新動物が失踪する事件があったのだ。彼らは、鍵の掛けられていた筈の檻から、ある日突然に姿を消したのである。
こんな事もあった。
担当職員が深夜に、ある種の新動物の失踪に気付いた。見た目からも、監視カメラの記録からも、完全に姿を消していたのだったが、何故か翌朝には戻って来ていた。この新動物は、キマイラ形で、名称はムーホであった。彼はこの失踪を数回繰り返したあと、ついに戻らなくなった。
ムーホは人気があった。恐ろしげな姿と、それには不似合いな愛嬌が、観客を惹きつけたのである。
観客の要望を汲んで、ムーホは再度造り上げられた。ムーホ2号として。その2号が、またもや姿をくらまし始めたのである。前作1号と同様の行動をとりだしたのである。
ゼウスは超三次元研究棟の、新動物展示園の、ムーホ檻に近い研究室に入った。中には、この研究棟の責任者であるプロメテウスが居た。
「夕刻まで、ここに居ることにするが、よろしく」とゼウスは挨拶がてらに言った。
飲み物をすすめながら、プロメテウスは言った。
「昨今は、日本の平安時代を覗いていますが、失踪したムーホは、この時代の京都へ降りたことが解かってこました。ムーホ1号のことですが、彼はもう既に殺されています。彼は”ぬえ”と呼ばれていました。妖怪として扱われて、日本の歴史説話にも記されていました」
「ムーホを檻から出したのか?」とゼウス。「いいえ」とプロメテウス。
「なぜbfロードへ入ったんだ?」とゼウス。「それが解からないんです。ただし」とプロメテウスは続ける。「なに?」とゼウス。
「この説話では、”ぬえ”は、さらにもう一度、この時代に現れて、討ち取られているのです」
「それがムーホ2号と言うのか?」
「そうだと思います」
「そうだとすれば、2号を監視し追跡しなければならないが、その体制は出来ているのかな?」
「はい、本日以後は、bfロードを開ける際には必ず、2号の動向も監視することにします」
「私も、その監視に加わろう」とゼウスが言う。
「bfロード設備のある過去歴史史観察室はすぐ近くにあります。装置は立ち上がり、本稼働まで、まだ少し間があります。ご案内します」
「うん、ところでムーホ2号の監視はどうなっているんだ?」
「今は、檻で二人が監視しています。また、過去歴史観察室からも、TMSを透して、大画面で見ることも可能です」
「TMSが直接に繋がっているのか?」「はい」
TMSとは、光の全反射を利用して、離れた場所に存在する物を見ることが可能な装置のことである。光ファイバーの一種である。
過去を覗く装置・PLE(Pust Look Equipment)は、K素光子にある種の振動を与える。K素光子とは、光元素の一種である。時をつかさどるファクターに属する。振幅・波長・濃度等、その他の様々な要因を組み合わせて、過去の時代や地域を特定し得る。
「ロードが間もなく開きます」防護服に身を包んだ操作担当員の一人Aが、プロメテウスに告げる。
装置稼働時は防護服が必要なのだ。ゼウスもプロメテウスも防護服を身に着けている。
「時代タイムと場所は合わせているね?」とプロメテウス。
「はい、日本の京都平安京、応保のX日です。二条天皇の寝殿です」と担当員Aが応える。
「私にも覗かせてくれ」そう言って、ゼウスは円い眺望鏡の前に立った。今まさに、円型の眺望鏡画面から、濃いグレイのしじまが薄れ、明るい映像が現れようとしていた。
「ズームアップ!」ゼウスが命じる。
眺望はクリアとなり、整然と碁盤目状に仕切られた平安京が、天皇の居る寝殿へとズームアップされてゆく。
「ここは晴天のはずだったね?」と、ゼウスが聞く。
「そうです。・・黒雲ですか?」Aが返答する。
「そうだよ、東の森から寝殿にかけて、黒雲が懸かっているぞ」と、ゼウス。
「よく解からないのですが、最近この様な黒雲が現れます」と、Aが応える。
「これでは良く見えない。もっとズームアップしてくれ、もっともっと!」と、ゼウス。
Aはズームアップを続ける。
背後でプロメテウスが、声高に叫んだ。「TMSが!、画面が真っ黒だ!、あっ、ムーホがいないぞ!」彼はムーホ2号をTMSで見張っていたのだ。その画面が一瞬消え、そして再び現れた時には、ムーホ2号は消えていた。
「なに!、たった今ここを黒い影が走った!。一瞬だ!」ゼウスも間髪をあけずに言った。
「逃げたんだ!」と。
ゼウスは、さらに眺望鏡を覗きこむ。
その瞬間であった、激しい衝撃が彼を襲った。「ウガーッ!、ウワーア!」ゼウスは顔面を両手で被い、仰向けに倒れこんだ。指の間から、真っ赤な血が噴き出している。
顔面に矢が突き刺さっていた。
鏑矢の穂先が両眼を破り、鼻梁をへし折り、突き立っていた。
のたうつゼウス。
「なぜだ!」Aが狼狽える。
「過去からの衝撃だ!」「医療班を呼べ!」プロメテウスが叫んだ!
ゼウスは病棟で治療される。
過去からの矢は、このミュージアム最高の権力者であるゼウスの両眼を射ぬき、鼻梁をもへし折り、彼を激しく昏倒させた。損傷は脳にも及んでいる可能性もあるのだ。
プロメテウスの責任は重大である。
過失と言えども、過去の時代へと、この時代の生物を放ってしまったのである。合わせて、過去からの物体をも受け入れてしまったのだ。ゼウスの損傷を伴って。
ゼウスは幹細胞治療等、複雑多岐な施術を受けることになろう。長期間の療養が必要であろう。
プロメテウスの指揮のもと、徹底的に事故原因の究明が為された。究明するための幾つもの実験が行われた。
そして事故結果等がまとめられた。
PLE(過去を覗く装置)から、多量のk素光子が流出し、ムーホを見張るTMSへ流れていた。
細いTMS内で、束となって濃度をアップしたk素光子が、檻内のムーホに照射されたのである。
防護服を着用していないムーホが、照準を合わされていた時代の場所へ、異次元霧となって送られた。
過去の大気の中で彼は再生する。
k素光子波の中から、過去の時代へ転送されたのは、これが二度目である。ムーホは何度も、檻から脱出し、天皇の寝殿上まで到達していた。しかしながら、頼政の矢にあたるまでは、k素光子波雲から脱出し、その時代へ落ち込むことは無かったのである。彼はPLEの稼働停止と共に、檻へ戻り、元の姿に再生していたのだ。
過去の平安時代において、ムーホは怪物であり、魔物でもあった。姿や出現が、その様であった。
素光子の振動波が、防護服を着用していない平安時代人には不快であった。
PLE装置から漏出したk素光子の流れが、黒雲を発生させて、この時代の人々を不安にした。
事故究明結果に基づいて、対策がまとめられた。
① PLEから漏れるk素光子量を、極限まで少なくすること。
② ムーホを見張るTMSを、別の部屋に移設すること。
③ 過去の時からの侵入物を防ぐための、有効なバリヤーを設置すること。
等であった。
この内で、②は簡単であった。①と③にも改良と改善が可能であるとの結論が出された。
この段階の後、プロメテウスは責任をとり辞意を表明した。超三次元研究部門の責任者を辞任したのである。
そして、タイムトラベラー部門へ転向した。過去世界への探検を希望した。地球の歴史上、極めて古い時代への侵入のみが認められていたのである。プロメテウスは、そこに強い興味を抱いていたのであった。
その時、ゼウスはいまだ療養中であった。
2018.02.10改訂 完 (2005.02.18 初版)