悩み
空が高かった。
季節は秋。この間までの夏の蒸し暑さが嘘のようだ。
そんな気持ちのいい天気なのに、俺はうつむきながら歩いていた。
「大丈夫だったかな。二人とも怒ってたのかな……」
さっきの電車での出来事。大学の友だちと3人で帰っていた電車の中で、俺の発言した一言でなんとなく他の二人の雰囲気が悪くなったような気がしたのだ。その後の会話もどことなくぎこちなくなり、俺は先に自身の降車駅に到着したため下りたのだった。
戸時雅人。それが俺の名前だ。俺のプロフィールとしては、都内の大学に通う大学生以上の言葉は必要ないだろう。
思えば友達とはずっとこんな感じだった。
三人で帰っていると自然と二人が喋り、俺一人だけが取り残される。俺の発言はなんとなくスルーされて、他の誰かの発言にはみんなが同調する。
ああ、また悩みが頭を巡ってしまう。
俺は気を取り直して顔を上げた。こんな気分のときはいつものあそこに行こうと思う。
自宅に向かいそうになっていた足取りを180度変えた。
目的地は喫茶店だった。
「大学生になったのなら、行きつけの店ぐらい作りなさい。なんでもいいから」と姉に言われたため、勇気を出して入った地元の喫茶店だ。
駅前の商店街から一本横道に入ったところにある寂れた建物の一階。
夢見屋骨董店。この店名だが、れっきとした喫茶店だ。
元々は骨董店だった店を、喫茶店に作りかえたらしい。もちろん現在も骨董店として営業は続けているようだが、多分喫茶店の方の売り上げの半分にもなっていないのだろう。ラインナップが変わっているのを見たことがない。
今日のような大学の授業終わりに悶々と悩みが巡るときは、俺はこの店に立ち寄っていた。
頬をかすめる冷たい風を感じつつ歩き続け、店に到着した。
骨董店としての構えを残した店の外観は少し暗い印象で、なんとなく昔の喫茶店にありがちな雰囲気。昭和臭い、というよりは大正臭いと言えばわかりやすいだろうか。
そんな見た目を俺は気に入っていた。巷に溢れているカフェのようにオシャレではないが、自然と落ち着くからなのだろう。初めて来た時はとても緊張したものだが、何回も通っているため今ではリラックスして入ることができる。
入り口に立った俺は、大きく深呼吸をした。コーヒーを挽いたなんとも言えない芳醇な香りがする。この香りを嗅ぐと、割とさっきまでの悩みを忘れることができるから不思議である。
俺はその香りを思いっきり吸い込むとドアノブに手をかけ押し開いた。
扉の開閉を知らせる鈴がチリンチリンとなる。
「いらっしゃいませ」
店に足を踏み入れると、カウンターでコップを磨いていたマスターが、渋い声でこちらを向かずに出迎えてくれた。
個人的にはどんな店でもこんな感じで淡々と出迎えてほしい。客と談笑しながらなんて論外だと思っている。
店内は骨董店そのものである。少し暗い照明に、所狭しと並べられたガラクタ、もとい骨董品。年代物の時計や、どこの国のものかわからないような置物だったりそんなものがひしめき合っている。
その間にぽつりぽつりと、これまた骨董品のような椅子と革張りのソファが合わせて十五席ほどある。それがこの店の席だ。
俺は陳列された骨董品のあいだを縫うように抜けると、店の奥にある革張りのソファに座った。
ひとしきりソファの感覚を満喫すると、テーブルにサークルの経理のノートを広げる。今週末までに大学の自治会から、サークルの経理の報告を課せられているため、レシートやら何やらの会計をまとめなければならない。
とは言っても大した量ではないのだが。
開店直後だからだろうか、店内にはほとんど客がいない。カウンターにはハゲたおっさんが新聞を読みながらコーヒーをすすっている。時折腕時計を確認しているのは、あまり時間がないのだろうか。ギリギリまでここに留まらせてしまうのは、この店の雰囲気のなせる業だろう。
「注文を伺います」
「ブレンド一つで」
注文を取りに来たマスターに、俺はスムーズにそう答えた。
それを聞くと一礼して再びカウンターに戻る。この渋い声と無駄なことを一切話さない雰囲気。それがここの魅力の一つだ。
やがて新聞を読んでいたおっさんは席を立ち、マスターにお金を手渡すと何やら急いで走って去っていった。
店の中の客は俺一人になった……と思いきや、実はもう一人いた。
俺が座っているちょうど反対側。そこにある布張りの肘掛け椅子に、一人の女性が座っていた。
ショートカットの黒髪に赤色のカチューシャ。白いシャツに赤色のカーディガンをはおり、黒のロングスカートを履いている。
年は二十代前半くらいだろうか。右手にはカバーのかけた文庫本を持っている。口元に微笑を浮かべながら、本を読み耽るその姿はなんというかとても絵になっていた。
それだけでも気になってしまう十分な理由なのだが、俺が彼女を気にするのはもう一つ理由がある。俺が店に来る時に、何故か必ずその席に彼女が居るのである。
そして帰るところも見たことがないのだ。
最初の頃は気にかけなかったが、どうもおかしい。もしかしたら一生ここにいるのではないかと、彼女を見るたびにいつも思っていた。
今日もまた彼女をぼんやりと見ながらそんなことを考えていた。
「おまたせいたしました」
マスターが香りとともに注文の品のブレンドを運んできた。
この店の一番のオススメはやはりブレンドだ、と俺は思っている。コーヒーの豆の種類もよく知らないし、ましてや味の違いなど全くわからないが、それでも良いとわかるくらいに、このブレンドは美味しいのだと自信を持って言える。
香り、酸味、苦味。多分その全てが、絶妙にマッチしている……と正直よくわからないが、俺はこれが一番好だ。
「ではごゆっくり」
そう言ってマスターは再び戻っていった。
実は俺は以前から一つの計画があった。
そんな大した内容ではないのだが、なかなか実行できないでいる一つの計画。
それは、「彼女のことをマスターに尋ねる」ということだった。
正直俺は、自分のことをここの常連だと思っている。そして彼女もここの常連なのだろう。いつもいるから。
だから正直言って俺は彼女のことを知りたい。そしてあわよくば話しかけてみたい。そしてなんなら仲良くなって連絡先とかを交換したい。
しかし、俺にはそんな度胸はない。というか普通ないと思う。そんなことをしたら引かれる、と思う。
というわけで、俺は自分が話しかける以外で彼女とコンタクトを取る方法をずっと考えていた。
以前からやっている「向こうから話しかけてもらう作戦」はこれまでで不発に終わっている。これは俺が気になるようなことをして、彼女に不思議に思ってもらい話しかけてもらうというものだが、どんなことをしていたかはあまり聞いてほしくない。
そして今俺の考えている新たな計画は、「マスターを介して彼女の話を聞いてみる」というものだ。
さっき客と談笑している店は潰れろと言ったが、自分がその客なら話は別だ。その方が居心地良いから。
でもこれまで全くマスターとは会話をしていない。だからそもそもこの計画はマスターに話しかけるというステップを経なければいけないわけだ。
いや、こんなことグジグジ考えていても仕方がない。
行動あるのみ。当たって砕けろ、なるようになるさ。まずは、「あ、すみません。あの向こうにいる人っていつもいますよね。僕もよく見るんですが、なにかご存知ですか?」だ。
「す、すいません~」
そう言い聞かせて、俺はカウンターに居るマスターに向かって声をかけた。
マスターはこちらに気がついて俺の席までやってきた。
「はい、なんでしょう」
渋い声が響く。その声を聞いて頭が真っ白になる俺。
「あ~あの」
まずい、言葉が出てこない。これまで注文でしか話してなかったからか……。
「えーと……」
俺は目を彼女の方に向ける。マスターが、俺が何か言うのだろうと思って待っているプレッシャーを感じる。
「……」
それでもマスターからの熱い視線を感じる。
俺は結局、目の前のブレンドを飲み干した。
ぐっ。めちゃくちゃ熱い!
口の中の燃え上がるような液体をなんとか飲み干すと、静かにカップを置いた。
「あの、ブレンドおかわりで」
「は、はあ」
ジェントルにそう告げる俺に面食らったマスターはカップを回収すると、おかわりを入れるためにカウンターへと戻っていった。
結局、俺はマスターと会話することに失敗したのだった。
お読み頂きありがとうございます。
ほぼ初めて長編に挑戦しようと考えて投稿しました。
前々から書きたかった内容ですが、なかなか進みがうまくいかず滞っていました。やっと話の展開に目処がついたため、今回から始めてみようと考えました。
色々拙いところもあるとは思いますが、続けてお読みいただければ幸いです。
一応週に一回のペースを考えております。
よろしくお願いいたします。
羽栗明日