第七章 気功をいつやるか、そして気功的な考え方とは
まず最初に、この話を読んでるあなた、あなたは、選ばれた人です、こんな事を、書いたら、こいつ何言ってるんだと思うでしょうが。
実際にこの話をして、聞いた人の反応が異様なんですよね。
ある人は、急に怒り出したりもするんです、その人に何があったのか。
今思えば、霊感商法にでもひっかけられたのか。
まともに聞いてくれた人なんて、一人しかいません、その人もいざ本を前にして、買いませんでした。
また気功独特のポーズがあるんですけど、何やってるか教えたら、やってるとやめろ気持ち悪いと言われたり散々でした。
この様な事から、これは言わない方がいい事だと認識しました、勉強ですね。
こういう事に頭が働かない人もいるんです、自分の価値観を絶対と思い、人に強要する、これは危険です。
特にこの力は、それが、危険です。
じゃー、なんで書いてるか、なかにはそうじゃない人もいると思ったからです。
人から言われるるのと、自分で読むのとでは、全然違います、気にいらなければ、読むのを、止めれば、いいわけですから。
しかも、書店の本は結構難しかったりします、読んで途中で投げ出す人もいるかも。
これは、あくまでも私の見解ですが。
ただ本は、実践的な事は後から出てくる事が多いです。
そして気功はいつやるか、で思ったのが、ある人は老人になってからでも、できますって書いてるんですけど。
でも、年を取ると、集中力が低下してくるんですよね。
困ったもので、しかも人生何が起こるかわかりません、この時に力があったらと思っても、どうしようもないわけです。
特に今は思うわけですが、いつ何が起こるかわかりません、今は敷地内で車にひかれた、青信号で横断中に車にひかれた、歩道にいて車にひかれた。
未来では、車が飛べば、いいなんて話もありますが、私が思ったのは、家にいて、車が落ちて来て怪我した、あるかもしれません。
今思えば、もう一人の自分は、私が自分が対応できない時は、そういう存在が対応してくれたらいいのになと思っていた事が実際に実現していたかもしれません。
これは、まだ気功をやっていない時に、やっていた格闘技の練習による効果だと思います。
練習と言っても、ただの練習でなく、練習しながら瞑想状態になるわけです。
私はこういう練習ができる人が強くなれると思ってます。
たとえば、今日は何回するとか、何分するとか、そんな練習では、これは起こりません。
私は、蹴りが好きで、蹴ってるだけで、幸せを感じるというか気持ちいいと言うか、ようは、蹴れば、気持ちが落ち着くとかそんな感じなわけで。
今日はまだ蹴ってないな、蹴っとこうとか。
こんなの、わかる人にしかわかりませんよね。
ちなみに蹴りを、気持ちよく蹴るには大事な事があります、それが柔軟です、やればムチの様にしなる蹴りになり、伸びる蹴りにもなります。
昔空手バカ一代で、そんなセリフがでてくるんですけど、実際自分に起こったら、感じるわけです、そう足が伸びる感じが、そう足が引っ張られる感じですね。
グーンって感じです。
こんな事になるのかと驚いたわけです、ただこれは、かなり柔軟ができてないとダメです。
話がそれましたが、そういう感覚が大事なわけで、しんどいなでも後何回とか、そんな感じでは瞑想状態にならないと思うわけで。
たとえば、歌を歌っても、無心になれば、それはいいと思いますが、歌は意識せずに30分以上は歌えないでしょう。
ところが蹴りなら、30分どころか、一時間でも気がつかなければできたりします。
だからそういうものなら、いいかもしれません、たとえば、タイヤをバットで打つとか、それだけ何も考えなくて、持続できれば、力に目覚めるかもしれません。
でもバットは重たいし、何もつけてないやつとは違いますからね、抵抗なく持続できる事があれば、それが、力の目覚めになると思います。
だから、踊りでもいいかもしれません。
これは気の感覚化とかわからなくても、できるわけです。
集中力の話にもなるかもしれませんが、これは人によって違うので、自分にあったものを、見つけるのが大事だと思います。
気功的な考え方の話ですが。
たとえば、自分の目の前で、何か有った時に、大勢の人を救える力を欲するか、それとも自分の身を護る事だけを、考えるかで、難易度が変わります。
ただ、願いはかなえられない事はありませんが、前も書いたと思いますが、時間がかかります。
たとえば、体操選手で、普通の人よりも回避性能が優れていれば、そうでない人と比べて、願いが、かなう時間は早くなります。
では気功的な考えかとは、今の前者と後者では、どっちか、実はどちらでもありません。
たとえば、目の前で事故が起きなければ、問題が無いからです。
つまり、自分がいる場所がそういう場所でないなら、問題が無いわけです。
たとえ車十台が突っ込んで来て、どう考えても生きてられない事故があったとしても。
離れていれば、関係ないわけです。
そして、実現に関しては、そちらの方が、はるかに実現しやすいわけです。
安全で、願いが早くかなうわけです。
逆に言うと、単に人助けがしたいと思ってると、巻き込まれたりする事もあるかもしれません。
詳しく考えないと、自分も危険にさらすわけです。
この辺が両刃の剣であったりします。
いらん事を、考えると、実現しやすい事は、すぐに起こります。
これは非常に危険です。
たとえば、世の中はモンスターと呼ばれる人がいると聞いて、見たことないな、なんて興味を持ったら、実際目の前で見たら、めちゃくちゃ気分が悪くて、二度とそんな事は考えてはいけないと誓ったぐらいです。
また金が欲しいなんて単に思ったら、マルチにひっかかった事があります。
恐ろしい、単純な考えは危険なわけです、特に気功をやってると。
また他にも言えませんが、酷い目に合った事があります、こっちは完全な失敗です、やっちまったって感じで。
人間不信になったり、ただこれのきっかけを作ったのは自分なんですよね、トホホです。
もっとも気功をしてなければ、単に運が悪いと思うだけですけど。
ただ気功をやってるとすぐ現象がでますから、本当に事が起こるのが、だからわかるわけですが。
これが何年もたっていたら、気がつかないですが。
ちなみに、この気功的な考え方ができる様になったのはだいぶ後です、時間はかかりました。
話を戻しますが、私はそういう事故なんかには、自分や家族知り合いは巻き込まれないようにと、思ってます。
だから、信号が赤になりそうなら、無理していきません、踏切も、実はそれにより自分は救われたと思う事にしてます、それなら、はらもたたないわけです。
たとえば、つれと出かける事になって、たまたまつれが早く来て、なんでこんなに早くと思って、結局家に帰って来るまでは、わかりませんでしたが。
あんた、大丈夫やったか、え、何が、あんたが行った後、鉄道が、事故でずっと何時間も動かなかったんやで、その時思ったわけです。
こういう事もあるのね。
その時は、つれが待ち合わせの時間よりかなり早く来たのですが、まさかこんなおちになるとは。
こんな事もありました。
青信号だから、危険が無いとは言えません、交差点でもないのに、通常よりもすごスピードで車が青信号で車が突っ込んできたことがあります。
また子供の頃、青信号になったので渡っていたら、右折するバスが突っ込んで来た事もあります、幸い、直線でなく少し大回りをして、バスを回避しましたが、ギリギリでした。
気功がすごくできてた時は、世界が自分の為に回ってると思った事もあります、冗談抜きで、自分の都合良い事ばっかり起こってたので。
現在、絶望的な状況になっても自分を保てるのは、気功のおかげもあります。
私は、酒を飲みません、それは、酒に逃げたりできない様にする為です。
でもつらい、そして、悪い様に考える事もできない、それは最悪を意味するからです。
なんとも心の持って行き様が難しいです。
しかも自分の生きがいとなる事がことごとくNGになる、まさかこんな事になるとは。
力は自分の健康に使ってるわけですけど。
本当に何が起こるかわからないのです。
そう私が言いたいのは、いざ何か起こった時に始めてからでは、間に合わない事もあるって事です。
ただ誰でもできると思ってませんが。
ただ才能が有る人も、状況によっては、修行ができなくなる事もあるわけです。
私自信、気功で食中毒を緩和したり、高熱を下げたり、後は心臓がやばかったんですけど、なんとかなりました、ただ医者にはバレルんですね。
心臓については、水分を欠かさず取るようにしてます、水分不足は危険ですよ、みなさん。
それと今でも、簡単な事なら願いがかなったりします、何かは言いませんが。
それと、気功とはどういうものかって感じで、見てもらってわかるものがあります。
ゲームの動画をアップしてるんですが、デッドオアライブ6のティナ、ティナ2を見てもらえばわかると思います。
ティナの方はトリップしてるみたいな感じになってます、勝ちたいって気持ちが優先して、考えとかそういうのばぶっとんでます。
後数ドットしか体力がないのに、落ち着いて行動できるとか。
この時もビビッて動きが硬くなれば、勝てなかったり。
この時もあれ、勝っちゃったって感じでした、実感がない。
逆にティナ2は、考えて戦ってます、同じ事はできないので。
昔ゲームセンターで、まったくかなわない相手に、雲の上の人ですね、所が有る時、出す必殺技が全部当たって、最後に超必殺技が全部当たるとか、ありえない事が起こったりした事がありました。
勝つためには、2ラウンド勝必要が有るわけですが、それが起こったわけです。
偶然とは言えないでしょうこれは。
当然勝った実感なんかありませんが、これが気功の力です、勝ちだけを求めた結果ですね。
ただ、ここで言えるのは勝ちたいと思ったのが、その時じゃないって事です、その前からの蓄積です。
コンティニューしながら、なんで勝てないんだって思ってると。
ありえない事と言えば、かすみ3でも、かすみスペシャルを狙ってる時はS攻撃が出しにくいのですが、なんと置いてあった、物にボタンが当たって、偶然S攻撃が出て勝ったりしてます。
ほえーって感じですね。
しかもいいタイミングで出たりして、一回だけですが。
この様に不思議な事が起こったりします。
でもその時考えてたんですよね、誰かボタン押しくれたらいいのにな、なんてね。
かすみスペシャルを狙いながら、S攻撃はしにくいんですよね、指の置き方が違うから。
後かすみ3では今まで出した事の無い技も出てます、これも何かきてるんでしょうね。
過去の動画を見ても一度も出てない技です。
実は今もどうやって出したかわかってません。
連続技ではなく単発から繋がってる感じなんですけど。
それと、デッドオアライブで思ってた、設計図が対象だけって、なんとかならいのとか設計図がそろってるなら、金くれよとか、いずれもかなったりしてます。
そんなの当たり前じゃん、みんなが考えるんだからと思うでしょうが。
その考えは力を、ダメにします。
ようは深く考えてはダメなんです、起こった事はそれを受け止めるそれだけです。
変に考えると力を失ってしまうかもしれません。
こんな話があります、その人は、特殊な事をする事によりなんとできものが消えてたんですね、で研究して、原因がわかった途端、できものができても消えなくなったわけです。
その人から言えば、マイナスでしかないですよね。
だいたい、私が風邪をひいて熱を下げた方法だって、普通は考えられませんから。
人間はそんな風にはできてませんから。
そうイメージの力ですが、常識が絡むと使えないわけです。
でも熱が下がったわけです、これが全てです。
現実に体が寒くて、汗が冷えて大変な事になりましたから。
これなら、前の方がまだよかったよ、濡れたままなら風邪ひいてしまうなんて、風邪をひいてるのに思ったりして。
気を流すとかも、もしかして成功、失敗はその辺に有るかもしれません。
私は小川のイメージも使ったりしてましたし。
それってどんなって言われても説明できないし、小川をイメージできない人はわからないわけです。
まあこの辺をどう思うかは読んでる方の勝手ですが、ようは使えない人と使える人の差はその辺にあるかもしれません。
書いててあらためて思いました。
良い話がアニメのプリズマイリヤにあったりします、イリヤは飛べるのに、ミューはは常識にとらわれて飛べなかったり。
これなんかんもいい例だと思います、結局ミューも飛べる様になるんですが。
だいじなのは考え方です、力を使うのに、精霊をイメージするのか実際の物をイメージするか、どっちがやりやすいかによるわけです。
当然何かの力を借りてって考え方の方がよりやりやすかったりするわけです。
ただこれもその人にもよりますが、まったく何かの力ってなによって人には、無理でしょうし。
人によっては、目の前で見せろ、じゃなきゃ信用しないって人はむいてないわけです。
人間が飛ぶイメージと聞かれて、スーパーマンの映画を見てる人、いない人の違いでしょうか。
スーパーマンの映画を見た人は、簡単にイメージができるわけです。
このイメージが大事だったりするわけです。
なので、精霊とか神とかそういうものを使ったりするわけです。
本来は自分に眠ってる誰もが持ってる力なんですけど。
イメージが大事、この考えなんか、ウイングマンのドリームノートの考え方と似てます。
ただドリームノートでの問題点とも同じだったりします。
私は何の練習もしないのに、もともと足の遅い私ですが、いきなりすさまじいスピードで走ったり、周りを恐怖させるような爆走です、でも次の日、足が筋肉痛だったり、百メートル強走っただけですが、まさかそんな事になるとは。
もしももっと長い距離ならもっと大変な事になっていたかも。
これなんかもまさにウイングマンのドリームノートの話であおいさんが言ってた事です。
どんなすごい技を考えても、本人自信が強くなければ、結果自分を破壊する事だって。
結局私の体が耐えきれなかったんですね、良い勉強をしました。
ちなみに良くできてるのは、もう一人の自分ですが、出現してる時間は秒の世界です、ただし、終われば又使えたりしましたが。
これは、体の限界を考えてるのかもしれません、だから、次の日筋肉痛が起こったりもしません。
それに良くできてるのは、対処のレベルによって、脳の回線までコントロールするんですね、私は視覚や聴覚さえも一瞬無かった事があります。
そう、おまえに必要ないからよこせって感じです、そして終わってから気がつくわけです、ああ、何事もなかったのね、あれ、でもどうなったの。
まあバットでボールを打つ音がしたと思ったら、走っていいて、あ走ってると思ったら、止まっていて、あれと思ったら、グローブにボールが入ってたとか、こんな事も起こったんですけどね、結局グローブの中を見るまでは、いっさいボールを見て無かったり。
今回、結局何が言いたいかと言うと、今の世の中何が起こるかわかりません、でも力が有れば、生き残る事ができるかもしれません。
あくまでも、かもです。
そういう事です、そして、何かあってから、始めようじゃ、間に合わないかもしれないって事です。
ただ、誰でもとは言えませんが。
そこが難しい所ですが。
これは、今回書いていて、さらにわかった気もしますが。
でも今の世の中は何か起きてるとしか思えないわけです、本当に変な世の中です。
ちなみにアクセルとブレーキを踏み間違えたらとは、昔私が学生時代言ってた事ですが、それを聞いた人は当時みんな笑ってましたが。
今は・・・ですね。
ああ、それともう一つ必要以上に物事を悪く考えない事です。
それによって自分を破壊するかもしれないわけです。
しってますか、ある精神病の人は、悪い事は、全て自分の事じゃないと思う事があります、ただそれによって、病気になったりしないわけです、まあ一つの防御法なんですが。
ただ普通の生活、人の関係については問題が起こったりします。
誰もがと言いませんが、できる人が手遅れにならないように願うばかりです、このおかしな世の中に。
今回はこんな感じで。




