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戦いの道  作者: 鈴夜
ソウル会議
19/41

開催

この会議が開かれる理由となったのは、


ソ連崩壊から続く因縁の決着だった


交渉が始まったのは

日本統一だった

ロシア政府は、統一承認の条件に、北サハリンのロシア返還を要求したが、

日本政府の林首相は、蝦夷人民共和国軍が横領した兵器の大部分を返還するだけに止めた(ミサイル巡洋艦を除き、全ての海軍兵器を返還)

北樺太については、ロシアにとって法外な値段を条件とした交渉だった

当時のロシアGDPの約5倍

交渉は暗礁に乗り上げ

2004年7月1日時点での仮締結は

樺太問題は2019年3月31日までに帰属先を決める事とする


その会議のため、両国首脳が緩衝国である満州共和国で会議することになった


「やぁ、初めまして、青川総理」

「こちらこそ、初めまして、プロム大統領」

そして、最後に柊大統領も到着し、会議が始まった


プロム大統領は、北サハリンのロシア返還、もしくはサハリン全島を日露合同開発を提案

しかし、青川総理は、どちらも、ノーと回答

北樺太放棄ではなく、適正価格での売却でしか応じないとし

さらに、樺太全島の合同開発についても、ソ連崩壊の翌年の旧蝦夷人民共和国時代から日本大震災の間に莫大な投資による開発が進んでいるため、恩恵が少ない上、国防上の都合で拒否した

プロム大統領は、何とか、サハリンを取り替えそうと必死だった

140年以上前に

千島樺太交換条約で樺太全島を一時手中に治めたが

112年前の

日露戦争で、サハリンの大部分を占領され、講話の後、北緯50度以南を日本に割譲すると言う屈辱にあった

だが、72年前

米英と密約を組んで

サハリンを奪回したどころか

おまけに、千島列島と北海道の半分を占領下に置くと言う、大成功を納めた


だが、当時のソ連の支配者は、

米軍の旭川市原爆投下による、蝦夷人民共和国建国の足が鈍るのを恐れ

サハリン南部を蝦夷人民共和国に渡してしまった

その後、朝鮮北海道戦争では

北海道全土を蝦夷人民共和国が抑えたが

本州上陸を阻止するために

函館市内で原爆が爆発

幕末の武士であり、蝦夷人民共和国の名の由来であった

蝦夷共和国の官僚でもあった

土方歳三の遺骨も吹き飛ばし、更地に変えた

多くの本州上陸兵を消すためだけに


その後は、南北日本は、融和と衝突寸前を繰り返したが

1991年

大事件が起きた

ソ連内部での内乱と崩壊

蝦夷人民共和国は、ソ連からの援軍要請で、各地で鎮圧に乗り出したが

ソ連本体が倒れたのは予想外であり

やむ無く、撤退

実は、密約で核関連技術提供があったのが反故になったため

報復として、原子力潜水艦、ミサイル巡洋艦など極東海軍兵器を根こそぎ奪い

北サハリンを治安維持名目で占領

と言うことである


ついでに統一後の歴代首相の中で

伊部さんが、ロシアとの交渉で、鉄道直通計画を提案したのが

一番近かった

だが、学園騒動で体調を崩し退陣

その後がまに入った、青川総理は、反露ではないが

愛国心が伊部さん以上に強く

米軍基地問題では、沖縄本島から米軍基地をなくすことには全力を入れるが

沖縄区の外に基地を移転するのは、中華3国《中華民国、中華人民共和国、満州共和国》の軍事戦略の動きとアメリカとの外交戦略の結果次第であると表明


中華人民共和国は、青川の愛国主義は日本の軍国主義復活の始まりだといったが

青川は、平然と中華人民共和国上層部に言ってやった

「ならば、貴殿方の反民、反日運動も愛国主義の一貫で結局は、軍国主義になるのでは」

といい、黙りこませた


柊も、青川を恐れていた

正確に言えば、満州共和国に逃げてきた旧蝦夷人民共和国出身官僚全員も同じ気持ちだった

何せ、彼らは、反統一派だったのだから



続く

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