魔法屋の化け猫
投稿の様子がわからなかったので、練習でやってみました。
つたない文章ですみません。
「うっわあ、ひっどい荒れようだな」
百年近くも手入れされてなかったレンガ家のドアを開けた少年、カレン・レアージュは、縦横無尽に張り巡らされた蜘蛛の巣を見て眼を見張った。
安くて良い貸店舗はないかと不動産にかけあって、折り紙つきで勧められた物件である。百年前はパン屋だった石造りの建物で、とても丈夫だという話しだった。
長年積もった埃が、家中をすすけた白に装飾している。雪が積もったみたいだ。
暖かな日差しにもかかわらず、春から冬に逆戻りしたような気分になる。
「安かったはずだよ……」
あきらめて頭をふりながら、カレンは背負い袋を下ろせる場所を探した。
借家は二階建てだった。
一階がパン工房、二階が住居になっている。
かつては工房の道具や材料が並んでいた棚は、風化して床に散らばっている。
やや長方形の部屋の奥には、備え付けの大きなレンガの丸オーブンがあり、オーブンの前には石製の調理台もある。飾り気はなかったが、しっかりと堂々とした風貌をしていた。百年を経たこの部屋ですぐにでも使えるものは、上等な作りのオーブンと調理台だけである。
かつてパン屋をしていたという人物のこだわりなのだろう。
ひときわ立派なオーブンが職人を感じさせて、カレンは自然と笑みを浮かべた。
この台でパン生地を作り、醗酵させ、奥のオーブンで焼き、昔のことだから店の前で露店のように並べて売ったのだ。
毎日焼いて毎日売って、多くの人の血となり肉となった。
ここの主人は、パンで人の命をささえるという一生を送ったのだ。
「僕も見習うべきだな」
そう呟いて肩の荷を下ろすと、調理台に積もっていた埃が舞い上がった。うっかり吸い込んでしまいゴホゴホ咳込んでいると、他にもコホコホ咳込む声がする。
おやっ、と思って調理台の裏をのぞいてみると、一匹の黒い猫がいた。
「やあこれは、先客がいらっしゃったか」
カレンが猫にも解かる言葉で話しかけた。
「ケホケホッ、なにがやあこれはだよ! 猫は食事と昼寝を邪魔されるのを一番嫌うんだぜ、よくも俺様の昼寝を邪魔しやがったな!」
驚かされて飛び上がったものの、それを相手に気取られてはいけないと思ったのか、思いっきり渋い顔を作った黒猫がコフーッと唸って威嚇した。
それからすぐ、目の前の人間が自分の理解しやすい言葉を使ったのに気がついた。
こんなことが出来るのは、正しい方法で修行した魔法使いだけだと思い当たる。
それに男の持ってきた手荷物からは、かすかだが魔法の匂いがしていると気づいた。
カレンもまた、一目見たとき、ただの黒猫ではないことに気づいていた。四、五才の成長したオスに見えるが、おそらく百年は生きている化け猫に違いなかった。
三日月のような細い目から、強烈な妖気を感じるのだ。
「いいか、ここは俺様の縄張りだし、この家は俺様の住家だ。今すぐ出て行かないなら、今まで来た連中と同じに酷い目に合わせてやる! たとえお前が魔法使いだとしても、その若さだから大したことあるまい、俺様はお前よりずっと長生きしてる猫なんだからな!」
化け猫がウギャウギャウギャと一気にまくし立てた。
案の定彼の訪問を快く思っていない。
カレンは困ったように、短く刈りこんだ灰色の髪をかきあげた。
猫の推測通り、カレンはこの春修行を終えたばかりの魔法使いである。魔法の修行で動物の言葉もある程度は理解できる。
むしろどちらかというと、派手な炎や雷の魔法よりも、この手の「ちょっとした魔法」の方が得意である。
そこで「ちょっとした魔法」の得意なカレンは、その技術を生かして商売を始めるため、手頃で見栄えの良い建物を探す事にしたのだ。
「そっかあ、ここは港の商店街から近いのに、買い手が見つからないなんておかしいと思ったんだ。百年近くも客を追い払っていたんだな、やれやれ不動産屋に同情するよ」
怖がるどころか、すっかりくつろいでいる、というより見方によっては馬鹿にしたようなカレンの態度に、化け猫は腹の底から怒りの声を上げた。
「おい駆け出しの魔法使い、俺はお前に同情するぞ! ついにこの俺を怒らせちまったんだからな!」
今にも飛びかかりそうな勢いだ。
その剣幕に、さすがのカレンも後退りした。
「どうだ出て行くのか! それとも一戦交えるか!」
「わわっ、待って、待ってくれよ、僕の話しも聞いてくれ」
「話しだと?」
両手を上げて降参のポーズを取ったカレンに、化け猫が用心深く答えた。
長年生きてきた彼の威嚇は、そこいらの猫と違って強烈な威圧感を与えているはずだった。
そのプレッシャーを怖がるどころか、弱々しい笑いを浮かべて交渉を申し出る目の前の男に、黒猫は一筋縄ではいかないものを感じ取ったのだった。
見かけに騙されてはいけない、こいつは手強い相手だ。
「よ、よーしなんだ、言ってみろ」
猫の怨念が通じない相手である、ここはひとつ慎重に行こう。
化け猫は、そう思った。
「じゃあ言うよ、まず第一にネコ君はここの先住権を主張しているわけだ」
カレンは指を一本立てる。
「まあそうだ、人間風に言うならそういうことだな」
化け猫は、おずおずと認める。
「第二に、ネコ君は誰にも邪魔されずに昼寝をしたいと思っている」
「もちろんそうだ、そもそもお前が邪魔したんだ。それからそのネコ君ってのは止めてくれ」
猫が不愉快そうに言い添えた。
「そこでだ、僕は何もネコ君に出て行ってもらいたいわけじゃないんだ。思うに僕がネコ君に家賃を払うってのはどうだろうか。毎日ネコ君の好物を、家賃として提供するよ」
「な、なんだそりゃ、猫に家賃を払うなんて聞いたことないぞ、お断りだ。それにおい、ネコ君なんて呼ぶんじゃねえよ!」
「だったら名前教えてよ、僕はカレン・レアージュ、十八才だ。聞いたこともないから嫌だなんて、ネコのくせに保守的だなあ」
「俺様の名前はディニッシュだ、この家の前の主人、パン屋の親父に付けてもらったんだ。それから猫ってのは保守的で普通なんだよ! えーとなんだ、毎日好物を持ってくるだと、そりゃまあ悪い話しじゃないだろうけど……、ちょっと考えさせろ」
「それから昼寝の件だけど、そんな調理台の裏じゃなくて、もっと陽の当たる良い場所を作ってあげるよ。埃も蜘蛛の巣も綺麗に掃除して、最高に住みやすい場所にできるんだけど」
「なんだと、いやまて、ううーむ……」
ディニッシュにとってカレンの出した条件は魅力的に思えた。ミギャーと唸ってすっかり考え込んでしまう。
それにこの青年は誠実そうに見えるのだった。今までこの家を守ってきたが、この人間になら間借りさせても良いかもしれない。
そんな風に思った。
それに。
と思う。
それに、こんなに親しく人間と話したのは、いったい何十年ぶりになるのだろうか、と。
悪くない気分だった。
結局、散々悩んだ末に、ディニッシュは渋々うなずいて見せたのだった。
「それじゃあ契約は成立だね!」
「待て待て、とりあえずは半月の仮契約だ、様子を見てから先のことを決める」
「それでかまわないよ、仲良くやろうディニッシュ!」
嬉々としてカレンが右手を差し出して握手を求めてくる。
しかたなくディニッシュも前足を差し出したが、これではまるで「お手」をしている愛玩動物である。
それに気がついたとき、化け猫はなんだか、どっと疲れを感じてしまった。
考えてみれば、毎日家賃と称して好物を持ってくるとは言っても、はたから見ていれば飼い猫にエサを与えているようなものだし、自分用の昼寝のスペースにおさまっている姿も、やはり飼い猫と大差ないのだろう。
自分はハメられたのかも知れない。
疑いの眼差しを向けてみるが、当人のカレンは屈託なく笑うだけで、そんな素振りはまるで感じさせないのであった。
こいつ、絶対油断できない。
ディニッシュは、喉の奥でグルグルと唸り声を立てた。
「さあて、忙しくなるぞ!」
そんな黒ネコを知ってか知らずか、カレンは陽気に腕まくりなどをする。
カレンにしてみれば、難しい商談をうまく乗り切ったので、すっかり良い気分になっているのであった。
この日から一週間後、港町ピッツァーのフィッシャ戦没慰霊公園の通り沿いに、「魔法の相談なんでも受けます!『魔法屋レアージュ』」と、真鍮のよく目立つ、ピカピカの看板が、かけられたのであった。
おしまい。