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「ま、満州、だって・・・・・・」
その国の名を耳にした柳瀬は思わず表情を強張らせた。
かつては大日本帝国の傀儡国家だったが、その敗北が目前に迫ると、日本軍に鍛え上げられた国軍幹部がこぞってスターリンに寝返り、皇帝溥儀を逮捕し日本人を追い出し、ソ連と中華民国との緩衝地帯としての役割を担う共産主義国家として生まれ変わらせてしまった。
毛沢東の敗北と、毛自体が自分に噛みつくことの両方を危惧した、スターリンの猜疑心をうまく利用したのだ。
以降、膨大な地下資源と、日本が残したインフラと技術、そして魔法の力で共産圏でも一二を争う強国と成ったが、共産主義衰退後は国境を閉ざし、ひたすら市場主義や自由主義に対する疑心暗鬼に凝り固まり、人民への抑圧と軍事力の肥大化に邁進する世界最強最低のゴロツキ国家に変貌した。
「あの国は今、核技術者と魔術師を喉から手ぇが出るほど欲しがってる。アンタくらいの能力があれば、大歓迎間違いナシや、密航業者に話付けたる」
「冗談じゃない!」
と、柳瀬の怒声。唾でも飛んできたのか、思わず顔の前を手で払う慧。
「なぜあの国がそれを求めるのか?君は解らないのか?軍事目的に決まってるだろ!殺されるためにキメラを作るのが嫌で逃げた僕に、今度は人を殺すためのキメラを作れっていうのか?バカか?君は!」
バカ呼ばわりされたにも関わらず、慧は冷笑を見せつつ柳瀬に。
「眠たい事言うてるなぁ。アンタの手ぇはもう人様の血でビショビショなんやで、そんな人殺しが、八月十五日あたりに成ったらテレビでやるクソ眠い二時間ドラマみたいなコトほざけるん?今さら命どぅ宝かいな?ウチを笑い殺す気ぃなん?なぁ?」
拳を握りしめ、慧を睨むしかない柳瀬。いつの間にかその周りには彼の作ったキメラやホムンクルスたちが集まり、創造主と同じように慧を見つめる。
その絵面をしばらく眺めたあと、慧は。
「虎鉄、アントニオ。怪我はどないや?」
「もう大丈夫、耳も引っ付いたしほかの怪我も大方治ったわ、顔も可愛らしいけど、腕も確かやわ、この兄ちゃん」
と、シナを作って柳瀬を見つめながら答える虎鉄。
「常識ってのは、無ぇけどな」
羽を繕うアントニオの額の傷は、血の塊を少し残しすっかり塞がっていた。
「ま、こっちはアンタらに此処を出て行ってくれたら仕事は完了や、好きにしたらエエ、明日の朝に成ったらもっぺんここに来るから、ウチの話に乗るんやったらその時改めて話しよ。乗らんのやったらそれまでに消えてもろうたらええし、まだ居座るつもりやったら即刻皆殺しや」
そう言い放つとクルリと踵を返し「虎鉄、アントニオひとまずはいのか」と一匹と一羽を引き連れ、柳瀬らを残して製材工場跡を去っていった。
その日の早朝二時。
海に向かう三桁国道を、古ぼけた観光バスが一台、西を目指し模範的なスピードで走っていた。
ボートレース場を過ぎて、ニュートラムの高架が頭上を覆うようになり、しばらくした所の交差点を右折し、北進して後に工場らしき敷地を囲うコンクリート塀の前に駐車。
車内から二人が降り立ち、一人は懐に手を入れつつ辺りに鋭く視線を飛ばし、もう一人はてコンクリートの壁に土星第五のペンタクルが書かれた紙を張り付ける。
途端に壁は失せ、破産管財人の張り紙のある鉄の門が現れた。
見張りが車内にハンドシグナルを送る。
それを認めたリーダー格らしき男が、スマートフォンに話しかける。
「ありました材木会社の跡地です」
相手はサンオ。ここからほど近く、夢洲の指揮所で薄情そうな小さな眼を細め
「情報通りだな。準備を始めろ」
「準備開始」
号令一下、全員、隠されたものを探し出すとされる精霊『プルソン』のペンタクルを首に下げる。
DHD子飼いの黒魔術師が魔力を注入し『筋』が無いものでも『プルソン』の力の恩恵を受けられるようにしたものだ。
夜目が効き、聴覚が鋭敏になる程度の効能しか得られないが、暗闇でも昼間の様に行動できる。
続いて各自の得物である六四式微声冲鋒槍にマガジンを叩きこみ、ボルトを引いて初弾をチェンバーに送り込む。銃身全体を長い消音器で覆った、共産中国製の特殊作戦用サブ・マシンガンだ。
そして、仕上げに笑い顔のようなゴム製のマスクを顔に着ける。
仮面舞踊で使う『白丁』の面を模した、サンオ率いるDHD自慢の最精鋭暗殺部隊のシンボル。
「準備完了です。ご指示を」
「柳瀬は手足をへし折ってもぶち切っても生かして連れて帰れ、その他は殺せ」
「スケベ用のホムンクルス二体。皆でオモチャにしていいですか?」
下品な笑いが低く車内を覆うのをスマートフォンの向こうで聞きつつサンオは「好きにしろ」
「みんな、好きにしていいそうだ、一時間遊んだら五六万ふんだくられる奴を、タダでやりまくれるぞ」
小さな歓声、口笛を聞き流し、リーダーは鋭く命じた「全員降車、行動開始」
笑いマスクの集団が、音もなく獲物を手にバスを駆け降りる。
最初に降りた二人が鎖をボルトカッターでブチ切り、鉄のゲートを押し開ける。
素早く、粛々と敷地内に押し入るマスクの集団。その数、三十人。
放置された材木の山や重機に巧みに隠れつつ、製材工場と事務所のあるビルに向かう。
リーダーがハンドシグナルを送ると、一隊は十人ごと三つのグループに分かれ、それぞれが別方向に散る。
一隊が工場の入り口から一階を制圧し、もう一隊が階段を上って事務所入口へ、残り一隊が海側に先回りし逃げてきた的を挟撃しようというのだ。
工場入り口を目指していた隊の先頭が不意に足を止め、ハンドシグナルで全員の静止を命じる。
すぐ近くを、風を切る音が聞こえた気がしたのだ。
耳を澄ませ『プルソン』の力で普段聞こえない音を懸命に拾おうとする。
しかし、何も聞こえない。ほかの九人も耳を澄ませ、目を凝らすが何も捉えることが出来ない。
気のせい?そう思い前進を再開した時。目の前に何かが立ちふさがった。
そして、そいつは言った。
「こんばんわ、ええ夜やねぇ」
虎ほどの巨大な三毛猫。先頭が六十四式を構えようとした途端、横殴りの巨大な猫パンチが繰り出される。
笑い顔のマスクをつけたままの生首が、宙を舞った。