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背後で始まった死闘の騒音を聞きながら、前方の社屋に向かって全速力で駆ける。
一階には間口の広いシャッターとガラスのはまった鉄扉の二つの入口があった。
なんの仕掛けもないことを確かめたあと鉄扉のドアノブに手を掛けゆっくりと回す。
少しだけ開け、顔を半分出して中を覗う。
プンと重機用のグリスと獣臭が鼻をかすめる。絶対に何かが居る気配をビンビン感じる。
中が真っ暗なので意を決し侵入してみる。
鉄鋼の柱や梁がむき出しのガランとした空間。床はコンクリートの打ちっぱなし。製材用のフロアーか?
地響きを感じ空間の奥に目をやると、何かが闇の中から慧めがけ突進してくるのが見えた。
毛のないゴリラ?いや、手足だけ異様に伸びた巨大胎児?ともかくそんな化物が音階を下げた赤ん坊の泣き声の様な叫びを上げながら突っ込んでくる。
そしてドラム缶サイズの拳を右フックで繰り出す。
上体を逸らし強烈な風圧を巻き起こすそれを間一髪で交わす。
続いて左フック、これは完全にしゃがみ込み、頭上を通過させると膝のバネを生かして巨大胎児の背後に回り込む。
巨大胎児は素早く向き直り、地面に両手をついたと思うと、今度は蹴りを叩き込んで来た。
畳半畳はある右足。慧は素早くハルファスのペンタクルをスマホに呼び出す。
あらゆる物理的衝撃から身を守る魔法、それでも回避できたのは直撃のみ、衝撃波はモロに食らい奥の壁めがけ吹っ飛ばされる。ただし、巨大胎児も同様に跳ね飛ばされシャッターに派手な音を立てて突っ込んだ。
「図体とキモイ面の割には素早いな、エエ?このバケモノが!」
そう敵を罵りながら強打した尻をさすりつつ立ち上がる慧。背後を見ると階段が有り、上の階につながって居る。
その手すりに手を掛け、今度はスマホに別のペンタクルを浮かび上がらせる。ハアゲンティ、物質の分子構造を変化させる魔法、慧が触れた鉄製の手すりは引きちぎれ二mほどの鉄パイプに変化する。その先は竹槍のように鋭いエッジが出来ていた。
それを自分の目の前でクルクルとバトンの様に回してみせると、今まさに立ち上がろうとする巨大胎児に突きつけ。
「さぁ、バケモノ、バトルの続きや、どっからでもかかって来んかい!」
あの雄叫びを上げながら突進してくる巨大胎児。
慧も相手めがけ鉄パイプを構えて突進する。
慧の頭を砕こうと再び右フックが繰り出され、それを交わしつつ空いた相手の脇腹に鉄パイプを突き刺す。
素早く抜いて背後に回り込み、次に襲ってきた左足の回し蹴りも鼻先数ミリで回避、内太腿にもう一度鉄パイプをお見舞いしザックリと深い傷を穿つ。
身を翻し、巨大胎児が激突してひん曲がったシャッターまで後退すると再び敵と向かい合う。
二度も槍で刺され切りつけられても巨大胎児は全くのノーダメージ。それどころか中途半端な痛みのおかげで余計にエキサイト、赤く濁った目と乱くい歯をむき出し、威嚇のポーズ。
けど、慧はちらっと血に塗れたパイプ槍の穂先を眺めるとニンマリと笑い「おし、これで充分や」とつぶやいた後、槍先を突きつけつつ巨大胎児に向かって吠えた。
「さて、これでバトルモードは終了。これからは一方的なイジメモードの開始や!」
そしてスマホに新しいペンタクルを呼び出す。グラシャ=ラボラス、血液を支配し循環器系を操る魔法。
突撃を再開した巨大胎児は突然その場につんのめる様に倒れ、全身を痙攣させつつ呻き声を上げ始めた。
脇腹と内太腿の傷口、口や鼻、耳、目からも鮮血を滴らせながらのたうち回る。
その有様を眺めつつ慧は愉快げに大笑い。
「どないや?体中の血がデタラメに逆流する味は?痛いか?苦しいか?ほな、こっちはどないや!」
今度は体中の穴という穴から湯気が上り始める。ヴェパールの魔法を使い、体液の温度を上昇させているのだ。
細胞という細胞が限界ギリギリの温度に晒され、巨大胎児の意識は朦朧とし始める。
その時、胎児の向こう側にある階段に幾つもの人影が現れた。
大人サイズが二つ、子供サイズが五つ、合計七人分。
その内一つの大人サイズが悲痛な叫び声を上げた。
「もういい!やめてくれ!頼む!」
目を見開き、口をあんぐりと開け、呆然と天井を見つめる巨大胎児を薄笑いしつつ眺め慧は答えた。
「お前が占有屋か?キメラけしかけといて負けそうになったらやめてくれやと?何眠い事ぬかしとんねん!このままじっくり五十度くらいまで上げたって、こいつを茹で殺しにしたら、今度はお前らを嬲り殺しにしたるからなぁ!覚悟しいやぁ!」
大人サイズの影が一人、階段から駆け下りてきて巨大胎児と慧の間に割ってはいる。
背の高い色白の男。着ている物は薄汚れたパーカーとジーンズ。髪の毛はボサボサで汚い無精ひげは生やしているが、垂れ気味の大人しげな目といい整った顔の造作といい、そんじょそこらのホームレスとは一線を画す雰囲気。それに慧にはピンと来るものが有った。
「あんた『筋』持ちやな?魔術師か?コイツや外の犬もどき造ったんもあんたか?」
男は黙ってうなづくと手にしていたボストンバッグを差し出し中身を見せた。
薄明かりの中でもしっかりと解る。札束、恐らく五六千万は有る。
慧は思わず生唾を飲み込む。
「私の名前は柳瀬曉寛元々は天智学会で権魔導師をやっていた。今は事情が有って逃げている最中なんだ。金なら有る、見逃してくれ」
札束に意識を持って行かれながらも、しっかりと柳瀬を睨みつつ慧は。
「人様の落とした物件を不法に占有しときながら見逃してくれやて?兄ちゃん、ふざけんのも大概にしいや、ま、そやけどウチはアンタラがここから大人しい出て行ってくれたら文句はない。一応、その事情とやら聞かせて貰おか?」