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大浴場のだだっ広い更衣室に入った途端。噎せ返るような血と臓物の臭いが慧の鼻を撫でる。
ロッカーの陰に隠れ、浴場を伺うとマズルフラュシュで一瞬、目がくらんだ。
閃光と闇に目が慣れると、更衣室の出口辺りであのオラウータンモドキのジーロウがあおむけで転がっており、マオ・カラーのダークスーツにコンバットブーツ姿の男が、小型のアサルトライフルを片手で突き付けている所だった。そしてもう一連射。
ジーロウの顔面は砕け、血と肉片が再びの閃光の中舞い上がる。
視線を巡らせば、更衣室の片隅には顔無しウーリャンが顔どころか頭そのものを失い、羊頭のジャオロは顔半分吹き飛ばされ腹からは羊らしい長い腸を飛び出させ、洗面化粧台にもたれかかっていた。
「そこに居るのは武本慧か!?座間の奴、しくじったな?」
少し間をおいて、慧は姿を見せる。
「口ほどにも無いオバハンやったわ、あんなんにナンボ払うたかは知らんけど、銭ドブに放かしたな、ええ」
サンオは、得物であるSR-3Mを慧に向け。
「ほぅ、噂通りの美少女だな、十年か二十年先に会いたかったもんだ」
「そう言うオッサンはブッサイクな面やなぁ、丘に打ち上げられたサメみたいや」
「男の値打ちは顔じゃない。何人殺せるか、だ」
と、サンオは引き金を引き絞る。
放たれた9×39ミリ弾は亜音速の速度で慧に殺到するが、しかしハルファスのペンタクルが作用し、ことごとく弾き返され、射手に向かって同じ速度で帰ってゆく。
が、その弾もサンオの前で弾かれ、行き場の無くなった弾丸は、壁や天井に食い込み、ロッカーに穴を穿ち、姿見や窓ガラスを砕く。
「物理的な衝撃を跳ね返す力が有るらしいなぁ、このハルファスのペンタクルとやらには。魔術師じゃない俺でも、タツゥにすれば二十四時間は効能が持つらしい」
そう言ってジャケットの前合わせをボタンごと引きちぎり、分厚い胸板に刻まれたペンタクルを見せつける。
「気合入ってんなぁオッサン、しゃぁけどなぁ、魔法を打ち破る術を施した武器には、そんなん関係アチャコなんやで」
スマホにベリスのペンタクルを呼び出し、手近にあった金属製のロッカーを、優美な曲線を誇る一振りの日本刀に変え、次に土星第五のペンタクルを顕現させ魔法を打ち砕く効能を与える。
「ポン刀と美少女の最強の組み合わせや、目の保養しながら死にぃやオッサン」
「おやおや、このオレ相手に白兵戦を挑むのか?舐められたもんだ、世間知らずってのは怖いな」
「舐めとんのはそっちや、あの世でしっかり後悔しぃや」
ほぼ同時に駆け出す二人、サンオはSR-3Mを投げ捨て、腰に下げた長大なボウイナイフを抜きはらう。ブレードには土星第五のペンタクルがエッチングされている。
慧の繰り出す大ぶりの袈裟懸けを交わし、強烈な刺突を彼女の右わき腹に加える。
軽妙なステップでいなす慧。身を回転させ猛スピードでサンオの胴を薙ぎ払う。
しかし、ナイフのバックで跳ね返すと、弾かれた反動で空いた慧の腹めがけ鋭利なエッジを繰り出す。
断ち切られたのは彼女のほっそりとした腹ではなくブラックレザーのトレンチコート、バックステップで急速退却すると、パックリ切れた裾をつまみ上げ。
「あ!フルオーダーのお気にやったのに!このクサレチ〇ン〇!アッサリ殺されると思いなや!」
一気に踏み出し、刃を右に左に上に下にと滑る様に閃かせ襲い掛かる慧。
それに負けぬ素早させナイフを繰り出し次々と刃を交わすサンオ。
慧が繰り出す突きから半身で逃れ、すれ違いざまにサンオは延髄の切断を狙って、彼女のうなじめがけブレードを叩きこむ。
前かがみになり斬撃を逃れた慧は、そのまま前転。立ち上がると同時に向き直り得物を正眼に構える。
「メスガキにしては中々やるな、そのスキル、何時何処で身に着けた?」
「教えろ言うんやったら教えたるけど、涙なしでは聞けん話になるで、ハンカチ必携モンや」
「なら、結構だ。感動ポルノは大の苦手だ」
そう言うなり慧の眼前に迫るサンオ、ボウイナイフを掬い上げるように振るい、慧の刀を跳ね上げたあと、ブレードを閃かせ彼女の胸元を薙ぎに掛かる。
一歩退き交わす慧。上段に構えた刀を一気に振り下ろし、サンオのボウイナイフを強か打ち据える。
それでもグリップを堅持し、身を引いたあとサンオは勢いづけて電光石火の刺突を繰り出す。
上体を逸らせ攻撃を避けると、逆袈裟懸けでサンオに切りかかる。
その瞬間を狙い、下から迫って来る刀に渾身の力を籠めナイフのブレードを叩きこむ。
鋭い金属音が更衣室に響き、へし折れた慧の刃が天井に突き刺さる。
目を丸くして半分に成った日本刀を眺めつつ。
「ゲ!炭素の配合、間違うたかな!?」
愉快気に笑いながらポイントを閃かせつつ慧に迫るサンオ。
「付け焼刃とはまさにこの事よ、さぁ、どこから削いでもらいたい?鼻か?耳か?両目を抉ってやろうか?」
ジリジリと後退するが、自分の潜んでいたロッカーが迫ってくる。
「決められないなら、俺が決めてやる。まずは右の眼!」
鋭い刺突、紙一枚の差でかわす。そして第二激、半分になった日本刀で何とか弾く。
それでも容赦なく強烈なブレードの嵐は吹きすさび、必殺の斬撃が慧を襲う。
これも辛くも交わし、ロッカーの陰に身を滑り込ませるが、彼女がさっきまで背にしていた金属製ロッカーはぱっくりと叩き切られた。
「これがカスタムナイフの力よ、安心しろ、これでも全くチップ(刃こぼれ)してないからな、切られても痛くないぞ」
笑うその顔はまさに獲物に襲い掛かるサメそのもの。
だが、一気呵成に踏み込んだその先で彼が見たのは、サンオ以上に残忍な笑みを満面に浮かべた慧の姿。
そして、自分の足元にペンタクルが描かれているのに気が付いた。
瞬間、サンオの視界は眩い閃光に包まれ、耳は雷鳴に似た轟音に塞がれる。
「な、なにを!し、た!!」
切れ切れに聞こえる彼の問いに愉快気にこたえる慧。
「アンタが踏みつけたんはバシンのペンタクル、常世、つまりはこの世や無いアノ世を経由して別の場所に行ける魔法のためのペンタクルや」
そこまで言う頃には、サンオの体は光に包まれ、腰のあたりまでペンタクルに飲み込まれている。
「そやけどな、何も考えんと不意にペンタクルに侵入したあんたに行き場所は無いで、そのまま永遠に常世をさまよい続けるんや。今からどっか行きたい所思いついてもええけど、魔力も無いアンタが必死であがいてもムダムダ。上手い事行っても、体か魂か、どっちかしかこの世に出て来られへん。ま、生きたまま異次元世界を旅できるんや、そうそう出来る体験やないで、よかったなぁ」
慧の勝ち誇った高笑いを聞きつつ、サンオは膨大な光と大音量に包まれながら、その姿を現世から完全に消してしまった。




