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くノ一 鹿毛野小百合

「大将! 気をつけてください。この女、忍者です!」


「お、おう!?」


 半信半疑のまま、麺棒片手に雪治が座敷から店内へと飛び出してくる。 

にこやかに微笑む女性相手に麺棒を構えて立つ修験者と老人。


ジリジリとにじり寄る姿は、どう考えても二人の方が悪い奴だろう。


「ほう。鹿毛野か。お前は飛騨忍者だな?」


 美雪を守るようにジリジリと下がりながら、峰葉も美濃屋の秘書を名乗る女を睨みつける。


「お嬢様のおっしゃるとおり、たしかに私は飛騨忍者ではございますね」


「峰葉ちゃん知ってるの?」


「ああ、聞いたことがある。飛騨忍者はカラクリに通じた忍者なんだ」


「知ってる知ってる! 忍者要塞研究所って、小学校の時に遠足で行ったよ」


 旗本である峰葉は雇用主として忍者を雇う側であるから、その名に覚えがある。


 伊賀や甲賀、戸隠といった有名どころではないが、飛騨忍者はこの辺りでは名を知られた存在。

飛騨の匠に由来する工業技術と、白山、高賀といった修験道の術にもある程度通じていて、

聖護はそこを警戒していると理解した。


 チンピラ相手ならともかく、彼女は聖護の験力に対処する方法を持っているかもしれない。


 現代では忍者は侍と同じく役所や企業の秘書として需要が高く、伊賀や甲賀の忍者学校出身者は引く手あまたである。


 飛騨忍者は、いまいちマイナーなこともあり人気の忍ではないが、製造業や土建業を中心に人材を送り出している。


「今回は純粋にお詫びに来たのです。そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ?」


 身構える聖護と雪治をちらりと一瞥すると、鹿毛野と名乗った女性はそのままカウンターまで音もなく歩いて行く。そして両手を上げて敵意がないことを示した。


それでも……相手は忍者。


「忍者相手に警戒するなっていうのは、あまりにも不用心だぜ?」


「さすが、葛城様は手厳しいですね。それでも若大将様は信じていただけますか?」


 地上げ屋二人組とは明確に違う様子に、春雪は腕組みをしたまま、目の前の忍者と父親、そして修験者。さらに娘とその友人を見比べていた。


「承知しました。そういうことでしたら、まずはお掛けください。美雪、お客様にお茶をお出しして」


「本当にいいの? お父さん」


「おいっ! 春雪。こんなべっぴんさんでも相手は忍者だぞ!」


「父さんも落ち着いてください。まずは話を聞きましょう」


 どちらかというと昔気質で鉄砲玉のような雪治に比べ、春雪は熟慮するタイプである。


 仮にこの状況で何か良からぬ企てがあったとしても、判断するのは自分一人ではない。


それならば、話だけでも聞いてみよう。という気になった。


「俺と松平はどうしましょう? あんまり気乗りはしないが、お引き取り願うならなんとかします」


「ああ、松平様もお話はお聞き下さい。どのみち後でお伺いする予定でしたので……」


「おいおい、アタシの名前を知ってるのか?」


 少し驚いた様子で峰葉は目を丸くする。


「油断も隙もねぇな。松平のことも調査済みかよ!」


 やはり見目麗しくとも、相手は忍者。

自己紹介されたわけでもないのに、小百合は峰葉を知っている。


「松平峰葉様は那珂川松平家のご息女、徳川宗家の継承者で有らせられる徳川遠萌とくがわ・ともえ様を除いては唯一の未成年の将軍位継承権者となります。もっとも、水戸家徳川家の分家である以上はそのような機会はございませんでしょうけどね。今は町内会長である板倉様のおうちに下宿中でございますね」


 手にしたゴテゴテデコの手帳。

表紙には『くのいち忍法帳』と書かれている。

元は大手手帳メーカーが発売している忍者手帳シリーズだろう。


『DX携帯用葉隠』などと並んで人気の高い品だ。


「こいつ、美雪の交友関係を調べてたってことか?」


「ええ。私忍者ですので。大松屋周りの人間関係は、葛城聖護様のことも調べておりましてよ」


「俺もかよ!」


「残念ながら、まともな情報はありませんでしたけどね。将軍家縁者よりも情報が入手しにくいなどとは、よほどのVIPか馬の骨かどちらかなのでしょうか?」


「聖護のことはどうでもいい。お前さんらが地上げ屋を送ってきたことは間違いねぇんだよな?」


 雪治が話題を引き戻す。こういうところは、さすが数十年客商売を続けてきた古強者だ。


「はい。たしかに杉島虎吉すぎしま・とらきちと、竹浦龍蔵たけうら・たつぞうは、弊社の不動産部門の委託業者でございます」


「立ち退き協議が進んでいないのはわかります。それはいい」


「そうでございますね」


「でもそれでうちの店の営業を妨害していいって話にはならんでしょう」


「はい。美濃屋といたしましても、脅迫や暴力に類する行為に関しましては反省いたしております。二人にも厳重注意をいたしましたので、どうかご容赦願いたく存じます」


 ストン。と、どこから取り出したのかカウンターの上に菓子折が置かれていた。


「少しいいだろうか? たとえ大松屋が立ち退きを了承したとしても、町内会は首を縦には振らないとおもうぞ。まずうちのじいも納得はしないはずだ」


 峰葉が下宿している町内会長、板倉勝正いたくら・かつまさも、元は四千石の旗本。


 この宿場町と近くにある城跡の実質的な管理者である。地元の市議会議員だって黙ってはいない。


「近隣の皆様にも意見をおうかがいしましたが、まずは雪治様を納得させて欲しいとのことでした」


「ん? 俺か?」


「そうです。雪治様が納得すれば、板倉様も首を縦に振らざるおえないと」


「そいつは買い被り過ぎってもんだ。古くから住んでるだけで、そんな力はねぇよ」


 それでも。と小百合は説明を始めた。

この近所の人間にとっては大松屋は生活の一部なのだ。


 ここで年越し蕎麦を食べ、法事の料理を頼み、誕生日を祝う。

すでに生活の一部となり皆の心のよりどころになっている。と。


「補償として代わりの店舗をご用意してもいい。それどころか美濃屋グループとしてFC展開を考えても良いと社長はお考えです。特に将来を嘱望されていた春雪様のご希望に沿えるかと存じます」


「それならなおさらその条件を呑むわけにはいかねぇな。金で町の誇りを売り渡したと思われちゃあたまらねぇ。ちまちませこいことをやらずに町内会集めて美濃屋本人が出てきやがれ!」


「若大将様のご意見は?」


「料亭で修行していた僕に、その提案は魅力的です」


(えげつないことをしやがるな)


 聖護は思わず顔をしかめる。忍者は修験者とはまた違うやり方で心の隙を突く。


 雪治ではなく春雪に提案する形を取ったのも息子の方は料亭を志向しているとの考えだろう。

条件的には父子の対立が起きてもおかしくはない。


「だけども僕がどうして料亭をやめて戻ってきたかを考えてください。僕はこの店を継ぐために料理人になったんだ。それはこれからも変わらないでしょう」


 その答えに隣で聞いていた雪治も、黙って様子を見ている美雪も笑みを浮かべる。

何よりも宮代家の人はこの店が好きなのだ。


「承知しました。美濃屋にもその旨お伝えいたします」


「それと葛城様、よろしいでしょうか?」


「ん? 俺か?」


「以後は弊社とこの町との交渉でございますので、できればこの件からは手を引いていただきたいのですがよろしいでしょうか?」


「別に前の地上げ屋みたいに店に危害を加えるんじゃなければ、俺だって首は突っ込まないさ。大松屋のみんなに迷惑をかけるなら本気をだすがね」


 餌に食いつかないようなら引けと命令を受けているのか、小百合は無言で肯くとスッと玄関の方へ移動した。暗器の類いをもっていないかと微かな音も聞き逃さないように聖護は耳を澄ませてみたが、その様子もない。本当に丸腰できたのか?


「それでは、次回交渉の日取りの調整もございますので、またご連絡させていただきます」

来たときと同じく恭しく頭を下げて、彼女は後ろ手に玄関を開ける。


「それではごきげんよう」


 とびきりの笑顔で彼女は店を後にする。


「行っちゃったね。そこまで悪い人には見えなかったけど……」


 今まで蚊帳の外だった美雪がつぶやく。


「美濃屋も馬鹿じゃないってことだろう。何にせよこれでお店が狙われることはないんじゃないか?」


「峰葉ちゃん。町内会長さんにも伝えておいてくれ断ることを前提にしても、一度みんなで話し合う機会は設けよう」


「わかった。じいやにも伝えておく」


「それじゃあ、俺もこれで。美雪ちゃん、今日ははうどんありがとな」


「どういたしまして」


「聖護。お前にも迷惑かけたな」


「言いっこなしですよ。大将……ん? これは名刺!?」


 そろそろいい時間なのでカトリーヌを連れて帰ろうとした聖護は、雪治の胸に名刺が挟まっているのを発見した。それは先ほどの鹿毛野と名乗った忍者の物だった。


 誰にも気がつかれない間に名刺を差し入れるなど、腐っても忍者というところか?


「やっぱり油断も隙もあったもんじゃねぇな」


 花やウサギのイラストが描かれたやけに可愛らしい名刺を見ながら、一同は苦笑したのだった。


G県王柿市美濃屋町。


 カエルの鳴き声でも聞こえてきそうな、この辺りでは一番高い高さ50mの高層ビル。

東京あたりでは珍しくもないが、田舎ではまだまだ巨大建造物だ。


 田園の中にそびえ立つ姿は一種異様でもある。そこが美濃屋本社である。

その最上階。


「社長、ただいま戻りました」


「よく戻ったな。大松屋はなんと?」


 大人一人をすっぽりと包み込む、本革張りの社長椅子。

腰掛けているのはやや太り気味の初老の男。


 趣味のゴルフで日焼けしたその男は、白髪交じりのもみあげを指で弄ぶ。

その男。美濃屋会長、美濃屋膳兵衛みのや・ぜんべえは問う。


「申し訳ございません。あまりよい返事ではありませんでした」


「金ならいくらでも払うとは伝えたのだな?」


「はい、そんなに説得したいなら美濃屋本人が来いとのことです」


 飛騨忍者にして会長秘書である鹿毛野小百合かげの・さゆりは申し訳なさそうに報告した。


「私が直接出向く。だと? 相手が来るならばいくらでも会おう。だが、こちらが出向くとなれば話は別だ。せめて大松屋と板倉の爺様が頭を下げねばな」


 美濃屋は侍が嫌いだ。さも当然というように商人や町人に譲歩を求めてくる。

公武合体の後、光昭大帝が即位。天興年間には平民大老が出て幕府の改革が進むかと思われたが、結局は民選議会と対立して戦争に突き進み、先の大戦には敗れたではないか。経明60余年を経て正化の世になっても、未だに廃刀令すら出せぬこの国の何と遅れたことか!


 だからこそ美濃屋は金の力しか信じない。買える物は何でも買えばいいと考えている。

文化でも政治でも、金で変えられるならどれだけでも変えれば良いでは無いか!


 人の世は常に進歩しているのだ、その進歩を感傷的に否定するのは大凡論理的では無い。


「私から見たら再開発計画はあの町の人たちの利益になると思うのですが」


「そうだ。連中は伝統だなんだというが、あの町が宿場町になったのはたかだか300年間。だからこそ今後100年続く街造りをこの美濃屋がやろうというのだ。あの堅物の市長は金では動かんからな。奴らには何としてでも首を縦に振ってもらう必要がある」


 美濃屋は土木建築を中心にした巨大企業。

五大財閥には劣るとはいえ、この辺りでは最大の企業として知られている。

建築家としても有名なこの男は、自分の作品で世界を埋め尽くす野望を持っている。


 この美濃屋本社も自らの設計によるものであり、今回宿場町の再開発に目をつけたのも街を丸ごと作品に作り替えるという野心もあってのことだった。


「本当に困りましたねぇ」


 あごの下に手を当てて小百合は首を傾げる。


「会長、面目ございません。全てはこの杉島虎吉の責任です。姐さんも本当に申し訳ござーせん」


「あの、あの。さすがに姐さんはやめていただけませんか。虎吉さん」


 大松屋に地上げに来た角刈りの男、杉島虎吉は元博徒。すなわちヤクザ者である。


 この辺りを仕切る大きな組が潰れたとき、先代の親分のたっての願いで美濃屋に仕えることになった。

その虎吉が頭を床にこすりつけ美濃屋にひたすら平伏していた。


「いつもいっているだろう。脅しは起訴猶予になるぐらいにしておけと。私とて金で警察を黙らせるにも限度がある」


「申し訳ござーせん」


 不機嫌そうに告げる美濃屋の顔色をうかがいながら小百合は虎吉に頭を上げるよう促す。


「あの葛城聖護さん。たしかに虎吉さんのいうとおり本物の修験者でした。間合いに入ってたら確実にられてましたね。心臓バクバクでした!」


 颯爽と現れ颯爽と去ったかに見えた小百合だが、実は体術はとても苦手であった。


 不器用すぎて三歩も歩いたら足がもつれて転ぶようなドジっ娘なのだが、父親である飛騨忍者頭領の赤鹿毛あかかげが美濃屋の大学時代の同級生という縁で会長秘書をやっている。


「それはいい。虎吉。お前も与えた役割の中で最大限の仕事はしたのだ。この件からは手を引いて良い」


「はい。ありがとーございます」


 銃弾飛び交い刀やドスが乱舞する鉄火場をくぐり抜けたヤクザ者でも、真言などという目に見えない力には対抗のしようがない。これ以上の力押しは無意味だろう。


 映画やドラマの悪徳商人は失敗した下っ端を簡単に切り捨てるが、美濃屋はそういうことはしない。

人間とは一番金と時間のかかる部品だ。使える限りすり切れるまで使わなければ元は取れない。


 その方針を貫いているからこそ、美濃屋の社員は鉄の忠誠を彼に誓うのだ。


「小百合。やはりあの修験者には退場してもらうことにする。業者の選定を進めておいてくれ」


「かしこまりました」


 美濃屋の金の力を持ってしても素性のわからない風来坊。

それはどうも良くない予感がする。


 ならば不確定要素は全力で先に取り除くが商売のセオリー。

美濃屋はこれから先の戦略を練るために、ソファに身を沈めて静かに目を閉じた。


 ところ変わって大松屋。


「ふぇっくしょい!!」


 盛大なくしゃみをした聖護を峰葉はジト目で見つめていた。


「馬鹿でもカゼはひくんだな……」


「バカとはなんだバカとはっっっ!!」


「聖護さん疲れ気味? おうどん食べる?」


「ありがとよ、美雪ちゃん。真っ平らぁ。少しはお前も美雪ちゃんを見習って優しい言葉の一つも俺にかけてくれてもいいんじゃないか?」


「そーれ、カトリーヌ。メロンソーダだぞーー」


「わうっ♪」


 当の峰葉はというと、それ以上は興味も無いらしくカトリーヌにメロンソーダを与えてた。


「おい、お前。何買収されてんだよ!」


「グルルルル」


 飼い犬に手を噛まれるとはこのことか?

めっちゃ牙をむき出しにして威嚇するカトリーヌ。


「こら、カトリーヌ。気持ちは嬉しいがお前の主人はここの葛城だ。お前も侍の心があるなら、忠義だけは忘れてはならんぞ」


 普段からは想像もできない優しい声で、犬に人の道を説く峰葉。

どれだけ傾いていようと、こういうところはやはり武家のお嬢様。


 カトリーヌは寂しそうにうなだれていた。


「いつもそんな感じにはできないもんかね、真っ平ら」


「松平だ。お前はアタシに対して礼節がなっていない。それではカトリーヌ以下だぞ」


「わかりましたよ。お姫様。少しは気をつけることにする」


「よろしい。美雪。今日はこいつにレモネードでも出してやってくれ。暖まるだろ?」


「ふぅん。峰葉ちゃん最初っからそのつもりだったんじゃないのかなぁ?」


「馬鹿を言うな。カトリーヌのついでだ。本当だぞ!」


 彼女の真意はわからない。だがどうも変な胸騒ぎがするのは本当だ。

聖護は大人しくその好意に甘えることにした。


 その日の夜。再び美濃屋本社。

小百合は今日一日掛けて用心棒の人選を終わらせていた。


 一人、とてつもない大物が見つかったが、さすがにそこまでする意味は見いだせなかった。

それでも、見つかった以上は報告するのが秘書の努めである。


「会長、例の委託業者の選定は終わりましたが、本当によろしいのですか?」


「目には目をという奴だ。あの修験者は排除せねばならぬ」


 そういうと手元の受話器をたぐり寄せ、電話をかける。

プルル、プルルと呼び出し音が鳴り相手が出た。


 名前だけ確認すると美濃屋は用件を告げた。


「ターゲットは修験者、葛城聖護。先生……よろしくお願いします」


三話と四話を一つにまとめました。

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