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旗本 松平峰葉

 大松屋。


 今日は昼の休憩時間に美雪の友人がやって来た。

聖護も本日は依頼も無いようで、いつものように競馬新聞片手にご飯。である。


「それでね、聖護さんすっごいカッコ良かったんだよ。ピキーーン、ズシャーーって感じでさぁ」


 一週間前にならず者達を追い返して以後も、連中は何度もやってきた。

そのたびにこっぴどくやり込められるのを見てきた美雪は興奮気味にそう語る。


「いやいや美雪ちゃん。あんまり大きな声で話す話じゃないし、できれば黙っていて欲しい」


 今日もメロンソーダをうまそうに飲むカトリーヌの背中を撫でながら、浮かない顔でそう告げた。


「あたしからみれば、それはただの薄汚い徘徊者にしか見えないがな」


 不機嫌そうに指摘するのは一人の少女。


「うるせー。真っ平ら! 余計なお世話だ!」


 心外だとでもいうように、吐き捨てるようにいったその言葉に少女はピクリと体を震わせた。


「だーーーーれがまったいらか。アタシには松平峰葉まつだいら・みねはというきちんとした名前がある! お前こそまちぶせの癖に生意気だぞっ!」


「こら、人を付きまといみたいに言うんじゃない。人聞き悪すぎだろ!」


「アタシは本当のことをいったまでだ。山に潜むのが山伏なら町に潜んだら町伏じゃないのか?」


「山伏と言っても一年中山に籠っているわけじゃないし、俺は生活の比率を少し町に傾けただけだ。いうなればシティーボーイだ」


「なーにがシティボだ! まったく美雪もこんな漫画の世界から出てきたみたいな奴にホイホイついていったらだめだぞ」


「いやぁ、でも峰葉ちゃんがそれをいうのはちょっと説得力がない気がするよ」


そうなのだ。さっきから聖護のことを不審者扱いしている峰葉の外見はというと、まさに漫画の世界から出てきたと言わんばかりの金髪ツインテール。


 しかもご丁寧にアイスブルーのカラーコンタクトまで入れている。どこから見てもただのコスプレ女学生だ。


「美雪、この外見はむしろ運命ともいえる」


「う、運命。でも、峰葉ちゃんの家って旗本なんでしょ? すっごいお嬢様じゃない。それでいいの?」


「その通り! 我が那珂川なかがわ松平家は水戸徳川家のお膝元にある。かの水戸光圀公も若い頃は

傾き者として知られていた。だからアタシが傾くのも当然。いうなればビヨンドザお嬢様。ピリオドの向こう側の女ってやつよ!」


 峰葉は美雪の通う高校の同級生。


 見た目通りというか、育ちの割にというか、かなりの変わり者。

家柄もさることながら、このロックンロールな生き様だ。


 学校でも町でも人気はあるけれども、破天荒すぎて友達はあまりいない。

それでもマイペースな美雪は、素直に近所に住んでいる峰葉と仲良くなった。


 家が近いこともあり、峰葉も暇さえあれば大松屋に遊びに来るのだが、そこに割って入ったように見える聖護が気にくわない。


「よし、そういうことにしておいてやる。だから俺がシティーボーイなのに異論はないな? 真っ平ら」


「だから真っ平らではなくて松平だ!」


 峰葉は憮然とした様子で言い返す。


「聖護さんも蒸し返さない。峰葉ちゃんの胸だってこれからどんどん成長するよ」


「美雪。ごめんそれはフォローになってない」


 着物で押さえつけてはいるが、美雪の胸は小さくはないことを峰葉は知っている。身長は美雪よりも少し低い位なのだから神様は不公平である。


 そして峰葉が聖護を警戒する理由の一つはそのことと大いに関係がある。


 いまだ峰葉の胸は発育途上。即ち貧乳に分類されるが、それをいちいち揶揄するのはデリカシーなさ過ぎなんじゃないだろうか?。


「なんだ。フォローが必要なのか?」


 何気なく放たれたその言葉は、峰葉の堪忍袋の緒を切った。

それどころか堪忍袋そのものをを爆破した!


「言ったな修験者。武士を愚弄したな! うどん屋だからという理由ではないが手打ちにしてやる!」

興奮気味な峰葉とは対照的に、すました様子の聖護。


 それだけに余計に峰葉の怒りもかきたてられようものである。


「ねぇ、だからふたりとも落ち着こうよ……」


 仲裁を試みる美雪の言葉も二人にとっては焼け石に水。


「いいや、美雪はだまっていてくれ。今日こそ決着を着けてやる!」


「そうだぜ美雪ちゃん。これは俺たち二人の問題だ」


 いつもならこんなやり取りが数十分繰り返されるのだが、二人に話しの腰を左右からベキベキと折られ、のんびり屋の美雪の我慢も限界に達していた。


 聖護も大切なお客さんだし峰葉も友人だ。


 それなのになんでこの二人は顔を合わせるたびに喧嘩になるのか?

二人に仲良くしてほしいと思えば思うほど、この理不尽な状況への怒りが沸いてきた。


 そう思った瞬間、美雪は思考するよりも早く行動に移っていた。


 バンザイをするように大きく両手を振り上げ……。


 バンッと机の上に叩きつける。


「うん。ふたりともおうどん食べよう」


 感情の消えた瞳で、唐突に美雪がそう宣言した。


「ええっ!? アタシ今ダイエットちゅ……」


「美雪ちゃん、俺も穀断ちの……」


「いいからふたりとも、お・う・ど・ん・た・べ・よ・う」


 二人の抗弁を無視して美雪は奥にいる雪治を呼ぶ。


「お爺ちゃ~ん。かき揚げうどんふたつ~~私の奢りでね~」


「応ーーーー」


 店の奥から響く雪治の声。午後の仕込みをしていた春雪も無言でかき揚げの準備を始める。


 こうなったらもう止められない。

美雪の自慢のおうどんストリームに全ての話題は流されるのだ!


「うん、きっと会話が殺伐とするのもお腹が減っているせいだよ。お爺ちゃんのおうどん食べたら、たぶん幸せな気分になれるよ」


 聖地に赴く巡礼者の顔で美雪は微笑んだ。その表情に修行中に見た行者たちの顔を聖護は思い出す。

これは何か強い信念に突き動かされた人間だけが見せる表情だ。


 こういう人間はだいたい梃でも動かない。

店の奥ではかき揚げのあがるシュワシュワという音だけが聞こえていた。


 まもなく、運ばれてくる大松屋名物かき揚げうどん。


「いただきます」


「いただきます」


もう逃げも隠れもできない雰囲気に聖護と峰葉は覚悟を決めて手を合わせる。

 

 ズズズ……。


 関西風の琥珀色のものよりほんの少し濃いめの飴色なめんつゆ。

大将が丹精込めて打ったコシが強く噛むと口いっぱいに風味の広がるうどん。


 そして玉ねぎ、ゴボウ、にんじんと桜えびで風味付けされたかき揚げ。

ゴボウは一度せいろで蒸されているので苦もなく噛み切ることができ、玉ねぎとにんじんは絶妙な熱の通り具合。料亭で学んだ春雪の技が生きている。


「やっぱ、大将のうどんはうまいなぁ」


「これが別腹というやつか!」


 学校でも美雪がうどんを食べればたいていの嫌なことは忘れるといっていたが、この味なら納得だ。


 旗本の娘として生まれた峰葉は食べ物にはちょっとうるさいが、目をきらきらさせながら食べている。


 聖護もうまいといったきり、かじりつくように一心不乱に食べていた。

先ほどまで言い争いはなんだったのかというような穏やかな時間が流れていく。


 二人の口喧嘩を嬉しそうに眺めていたカトリーヌも二人の豹変に不思議そうに首を傾げていた。


「ところで葛城。さっき美雪がいっていたピキーンとかズシャーって、なんなの?」


「たぶん大威徳明王真言のことだ。本来はもっと大きな護摩壇を用意して、大がかかりな儀式を行う修法だな」


「つまり、この前地上げ屋の人に聖護さんがやったのは略式ってこと?」


「その通りだよ。本来は相手の敵対意識と勢力を削ぎ、徐々に衰滅させる呪法だな」


「おいおい。そんな物騒な呪文は、祈りじゃなくて呪いじゃないのか?」


「そう、あんたの言う通り呪いだ。怨敵調伏おんてきちょうぶくといって、昔は仏敵や国家の敵とされた連中を呪い殺す目的で儀式が行われた」


「いくらチンピラ相手とはいえ、そんな物騒な呪法を使ってよかったのか?」


「うんうん。立ち退きとか絶対に嫌だけど、あの二人が少しかわいそうになってきたよ」


 明らかに不安そうな顔の女子高生二人。


「そこは本式じゃないからな。あくまでもやる気を無くさせる。そう……催眠術みたいなものだ」


 最後の催眠術の部分で少し視線を逸らしたのを峰葉は見逃さなかった。


「ちょっと待って。『みたいなもの』って、すごい不安なんだけど!」


「みたいなもの。ではだめか?」


「うん。ダメだ」


「峰葉ちゃん。聖護さんも困ってるみたいだし、それくらいに……」


 なんだかあまり深く追求されたくない様子の聖護。でも、もしも後ろ暗いことがあるなら、それは明らかにしておきたいと峰葉は考えていた。


 多少口が悪いから言い争いにはなるが、いうほどこの葛城聖護という男は悪いやつではない気がする。


 それだけに怪しげな術を使うというのが気になるのだ。


「仕方ないな。論より証拠か?」


「そうだ。アタシは自分の目で見たことしか信じない」


 少し困ったような表情を浮かべる聖護。それでも峰葉は引くつもりはない。

もしもその怪しげな術で親友が騙されたりしても困るからだ。


 その真剣な眼差しを受けてか、目の前の修験者の表情が一変する。

今まで抜け殻だった人形に魂が籠もったような瞳の輝き。


 スーーーっと大きく息を吸い込む身体は獣のような躍動感で印を結ぶ。


【オン・アニチヤ・マリシエイ・ソワカ】


【オン・アニチヤ・マリシエイ・ソワカ】


ビリビリと空気を震わせる祈りの声。

陽炎の神、摩利支天の真言が唱えられる。


「おい、修験者! それはどういうっ!!」


【オン・アニチヤ・マリシエイ・ソワカ】


 驚く峰葉を意にも介さず唱えられた真言は七度。

握りしめた左手を右手が覆い隠すように結ばれた印がゆらりと揺れた。


 そして…………峰葉の前から今の今まで目の前で呪文を唱えていた聖護が忽然と消え失せた。


「ちょ、ちょっと美雪。何これ? なにこれ?」


「何これって。何も変わってないけど?」


 美雪には目の前の友人が何に驚いているのか皆目見当もつかない。


「そんなわけないでしょ。修験者……葛城の奴はどこにいったの?」


 慌ててキョロキョロと周囲を見回す彼女を美雪は狐につままれたような表情で見ている。


「えーーっと峰葉ちゃん。それって冗談でいってるんじゃないよね?」


「これが冗談をいってる顔に見える?」


「ううん。それは見えないんだけど」


 美雪は峰葉の背後の何もない空間を見ている。

どうやって答えたものか、決めかねているようだ。


「松平さん。聖護君ならさっきから一歩も動いていないよ」


 見るに見かねて奥のカウンターから春雪が声をかける。


「そんな。もしかしておじさんにも美雪にも、修験者は見えているのか?」


 狼狽している峰葉の問いに二人は無言でうなずく。

つまり、聖護の姿は峰葉にだけは見えていないのだ。


 宮代親子の見ている聖護は、そのまま前に一歩進んで峰葉の頭に手を乗せた。


「ふにゃあっ!」


 ポンと不意に自分の頭に出現した温かいものが触れる感触に、峰葉は猫のような叫び声を上げた。


「ど、ど、ど、どういうことのなの?」


「聖護さんは普通に手を伸ばしてポンってやっただけだよ。ね、お父さん?」


「僕たちにはそう見えたな。ところで聖護君、今のはいったいどういう仕掛けなんだい?」


 自分の頭を両手で押さえながらまだ現状が飲み込めていない様子の峰葉。


「今のは摩利支天隠形法。松平は無意識に俺の姿を視界に入れないようにしてたんだ」


「無意識に……だと」


「そうさ、美雪ちゃんや春雪さんのいう通り、俺は一歩も動いちゃいなかった」


「それじゃあ、なんで見えなくなるんだ?」


「この呪法は相手の意識と視線を逸らさせる。つまり強制的に死角に入り込む術だな。これで信じてくれるとありがたい」


 強制的に死角に入り込むというのは合理的な説明のようにも感じるが、

真言とかいう呪文でそうなるなら、本物の呪術のような気もする。


「つまり、全部葛城の催眠術なのか? それじゃあ世の中には神も仏もいないってことか?」


「それは違う。神仏はいるさ。ただ人間に都合よく何かをしてくれるわけじゃない。それは覚えておいてほしい」


「それなら聖護さんのお祈りって、どうしてやってるのかな? お願いを叶えてもらうためじゃないの?」


「美雪のいうとおりだよね。思い通りにならないのに、どうして御利益とかいえるのか」


「どこから説明したものかな。さっきのは摩利支天隠形術で、この前のは大威徳明王真言。起こしたい奇跡にたいして、祈りを捧げる対象は確かに違う。だけどその神仏が直接語りかけてこない以上、俺たち行者はその奇跡を起こしてくれる何かは仮定するしかないんだよ。本物かどうかは断言できない」


「神様(仮)とか催眠術(仮)か。たしかに『みたいなもの』としかいいようが無いんだな」


「峰葉ちゃんは今の説明でわかったの?」


 美雪にはさっぱりわからないのだが、峰葉はどうやら理解できたらしい。


「昔の偉い行者なんかは神仏と直接対話したなんて話も聞くが、俺たちは先達が起こした奇跡を真似しているだけにすぎないからな。見えない、聞こえない以上は結果から連想するしかない」 


「だから聖護さんはあんまりやりたがらなかったのね。それで現実の安心は現実に対処できる方法でっていってたんだ」


 虫除けの祈祷で殺虫剤を焚くのはどうなんだろうと前に聞いたときは思ったが、それは安易に神仏に縋りたくないという聖護の真面目さだったのではないか?


 その気持ちはどうやら峰葉にも通じていたらしく何度も頷いていた。

怪しい男ではあるが信仰心は本物なんだろう。


 ただ験力を売り物にする修験者の呪法嫌いはどうなんだろう。


「なんだよ。たまには聖護もまともなこといいやがるじゃねぇか。神頼みなんてものは困ったときにするもんで、普段のお詣りは信仰心の貯金みたいなもんだと思っておけってことだな」


 今の今まで店の奥で黙って話を聞いていた雪治が唐突にそういった。


「大将! なんでそれを知ってるんだ。そいつは俺の師匠の口癖なんだが」


「いっただろ? 子供の頃に見た修験者さんはお前と違って真面目だったんだ」


「そうか、師匠の兄弟弟子筋の誰かが来ていてもおかしくはないのか」


「ハハハ、僕も子供の頃は親父によくその話を聞かされたものだよ」


 腕組みをしながら春雪もにやりと微笑む。

そういう親近感があったからこそ、大松屋は暖かく聖護を迎え入れてくれたのかもしれない。


ガラガラガラ……。


 その時、また店の戸が開いた。

いつものチンピラ達かと思って男たちは身構えるが、そうではなかった。


 戸口に立っていたのは二十代半ばの眼鏡の女性。

肩口を超える黒髪とやや長めのスカートが印象的な青いスーツ姿。


 肌の色は透き通るように白くてなかなかの美人だ。

落ち着いた様子で店内を見回しながらペコリと頭を下げた。


「我が社の委託業者が大変なご迷惑をおかけしました。私は美濃屋膳兵衛みのや・ぜんべぇの名代として参りました秘書の鹿毛野小百合かげの・さゆりと申します。以後お見知りおきを」

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