都市型修験者 葛城聖護
時は西暦2001年。
先の大戦で東都の幕府を主体とした体制は滅び去り、民主国家となった日本国。
駅前のビルの液晶ビジョンには『帯刀は二十歳になってから!』と、
刀を手にニッコリ微笑むアイドルが映しだされるようなそんな世の中。
もっとも最近はサラリーマンも盆と正月以外は二本差しをする者はすっかり減ってしまい、
屋台の刀掛けも、もっぱら傘立てになっている始末。
根付や印籠は女子高生の必須アイテムになってしまったし、
この数十年で世の中はあまりにも様変わりしてしまった。
昔のように信心深い人々も最近は少なくなり、檀家も減ってお寺も大弱り。
普通の寺院でさえそうなのだから、いわんや流浪の修験者なんて押して知るべし! である。
修験者とは山野を巡り超常の力である験力を身につけ、衆生の救済を目指すという。
本来は深山幽谷で厳しい修行を積み禁欲的で節制した修行生活を送っているとされている。
俗に天狗の姿とも言われる山伏の装束に身を包み、山から降りて験力を里の人々に授けるそうだが、そんな需要も今はダダ下がり。
お正月や節分などのイベントでも無い限りは、ただの徘徊者と見分けがつかない。
特に最近では虚無僧や修験者を装った詐欺師も横行しているから、
少しでも不審な素振りを見せようものなら、すぐに刀を振りかざしてお巡りさんが飛んで来る。
もちろん戦前のように切り捨て御免というわけにはいかないから、比喩ではあるのだが……。
悪名高きダンダラ――――警視庁武装機動隊でもなければ、せいぜい職質くらい。
かつてはどこにでも見られた光景もすっかり見られなくなってしまった。
それでもこの21世紀に修験者は生き残っていた。
これは現代に生きる風変わりな修験者の物語である。
大松屋は駅前の少し奥まった場所にある定食屋。
大将と呼ばれる店主、宮代雪治はもうすぐ八十にも届こうかという硬骨漢だが、
うどんにかけては町でも一番といわれるこだわりを持つ名物職人。
その息子で若大将、宮代春雪も若い頃は有名店で修行を積んだ料理人である。
大将は高齢なので店の奥でドッカと腰をおろし、うどんの注文が入ると時代劇の用心棒みたいに「どうれ」と出て来る。
今ではそのうどん作りの様子は街の名物にもなっていた。
その他のメニューの注文は若大将が黙々と仕上げているが、うどんだけは自分の目の黒いうちは譲る気はないとばかりに腕まくりでやってくる。
そして接客を任されているのは、孫娘の宮代美雪17歳。
市内の普通科高校に通いながら休日は店の看板娘として働いている。
長くつややかな黒髪を結い上げて、大きな黒目がちな瞳は年齢よりも幼い印象を与える。
紬の上に割烹着を羽織り、パタパタと忙しなく店の中を歩く様は蝶の様にも見えた。
一見すると鄙びた様子の定食屋だがそこは老舗、味にも着物にもこだわりを持っている。
お昼の忙しさも一段落し午後の仕込みに備えてのれんを下げた店内には、常連の若い男。
若い。とはいえもうすぐ三十路にもなろうかという風体だ。
ひときわ異彩を放つのがその格好である。
山伏装束の青年が町の定食屋で競馬新聞を横見に見ながら食事をしている。この光景が異様でないはずがない。
これが営業時間内だったら、ご入店。回れ右して、ご退店。なんてことにもなりかねない。
しかも足元には犬!
オレンジ色の短い尻尾に長い口、どことなく精悍さを感じさせる犬はこの男の相棒である。
修験者の仕事が無い時には駅前で芸など披露して小銭を稼ぐ殊勝なお犬様なのだ。
だからといってペット同伴可な食堂なんてそうそうあるはずもなく、
そういう事情もあって常連ではあるがこの男は店じまい間際に来ることが多い。
「それにしても今日はずいぶんと豪勢だよね」
美雪は食器を片付けつつテーブルを拭きながら男に話しかける。
「さっきも春雪さんと話してただろ? 今日は臨時収入があったのさ」
「それは小耳にはさんだけど、たしか護摩と称して殺虫剤を焚いちゃったんですよね?」
「そうそう。祈祷だけで害虫が居なくなるなら製薬会社も上がったりだぜ」
「そんなことして怒られたりとか……しないんですか?」
「もちろん祈祷には手を抜かない。でもさ美雪ちゃん。向こうも現世利益を求めてるんだ。心の安心は俺たち修験者が与えられるが、現実の安心は現実に対処できる方法じゃないとな」
話しかけられた男は教鞭代わりとでもいうように箸を振りながらそういった。
男は修験者。名を葛城聖護という。
「ふーん。そういうものなのかなぁ」
話によると午前中に祈祷の仕事が入ったのだが、害虫退散の祈祷をして欲しいとの近所の老婆の依頼に、市販の燻蒸剤を利用して仕事を済ませてきたのだという。
その言葉に美雪は釈然としないといった表情。
「そんなインチキみたいな仕事してても依頼は来るっていうんだ。不思議なもんじゃねぇか!」
「インチキじゃねーよ。大将! これでも依頼自体は毎回キチンと解決してるからな」
「そんなもんかねぇ。俺が子供の頃に見た修験者さんはもっと真面目だった気がするんだけどねぇ」
振り返りもせず、奥でお昼のワイドショーを見ながら大将はそういった。
「時代が違うんです。聖護君は何でも屋みたいに頼りにされてるみたいですよ」
厨房で洗い物をしていた若大将は少し気の毒そうにチラリと客席の聖護に視線を移しながら、奥の雪治に反論する。
「春雪さん。これでも真剣にやってるんですから何でも屋はちょっと……」
若大将は自分をかばってくれているのだろうが、聖護は複雑そうな笑みを浮かべ肩をすくめる。
「わたし達から見たらお父さんの言う通りかも!」
「そんな! 美雪ちゃんまでそう思ってたのか!?」
町でも噂の奇人変人。葛城聖護の評価はそれに尽きる。
その一見奇行にしか見えない数々の行いは美雪も何度も目撃している。
「だって聖護さん駅の噴水で水浴びしたし!」
「ああ、あれは滝行の代わりだ」
本来は滝に打たれて精神を研ぎ澄ます修行だが、落差2m程度の噴水では水浴びにしか見えない。
しかも夏の最中にやるものだから、見た目はただの行水である。
いつのまにやら近所の小学生たちが集まって、一緒に手を合わせていたあの光景は忘れろという方が無理。
「それに命綱一本でビルの窓拭きもしてたじゃない?」
「それも回峰行の代わりだ」
これも道無き道を駆け巡り自然と合一する行だが、小銭稼ぎにもなるのでやってみた。
だが、想像してみて欲しい。
窓の外に張り付く修験者の姿を! 絶対にビビる。間違いなく!
その次の日のスポーツ新聞にはに天狗が出たと一面トップで書かれていた。
「法螺貝はボタンを押したらネコ踏んじゃったが流れてくるのに?」
「町中で吹くとうるさいからな。客寄せ用におもちゃを仕込んである」
営業トーク。といってしまえば元も子もないのだが、素通りされないコツの一つは、子供の心をつかむことだ。
童謡の流れる不思議な法螺貝に引き寄せられた子供の親が依頼人になることもある。
都市の中で修験者が生き残るためには必要な進化だと割り切れば案外楽しめたりもする。
他人になんと言われようと聖護はそう考えている。
「そういう商売っ気の強いところが、いかがわしいってんだ」
呆れた様子の大将。
「まぁもっともお前のお陰でこちとら質のいい山菜を確保できるんだけどよぉ」
「こっちだって大松屋は大事なお客様ですからね。大将にはいつも感謝してる」
この男、月に何日かは山に入って修行するので、そのたびに山の幸を仕入れてくる。
そこが大将の食材へのコダワリと見事に合致。
代金の一部を食事として物納してもらっているのだ。
拝み屋の仕事が無い時は、愛犬ともどもこの店の世話になっている。
「そういえば聖護さん、いつもダイエットかなんだか知らないけど野菜しか食べないよね」
美雪はいつも不思議に思っていたのだ。
この男はお米を滅多に食べない。
時々はうどんや丼ものを食べることもあるが、いつも野菜の塩ゆでしか食べない。
今日は他にも山菜の天麩羅や沢庵漬け、けんちん汁など所狭しと皿を並べている。
「そこは俺も修験者だからな。これは穀断ちといって立派な修行だ」
穀断ちは穀物などの主食になる食物を口にしない修行。
五穀断ち、十穀断ちなどがあるが穀物を口にしないことで身を清める苦行の一種だ。
「うっわぁ……そう聞くとなんだか真面目に修行してるみたいじゃない?」
「俺は都市型修験者なだけで極めて真面目に修行してるつもりだぜ」
「修験者に都市型なんてあるの?」
「そりゃあお山に籠もってないからな。お寺に住んだらタダの坊主だ」
「わたし疑問なんだけど、そもそも修験者ってお坊さんなの?」
「そうとも言えるしそうでないとも言える。神仏習合っていって祝詞もあげるし神様だって祀る」
「なんだかごちゃ混ぜっぽくてよくわからないなぁ」
説明を受けても美雪にはよくわからない。
山伏は山伏だと思って考えない方がいいのだろうか?
テーブルを拭く手を止めて首を傾げる美雪の足元で低い唸り声を上がる。
「ワウッ」
見るといつのまにやら皿が空になっていた。
「はいはーい。カトリーヌはメロンソーダのおかわりね」
空になったお皿にメロンソーダを継ぎ足す。
「ワウッ♪」
カトリーヌと呼ばれた犬は満足そうに吠えた。
なぜかこの犬はメロンソーダが大好物なのだ。
「でも、聖護さんってどこからどう見ても和風なのになんで犬の名前はカトリーヌなんだろう」
「なんでだろうな?」
聖護が頭をさすりながら話しかけると、お腹を向けてゴロンと転がるカトリーヌ。
そんなことは興味が無いとでもいうように逆さ向きのままお皿を舐めている。
だが実はカトリーヌというのは美雪の勘違いにすぎない。
本当は名前などないこの犬を、聖護が「蚊取り犬みたいなものですよ」といったのを、カトリーヌが名前だと思い込んで今に至るというわけだ。
くねくねと体を動かして器用にメロンソーダを飲むその姿に奥の二人も動きを止める。
かきいれ時の喧騒も止んだ静かな店内には穏やかな時間が流れていた。
だがその時、大松屋の年季の入った桧造りのガラス戸がガラガラガラッと、音を立てて開いた。
「おうおう、爺さんよ今日こそ返事を聞かせてもらうぜ」
「ッシャおらぁぁ。アニキ待たせんじゃねぇぞ。ああん?」
入ってきたのは二人組の男。
肩で風を切るように入ってきた角刈りの男は入ってくるなりそう凄んだ。
その隣でいかにも舎弟ですと全身から主張する金髪剃りこみの男も店内にガンを飛ばしていた。
「まだお客さんがいます。お引取り願えませんか?」
穏やかな口調とは裏腹に鋭い目つきで春雪が店の奥から二人組を睨む。
「若旦那ぁ。あんたには聞いてねぇんだ。この街の未来の為に、是非ともこの土地を譲って欲しいっていってんだ。そりゃあ協力するのがスジってもんじゃねぇですかねぇ?」
この二人組はいわゆる地上げ屋。
駅前の再開発に伴ってこの辺りを公園にするという計画があるのだが、地権者たちの説得はなかなか進んでいない。
そこで計画を進める側は町内でも発言力の強い雪治に目をつけた。
「おいジジィ!! あんま調子くれてっと車椅子と人車一体にすっぞおらぁ」
金髪剃りこみの剣幕に美雪などはすっかり身動きがとれない。
「おい小僧ども」
置物のようだった雪治が奥の部屋からノソリと店に姿を見せる。
「爺さん。今日こそは首を縦に振ってもらうぜ」
ズカズカと踏み込んだ角刈りの方は頭突きでもするのではないかというくらい顔を寄せて、威嚇するように雪治にガンを飛ばしている。
「春雪。塩を持って来い!」
そういうと額を角刈りの額に擦りつけてグイグイと押し返す。
「いいか、小僧。よく聞け。あんたらの言う町の再開発には俺だって賛成だ」
「だったらなんで立ち退きに応じてくれねぇんだ?」
「だがな昔っからの町をぶっ壊して新しい町でございってのは違うんじゃねぇのか?」
計画ではこの周囲の家を立ち退かせて新たに堀をつくるそうだが、江戸時代から続く宿場町を勝手に変えられてはたまらない。
しかも昔からの住人を追い出してマンションを作り、マンションの資産価値を高めるためだけに、歴史ある宿場を真っ二つにするのだという。
雪治の勢いに角刈りはジリジリと後退する。
「おいぃ。アニキから離れ……」
角刈りから雪治を引き離そうと掴みかかろうとした金髪の動きが止まる。
口をパクパクさせて驚いた目で周りを見ているが、そこから一歩も動けない。
「まあまあ大将そこまでにしておこう。それに兄さんも少し離れようぜ」
場違いな笑顔で二人の間に聖護が割って入る。
「聖護!?」
「き、貴様は?」
「見ての通りの修験者さ。この店が無くなると俺としても困るんだ。ちょっと今日は帰って来れないかな?」
雪治や美雪に掴みかかれないようにスッと立ち位置を変えてならず者の前に立ちはだかっていた。
「なんだぁ。修験者だぁ? てめぇに何の関係があるんだ? タツ、構わねぇこいつはやっちまえ!」
「アアアアア、アニキィ!!! かかかか身体が…………おかしいんだ!!!!」
先程動かなくなったタツと呼ばれた金髪は額からダラダラと冷や汗を垂らしてそう叫んだ。
その場から一歩も前に進めないようで泣きそうな顔で角刈りを見ていた。
「おいてめぇ! タツに何しやがったぁ」
目の前の男が何かしたに違いない。とっさに聖護の胸ぐらを掴む。
「聖護さん!!!」
店内に美雪の悲痛な叫び声が響く。
胸ぐらを掴んだまま殴りかかろうと男が拳を振り上げる。
聖護は抵抗せずに手元でなにやら印を結んでいた。
【オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ】
たしかに口元がそう動いた瞬間。
まさに聖護を捉えようとした男の拳が力が抜けたようにダラリと垂れ下がる。
「あ。ああん?」
いま目の前で起きたことが信じられないというように自分の腕に力を込める角刈り。
【オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ】
次は胸ぐらを掴んだ手がダラリ。
「アニキ!! アニキィ!!!」
その異様な光景に背後の金髪は必死に呼びかける。
【オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ!!!】
手元で目まぐるしく印が動きひときわ大きな呪文が響き渡る。
稲妻に撃たれたように男の体がビクリと跳ねた。
そしてその場で踵を返すと感情のない声でいう。
「おい、タツ。今日は帰るぞ」
「え? どどどどうしちまったんだ。アニキ?」
「帰るぞ。タツ」
もう一度そういうと舎弟の手を引いて歩き出す。するとどうしたことだろうか。
前には一歩も進めなかった足が驚くほど簡単に動く。
何が起こったのか全く理解できないが、おそらく目の前の男の仕業だろう。
「お、覚えておけよ! 次に来たらただじゃ済まさねぇ!」
手足をジタバタさせながら捨て台詞を吐いて舎弟は引きずられていった。
姿が見えなくなったところで聖護は印を解く。
「聖護さんっ!!」
ふぃーっと大きく深呼吸した聖護に美雪が駆け寄る。
「やれやれ、災難だったな大将」
「お、おう。今のはおめぇがやったのか?」
事態の急展開に雪治は狐につままれたような顔で立っていた。
「大威徳明王真言。怨敵退散を願う、そうですね……催眠術みたいなものだと思っといてください」
そういうと再びカトリーヌの待つ自分の椅子に腰を下ろした。
「ありがたい話だけど聖護くんは連中に目をつけられたりしないかな?」
「そうだよね。お礼参りとか来たら大変だよ!」
揉め事になる前に連中が退散したのは嬉しいが、聖護の身は心配だ。
宮代親娘は顔を見合わせて何度も頷いている。
「大丈夫ですよ。連中とは鍛え方が違いますから。次になんかあったらまた言って下さい」
笑顔を浮かべて聖護がいう。
足元では何事もなかったかのようにカトリーヌがあくびをしていた。
葛城聖護。彼は『本物』の修験者である。
この物語は現代社会に生きる都市型修験者と彼を巡る数奇な運命の物語である。