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プロローグ

 中学一年生の夏、蝉が休むことなく鳴く日。湿度が高く粘るような暑さを孕む部屋。いつもどおりの日常。

 親は両方とも出かけていて、家には妹と二人きりだ。小学四年生の妹と俺のあいだに広げられているのはおままごとセット。俺は苦笑を浮かべつつ相手をしてやる。

「じゃあ、あたしがお嫁さんでお兄ちゃんが旦那さんね!」

 疲れることを知らない妹は、太陽にも負けないぐらい元気な笑顔を浮かべている。親から面倒見てね、と言われていたので反対せずそのまま妹の指示に従う。

「おかえりなさい、あなた。ご飯にする? おふろにする? それともわ、た、し?」「おいまてそんなのどこで覚えた!?」

 きょとんとした顔で妹は小首を傾げる。

「お兄ちゃんの部屋の本棚の参考書の裏側にあった漫画に書いてあったよ?」

 脇に嫌な汗をかく。脳が警鐘を鳴らす。ヤバイ。これはヤバイ。絶対見つからないと思ってたのに。おそるべし妹よ。

「なんか男の人と女の人が裸でごちゃごちゃしてて気持ち悪かったんだけど。お兄ちゃんあれ何?」

 安堵の息を吐き出す。良かった。中身のほうはまだ知識がないようだ。助かったと見て良いだろう。

「ああ、いや、あれは……」

 だがしかしストレートに答えることができず誤魔化すしかなくて、どんどん妹の目つきが険しくなっていく。

「………………」

 やがて語彙の少ない俺は沈黙してしまう。

 救いの手は全く予想もしてなかったところからやってきた。そしてそれは救いの手なんじゃなく、日常を引き裂く破滅だった。

 突如頭上で板が叩き割られる音がしたかと思うと、ぱらぱらと木片が降ってきた。

「――有沙(ありさ)ッ!」

 俺は咄嗟に妹を抱きかかえて自身もぎゅっと目を瞑る。

 次いで何かが床に降り立つ音。ゆっくり目を開けると、厳つい顔をした白髪もじゃもじゃが立っていた。俺は抱く手を強くしながら口を開く。

「……誰?」

 白髪のおじさんは威厳のある声で答えた。

「わしは神じゃ」「いやおかしいだろ!」

 自称神様のおっさんは心底意外だと言わんばかりに身を仰け反らし、もう髪の毛が無い――つまりハゲた――てっぺんを指差すと、

「ここの後光が見えんのか?」「ハゲてるだけだろ」

 いや、待て。ハゲてもいるが確かに光もあるような気がする。擬音で表すならぴかーんだ。まったく間際らしい。

 俺が光を認識したのがわかったのか、おっさんは口元を歪める。

「どうじゃ、わかったじゃろ?」

「いや確かに光さしてるけどさ……。家壊されてるし、いろいろツッコミどころがありすぎて……」

 ふんっ、荒い息を吐いたおっさんはしわくちゃな指をひとふりする。するとこなごなに粉砕されていた天井や机が再構築され元通りになっていく。

 思わず感嘆の声を漏らしてしまう。魔法なのだろうか?

「これで文句はないじゃろ」

「いやないけど……じゃねぇ! なんで俺らの家に来てんだよ!?」

 妹の震えが伝わってくる。突然の出来事に戸惑っているのだろう。しっかりしないとダメだ、ともう一度強く抱く。

 そしておっさんは――俺の逆鱗に触れた。

「うむ。そこで震えておる有沙ちゃんを貰おうと思っての」

 言葉が耳に入っても脳に入ってこない。理解できない。今こいつはなんて言った? 有沙を貰う? ふざけるな。お前なんかに渡すわけねぇだろ。

「いつも天界から見ておった。その笑顔……太陽にも負けぬ」

 なるほど納得だ。思わず頷いてしまう。

「その黒髪……艶やかな色合いじゃ」

 ふむ。またもや俺は頷いてしまう。

「成長すれば世界一……いや天界一の美女となるであろう」

 ふむふむ。このおっさんなかなかわかっている。

「であれば、わしの妻にしてもよかろう」「やっぱ死ねクソじじぃこのロリコン野郎ッ!」

 怖がる妹を宥めるために髪を梳いてやる。さらさらした触感は心地よいものだ。「くすぐったいよぉ、お兄ちゃん……」と甘い声も聞こえてくる。

 だが俺は次の瞬間には突き飛ばされていた。

「ぐっ!」

 咄嗟のことに反応できない。

「ぐぬぬ、わしの未来の妻になるというのになんということを……ッ。許せん、許せんぞ貴様ッ!」「お兄ちゃん!」

 妹の叫ぶ声がするが、脳みそを直接ハンマーで殴られているみたいで声が上手く入らない。目を開けるのも辛い。肺から空気が強制的に吐き出され呼吸が苦しい。

「さあ行こうか有沙ちゃん」

 おっさんが妹の手を掴み無理矢理連れていこうとする。泣き叫ぶ声と助けを求める声。だが俺は立つことができない。嫌だ。やめろ。やめてくれ。有沙を連れていかないでくれ。

 悲痛な心の叫びはもちろん届かない。立たなければ。立ってあの神とか名乗るクソじじぃを止めなければ。妹が連れていかれてしまう。

「お兄ちゃんっ!」

 妹の声が耳を叩く。どくん、と心臓が強く脈打つ。まだだ。まだやれる。俺はまだ、やられていない。

「…………おい」

 俺は、ちょうどいつの間にか出現させた白い光の向こうへ消えようとしていたおっさんを呼び止める。

「なんじゃ、まだ動けたのか」

 おっさんは面白がるように言うとこちらを振り向く。

「……有沙は俺の妹だ」

「そしてわしの未来の妻でもある」

 全身が痛くてツッコミも難しい。だが俺は言い放つ。

「てめぇみたいなクズに有沙は勿体ねぇし……」

「ほう」

「……俺には有沙しかいねぇんだよ」「お主もロリコンではないかっ!」

 俺は掴まれてる有沙を見て無理に笑う。たぶん酷い笑顔だったことだろう。

「だから……」

 ふらふらと危うげな足取りでおっさんに近づく。

「お兄ちゃん……」

 妹の声が背中を押してくれる。痛みで震える拳を振りかぶる。

「てめぇは死ね」

 おっさんの頬を全力で殴ろうとする。しかし、ダメージが蓄積されていた俺の身体は想いに反してゆったりとしか動かない。

 想いを込めた全力のパンチ。拳はゆったりとだがおっさんの頬に向かっていく。

「――有沙ちゃんの妻はわし一人じゃ」

 俺の拳は届くことなく掌で包み込まれてしまう。まだ大人に成りつつある俺の体格は小柄なのだ。力量は誰の目から見ても明瞭だった。

 骨の折れる音がした。それから潰される音。見れば俺の拳はおっさんの掌に潰されていた。文字通りぺしゃんこに。

 遅れてくる激痛。それに悶絶する間もなく頭を殴られる。鈍い衝撃を感じたと思ったら床と壮絶なキスをしていた。

「…………ぁ……く――――」

 意識が急速に遠のいていく。もう妹の声も聞こえない。暗闇と無音の中で俺は敗北を味わった。

 おい神よ。神様さんよ。気づけば心の中で吠えていた。てめぇ自分のやったことほんとにわかってんのか? 意識が完全になくなる前、熱い激情が生まれた。殺す。ぶち殺してやる。全身の骨を叩き割り、内臓をぶちまけて炎にくべて炭にしてやる。どす黒く熱く燻る想いが、心に復讐を刻みつける。

 感覚さえもブラックアウトした後さえも、この想いだけは残り続けた。



 ――そして四年が経った。

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