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第二章 闇の森




「だいじょうぶ? 怖くなかった?」

 未だに座り込んだまま動けない少女に向かって、エーラが心配げに声を掛けた。

 幼い子だ。先程は緊急事態だったのでゆっくりと顔を見ることができなかったが……改めて見た少女はエーラよりも大分小さく、年の頃は五~六歳辺りだと思えた。民族的な衣服に身を包んでいて、ブラウンの瞳が印象的だ。すっぽりと被った頭巾の下からは、僅かに桃色がかった髪の毛が見えた。

「…………ふぇ」

「わわっ。な、泣かないで~。だいじょうぶ。怖いモンスターはお姉ちゃんがやっつけてあげたからね~?」

「お姉ちゃんとお兄ちゃんが、な!」

「ジン先輩は何もしてないじゃないですかっ!」

 先程の優しい声が嘘だったかのように怒声を上げ、その剣幕に怯えた少女がさらに泣きそうになる。エーラが慌ててフォローに戻ったが、一度に色々なことが起きて混乱している様子で一向に笑顔にならない。

「まったく。女の子の扱いがわかってないな~」

「ジン先輩にだけは言われたくありませんっ!!」

「ほ~ら、おいで。怖くない、怖くない」

 今にも泣き出しそうな少女を安心させるように優しく抱きしめ、背中をさすってやる。少しだけ体が震えていた。その震えを吸い取ってあげるように、優しく、優しく……何度も背中をさする。

「……ロリコン」

 邪な思いゼロパーセントで少女を宥め続ける俺の背中から、非常に不本意な発言が聞こえた。

しかし、ここで大声を上げるほど俺は子供じゃない。激しいツッコミを入れて、また少女を怯えさせるような真似はしたくなかった。なので、大人の余裕をもって対応する。

「何とでも言うんだな。幼女は可愛い」

「うわ……。今のは本気で引きしました」

 ……対応を間違えてしまった感は否めない。

「俺は純粋に幼い子供の生命力に満ち溢れた愛くるしさを愛でているだけだ。というか、この世界に『ロリコン』という言葉はなかっただろう。なぜエーラが知っている?」

「この間ジン先輩が自分で言ってたじゃないですか。ジン先輩の世界では女性が結婚できるのは十六歳からで、この世界では普通の、十歳の女の子と結婚を望むような人は『ロリコン』と呼ばれ蔑まれるのだと」

「ああ! 素晴らしきこの世界!!」

 大昔の日本では十歳前後の少女と結婚することができた、という話を古典の先生から聞いたことがあるが、もちろん現在の日本でそんなことは許されない。しかし、今俺がいる【シンデレラ】の世界には、結婚に年齢制限がないらしい。極論、一歳の女の子とも結婚できる!

「ジン先輩の話を聞いて納得しました。そちらの世界での結婚はイコールで……その……こ、子供を作る、ということと同義なのですね……。それなら、年齢制限があるのは当然ですっ! こちらの世界とは結婚の定義が違うんですよっ!」

「いや……そんなことは関係ないんだ……。『小さな女の子と結婚できる』という事実だけで俺はもう……」

「ヘンタイです! 本当にサイテーですね、ジン先輩はっ!!」

 エーラといつものペースでやりとりをしていると、その空気が伝わったのか、腕の中の少女も泣き止んでくれた。最後に頭を撫でて優しく地面に立たせてあげる。

「こんな所にいたら危ないぞ? 今はまだなんとか明かりがあるけど……《闇の森》というだけあって、夕方付近になると真っ暗になるんだ。お家はどこかわかる?」

「……あっち」

 意外にも迷子ではないようで、しっかりと右手の指で道を指し示す。隣ではエーラが手早くマップを取り出し、少女が指した方角を確認していた。

「どうやら小さな村があるようですね。この子はそこの村に住んでいるのでしょう」

「そっか。じゃあ、帰ろっか」

 目線を合わせるためにしゃがみ、笑顔を向ける。しかし、少女はまた少し泣きそうになりながら、ふるふると首を振った。

「……薬草……探してるの。お母さんが、病気になっちゃって……」

「薬草?」

 エーラと二人で顔を見合わせる。食べるとHPが僅かに回復するが、想像を絶するほど苦い回復アイテムの《薬草》ではないだろう。ということは、純粋に病に作用する薬草の方だ。辺りを見渡すと、それらしい草が山ほど密生している。

「仕方ないな。エーラ。悪いけど、ちょっとここで待っててくれ」

「……ほんと、幼女には甘いですね」

 心の底から善意百パーセントだったのだが、エーラの中では完全に『ロリコン』として俺のイメージが固まっているらしい。その不名誉な誤解は必ず解かねばならないと思ったが、既に日が暮れ始めていたので後回しにする。

「――――しっ」

 息を吸い込むと共に体の重心を下げ、爆発的なスピードでその場を飛び出す。

 こちらの世界に来た当初はかなり戸惑ったが、半年間でこの世界にもすっかり慣れてしまった。視界の右上にHPゲージが表示され、レベルやステータスというものがリアルに存在するこの世界は、シンデレラの世界というよりRPGゲームの世界と考える方がしっくり来る。

 そして俺は、レベルアップによる能力強化ポイントを《素早さ》と《視力》にほとんど注ぎ込んでいる。このスタンスは半年前に冒険を始めた時からずっと変わっておらず、ついに先日、二つのパラメータが九九九でカンストした。

全ステータスを満遍なく上げ、なによりもバランスを重んじるエーラには「アホですか……」と呆れられたのだが、レベルの低い俺にはこういうトリッキーな戦略の方が適していると思う。もっとも、高レベルで全ステータスが八五〇前後のエーラみたいな万能タイプが一番安定するのは解っているのだが。

 さておき、《素早さ》がカンストした以上、この世界にはもう、俺にスピードで勝る生物は存在しない。加えて《視力》もカンストさせてあるため、超スピードで移動中でも周囲の世界を視ることができる。

そんな俺にとって唯一の長所を利用し、半径一キロ圏内の薬草を全種類かき集めた。要した時間は五分にも満たないだろう。

「お待たせ」

 その辺に落ちていた布袋に詰めていた薬草をひっくり返す。少女が目をまん丸にして驚いた後、その中の一つを掴み上げた。

「それ?」

 こくん、と少女が頷く。葉がハートのような形をした、印象的な薬草だ。「それなら、」と再度加速し、数十秒で両手に抱えるほどの量を集めてあげた。

「……ありがとう!」

 ぱぁっと顔を輝かせ、初めて少女が笑顔になる。隣で手を繋いであげていたエーラも微笑んでいた。

「ジン先輩の無駄能力もたまには役に立ちますね」

「たまにはってなんだよ! 『スピードで誰にも負けない』ってすごい長所じゃないか! 必ず先制攻撃ができるんだぞ?」

「確かにそれは魅力的ですが、九九九もいらないでしょう。わたしだって五〇〇を超えた辺りから先制されることはなくなりましたし」

「…………マジで?」

 全然知らなかった。そういうことは早く教えてほしい。どうりで《素早さ》に全ポイント注ぎ込む俺を見て呆れていたはずだ。てっきり俺は、自分の戦略を馬鹿にされていると思っていたのだが、まさかそんな裏事情があったなんて……。

「差分の四九九を《腕力》辺りに振っておいた方が絶対によかったですよね。そうすればさっきの《ビッグベアー》に対する攻撃だって弾かれなかったでしょうし」

「…………」

 ちなみに俺の《腕力》は、確か一〇〇前後だったように思う。

「……フッ。俺は過去を振り返らない男さ!」

「素直に『自分の過ちを認めたくない』と言ってください」

 冒険開始当初はそれなりに効果があった『大人の余裕』という名のハッタリも、今では全く効果がないようだ。そんな俺たちのやりとりを見て、少女が楽しそうに笑った。

「お姉ちゃん、お兄ちゃん、ありがとう。わたしの村、この近くだから遊びに来て」

 もう日もほとんど暮れ、《闇の森》の名が示す通り、周囲は完全なる闇へと覆われ始めている。夜間は単純に戦闘がしづらいだけでなく、出現するモンスターも高位のものになるので、今日の冒険はここまでにした方がいいだろう。

隣を見ると、エーラも同じような雰囲気で視線を送ってきた。

「ありがとう。それじゃあ、行こっか」

「うん!」

 エーラが笑顔で差し出した手を再び少女が握り、楽しそうに歩き出す。

俺もその後ろを、のんびりと付いて行った。



 結局その日の晩は少女――後で聞いたところによると【Sakura】という名前らしい――の村でお世話になった。

 もっと正確に言うなら、サクラちゃんの『お家で』お世話になった。

俺が元いた世界でプレイしたRPGよろしく、勇者様ご一行はどこの村を訪れても歓迎され、無料か格安で宿を提供してもらえる。丁寧にお礼をしつつも慣れている様子のエーラはさておき、俺は半年経った今でもこの制度に馴染むことができない。

格安とはいえ、お金を払えるところはまだいい。問題は、今回のように無料で泊めてもらえるケースだ。温かい食事とふかふかのベッドを提供してもらっておきながら、こちらは何もしないというのは、俺の常識からすれば非常に居心地が悪かった。

そんなわけで俺は、お世話になった家では掃除や薪割りなどをして、僅かばかりだが恩を返させてもらっている。

「……ほんと、ジン先輩って変な所でマメですよねぇ……」

 冒険開始当初は黙って見ているだけだったエーラも、さすがに自分だけ何もしないというのは居心地が悪いようで、最近は二人で掃除したり薪割りしたりするようになった。

「俺の故郷には『一宿一飯の恩義』って言葉があってな。一度でも他人の世話になったら、一生の恩義にしろって意味だ。昔は世話をしてくれた人の命令なら、人を斬ることも辞さないというルールすらあったらしいぞ」

「へぇ……さすがに簡単に人を斬るのはどうかと思いますが、無償で助けていただいたのですから、それに値するお返しはするべきなのかもしれませんね。もっとも、わたしたちの場合はそれが《ドラゴン》退治ということになるのでしょうけど」

 そんなことを話しながら、二人でどんどん薪を割っていく。エーラは大剣、俺は日本刀を用いて行っているので、地味に修行ポイントが貯まっていたりするのだ。

最初は魔法が存在するこの世界で未だに薪割りが必要な暖炉を使用していることに最初は驚いたのだが……よくよく周囲を観察してみると、科学的な技術では俺の世界の方が二歩も三歩も先を行っているようだった。

「……さて。これで薪割りも終了ですね。お掃除も終わりましたし、早朝の修行をしましょうか」

「ええー。この森とその先にある洞窟を抜けたら、もう、ドラゴンの待つ《城》なんだろー? そろそろ修行はいいんじゃないか……?」

「ダメです! だいたい、ジン先輩は《魔法使い》のジョブなのに、《ファイヤーボール》と《エアシールド》しか魔法が使えないじゃないですかっ!!」

 ……そうなのだ。冒険開始当初にジョブを《魔法使い》と設定して以来、俺は晴れて第一希望進路だった魔法使いになれたのだが……それが失敗だったことにはすぐに気付いた。

 初期装備が《一期一振》という日本刀だったのに魔法使いを選ぶのはどうなのか、というツッコミよりもっと根本的な問題として、俺にはこの世界の言語が理解できなかったのだ。

 エーラとコミュニケーションをとる際、俺は日本語を喋り、エーラも日本語で喋ってくれているように聞こえる。しかし、実際は違う。エーラは普通にこの世界の言語で話していて、その言葉が俺の耳に届く際に日本語へと自動翻訳されているらしい。その逆も然り。

それが、どのように問題なのかと言うと……。

「じゃあ行きますよ、ジン先輩」

 その辺に落ちていた枝を切り株の上に立て、エーラが手のひらを掲げた。

「火炎魔法のランク2――《ブレイズアロー》を唱えます」

 特に気負った様子もなく、すました顔で呪文を詠唱し始めた。雑念が入らなければ心の中で唱えるだけでも魔法は発現するのだが、今回は俺に呪文を聞かせるために敢えて口にしているのだろう。

 だが――非常に残念ながら、それは無意味だった。

「――生きとし生ける全ての炎よ。今こそ我が■■■■に宿り、■■■■に力を■■■■。《ブレイズアロー》!」

 エーラの手のひらから炎の矢が飛び出し、切り株に立てていた枝を射抜くと共に燃やして見せた。ランク1の《ファイヤーボール》よりも射出力があり、攻撃距離が長いように思える。

「それじゃあ、ジン先輩。やってみてください」

「いや、だから……これまでの半年間毎日言っていることだけど、肝心の部分がノイズみたいに歪んで聴こえないんだよ……」

「…………はぁ」

 これまでの半年間毎日そうしたように、エーラが肩を落としてため息をつく。

そして、この後の流れもいつも通りだった。

「じゃあ、《ファイヤーボール》を唱えてみてください」

「……いいけどさ」

 エーラがしたように、俺も手のひらを掲げる。

 初めてジョブを《魔法使い》に設定した日、「俺に魔法なんて使えるのか……?」と真剣に悩んだのだが、エーラから魔法の理論を聞いてみると全然オカルト現象じゃないことが解った。

 俺の世界で言えばガスコンロを思い浮かべると解りやすい。あれは炎の元になるガスが供給され、それに点火する。同じように、この世界には魔法の元になる……ガスコンロで言うガスのようなものが充満している。それをこの世界では《魔力》と呼ぶらしいのだが、それを体の内に集め、点火し、手のひらから放出すれば魔法が出来上がる。

 ジョブを《魔法使い》に設定すると、スピードは緩やかだが《魔力》が自然と体の内に集まってくる。なので、魔法を使うには点火と放出作業だけ行えばいい。それが呪文詠唱だ。

 しかし俺には、肝心の呪文を詠唱することができない。

……で。俺がどのようにして《ファイヤーボール》と《エアシールド》を使えるようになったかと言うと。

「――〝燃えろ〟っ!!」

 俺の叫びに呼応して手のひらから火球が放たれ、先ほど枝を立てていた切り株を燃やした。

「あ、やべ! 火事になる!! 〝阻め〟っ!!」

 その叫びに反応したように《ファイヤーボール》によって生み出された炎と切り株の間に風が逆巻く。やがて炎は燃やすものがなくなり、自然と消失した。

「…………はぁ」

 隣を見ると、エーラが頭を抱えている。半年間、毎日見てきた仕草だ。

「何度も言ってきましたし、何度でも言いますけど……どうしてそんな呪文で魔法が発現するのかわかりません……。ジン先輩の《ファイヤーボール》は、わたしのものより倍くらい威力があるみたいですし、《エアシールド》だって、自分や仲間の体以外を対象として使用できるなんて聞いたことありませんよ……」

 頭痛を堪えるように頭をぐりぐりするエーラを見て、少しだけ優越感が湧いてきた。

「ほら、俺ってば最上級の魔法使いだから? 呪文は全てオリジナルで、そこから生まれる魔法も全部俺クオリティなんじゃないの?」

「調子に乗らないでくださいっ! ジン先輩の《ファイヤーボール》がいくら威力が高いと言っても、ランク3の火炎魔法には及びませんし、《エアシールド》だって、人間の体以外を対象にできてもメリットなんてほとんどないじゃないですかっ!!」

 まったくもってその通りである。

 高レベルで才気溢れるエーラのパーティーが未だに俺一人なのは、偏に俺という『へなちょこ魔法使い』がパーティーにいるせいだ。俺だって、初級魔法しか使えない『へなちょこ魔法使い』に背中を預けるのは嫌だ。嫌すぎる。そういう意味では、文句こそ言うものの、今日まで俺がエーラに見捨てられなかったのは奇跡と言う他ない。

「これが愛……か……」

「なにを考えているのか知りませんが、わたしが未だにジン先輩を見捨てないのは、こんな人を他のパーティーに押し付けるのが申し訳ないからです。どう考えても邪魔にしかなりませんし」

「考えを見透かしている上にひどいっ!」

 いやまぁ、実際その通りなんだけど。

俺をパーティーに入れた状態でここまで戦闘できるのは、エーラを置いて他にはいないと断言できる。

「お兄ちゃん! お姉ちゃん! ごはんだよー」

 可愛らしい声に振り返ると、家の出入り口からサクラちゃんが顔を出し、手をぶんぶん振っていた。まさに、天使。女神と天使に囲まれて、俺は幸せです!

「はーい! 今行くよー!」

 修行から解放される喜びとサクラちゃんの可愛さに満面の笑みで返事をした。

 修行の件や不名誉な誤解のせいで、また嫌味を言われるかと思ったが……エーラは隣で真剣な顔をしている。

「……『一宿一飯』で他人を斬ることも辞さないのでしたら、もし『一宿二飯』になった場合、『自害することも辞さない』くらいの覚悟がいるのでしょうか……?」

 ……真剣に悩んでいる様が面白いので、このままにしておこう。



《闇の森》の攻略は、既に四分の三以上が終わっている。

 初めてこちらの世界に来た日、エーラの持っていたマップを見て「本当に《城》まで辿り着けるのか……?」とかなり不安に思ったが、この半年間でその長い道程も終盤の終盤まで歩くことができた。これも全て、エーラがチート級に強いお陰だ。

 森を抜けた後は《死の洞窟》と呼ばれる洞窟があるが、《闇の森》ほど広大ではない。それを抜けたらすぐに《城》だ。俺達の冒険もエンディング目前と言える。

「そういえば、ジン先輩が探しているという《エリクサー》、結局ここまで来ても入手できませんでしたね」

 サクラちゃんのお家で朝食を頂いた後、ラストスパートをかけるべく今日も冒険に出発した途端、思い出したようにエーラが呟いた。

「……そういえば、そうだな。大体、ゲームでは――ああ、俺の世界にはフィクションの作品でよくエリクサーってアイテムが登場するんだけど――そういうのでは、これくらいの終盤ではショップで売ってたり、宝箱やモンスタードロップなんかで手に入ったりするもんなんだけどなぁ……」

 エーラの傍にいるのが嬉しくてすっかり忘れていたが、そもそも俺がこの世界に来たのは、時宮のバカに《エリクサー》という《魔法》を献上するためだった。

今ほど目的を忘れていなかった冒険開始当初には「進んでいれば、その内手に入るだろ」という楽観的なことを考えていたが、ここまで来て手に入らないというのは少し不安になる。

……まぁ、毎日エーラの顔が見られれば、それでいいという本音もあるんだけど。

「きっと《ドラゴン》を倒せば手に入ると思いますよ。《ドラゴン》は、世界中から財宝やレアアイテムを献上させて、世界の全てを手に入れようとしているみたいですから」

「時宮みたいなドラゴンだな……」

「……トキミヤ?」

「ああ、言ってなかったっけ? 俺がこっちの世界に来ることになったきっかけ……って言うか『原因』って言うべきか。とにかく、俺をこっちの世界に送り込んだ奴だよ」

「…………女の人ですか?」

「え? ああ……確かに一応女だけど……あれを単なる生物分類学で女に分類していいのかと迷う程度にはぶっ飛んだ生命体だよ」

「…………」

 隣を歩くエーラが前方を警戒したまま黙ってしまった。やはり、知り合いの知り合い話は面白くなかったか。

「そういえば、俺がパーティーに加わってからはともかく、それ以前にエーラが一人だったってのは意外だよな。さっきの知り合い話じゃないけど、一緒に旅しようって言う奴はいなかったのか?」

「そうですね……。いましたけど……やっぱり、命懸けの旅に気軽に参加させられないじゃないですか。それなら、一人の方が気楽でいいと言いますか……」

「ふーん。……あれ? じゃあ、俺は?」

「……パーティーに加えるのは、わたしよりも強い人だけにしようと思っていたんです。それならわたしが死ぬことはあっても、その人は大丈夫だろうって思えたので」

「…………」

 今度は俺が沈黙する番だった。

 なるほど。あの日、エーラがテンション高めのキラキラした目で俺を見た理由がようやく解った。そして俺のハッタリが看破された瞬間の、エーラの困りきった表情の謎も同時に解かった。

「なんて言うか……ごめんなさい……」

「いいですよ……早とちりしたわたしにも責任はありますし……。……はぁ」

 心の底から出ている風なため息はやめてほしい。

「まぁ……アレですよね。予期しない荷物を背負うことになっても、それはそれで人生ですよね……」

「十七歳にしてもう人生悟ってる!?」

「…………」

 元気よくツッコむ俺を無視して、エーラが前方を見据えたまま立ち止まった。

 反射的に正面を見ると、禍々しい紫の身体をとぐろに巻いた蛇が二匹、こちらを睨みつけている。そのモンスターの姿を視認した瞬間、俺は周囲を警戒した。正面だけでなく背後にもモンスターの気配を感じる。

「蛇が囮で背後のやつが本命か……」

「いいえ。右斜め前方と左斜め後方に、高い《ステルス》スキルで身を隠した植物系モンスターがいます。それが本隊でしょう」

 俺の《索敵》パラメータは《素早さ》・《視力》に続いて三番目に高いが、それでも二〇〇弱だ。そんな俺には、まだ見えない近距離の敵を見つけることが精一杯だったが……九〇〇近いの数値を保有しているエーラには、《ステルス》状態にあるモンスターの種族やレベルまでも分かってしまう。

「全部で六匹か。この森に入って以来、集団でタイミングずらして襲ってくる戦法にもびっくりしたけど、今回は数も過去最大だな」

「《索敵》パラメータを上げてなかったら、間違いなく最後の二匹でアウトだったでしょうね。かなりレベルもあるみたいです。気をつけてください」

「わかった」

 それだけ答えて、俺は前に出た。

 正面にいる蛇モンスターにカーソルとネームタグが表示される。《コブラスネーク》。名前が上下で被っているような気もしたが、その辺も言語変換の過程でいろいろあるせいだろう。

 蛇特有の啼き声で威嚇する様子に構わず、俺は突っ込んだ。

 超スピードで交差する寸前に日本刀――《一期一振》を抜き、斬りつける。《腕力》が低いため一撃で仕留めることはできなかったが、マックスのスピードによって加算されたダメージが突き刺さる。

この陣形で最初に目視できるモンスターは、そう強くないのが常だ。一応、反撃も警戒しているが、それほど怖れる必要もない。

俺はそのまま駆け抜け、一気に距離をとることに成功した。

「――――はっ!!」

 元いた場所では、エーラが太い棍棒を持った猿人のようなモンスター二匹を相手にしていた。屈強そうな体躯だったが、エーラの大剣ミストラルの一振りで二匹同時に光の粒子となる。

「〝燃えろ〟っ!!」

 未だに俺を標的として攻撃を仕掛けようとする蛇二匹に遠距離から《ファイヤーボール》を見舞う。そのタイミングで背後の茂みが揺れ、大木に目と口があるモンスターが飛び出してきた。

不意打ちなら対応が遅れるところだが、事前に知っていれば何の問題もない。

「〝阻め〟っ!!」

 俺とそのモンスターの間に風が逆巻き、大木モンスターのツル攻撃を受け止める。

カーソルとネームタグが表示された。《ウッドジョーカー》。見た目はふざけているが、エーラの事前情報通り、レベルはかなり高いようだ。動きが俊敏な上、《エアシールド》で受け止めている攻撃も重い。

 俺は《ファイヤーボール》によって怯んでいる蛇に走り、再び交差するタイミングで一撃を与えた後、そのまま駆け抜けて三匹のモンスターから距離をとった。

その頃にはエーラがもう一匹いたウッドジョーカーを倒し、俺の援護に回ってくれている。

「面倒なので一気に行きます。――《ブリザードストーム》!!」

 技名と共に大剣を振り下ろすと、太刀筋から吹雪のような刃が無数に生まれ、モンスター三匹をまとめて斬り刻んだ。三匹分の光の粒子が生まれ、天に還る。

「……ふぅ。いつも通り、楽勝だったな!」

「毎度のことながら、ジン先輩はなにもしてないですよねぇ!」

「何を言っているんだ。俺だって三撃ほど食らわせたし、モンスター三匹の標的となって注意を引き付けただろう。さっきの蛇モンスターじゃないが、囮だって重要な仕事だぞ?」

「……ジン先輩さえいなければ、わたし一人で直前までモンスターを引きつけて、《ブリザードストーム》一撃で六匹まとめて楽に倒せたんですけど」

「……エーラ。そういうのは、俺の世界では『ツンデレ』って言うんだ」

「その言葉の意味はわかりませんが、ジン先輩がいろいろ誤魔化そうとしているのはわかります」

 俺の世界の言葉を使ってペースを掴もうとしたが、この方法もすでに使い古していた。数多あったハッタリのバリエーションも、さすがに半年間は持たなかったか。

 さらに言い訳を考え続ける俺を無視してエーラがさっさと歩き出したので、慌てて後を追う。

「もう少し年上を敬った方がいいと言うか、男を立てた方がモテるぞ」

「既婚者に何言ってるんですか」

 衝撃的な発言のせいで木の根に躓き、頭から茂みに突っ込む。

 微妙に尖った枝で頬を切ってしまったが、それどころじゃない。

「ちょ……あの、エーラ……さん……?」

「……はい?」

「あの、既婚って……?」

「え? あれ、言ってませんでしたっけ? わたしはこの国の王子様と結婚しているんですよ」

「!!?」

 なん……だと……。

 衝撃の事実が発覚した。まさかの既婚者ヒロインだった。

 未だかつて、そんなヒロインは聞いたことがない。

「ちくしょうっ! これだからNTR系のストーリーは嫌なんだよぉぉおおおお!!」

 膝から崩れ落ち、地面に拳を叩きつける。俺の叫びに、周囲の木々から一斉に鳥が飛び立った。

 この半年、あらゆるシーンでドキドキしてきた俺はなんだったんだ……。

「ああ……もう、なんか……冒険とかどーでもよくなってきたなぁ……」

 ズルズルと上半身をスライドし、地面にうつ伏せになる。森独特の湿気を含んだ地面は不快だったが、ある意味今の俺には相応しいような気がした。

このまま眠ってしまおうか……。

「なにやってるんですか、ジン先輩。置いて行きますよ?」

「……うるせぇ。純潔じゃないエーラなんて、エーラじゃねぇ」

「純潔……?」

 エーラは「?」というような表情で小首を傾げていたが、数秒して俺の言いたいことを理解したらしく、顔を真っ赤にして口をわぐわぐさせた。

「さ、最低です、ジン先輩っ!! 前にも言いましたけど、ジン先輩の世界とこの世界では『結婚』の定義が違うんです! なんでもかんでもその……こ、子供を作ることに結びつけるのはやめてくださいっ!!」

 エーラが赤面して目を釣り上げていたが、俺としてはどうでもいいことだった。

もう冒険もやめて、どこか小さな村で静かに暮らしたい……。

「わたしはまだ 純 潔 ですーーーっ!!」

「ようし、エーラっ! 今日も元気に冒険するぞー!!」

 復活した。完全復活だ。

 そういうことなら問題ない。《ドラゴン》のついでに王子様も倒して、エーラを手に入れれば済むことだ。いや、倒すのはよくないか。仮にも王子様だしな、うん。じゃあここは穏便に……誠心誠意、ジャパニーズスタイルのDO☆GE☆ZAで勝負をしようじゃないか。

「……また何かくだらないこと考えてますね?」

 三歩先を元気よく歩き始めた俺を見て、エーラが肩を落とす。

 何を言っているのかは解らない。俺に分かるのは、この森が光に満ちた、非常に神々しい場所だということだけだ。

「俺達の戦いは、まだまだこれからだ!」

「いえ、あの、その通りなのですが……ジン先輩? ほんと、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ。任せておけ」

「ジン先輩がそう言う時は大抵大丈夫じゃなくて、任せられないんですけど……」

 今日までのハッタリの数々を思い出したのか、エーラが小さな顔をしかめる。そんな仕草までキュートというのはどうなのだろう、と、完全に俺の頭がピンク色に染まり始めたところで――

「止まってください、ジン先輩」

 エーラが真剣な口調で俺を制した。俺も反射的にモードを切り替える。

 ここまで道が狭くなる一方だったが、目の前に見える二本の大木を抜けた先は、かなり拓けた空間になっているらしい。これまでの経験上、こういった空間にはそのエリアのボスモンスターが存在しているというのが常だった。

「ついに《闇の森》エリアもボスの所まで来たか~。最後の《城》まであと二つしかエリアが残っていないことを考えると、ここのボスはかなり強そうな気がするな」

 そんなことを言いつつ、俺は笑みを浮かべるほどの余裕があった。

 ここに来るまでのボスも強力な奴が多かったが、所詮エーラの敵ではなかったのだ。

一つ前のエリア《深遠な湖》でネッシーのような巨大モンスターとも戦ったが、エーラの大剣を数度受けただけで倒せてしまった。その他の通常モンスターも、エーラの大剣一振りで倒れなかった奴を思い出すのが難しいくらいだ。

 振り返れば、この半年で苦労した戦闘など一度も無い。だから、俺としては言うほど緊張などしていなかったのだが……エーラは、違うらしい。

「ジン先輩。《ハイポーション》の残数は充分ですか? 毒や麻痺に対する《解毒剤》は?」

 ……戦闘の前はいつもこうだ。

ボス戦もそうだが、毎回冒険を開始する時にはいつも万全の準備を確認してくる。蓋を開けてみれば、《ハイポーション》も《解毒剤》も数えるほどしか使ったことはないのだが……常に俺たちは、互いが持てる最大数を所持している。

 冒険開始当初はその用心深さをネタにして笑ったものだが、最近では事前にしっかりと準備をする所もエーラの強さなんだな、と思えてきた。

「ああ。大丈夫だよ」

「いつも言ってますが、危なくなったら絶対に逃げてください。わたしは一人でも戦えますし、ジン先輩がいない方が逃げるのも楽です。なので、カッコつけないで、自分の身だけ守ってくださいね」

「事実だけど、毎回傷つくぞ、それ……」

「でも、事実ですから」

 そこでようやく、笑顔を浮かべてくれた。

 ……実際、どうなのだろうと思う。エーラでも太刀打ちできないようなモンスターに襲われたとして、そいつにはもちろん、俺だって手も足も出ない。

その状況で、俺は〝ちゃんと〟、エーラを置き去りにできるのだろうか。

「……じゃあ、行くか」

「はい」

 思考を中断して笑顔を返した。

 考えるだけ無駄だ。エーラの強さは、どう考えても常軌を逸している。その強さには『チート』や『バグ』の名が相応しい。そんなエーラが追い詰められるようなことがあるとすれば……その時は、この世界の方がバグった時としか思えない。

 そんな取り留めもないことを考えながら、俺たち二人は巨木二本が造り上げる大自然のゲートを潜った。

 ゲートの先は――大自然のドームだった。

 周囲をぐるりと背の高い大木に取り囲まれ、ここだけが孤立した空間のように思える。南中時刻が近いのか、ほぼ真上にある太陽のお陰で今は明るくなっているが……あと一時間でも過ぎれば、この空間は完全な闇に覆われることだろう。そういう意味では、今がベストなタイミングだ。

 そして、そんなドームの最奥――五〇〇メートルほど離れたところに、そいつはいた。

 一瞬、ライオンかと思った。サイズこそ俺の世界のものより二~三倍大きかったが、フォルムとしてはそれが一番近い。

だけど……カンストしている俺の《視力》は、否応なしに視てしまう。そいつを。異形の塊を。

「……うっ」

 思わず胃の中のものを吐き出しそうになって口に手をやった。

 ――気持ち悪い。

 それが、そいつを見た人間が持つ正常な感想だと思う。

 ライオンを凶悪にしたような頭。それが首の辺りから山羊の胴体と溶け合っており、胴体からも山羊の頭が出ている。その体が終わる頃に尻尾の付け根付近でさらに大蛇の体と溶け合い、尾の先端には赤い舌を覗かせる大蛇の頭。

 一体の生物に三つの頭があるという矛盾。これまで多くのモンスターと戦ってきたが、こいつほど人間の生理的嫌悪感を刺激するモンスターには出合ったことがなかった。

俺の視線を受けて、カーソルとネームタグが表示される。そこに書いてある文字は、俺の予想通りだった。

 ――――【CHIMAIRA】。

「ジン先輩! 気持ちはわかりますけど、気をしっかり持ってください! あのモンスター、かなり強いですっ!!」

 エーラの声を聞いて、なんとか戦意を取り戻す。

 その瞬間、それを合図にしたかのように、キマイラが地面を飛び立った。

「は、羽……っ!?」

 山羊の胴体から、蝙蝠のような翼が左右に広げられていた。その翼を大きく上下させ、地上から数十メートル飛翔する。

 これまでも確かに宙に浮かぶモンスターは存在した。しかし、それは昆虫系のモンスターで、その翅で飛翔できるのはせいぜい数メートル。俺たちが跳躍すれば届くような、矮小な翅だった。

 だけど、こいつは違う。

 こいつの翼には、俺たちの剣が届かない――!?

「《ブリザードストーム》!!」

 なおも飛翔を続けるキマイラの高度が最大となる前に、エーラが《ミストラル》を振り、吹雪の刃で先制攻撃を仕掛けた。

「ゴガァァァアアアア!!」

 しかし、キマイラの口から放たれた業火に消滅させられてしまう。エーラの《ブリザードストーム》が無効化される瞬間を、俺は初めて目の当たりにした。

 キマイラはそのままさらに上昇を続け、ついにその高度は一〇〇メートル付近にまで達した。その高さから、火球のブレスを雨あられと降らせてくる。

「っ! 〝阻め〟っ!!」

 エーラに駆け寄り、咄嗟に《エアシールド》で防ぐが――火球が一発当たっただけで限界が来たらしく、風の防壁が消滅してしまった。

「そんなバカなっ! エーラの大剣だって数回は防げるのに!?」

 基本中の基本だが、《エアシールド》という防御魔法は非常に優秀だ。呪文詠唱が短いのに高強度な防壁を築ける。それが、たった一発で。

「――《エアシールド》!!」

 さらに迫ってきた火球を、今度はエーラが防ぐ。だが、その風壁も一発の火球で消滅した。

 俺はともかく、エーラなら《エアシールド》よりも高位の防御魔法・攻撃魔法を使用することもできる。だが、あまりにも敵の攻撃ペースが速いため、心中で呪文を詠唱する時間さえない!

「くっ……! エーラ! 防御は俺に任せて、その間に呪文を詠唱しろっ!」

「わ、わたしは構いませんけど、持つんですか!?」

 会話しながら交互に《エアシールド》を展開し続けて耐える。

 だけど、このままじゃジリ貧だ。どう見ても敵の火球が尽きるような気配は感じられない。それなら、このまま俺たちが《エアシールド》を唱え続けても、最後は魔力切れで焼かれてゲームオーバーだ。

「持たせてみせる! 危なくなったらそのタイミングで援護してくれればいい!!」

「わかりました! お願いしますっ!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 エーラを背後に回し、《エアシールド》を連続で唱え続ける。

 少しでも詠唱スピードを速くするため、頭を真っ白にして心中で。

 雑念が入れば連続する火球に対応できず、エーラ諸共焼かれてしまう。そんな危機感がさらに俺を集中させていた。

「――■■■■……■■■■……■■■■。■■■■、■■■■――」

 目を閉じ、かなり長い呪文を発声して詠唱するエーラ。

 呪文の大部分が俺に伝わらず、なおかつエーラが発声するほど扱いが難しいとなれば、かなり高位の魔法に違いない。この魔法が発動すれば、状況を好転できる!

「ゴガァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 大魔法の気配を感じ取ったのか、上空のキマイラが吼え、火球を吐くペースをさらに速めた。

「くっ……!!」

 チート級に強いエーラに、まさかこんな対抗策があるなんて思わなかった。

 キマイラの炎がいくら強いといっても、エーラの《ブリザードストーム》と五分だ。大魔法が使えることを考えると、エーラよりも格下なのは間違いない。

 しかし――〝手数〟。

 その一点においてなら、こいつはエーラを遥かに凌駕している。エーラの《ブリザードストーム》級の攻撃を雨あられのように浴びせるという前代未聞の戦術によって、俺たちはかつてないほど追い詰められていた。

「ち……く、しょう……っ!!」

 ダメだ……ペースが速すぎる!

 エーラの魔法はまだ完成しない。一旦呪文詠唱を解除して、また二人で防御呪文を唱え続けるという手もあるにはあるが……このペースに一人で対抗できないのなら、どの道ジ・エンドだ。防御をエーラに任せるという手もあるが、俺の攻撃力では話にならない。

俺の主力攻撃は日本刀だし、魔法は《エアシールド》と《ファイヤーボール》しか――

「……っ! そうかっ!!」

 閃光の如く頭を掠めたアイデア。

 それを実現できるかは分からないが、他にこの場を凌ぐ方法は思いつかない。ならば、それを試してみるしかない。

 緊張で焦れる胸の痺れを感じながら、俺は心中で〝阻め〟と唱え続けた。そして――

「〝燃えろ〟っ!!」

 頭が二つに割れるようなノイズの痛みが走った後、右手から生み出された風壁が消えるタイミングで、左手から《ファイヤーボール》が放たれた。

 ――できた!

 俺の火球はキマイラのものより二回り以上も小さく、正面衝突では勝てるはずもなかったが……キマイラの火球の端に当たるように放つことで、僅かに軌道を変更。俺たち二人からずらすことに成功した。

「――行ける!」

 俺の《ファイヤーボール》が放たれた次の瞬間には、心中で唱えることにより発現した《エアシールド》が既に展開している。その風壁が消える瞬間には、再び俺の左手から《ファイヤーボール》が――

「うおおおおおおおああああああああああああああああ!!!!!」

 風壁、火球、風壁、火球……頭が焼き切れるような痛みでスパークするのにも構わず、俺は両手で交互に、連続で魔法を生み出し続けた。

「お待たせしました、ジン先輩!」

 俺の体感では無限にも感じるような時間が過ぎ去った頃、ようやく背中からエーラの声がかかる。

 今なら、できそうな気がした。

だから俺は、心中と発声で同時に呪文を詠唱する。

「〝阻め〟っ!!」

 俺の左右の手からそれぞれ風壁が展開され、俺たちの前に二重の壁が現れた。

 それを見たエーラは一瞬、心底驚いたように目を丸くしたが、俺が背後に飛び退るのと同時、我に返ったように両手を前に突き出す。

 二重の風壁が数度の火球で破壊された瞬間、その魔法は放たれた。

「《メテオバースト》!!!!!」

 紫炎の光が一直線にキマイラへと走り、体に触れた瞬間に大音量で爆発した。

 あれほど屈強そうな体を有していたキマイラが、跡形も無く消え去る。光の粒子すら無く、後には上空を漂う紫の煙だけが残った。

「か……勝った……のか……?」

 腰が抜けてしまい、尻餅をついた。身体の弛緩はそこで止まらず、そのまま背後に倒れてしまう。

 ……かつてないほどの強敵だった。一つ前のエリアのボスとは、文字通り次元が違った。

 今まではボス戦も通常の戦闘と変わらず、俺がちょこまか逃げ回っている間にエーラが大剣や魔法で仕留めるのが常だったが……俺の力まで借りてギリギリの勝負となったのは今回が初めてだ。

 この半年で、俺は初めて命の懸かった戦闘をした。

「勝てた……みたいですね……」

 エーラも半ば放心しているようだ。数秒前までキマイラがいた空をぼんやりと見上げている。

 ボスが去った大自然のドームは先ほどまでの死闘が嘘だったかのように静まり返っていた。

周囲の地面はキマイラの火球によっていくつも穴が開いているが、ドームを形成している巨木には焼かれた痕すらない。強敵と戦った俺には信じられないことだ。

見上げた太陽は僅かに傾いている程度で、まだこの森に光を下ろしていた。

「びっくり……したな……」

「はい……そうですね……」

 素直に心中を吐露すると、エーラも茫然としながら返事をしてくれた。

 彼女も信じられなかったのだろう。まさか、自分がこれほどの窮地に陥るなんて……。

「……! ジン先輩! HPは!?」

 視界の端にあるそれを確認する。時々火球が掠ったのか、二割弱ほどダメージを受けていた。俺のHPが一割以上減ったのも、初めてのことだ。

「……大丈夫だ。ちょっとだけ減ってるけど、八割以上は残ってる」

「何言ってるんですか! ジン先輩の防御力なんて紙なんですから、八割なんて一気に吹き飛びますよ!? 早く《ハイポーション》を飲んでください!!」

 心の底から俺を心配してくれているのだろうが、グサグサと突き刺さる言葉だ。

 苦笑しながら、俺は腰のポーチから《ハイポーション》を取り出した。飲めば体力と共に、傷に振り掛ければ傷の治癒と共にHPが回復する便利なアイテム。

 それを半分飲み、残り半分は足下の傷口に振り掛ける。破れていた衣服まで修復されるのだから、さすが異世界クオリティとしか言いようがない。

「エーラは大丈夫か?」

「はい。わたしはジン先輩が守ってくれたお陰で……って、そういえば、さっきのはなんですか!? わたしの見間違いでなかったら、《エアシールド》を同時に二つ唱えていたように見えましたけど!」

「え? うん。心中と発声の二通り唱える方法があるんだから、それぞれで唱えれば二つの魔法が使えるんじゃないかと思ってさ。やってみたら、できたよ」

「ええ!? そんなこと普通できませんよ!?」

「いや、そう言われても、できたんだが……」

 思いついた時には突飛なアイデアだと思ったが、やり遂げた今から考えると全然大したことじゃないように感じる。……俺個人の感想としては。

「いいですか、ジン先輩。以前にも説明しましたけど、魔法というのは体内で生成、もしくは精製することによって発現させるんですよ? 二つの魔法をほぼ同時にって……それだと、体内で二つの魔法を同時に創ることになるじゃないですか。そんなことしたら身体の中で爆発しますよ……」

 要するに一口のガスコンロでフライパンと鍋を同時に使うのが無理、ということを言いたいのだろうか。……違うかな。

 確かに魔法を二重で使用した瞬間、頭にノイズのような痛みが走ったけど……やった本人としては「やったら、できた」としか言いようがない。

「そもそも、心中と発声で呪文を詠唱する行為自体が無理でしょう。あんな複雑な……」

「いや、『阻め』と『燃えろ』だけど」

「…………」

 なるほど。その辺にも理由があるのかもしれない。

「まあ、いいじゃないか。得はあっても損はないんだしさ。今後は俺が《二重魔法》で防御を固めるから、その間にエーラが攻撃してくれれば、戦闘がずっと楽になるじゃん」

「いえ、確かにその通りなんですけど……。ほんと、ジン先輩って規格外と言うか型破りと言うか……常識で測れないですよねぇ……。一見しただけでは、ただのビギナー魔法使いなのに」

「まぁ俺、異世界人だしな」

 その異世界には魔法なんて存在せず、さらに言えば単なる『モブキャラD』だった俺がその回答を口にするのはどうなんだろうと思ったが、エーラが「そうですよね……元々こちらの世界の人間でないのなら、そういうことも可能なのかも……」とか言っているので、よしとしよう。

 こうしている間にも太陽の光がどんどん少なくなっていた。《闇の森》というだけあって、この空間に光が満たされるのは南中付近の僅かな時間だけのようだ。

 俺の正直な気持ちとしては、このままサクラちゃんの村に戻って今夜もお世話になりたいところだが……生真面目なエーラが日中に冒険を切り上げたことは一度もない。望み薄だろうとは思いつつも、一応の努力だけはしてみる。

「あー……その。今回のボスは強敵だったし、今日はこれくらいで村に帰らないか?」

「わたしがその問いにイエスと答えるとでも思っているんですか?」

 ぱちくり、と瞬きをして、純粋に疑問そうな顔。

 ……ですよねー。

「それじゃあ、ジン先輩! 次のエリアに出発しましょう!」

俺のHPが全快になったのを確認すると、エーラが元気よく歩き出した。

他者のHPゲージが見れるというシステムを、俺は心底憎らしく思う。



 どうやら《闇の森》エリアは大自然のドームが最奥だったようで、それを抜けるとすぐに洞窟の入り口が見えた。

 エリア名――《死の洞窟》。

 ラスボスが待つ《城》を除くと最後のエリアなので、どんな強力なモンスターが出現するのかとびくびくしていたのだが……歩いても歩いても、モンスターとエンカウントしない。

 洞窟内は、まるで黒曜石を磨き上げたような漆黒の煌きを携えていた。通路に等間隔で設置された松明の灯が揺らめくごとに、壁や床が妖しく光る。天井は抜けるように高く、頼りない松明の灯だけでは、その高さを知ることができない。

 洞窟とは名ばかり。

 俺がイメージする言葉は――『神殿』だ。

「なんか……すごいエリアですね」

 隣を歩くエーラが壁面を撫でながら呟いた。

 俺も真似して触れてみると、指にはツルリとした触感が返ってくる。床も同じように磨き上げられていて、躓く方が難しいくらいだ。

「この洞窟の壁とか削って持って帰ったら、高く売れるかなぁ……」

「……もう。ほんと、ジン先輩は緊張感がないですね」

 少しだけ強張った表情でエーラが笑う。

 だけど……その推測はハズレだ。俺は緊張している。RPGゲームなんかで、終盤に敵モンスターが少なくなるのは『予兆』なのだ。『最早ザコなど必要ない。本気でお前らを殺しに行く』という制作者……神からのメッセージ。

 道が複雑で何度も迷った《闇の森》とは違い、この洞窟に入ってからはずっと一直線だ。その事実も、俺の不安を煽っていた。

「……ジン先輩」

「……ああ」

 そして、あっけないほど簡単に、拓けた空間が見えた。

 人が二人横に並べるほどだった道幅が二メートル先で終わり、その先には広大なスペースが確保されている。

 俺たちは無言で装備や回復アイテムなどを確認した。全ての準備が整うと、いつもの台詞をエーラが口にする。

「いいですか、ジン先輩。危なくなったら――」

 そこまで言ったところで、俺は右手を出してエーラを制した。

「……違うだろ? ついさっき、キマイラとの戦闘は二人じゃないと難しかった。たぶんここのボスも同じだと思う。だから――」

 俺がそこまで言うと、エーラはちょっとだけ逡巡した後、はにかんで言った。

「まさかジン先輩にこんなことを言う日が来るなんて思いませんでした。……そうですね。二人で協力して倒しましょう」

 ――協力。エーラは確かにそう言った。

この半年間ずっと、小さな女の子の強さにおんぶに抱っこだった俺の、『男の子』な部分が奮い立つ。

「……ああ。エーラは、必ず俺が守る」

 ハッタリ抜きでそんなことを言えるようになった自分を嬉しく思いながら、横並びになってボスエリアへと踏み込んだ。

 すぐにお互い剣を抜き、戦闘に備える。

……が、ボスの姿は見当たらない。

 先ほどのキマイラが支配していたドームよりも二~三倍ほど広い空間だった。天井から地に向かって生えている水晶のような石が光を放っているようで、洞窟全体は淡い水色に包まれている。そのお陰で、採光に不自由することはない。

 洞窟全体は天井まで見渡せるのに……それでも、ボスらしいモンスターはいなかった。

「……ボス、不在中か?」

「そんなことはないと思いますが……」

 警戒を緩めず尋ねてみると、エーラも困惑したように周囲を窺った。

 これだけ広大なスペースは今まで見たことがない。ラスボス手前のボスの縄張りだと言われても納得するクオリティなのだが、その主はどこへ行ってしまったのか。

「他の勇者パーティーが倒してくれたのかな?」

「いえ……《闇の森》のキマイラをわたし達が倒したのですから、わたし達が最前線のはずですが……」

 ふむ。それはそうだ。

 ということは、始めから《死の洞窟》にはボスがいなかった、ということなのだろうか。

 念のため、不必要と思えるほどに高すぎる天井も注視してみるが、ボスらしき影は目に入ってこなかった。乱立している水晶の陰に隠れていれば見逃す可能性もあったが、これほど余計なものを排除して待ち構えるボスが、一つ前のキマイラより小さいサイズだとは思えない。

「うーん……?」

「待っていても仕方ないですよ。ジン先輩が言うように、ひょっとしたら外出中なのかもしれません。だとしたら、チャンスです。今日中に《ドラゴン》を倒すことができれば、このエリアのボスとは戦わなくて済みます」

「確かにそうだな……」

 なんとなく釈然としないものを感じつつも、二人でスペースの反対側にある雛壇を目指して歩き出した。

出口は数十メートルほど高い位置にあるようで、数十段に及ぶ横に広い階段が、壁などと同じ漆黒の宝石で造られていた。不必要なほど精緻に造られている雛壇が、俺の中の『神殿』というイメージをさらに加速させる。

神殿。

神を祀る場所。

「…………っ!?」

 俺より先に雛壇を上りきったエーラが体を強張らせた。

 高低差で俺にはまだ見えない。急いで俺も残りを駆け上がると――その先は俺たちが今いるスペースよりも二回り程度小さな……しかし、充分すぎるほど十分なスペースが確保されている。

そこに――何か、いる。

 信じられないほどの巨躯。初めてこの世界に来た時に見た、ティラノサウルスよりもさらに大きい。《深遠な湖》にいたネッシーを陸上に上げ、縦にしてもその高さには届かないかもしれない。

 赤黒い毛皮に覆われた四肢に、山羊のような頭。その頂点からは禍々しく尖った角。眼は憤怒を体現するかのような真紅に燃え、両手にはエーラの大剣が可愛く見えるほどの大きく鋭い鉤爪。そんな異形の姿でありながら、どこか畏怖と神々しさを感じさせるモンスター。

 カーソルとネームタグが表示された。

 ――――【DEMON OF DEVIL】。

 ボスモンスターで名前が被るのは初めてだが、何が言いたいのかは解った。

〝悪魔〟――――!!

「……っ! ジン先輩っ!」

「あ、ああ!!」

 エーラの叫びで我に返り、前に出る。

すぐに二重で《エアシールド》を展開させたが……正直、奴の前には心許ない。『悪魔』を証明するかのようなフォルムと巨躯は、人間の根源的な恐怖を刺激する。

「――■■■■……■■■■……■■■■。■■■■、■■■■――」

 震える足で立つ俺の背中から、エーラの詠唱する呪文が聞こえてきた。

 言葉の意味は解らないが、リズムはキマイラを一瞬で消滅させた時に唱えたものと同じだ。この魔法が完成するまで耐えれば、絶対に勝てる!

 気を抜けば崩れ落ちそうになる心に鞭を打ち、俺は悪魔の攻撃を待ち続けた。

「…………?」

 しかし、震えながら立つ俺の勇気を尊重してくれているかのように、悪魔はその場を微動だにしなかった。カーソルとネームタグが表示された時点で向こうも俺たちを敵と認め、攻撃対象にしているはずなのだが……立ち尽くしたまま啼き声すら上げない。

 これは……チャンスだ。何のつもりか知らないが、先制攻撃をさせてくれるというなら是非も無い。

 こちらには、エーラがいる。敵もまさか、最初の一撃がキマイラすら一瞬で消滅させた大魔法だとは思うまい。

「――■■■■、■■■■、■■■■。■■■■――」

 淀みなくエーラが呪文を詠唱していく。俺も最後まで油断せずに悪魔の攻撃に備え、全方位に二重の《エアシールド》を展開させた。攻撃も防御も完璧だ。

「――――――――」

「…………」

 冷や汗が頬を伝う。

 真紅の瞳は確かに俺たちに向けられている。敵意も感じる。それなのに、攻撃を仕掛けてこないとはどういうことなのか。

 これまで好戦的なモンスターには数多く対峙してきたが、その逆……こうも厭戦的なモンスターは初めてだ。

いや……戦いを忌避しているようには見えない。むしろ、真紅に燃える瞳は俺たちの血を渇望しているようだ。

 それなら、どうして――

「お待たせしました、ジン先輩!」

 キマイラ戦の無限時間が嘘だったように、あっけなくエーラが呪文を詠唱し終わった。

 悪魔は未だに何の行動も起こさない。

 エーラも最大限に警戒しつつ前に出て、両手を構える。

「……わたしの攻撃に合わせて反撃するつもりかもしれません。できるだけ回避するようにしますが……もしもの時はお願いできますか?」

「ああ、任せろ」

 最後の打ち合わせを終え、エーラが真っ直ぐに悪魔を見据えた。

 そして、キマイラをも一瞬で消滅させた大魔法が発現する。

「《メテオバースト》!!!!!」

 紫炎の光が悪魔へと走り――

 ――悪魔の身体に触れる直前で、かき消された。

「なっ!?」

「えっ!?」

 有り得ない! エーラの全力の大魔法を!?

「《魔法無効化能力》……!!」

 振り返ると、エーラが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「……話だけは聞いたことがあります。これまで一度も出合ったことはありませんでしたが……その能力を持つモンスターには、零距離の魔法以外、全てが無効化されてしまうと」

「なんだって!?」

 大魔法は詠唱後、構えから発現までにタイムラグが存在する。

 ボスモンスターともなれば、その隙は致命的だ。さらに、詠唱中・構え時点での被ダメージは、ほとんどの場合、詠唱キャンセルに繋がってしまう。

「つまり、こいつには魔法が……」

「ええ……使えないということです」

 キマイラには剣が使えなかった。今度は魔法か。俺個人としては《ファイヤーボール》よりも日本刀での攻撃の方が強いので構わないが、エーラの大魔法が使えないというのは痛い。

 そしてそれ以上に、あれほど巨大な異形に超近距離戦を挑まなければならないという事実は、精神的にも厳しいものを感じた。

「……仕方ありません。わたしが《ミストラル》の斬撃で仕留めます。ジン先輩はサポートを……と言っても至近距離では難しいでしょう。なので、お互い自分の回避に徹し、ジン先輩はできるだけ敵の注意を引きつけてくださると助かります」

「わかった。いつも通りだな」

 軽口を叩いたが、体の震えが止まらない。

 ……分かる。解ってしまう。あの悪魔が、これまで戦ったどの敵よりも……あのキマイラよりも、遥かに高次元の生物であるということが。

「――行きます!」

「うおおおあああああああああ!!」

 一歩だけエーラが先行し、その背中に勇気をもらって、やけくそ気味に走り出す。

 俺たちが近づいても、悪魔は何の反応も見せない。ただ憤怒の目で俺たちを睨みつけるだけだ。まるで、矮小な人間の悪あがきを心底疑問に思う、神のように。

「――やっ!」

 エーラが気合の発声と共に大剣ミストラルを振り下ろし、悪魔の足を斬りつけた。

 その瞬間、敵に与えたダメージが数値として表示される。それを見た俺は、思わず驚愕の声を上げた。

「10!? エーラの攻撃がたったの10ポイント!?」

 続いて俺も日本刀《一期一振》で斬撃を与えるも……そこに表示された数字は、システム上の最低ダメージである1。信じられないほど硬い敵だ。《闇の森》の高レベルモンスターですら《ミストラル》の一太刀に散っていったというのに、その斬撃で受けるダメージがたったの10なんて!!

「――――――――」

 無言のまま、悪魔が五月蝿い虫を叩くように手を振るった。

 しかしそれは平手ではなく、手の先には凶悪な鉤爪がついている!

「っ! ジン先輩! 避けて!!」

「わかってるっ! 〝阻め〟っ!!」

 俺のスピードなら確実に躱せたが、敵の力量を測る意味で二重の《エアシールド》を展開させた。

 鉤爪が二重の風壁に当たり――僅かに速度を落としたまま、貫いた。

「俺の二重エアシールドをあんなに容易く!?」

「ジン先輩!」

 衝撃的な光景に目を奪われたせいで、反応が遅れた。

 悪魔の手は二つある。凶悪な鉤爪も。

 俺の風壁を貫いた右と少しの時間を置いて、左の鉤爪が迫ってきていた。

「……っ!」

 俺はレベルアップによる能力強化ポイントのほとんどを《素早さ》と《視力》につぎ込んでいる。だから、こんなモンスターの攻撃を受けたら一撃でHPがゼロになってしまうかもしれない。

 エーラもそれを心配してくれたのだろう。このタイミングと俺のスピードならギリギリ躱すこともできそうだったが……万が一を考え、自分の身を犠牲にして俺を突き飛ばしてくれた。

しかしそのせいで、悪魔の鉤爪がエーラの細い身体に突き刺さった。

「エーラっ! 大丈夫か!?」

 突き飛ばされた勢いを利用してさらに距離をとり、エーラの安否を確認する。

 彼女も敵の攻撃を受けたまま転がり、距離をとっていた。

 とりあえず生きていることを確認して安堵のため息を吐いたが……確認したエーラのHPバーを見て戦慄する。全ステータスが八五〇前後のエーラが、三割近くもHPを奪われていた。ただの、一撃で。

「大丈夫です……。死んではいませんよ……」

 あはは……と笑うエーラも動揺を隠しきれていない。

 ……馬鹿げている。

 チート級に強いエーラが追い詰められるなんて、あっちゃいけないことなんだ。全ステータス八五〇というのは、RPGゲームならクリア後のお遊びで辿り着くようなステータス。メインストーリーに登場する敵がそんな数値で楽に倒せないなんてことになったら、制作会社はリコールされまくりだろう。

 キマイラ戦の前にぼんやりと考えていたことが現実になった。

 この世界が、バグったのだ。

「…………!」

 思考の海に溺れていると、気付かない内にエーラが立ち上がり、再度悪魔へと攻撃を仕掛けていた。

「やめろ、エーラっ! どう考えてもそいつには勝てねぇ!!」

「《ブリザードストーム》!!」

 零距離の斬撃に合わせての大剣技。

 これまで数々の強敵を屠ってきたエーラの主力攻撃。そのダメージは、僅か23ポイントだった。

「――――――――」

 信じられないものを見て半秒固まったエーラに、容赦なく鉤爪が振り落とされた。

「エーラっっっ!!!」

 まるで人形か何かのように吹き飛ばされ、漆黒の壁面に突き刺さる。

 あってはならない光景に血が凍り、頭は怒りでカッと熱くなる。そして、どこか虚ろなまま、無意識にエーラのHPバーを確認した。その色が、正常値の緑から中間の黄色を超え、危険を示す赤色に染まっている。

「おら! クソ悪魔! こっちだっ!!」

 今追撃されたら、命に関わる。

 そんな危機感とエーラを傷つけられた怒りで恐怖を吹き飛ばし、俺は悪魔の至近距離まで一気に走った。

「――――――――」

 幸い注意を引くことには成功したようで、憤怒の眼が俺を捉え、鉤爪を振るってくる。

 それを俺は自分の《素早さ》と《視力》だけを頼りに躱し続けた。

 ……行ける。確かに、敵のタフさ・攻撃力は脅威だが、スピードだけは断然俺の方に分がある。たとえ1ポイントずつでもダメージを与え続け、敵の全ての攻撃を避け続ければ――

 一瞬でもそんなことを考えた俺は、一瞬後、死ぬほど後悔することになった。

 敵は《ドラゴン》を除けば最後のボス。そんな敵に、これまで同様、俺の稚拙な戦術が通用するはずなかったのだ。

 鉤爪の攻撃ばかりだった悪魔が、初めて違う攻撃パターンを見せた。

 ブレス――――。

 それはキマイラのような高威力を秘めた火球ではなかったが、それ以上に厄介で、ずっと致命的だった。音も無く静かに吐き出されたそれは、ガスのように周囲の空間を漂う。そんな中にいてもダメージを受けず、その事実に気を抜いたのがまずかった。

 直後、身体が俺の意思を全否定するかのように地面に倒れた。

「!!?」

 この感覚を味わうのは本当に久しぶりだ。昔、エーラに内緒で未踏破エリアをふらふらして、スズメバチのようなモンスターの攻撃に遭い、冷や汗をかいて以来。

 脳裏に浮かぶHPバーは、異常を示す紫色に変わっていた。その下に、小さな文字で異常ステータスが表記されている。〝麻痺〟。

「ま……ず……っ!!」

 かつて経験した麻痺は、指先が動かせる程度のものだった。初めてのことだったので驚いたが、ポーチから解毒剤を取り出し、なんとか事なきを得た。

 しかし今受けている麻痺は、指先一つさえ動かせない。

 昆虫型モンスターなら紙並みの防御力な俺でも数撃耐えることができるが、目の前にいる敵では話にならない。エーラのHPを一撃で三割近く持っていった相手だ。俺のHPなど、掠っただけでもゼロになりかねない。

 悪魔が鉤爪を振り上げた。

 身体中の血が凍る。

 忘れていた恐怖が一気に甦る。

「ジン先輩っ!!」

 その凶器が俺に届く一瞬前に、ギリギリでエーラが助けてくれた。

 レベルアップボーナスで上げた《腕力》にものを言わせ、俺を抱えて悪魔の攻撃を躱すと、すぐさま解毒剤を振り掛けてくれる。

 だけど、ここじゃダメだ!

 まだ距離が充分じゃない――!!

「――――――――」

 再び悪魔がブレスを吐いた。

 普段のエーラならこんなミスをするはずがない。おそらく、俺があまりにも危険な状態だったため、焦ってしまったのだ。俺のせいで、エーラを窮地に追い込んでしまった。

「くっ…………!!」

 ポーションや解毒剤を始めとする回復アイテムも、僅かにタイムラグを生じる。使用したからといって、一瞬で回復することは叶わない。そのお陰で俺は、回復した瞬間に再び麻痺状態になることは回避できたが、そのせいでエーラを連れてすぐに離脱することが叶わない。

 徐々に痺れが薄れていくのを感じながら、精一杯首を動かしてエーラを見ると……胸の鎧が引き裂かれ、そこからは血が流れ続けていた。

「バカっ! ポーションを傷口にかけなかったのか……!?」

 体力を優先して飲んでしまったのかと思ったが、エーラの苦笑いを見て自分の考えが間違いだったことに気付く。

 治してないんじゃない。治せないのだ。

 昔……冒険を始めた頃。基礎知識としてエーラに講義してもらった中に、こんな話があった。攻撃には《属性》が設定されている。モンスターに対して有効な《属性》は必ず存在し、それを利用することで有利に戦えるらしい。そして、唯一《闇》属性の攻撃だけは回復アイテムでの治癒ができないから気をつけろ、と。

「くそったれ……っ!」

 あの悪魔はバグだ。何もかもが規格外。

 本来、この世界に存在してはいけない存在。

 ようやく動かせるようになった足を引き摺って立ち上がる。

 悪魔の次撃は、静かにエーラを狙っていた。

「うわあああああああああああ!!!」

俺は脚が千切れるのも覚悟でエーラの下へと走り、鉤爪が突き刺さる直前で突き飛ばす。

 次いで、襲ってきた鉤爪をギリギリのところで躱すことに成功した。

「…………っ!」

 唇を噛み締め、精一杯の憎悪で悪魔を睨んでも、真紅の瞳はただ静かに俺たちを見下ろすだけだ。

 俺はエーラを背負い、必死に来た道を引き返した。

 常に前進を続けてきた俺たちの、初めての敗走だった。





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