第七章 「血の饗宴」
すべての防衛網を食い破った西村艦隊に対して、レイテ湾口で最後の抵抗を試みようとしていたのは、第七艦隊司令長官キンケイド提督率いる火力支援艦隊だった。本来なら上陸作戦時の近接艦砲射撃と船団護衛を行うのが任務で、すでに損傷艦も出ている事から重巡一隻(英・シュロプシャー)、軽巡二隻(旧式のブルックリン級)、駆逐艦 一三隻が出しうる水上打撃艦艇のすべてだった。
だが、これすら散発的な空襲により一部が拘束されていた。他には、ロクな火砲を持たず水上戦闘には不向きな護衛駆逐艦、高速輸送船に改装されていた旧式駆逐艦、小さな武装艇、ロケット砲を全身に背負った中型揚陸艦を改造した火力支援艦やアンテナの化け物のような指揮艦が、支援艦隊の後方に続いていたが戦力とは言い難い。
そして戦闘艦以外は、突然地獄と化そうとしている場所から逃れようともがいていた。
彼らは大天使としてフィリピンを解放しに来た筈が、実はサタン率いる悪魔の大軍団に蹂躙される者達とまったく同列だった事を、この時思い知らされたのだ。
この時レイテ湾には、二個軍団・四個師団以上もの陸兵が押し寄せていた。
湾内には、依然として四〇隻以上の大型輸送船が碇を降ろし、多数の兵士を含む様々な荷物を抱えたまま揚陸の順番を待っている状態だった。七〇〇隻と言われた大船団の中核もいまだ在泊しており、膨大な物資と共に丸々一個師団(第二四師団)はその船の中で、他の部隊の多くも海岸部にさらけ出されているという有様だった。
しかも船団は混乱によって統制は乱れ、友軍船同士の衝突騒動すら起きていた。当然一つしかない湾の入口からの効果的な脱出などできる筈もなく、まさに蹂躙してくださいと言う状態だった。
しかも最後の盾となったアメリカ側の巡洋艦を中心とする小規模な支援艦隊は、回避するのも難しい海面で巡洋艦が戦艦、駆逐艦が巡洋艦、火砲を摘んだだけの支援艦が駆逐艦の砲撃を受けるという屠殺と表現できる状態だった。その抵抗も、僅かに煙幕を展開する事で任務を遂行しようとするのが実質的な限界だった。
西村提督は、角田提督率いる第二部隊に西側から包囲するように指示を出すと、自らは第一部隊を率いてそのまま突撃した。戦力差のあまり逃走を開始した一部の米艦艇を追いかけるようにレイテ湾奥地へと進む。
そして午前一一時二〇分、すべての防衛線を突破した西村艦隊は、眼前に広がる大船団を前に最後の電文をすべての通信帯に向けて発信した。
『天佑マサニ我等ニ有リ、全艦隊突撃セヨ』
◆
「今、文章化してあるのはここまで。これ以降の情報が欲しければ、図書室か何かで見ればすぐに分かると思うけどね」
ンンっーと、ネコのような伸びで長身をそらしつつ、橘さつきが二人に語りかけた。
そろそろ帰る時間を気にしなければならなくなっていた昼下がり。残る二人は、『大和』謹製のラムネを飲みつつ甲板上で小休止しながらさつきのノートPCを見ている。そして三人は、資料探しのため『大和』に別れを告げるか、ギリギリまで踏みとどまるかの決断を迫られていた。
さつきの言葉に、朝霧かすみは静かに首を横に振ると、決意を秘めた瞳を二人に向けた。
「ウウン、私は、見ても見なくてもあんまり変わらないと思う。それよりももう一度行こうよ。上に」
「せやな、行こか」
東雲みゆきはどこか気の引けた口調だが、次の言葉でその二人にもその訳がわかった。
「せやけど、ウチは二人と違うて、もう何もあらへんと思うで」
気が引けているのではなく、二人に済まなかったからこその口調だったのだ。
だからかすみはが優しく語りかけた。
「そんな事ないよ。もし私の意識が途切れていたら、ずっと手を握っていてね。お願い」
さつきも、私もと瞳を向けてきた。
そんな二人の態度に少し照れくさくなったみゆきは、取りあえずツッコミ入れた。
「よっしゃ分かった。せやけどさっちん、何やすっかり状況受け入れてんねんなぁ」
「ウン、もう深く考えない事にした。それに、少なくとも私達の心が蝕まれているのは確かだし。かすみはそれを乗り越えたみたいだけど、私達もこれを何とかするために前に進む事にしたんだ」
「さっちん。ウチらの為って言うよりは、かすみっちの為って口調やで〜」
みゆきは、あんまり真面目に答えられたので、取りあえずオチをつけた。案の定、隣ではかすみが、もーっ、ちゃかさないでよ〜と、少し嬉しそうな声をあげている。
だからそれを聞いて少し満足した。
非日常的だからこそ、こういう事は大切だと。
「何も、起きへんなぁ」
拍子抜けしたような声が、吹きさらしのため風が少し冷たく感じられるようになった『大和』旧防空指揮所に響いた。
「そうだね、もうお役ご免なのかなぁ……せっかく気持ちも固まったのに」
悔しそうにかすみが続ける。
「その気持ちを忘れなきゃいいんじゃないかな。これで全部終わりだっとしても、かすみの感じた事を話してたら曾お爺さんは喜ぶだろうし、これから本を作っていく上できっと役立つよ」
悔しそうなかすみに、さつきが声を掛ける。
そして同時に思った。
(必要ないなら、それに越したことないよね)
何しろレイテ沖海戦の最後に待っているのは、この戦いの名の由来となった惨劇なのだ。
いっぽう彼女たちの後ろでは、再びこの場を案内したくだんの水兵が待っていた。ただ、三人の会話は小さな声なので、そちらにまで明確に届く事はない。恐らくは、余程この場所が好きなのだろうぐらいに思っているだろう。
だから、三人がこの場を堪能しきるまで静かに待っている。
そうしてしばらく静かな時間が流れたが、かすみが小さく呟いた。
「もう、行こっか」
その言葉が合図になり、防空指揮所を後にし、ラッタルを下り、エレベータに乗り込んだ。
そこでさつきが水兵に語りかける。
「あの、この船の昔の資料や品などがある場所に案内していただけますか?」
まだやる気なんかいなぁ、そんなみゆきの視線に、違うよと小さく呟いたさつきが話を進め、水兵が立て板に水で色々と紹介していく。
資料室、図書室、艦長室や士官用娯楽室に飾ってある建造当時の品や展示物には事欠かない。記念館の入口付近には、古くなって取り外された大和の碇やスクリュー、露天式の高角砲がそのまま展示されていたりする。
それを聞いたさつきは、終点に到着したエレベーターから下りるのも忘れて、「う〜」と独特のうなり声をあげて考え込んでいる。
そこにかすみが、ふいに声をあげた。
「あ、そうだ。『にじしつ』って所は今でもありますか? 曾お爺ちゃんから、もしあるのなら今の状態を撮ってきてって頼まれてたの。色々事件が起きるから忘れるところだった、エヘヘ」
「『二次室』なら、もちろんありますよ。下士官用のガンルームで、正式には第二次士官室といいます。まあ要するに、権三氏のようなたたき上げの士官専用の娯楽室兼休憩室ですね。今では、本艦のような大型艦と空母にしかないものです」
水兵が立て板に水で紹介し、さらに艦長室などの反対側の士官・将校区画にありますから、すぐ近くですよと説明をそえた。
こういう時は、多弁も役に立つ。
「そういえば、そう言う所は見てへんかったなぁ。ほなチョットのぞいて行きますか? あ、その間に何見るか考えときや」
みゆきが、最後にさつきを小突いて意見をまとめ、そのまま艦の左舷居住区へと入った。
艦橋や煙突を挟んだ左側は、将校や士官の居住区となっており、休日公演日でも雑誌の取材などの特別な場合以外は公開されていない。だが三人の場合、海軍の客扱いで通っているし、先日のパーティの事もあって好意的に迎えられていた。
非番待機の人とも、気軽に挨拶したり会釈しながら目的地にたどり着く。
二次室の扉は開いており、中からはテレビの音、複数の話し声、さらにはパチッパチッという将棋を指す音も聞こえてくる。
そして部屋に入る直前、厳つい顔の将校とすれ違った。彼は中佐で、副長をしていた。前日のパーティではさつきの人生相談を熱心にしていた、いかにもなタイプの海の男だった。
その彼が、おおっ、と紀元も良さそうに声をかけてきた。
「今日は、我々の生活の見学ですか? 男臭くて幻滅したでしょう、ハハハ」
「あ、昨日はお世話になりました。国防大や江田島のお話、とても参考になりました」
「あんなんでよければ、いつでもどうぞ。それにしても、良くできたお嬢さんだ。うちの坊主にも見習わせたいもんだな」
「そんなことはりません。ところで、先ほどまであの部屋におられたんですか?」
「ああ、ちょっと用事のあるやつがいてね。二次室に用があるってことは、誰かお目当てでも?」
「いいえ、彼女の曾祖父が今もその部屋があるのなら、様子を撮影して来て欲しいと頼まれていたんです」
さつきを置いて部屋に向かっているかすみたちを指さした。
その言葉に、副長がウ〜ンとうなり声をあげる。
「朝霧権三氏の知っている部屋かどうか、少し疑問だな。レイテ沖、樺太沖の戦闘でこの部屋は敵の砲撃を受けて破壊されている。いや、朝霧氏は中華動乱でも乗っていたと聞き及ぶから大丈夫だろう」
「へ〜、そうなんですか」
レイテ沖海戦関連以外の知識が不足するので、さつきにはそう答えるしかなかった。それを見とがめた副長が続ける。
「あ〜、いや、すまない。戦史に興味でもないと知らないことばかり話して。あ、そうだ、マッカーサー将軍は知ってるか? 教科書にも出てくるだろ」
ハイ。さつきの言葉を受けてさらに続く。
「ウン。中華壟断の時、この『大和』も大陸沿岸まで行ったんだが、その時最初の奇襲上陸作戦で活躍したんだ。で、マッカーサー将軍がそれを賞賛して、わざわざ本艦まで来てその時に神業の技量を見せたベテラン下士官たちとも写真を撮ったんだが、その時のがあそこに飾ってあるよ。朝霧氏も一緒に写っている筈だ」
親指をグイッと部屋に向けながら、闊達に続ける。まあ、熱血でも説明が多いのは海軍の人だからだろうと、さつきは思う事にした。
そして、その親指の先には部屋に入ろうとする二人の姿があったので、別れを告げると足早に後を追った。
◆
開けっ放しの扉をくぐってビックリした。
かすみの目前には、無茶苦茶になった屑鉄の山、その向こうに海と空、そして陸地が広がっていたからだ。
「あ〜、こりゃいかんのぉ。帰ったら、かーちゃんに怒られるなあ。忘れもんはするもんじゃない」
「アハハ。朝霧少尉は、アメ公よりKAが怖いのですか」
「おう、そうとも。アメ公はどなったりせんからな」
周囲からは、権三と下士官の笑い声が聞こえる。
(ヤッタ、『夢』だ。あ、でも、いつどこなんだろ)
今かすみに分かるのは、戦闘の後ぐらいだ。
だが、権三たちはその場を後にすると、足早に艦橋上層部へと駆け上がり始めた。
周囲の景色がめまぐるしく変化するが、何とか手に入る情報から、先ほどのレイテ湾近くの情景と似ているところまでは理解できた。
(あの少し後……なのかな? だとしたら、もうすぐ最後の戦いだよね)
肩すかしをくらった後だったが、それだけに急に意識が高揚してくるのが分かった。
そう、もうすぐ聯合艦隊が、マッカーサーの大船団に攻撃を始めるのだ。そして、マッカーサーもろとも船団を全滅させなければいけないのだ。
そしてそれらすべてを見ていかなければと、かすみは思った。
そしてそうなることを強く、強く、強く願った。
かすみが一方的に想いを巡らせていると、周囲から聞き慣れた声が聞こえてきた。
場所は防空指揮所。声の主は、腕をつったままの見張長だ。
「朝霧、詰まらせたんじゃないだろうな。長い便所だ。まったく」
「申し訳ありません。ご迷惑おかけしました」
手をヒラヒラさせた見張長が続ける。
「いいって。ここをクソ臭くさせるわけにもいかんからな。ところでどうだった。あったか?」
「はい。ありませんでした。それどころか二次室中心に、あの辺り一帯瓦礫の山でした」
「そうか。そりゃどうにもならんな。だが、ここまで来ればお守りもそんなに必要ないだろ。後はブリキの山を踏みつぶすだけだしな」
その言葉に、権三が内心少し落胆するのが分かったが、今のかすみとしては権三の気持ちよりも、見張長の言葉に賛同したい気持ちだった。
(そう大丈夫。私も見てるから)
そして、いくぶん気持ちも落ち着いたかすみは、取りあえず手に入る限りの情報を探してみた。
といっても、もともと権三自体が見張員に過ぎないので、手に入る情報はいつも限られているし、彼女自身が情報を理解できない事も多かった。
だから、分かったことといえば、時間が午前十時少し前、防空指揮所に艦長の姿がないので、空襲の危険は少ない。そして周囲には島が迫っていて、遠く前方には何本もの薄い煙の帯が見えている事ぐらいだった。
(あっちがレイテ湾ね。……あれ? あれも日本の戦艦なのに、どうしてあっちに行くんだろ)
かすみが、「大和」を含む隊列から進路を逸れていく艦隊を見ていると、そこに幾つかの情報が流れ込んできた。
どうやら、カクタという人に率いられた集団が別行動をとって、液を取り囲もうとしているのだと、かすみにも理解できた。
(なるほど〜。じゃあ、これでマッカーサーも逃げられないよね。さつきちゃんの書いたやつだと、強い敵の船はもういないし。ウン、大丈夫)
そう思い意識を強くしてみるが、今までとは違う焦燥感が、徐々にかすみの心を支配していた。そしてそこから、忽然と一つの不安が頭をもたげてくる。
(でも、『本当の歴史』って私よく知らないな。さつきちゃんは、知らなくても大丈夫みたいなこと言ってくれたけど、私が強く念じすぎて、死なないはずの人が死んだりしたらどうなるんだろ。それにその逆も……)
考えれば考えるほど不安が広がっていく。
思いを新たにしたからと言って、不安が消えることなどない。特にこれから戦闘が始まろうという直前だけに、そうした思いは強かった。
果たして自分は、すべてを見届ける事ができるのか。水かrなお思いが運不運を左右するとして、それが歴史通りの状況を作りだしてくれるのか。
みゆきなら、その時思った事こそが歴史なんだと言ったかもしれないが、今まで深刻に考えたこともない彼女にとって、今の不安はそれまでに感じたことのない恐怖に似た思いだった。
しかもこの場に答えを出してくれる人はいない。
だが、刻々と歴史的瞬間は迫っていた。
様々な報告も、米艦隊が接近している事を告げていたし、日本側の準備が整っていく事も伝えていた。
そうして逡巡していると、先ほどの権三の想いがフラッシュバックした。
(そうよ、曾お爺ちゃんもマッカーサーが死ねば戦争が終わるって言ってたんだから、そうなるように願えばいいんだ)
そう強う思い、曾お爺ちゃんと共にあるのだと考えると、力が沸き立ってくるような気がした。そしてかすみが思いを強くした時、一つの報告が全艦、いや全艦隊に駆けめぐった。
「敵影認む! 距離一万八〇〇〇。数およそ二〇。先頭は英「ケント級」巡洋艦、および「ブルックリン級」巡洋艦!」
(よしっ!)
かすみがそう思ったところで、不思議な感覚が襲った。
何かに引き上げられるような、引き剥がされるゆおな感覚。ここから強引に退場を迫られるような感覚だった。
だから、意識を集中するため視界を閉じて強く念じた。
(ダメっ! 『夢』から醒めないで! 私は見なくちゃいけないの! マッカーサーが倒れるまで、見なくちゃいけないの!)
しかし、強く思えば思うほど意識はおぼろげになっていき、最後に意識が途切れた。
◆
かすみが意識を取り戻した時には、そこは現在の二次室だった。数人の下士官が思い思いにくつろいでいて、中の何人かがこちらを見ている。
「あ、あぁ……」
全身の力が抜けるような錯覚がした。
現実はほんの一瞬、もしくはそれ以下の時間しか経っていないらしい。かすみの場違いな声に、ようやくみゆきが少し緊張した顔を向けてきた。
「どないしたん? 拍子抜けしたんか?」
みゆきの言葉をかすみは適当に誤魔化し、あとからさつきが入ってきたところで、部屋の色々な確度を撮影して、時間も急ぐべきだと言ってそそくさと部屋を後にした。
普段のはしゃぎようがないので二人は怪訝な瞳を向けてきた、かすみが何も言わない以上、特に詮索することはなかった。
部屋から出てあるきながら、さつきは何となくと言った口調で話し始めた。かすみには、さつきが彼女なりに気を遣っているのが良く分かった。
「あのさ、モノクロの集合写真の中に、マッカーサー将軍と曾お爺さんが一緒に写っているのがあるんだって。急いでいたし、パッと見分からなかったから、後で画像を詳しく見てみようね」
さつきの言葉に、かすみがギョッとした。
「え、どうして? 敵だったマッカーサーと曾お爺ちゃんが一緒に写ってるの? レイテでマッカーサーが捕虜だっけ、それになったの?」
「違うよ。太平洋戦争よりずっと後、中華動乱の頃の写真だって、副長さんが言ってた。それに中華動乱なら、日本とアメリカは度生め一区だよ。今みたいに」
「えっ? えっ? マッカーサーってそんなに長生きするの? どうして?」
「どうしても何も、それが歴史やからやろ。中華動乱いうたら、確か昭和二五年ぐらいやで、なあ」
みゆきは、うちでもそれぐらい知ってるでぇ、と言いたげだ。
「ウン。レイテじゃ、陸に上がっていて難は逃れているよ。資料ではそう書いてた」
「え、でも曾お爺ちゃんは、マッカーサーが死ねば戦争が終わって言ってたけど……違うの?」
かすみの声が徐々に小さくなっていく。
そんなかすみの言葉に心咎めるものを感じたのか、さつきが言葉を選びながら諭すように口を開いた。
「ウン、違うよ。戦争は礼手斧戦いからもう半年ぐらい続くし、マッカーサー将軍は、戦後満州の占領統治をして、中華動乱で国連軍の総司令官になるんだよ。やっぱり、これぐらいは教えておいた方が良かったね。ゴメンね」
ウウン。かすみが小さな声で首をフルフルし、そのまま二人の耳元でささやいた。
「あ、あのね、今の部屋に入ってすぐ『夢』を見たの。それでね、祟ったりはしてなかったんだけど、私そこでマッカーサーが死ねば戦争が終わるんだって、ずっと思い続けていたの。けどそこで急に『夢』から醒めたんだけど。大丈夫かな?」
それを聞くと、みゆきはウ〜ンと唸り込み、対照的にさつきが耳元でささやき返した。
何やらそうしていると、恋人同士にも見える。
「大丈夫だと思うよ。結果はそこでは出てないんだから」
さつきの顔はどこか安心した風だ。
いっぽうのみゆきは、少し考える素振りをしてから、呟きをもらしていた。
「マッカーサー将軍が死んだらあかんのに、かすみっちそう強く思たから、『夢』から弾かれたんやろか? ……やっぱり、人ならざる者の存在を感じるなぁ」
そんな言葉に、二人はアッという表情をしたが、当のみゆきは独白もどこへやら、唐突に思い出したとばかりにさつきに顔を向けた。
「あ、それよりさっちん、さっちん、どこ行くか決まったか? 早よせな、船から降りてまうで」
その言葉に、さつきはいつものポーカーフェイスが完全に崩れていた。シマッタという顔をかなりの時間浮かべると、そのまま「ウ〜」と小さなうなり声をあげて考え込んでしまった。完全に失念していたのだ。
かすみも、アララという表情を浮かべて苦笑しているので、その時これ以上『夢』の話題が触れられることはなかった。
そしてなかなか結論のでないさつきは、二人に引っ張られるように連れて行かれ、結局そのまま艦と岸壁を結ぶラッタル前まで来た。
ここで三人(+水兵)は一旦停止したが、それは今『大和』にあがってくる人の姿を認めたからだ。その人とは、現『大和』の艦長、爽やかな笑顔の似合うオジサマだ。
三人の姿を認めた艦長も、少し駆け足になって甲板上に上ってくる。
「いやいや、レディファーストを無視して申し訳ない。だが、まだ残っていてくれて本当によかった」
どうかされましたか艦長。何かに付けて良く気の付く水兵が問いかけた。
それに艦長が、いつもの爽やかな笑みを三人に向けて応じた。
「ウン、大切な用事だ。昨日の宴席は私用で参加できなかったので、その罪滅ぼしをと思って三人を探していたんだ」
「別に罪滅ぼしだなんて」
キョトンとしたような顔のかすみとみゆきが、少し恐縮して答える。
だが、さつきだけはいまだに考え事を続けているらしく、艦長への反応は曖昧だった。と言うより、明らかに眼中になかった。
だからだろうか、艦長は小脇に抱えていたものをさつきの頭の上にのせた。
「ハハハ。ではまず、罪滅ぼし第一弾」
それは、『BB11・YAMATO』と書かれた鍔の広い将校の被るようなフェルト帽だった。
それでようやく現実に返ってきたさつきが、目をパチクリさせている。
その反応に困った艦長は、さらに苦笑いを浮かべつつ、さつきの手に何かを握らせた。
続けて、他の二人にも順に同じものを手渡していく。
「ホントなら、お嬢さん方に差し上げるのなら、可愛いものやお菓子、ケーキの方がいいんだろうけど、これで今回は我慢してください。では、またのご来艦を乗員一同心よりお待ちしています!」
最後に見事な敬礼を決めると、最後のエスコートをすべく目の前のさつきに腕を差し出そうとした。もっとも、呆然としたままのさつきの手には、小さな小箱が乗っかたままだった。
それはフェルトで覆われた何かメダルや勲章のようなものを入れる小箱で、その上には小さな真鍮のプレートがあって、こう書かれていた。
『軍艦大和・名誉乗組員章』
だが、その時、さつきの意識は途切れていた。
◆ ◆ ◆
さつきの眼前には、『武蔵』とおぼしき艦があり、右側には第二水雷戦隊、左側には二隻にまで激減した第五戦隊(旧第四、第五戦隊の集成)が併走していた。
それ以外の友軍については見当たらないが、闘将角田提督の艦隊が逃げる事などあり得ない。どこかで別行動を取っているのだろう。
眼前にはジャングルが迫っており、それは主に右側がクッキリした輪郭をしていた。
そして、ここですべての情報が繋がる。
第十三任務部隊と接触する直前、レイテ湾口にさしかかった西村艦隊なのだと。
そしてさらに思った。
(あと三〇分もしたら、レイテ湾に地獄の蓋が開くって状態になるのか。もう第一遊撃部隊は二手に分かれて、その蓋を開けようとしているんだ)
そこまで思うと、自らがこれを見ている原因を考えてみた。
海軍一族と言う現『大和』艦長がさつきの身体(手)に触れたからだろうか、それとも何か手渡されたものが原因だろうか。また、どちらかが原因だとするなら、二人もこちらに意識がきているのではと考え至った。が、そこでこの思考の空しさを感じた。
(どっちにせよ今は一人。私が何とかしないと)。
そしてかすみの決意にも似た想いを聞いたさつきとしては、取るべき行動は一つしかなかった。『宿主』が不足する情報を与え、すべてを「歴史」通りにする事だ。
おあつらえ向きに、眼前に敵艦隊が迫って来る。バーケイ少将麾下の第十三任務部隊だ。
英重巡「シュロプシャー」、軽巡「ナッシュヴィル」、「サヴァンナ」を中核として駆逐艦 一三隻から構成された、上陸支援用の小艦隊だ。
それ以外にも、駆逐艦や軍艦にすら見えない艦艇もその後ろに見える。それらのうち、主力と思われる集団が接近しつつあり、遠目に左側に向かう艦艇の群も見える。
(これがレイテ湾の上陸軍を守る最後の騎士たち、西村艦隊が砕くべき最後の壁なんだ)
そこまで思うと、心の奥底から強い感情が沸き立つのを感じた。
((叩き潰せ))
その感情は、すべての生物の中で人間だけが持ちうると言われる純粋な破壊衝動で、特に男性が強く感じるとされるものかもしれなかった。
彼女の破壊衝動も、戦闘の瞬間が迫ると共に高まっていく。その思いは、その場にいる人々よりも純粋なものだった。自分自身や親友が一瞬で消えて無くなってしまいたくなければ、相手が滅びることを願い続けるしかなかったからだ。
そうした想いが、心の奥底にある何かにスイッチを入れた。しかも彼女は、冷徹なまでの観察者のままであり、その二つが重なり合わさったさつきは、『大和』の主砲が火を噴くまでに一個のキリングマシーン、殺戮装置のようになっていた。
その意を受けたように『大和』が吠えた。
三五秒後、第一弾の三発が、ブルックリン級軽巡洋艦の「ナッシュヴィル」近辺に弾着する。
もちろん外れた。
(……。次)
冷静に思うと同時に、六発の一四六〇kgの主砲弾が秒速七八〇メートル/秒で解き放たれる。
次は包み込むように水柱を吹き上げた。
(畜生)
だが命中の閃光はない。今度は、味方に怒りの感情がこみ上げる。しかし次の瞬間、敵艦隊の先頭を走っていた艦艇が弾けるのが眼に入った。
それは、バーケイ少将の座乗する英重巡「シュロプシャー」。一分一秒でも時間を稼ぐべく、雄々しく突撃してきたものだ。だが、砲術の大家猪口少将指揮の『武蔵』が放った正確無比な砲弾は、既に天使と共に天空へ駆け上っているであろうバーケイの意志と決意を果たさせる事はなかった。
「シュロプシャー」は、英国が建造した「ケント級」という重巡洋艦だ。第一次ソロモン海戦で全滅したオーストラリア海軍に編入された彼女は、同じ英国人が「ホテルシップ」と皮肉を込めて自らを揶揄し、対して日本の巡洋艦を「飢狼」と彼らなりの皮肉を込めて賞賛した故事を立証するようだった。日本海軍の艦艇が放った二発の四六センチ砲弾によりその身を撃ち抜かれ、誘爆を繰り返しつつその場に停止。艦橋と三番砲塔近辺が無茶苦茶に壊れ、戦力価値は消滅していた。
その一部始終を目にしたさつきは、喝采に近い感情が爆発するのを感じた。
それは、先日の夜間戦闘では感じなかった感覚、というよりは押さえ付けることに成功していた感覚だった。昼間なので相手の様子がよく分かるという事を加味しても、通常なら行きすぎた感情と彼女自身が受け取る事だ。実際、早朝の護衛空母との戦闘の時も冷静でいられたのだ。
だが今のさつきは、荒ぶる感情に身を任せていた。
そして、彼女の感情をさらに高ぶらせる光景が目に入る。
『大和』の第三射が、ついに「ナッシュヴィル」を捉えたのだ。
「ナッシュヴィル」の二番砲塔が、折紙の箱を潰す時のようにひしゃげると同時に火柱が噴き上がる。一瞬の後、その爆発が前後の砲塔近辺に及び、そして艦橋手前でポッキリと二つに折れ、巨大な黒煙と水柱、渦巻きを作りつつ海神の御許へと急行していった。
さつき自身は、その光景をコンマゼロ秒単位で感覚的に知覚し、「ナッシュヴィル」とされる物体が死を迎えていく瞬間を、生物的絶頂を迎えた時のように歓喜に震えながら見つめ続けた。
敵をうち砕く瞬間の何と甘美な事であろう。
文学に素養がある者なら、そう表現し自らの感情に浸ったかもしれないが、今の彼女にとってはそれも一瞬の事だった。抵抗力を無くした者にすぐに興味を失うと、牙を突き立てようとする敵を探し求めた。
だが、『大和』の主砲が次の獲物を探す間に、「ナッシュヴィル」と同じ形をした「サヴァンナ」は『信濃』によって他二隻と似たり寄ったりの、海上の前衛芸術へと変化していたので、その次に脅威となりうる者へと鋭く視線を向けた。
そして目に止まったのは、六隻で隊列を組みながら接近してくる駆逐艦だ。既に「長門」と第五戦隊によってしたたかに打ち据えられている。後方で一隻が黒煙をあげながら停止し、残りのうち三隻も損傷の煙をたなびかせつつも勇敢に接近を続けていた。
その上部構造物からは、彼らの貧弱な発砲の煌めきも見えるが、距離が一万四〇〇〇メートル近く離れていては五インチ砲程度では有効弾を送り込む事は難しい。彼らの持つ最大級の武器である魚雷も、有効と判断できる射程にはなかった。
(なぶり殺しだな)
生身であるなら、舌なめずりをしかも知れない感覚でそう思う。同時に冷静な思考も巡らせ、彼女のそうした二つの思いを受けたように『大和』が再び火を噴いた。
(相手は防御皆無。これ以降は、全砲弾の半数以上を占める三式弾で十分だね)
もちろん『大和』ばかりでなく、他の二隻も同時に砲をそちらに向けていた。主砲、副砲双方による砲撃で、残り五隻のうち三隻が消滅し、そのうち一隻はこちらに向けて放つ寸前だった魚雷に誘爆したらしく、僚艦にも火災を振りまいて砕け散っていった。
そして生き残った一隻の駆逐艦が急速転舵して逃走を開始したが、既に八インチ砲でしたたかに打ち据えられ黒煙をたなびかせていた。開戦頃の日本海軍なら、武士の情けと見逃したかも知れないが、ここは地獄の蓋が開いたレイテ湾だった。
(逃がすな)
さつきがそう思う間もなく、各艦の主砲や副砲が降り注ぐ。誰が撃ったのか分からない程の砲弾が集中した哀れな駆逐艦は、ボロ切れのように我が身を切り裂かれると、その姿のままレイテ湾奥ではなく地獄、もしくは天国へと逃走していった。
(次は……)
どん欲な視線を火焔でかすむ視界に巡らすと、絵に描いたように次の獲物が姿を現した。
現れたのは、護衛駆逐艦、旧式駆逐艦、火力支援艦、そして一見ただの輸送船だった。
それぞれ火砲や機銃は装備しているが、そのどれもが水上戦闘など考慮していなかった。
護衛駆逐艦は、手数こそ多いが三インチ砲と四〇ミリ機関砲しかない。旧式駆逐艦は、高速輸送船に改装されているので、ただでさえ貧弱な戦闘力は就役時の三割程度だった。火力支援艦と仰々しく命名されたそれは、排水量数百トン程度の中型揚陸艦に一門だけ五インチ砲を搭載したり、全身にロケット砲を背負い込んだだけだった。一見ただの輸送船に至っては、指揮通信システムを満載した揚陸指揮艦に過ぎなかった。武装など形ばかり搭載された数門の五インチ砲と四〇ミリ機関砲があれば良い方だろう。
しかもその殆どは、彼らが守ろうとしている羊達と同じく、二〇ノット以上の速力が出るものは極めて稀だった。突進するにしては、あまりにも足が遅すぎた。酷いものは、守るべき輸送船以下の速力しかない。
だが、彼らは敵であり、闘う力を持ち、そして何よりこちらに間違う事のない敵意を向けていた。
ならば、する事は一つ。全身全霊を以て叩きつぶすしかない。
『大和』は吠えた。第一遊撃部隊の生き残りすべての艦艇も一斉に火蓋を切った。
『大和』が最初に狙ったのは、位置の関係から三隻が横並びでよたよたと接近してくる火力支援艦だった。
その頭上に、三発の零式弾が時限信管に従い一斉に炸裂。四方八方から降り注いだ炎の矢が、貧弱極まりない元中型揚陸艦の中心を進む一隻の頭上で花開いた。
炎の矢は、眼下の船を火焔地獄にたたき込むと同時に、接近していた両翼にも炎の手を伸ばしていく。
そして両翼の船からも派手な火の手が上る。
ロケット砲は、射程が短いため接近しなければ発射しても意味がないのだが、その火力が零式弾によって一斉に解放された。不心得なロケット弾はその場で誘爆を繰り返して船と乗員を焼き尽くし、多少は自らの仕事を覚えていたものは、取りあえず天空へ向けての飛翔を開始した。
だが、その中には不忠者や粗忽者もいくつか混ざっており、丁度落下先にいた味方の艦艇の上に落ちたり、水平に近い弾道を描きながら側面から突っ込んでいった。
そのロケットの一部が、彼女たちの少し前を進む高速輸送船に改装されても健脚を失うことの無かったオールドミス達にも降りかかった。
見る間に混乱が広がっていく。
とにかく、上陸支援を目的とした艦艇は、中近距離火力はともかく速度が話にならないほど遅い。自らが火力をひらめかせた次の瞬間が、その死を意味するというような戦闘が続いていく。
攻撃する西村艦隊からすれば、下手くそな対水上艦射撃で位置を暴露した後は射撃標的そのものだった。
まともな対水上艦戦闘の訓練を受けていない米艦船は、西村艦隊の攻撃で出鼻を挫かれ、立ち直る暇を与えず次々に破滅的な現象が連続していった。降り注ぐ砲火、連続した爆発、砕け散るかつての艦艇だったもの、その中に含まれていた七〇%が水分で構成されていたもの。
二二ノットで突撃を継続する第一遊撃部隊・第一部隊の残存艦艇、一三隻の周囲は死に満ち溢れていた。
しかし、まだまだ序の口だ。
料理で言えば、いよいよ二つ目のメインディッシュ、白身魚の次の血をしたたらせた肉料理に取りかかろうとする直前の赤ワインのようなものだ。
そして彼らの眼前には、一〇万人の大部隊という、かつて誰も食べたことのないメインディッシュが、さあ食べてくださいと言わんばかりに横たわっていた。
だが、最後の抵抗を試みた艦艇が、展開半ばで中断を余儀なくされた煙幕と、彼らの断末魔の火焔が生み出した黒煙が付近の視界を悪化させていた。おかげで、逃走するわずかばかりの敵艦艇以外、いまだ七〇〇隻と言われる大船団をその目に収めることは出来なかった。
(早く、早く! 敵が逃げてしまう!)
既に忘我の境地に至っているさつきの心は、まもなく目にするであろう敵と、それらが見せてくれるであろう殺戮ショーに心を焦がしていた。
それは観察者や傍観者、はたまた劇場に詰めるご婦人と言うよりは、時計の一秒の針の動きすら気になる恋人を待つ乙女のそれに近いだろう。
つまり彼女は、純粋な暴力に完全に飲み込まれていた、もしくは人間の持つ純粋な破壊衝動が大きく鎌首をもたげている暴力の代行者と言えた。
そして、臨時雇いの破壊神となったさつきの眼前に、ついに彼女が待ちこがれていた情景が広がった。
それは午前一一時二〇分、『天佑マサニ我等ニ有リ、全艦隊突撃セヨ』と西村艦隊司令部がすべての通信帯に向けて発信する二分前の出来事だった。
破壊の女神は、鋭くそして的確に敵情を把握していく。
(大型タンカー三隻、リバティー級輸送船、及びその改良型約三一隻、LSD三隻、LST一三隻、LSM一四隻、LCI一九隻、駆逐艦改装の高速輸送船、残存三隻、護衛駆逐艦四隻、駆潜艇三ないし四隻、その他武装艇、雑務艦複数あり。うち碇を降ろし煙の小さなままのもの、概算で四割。もうかなりが拠点に帰っている)
記憶の中のデータと眼前の光景を総合すれば、以下のデータが今分かりうるすべてだった。この情景を破壊しようとしている者の中で、恐らく彼女こそが最も詳しいデータの持ち主だった。
そして彼女の望む通り、鋼鉄と硝煙、血に彩られた饗宴の幕が上がる。
真っ先に火蓋を切ったのは、艦隊全体の速力が第一部隊よりも早く、既に湾口西側に展開し、攻撃命令を待ちかまえていた第二部隊だった。
闘将角田覚治中将指揮の第二部隊は、この時最も大きな勢力を保持しており、まだ大きな損傷を受けていない戦艦「金剛」、「比叡」、「榛名」を中心に、集成編成となった第七戦隊の「最上」「三隈」「熊野」「利根」と第十戦隊の「能代」以下駆逐艦七隻が付き従っていた。
彼女たちが、一斉に火蓋を切った。
狙い澄ましていたその砲弾は、戦艦、重巡の砲弾が零式弾、三式弾だった事もあって、その殆どが敵に何らかのダメージを与えた。中でも大型タンカーの一隻とリバティー級輸送船の何隻かは、その砲撃による破壊など児戯とも思える破壊を振りまいた。
ガソリン燃料と搭載弾薬がそれぞれ誘爆したからだ。
周囲では、余波を受けた輸送船の誘爆の輪が広がり、草原を駆け抜ける野火のように広がるガソリン火災は、既に水面に落とされた人々を灼熱地獄へと陥れ、さらに死の輪を広げていた。
第一部隊も第二部隊に遅れまじと砲撃を開始し、暴力的な破壊でレイテ湾を深紅と黒煙で彩っていく。ついに地獄の蓋が開ききった瞬間だった。
だが、さつきの目指す破壊と死は、そのような小さなものではなかった。この中に、眼前の光景よりももっと甘美な感覚を与えてくれる船の群が居るはずだった。
だから目を皿のように、精神を明鏡のように鎮めて目標を探し求めた。
(見つけた、アレだ)
確信に満ちた感情と共に熱い視線を注いだそこには、海岸に向けてノロノロと進む船の一団があった。それこそが彼女が探し求めていたものだった。
(奴らを海岸に座礁させるな。中の兵隊達が逃げてしまう。その前に踏みつぶせ!)
さつきは強く、強く、強く念じた。
そしてそこに、一通り破壊を振りまいた第一部隊のほぼ全力が、猛烈な射撃を開始する。
半数近くにまで数を減らした第二水雷戦隊も、もう撃つべき魚雷もほとんどないのに、我らの任務は敵意ある存在に突撃すること、と言わんばかりに新たな獲物へと突っ込んでいく。
さつきの視界には、魚雷をまだ残していた「島風」が、日本海軍最速の大型駆逐艦が、優美かつ凶悪な姿を誇らしげに見せつけ、最後の魚雷を放っていく様が見えた。もちろん放つのは、日本海軍の秘密兵器九三式酸素魚雷だ。
胸の空くような光景だった。
だが、眼前で連続する光景は、いささか期待はずれなものだった。
(思ったより数が少ない)
近くで炸裂した約一・五トンの砲弾により砕け、焼き尽くされつつある大型輸送船からは、灼熱地獄から何とか脱出しようとする陸軍兵士が、燃えながらポロポロと海面に落ちていた。似たような光景が周囲の輸送船からも遠望できる。
船内で三式弾が炸裂した舟艇を大量に搭載した輸送船など、視覚的には残念な事に乗員の脱出を許すこともないまま四散した。
だが、数が少なかった。
冷静にそして正確に目算をしていくが、どう見ても一個師団、二万人程度しかその地獄の中にはいないようだった。
その思いは、沈み行く輸送船の側を全身から火線をほとばしらせながら友軍駆逐艦が高速で通過し、海面に血と肉片の赤黒い帯を作り出す光景が目に入っても変わらなかった。
(ダメだ、この程度じゃ米軍の戦意は挫けない! まだだ、もっと、もっと……)
そこで一つの「歴史的事実」に思い至った。
(そうだ、艦砲射撃だ)
この近辺の陸地には、既に一〇万人近い陸兵の多くが上陸している筈だった。
現にレイテ湾の砂浜を構成するそこかしこに、積み上げられた膨大な物資の山が見える。目を凝らせば、その間を右往左往するまるでアリのような人の動きも見えてくる。
だから、久しぶりに『宿主』の意志を積極的にプッシュしてみる事にした。
そしてそこでようやく気付いた。
自らの意識が、独りでその光景を眺めている事を。
もちろん、今も『宿主』の意識の片隅を間借りするような感覚はあるのだが、この戦闘に入ってからの彼女の意識に入る情報は、どう考えても一人の人間から入る情報ではなかった。
簡単に言えば、感覚や意識が広がっているのだ。
複数の人間の意識を共有している、もしくは『大和』そのものの意識と一体化しているというイメージをさつき自身は初めて感じた。
ただし、それを正しく理解するには、時間がなかった。それに今は、目の前の殺戮を拡大継続させる事こそが彼女の意志であり、止めようもない感情だった。
そして彼女の意を受けたように、第一戦隊司令部から艦隊司令部に戦艦部隊による艦砲射撃が意見具申され、それはすぐさま了承された。
『第一、第三戦隊ハ、速ヤカニ付近一帯ノ艦砲射撃ヲ成セ』
第一戦隊の先頭を走る「武蔵」が、再び今出しうる限界の二二ノットに増速した。
安全深度を確保できる水域まで、直線距離で後五キロ程度前進しなければならず、ノロノロ進んでいてはジャングルの奥へと待避しつつある米上陸部隊をその分だけ逃してしまうからだ。
だから、眼前でノロノロと逃げまどっていた戦車揚陸艦が進路上にあっても無視された。
そして揚陸艦が「武蔵」の艦首に引き裂かれ、腹の中に満載されていたM4シャーマン戦車を海面にぶちまけた時、再びさつきの意識が弾けた。
同時にそれは、殺戮の時の再開を告げる号砲ともなった。
付近では、巡洋艦以下の殺戮が砲弾の続く限り継続されているが、第一、第三戦隊はそれぞれ適当な位置でルーチン的な艦隊運動を開始すると、持てる牙のすべてを地上へと向けていく。
戦艦七隻、四六センチ砲二七門、四一センチ砲八門、一四インチ砲二四門、その斉射あたりの総量六〇トンを越える一斉射撃は、壮絶の一言に尽きた。
一斉射撃の瞬間、さつきはおおっぴらに語ることがはばかれるような強い刺激を感じた。それどころか、それ以上だったかも知れないとすら感じた。
それは、一瞬意識が遠のきそうになった程の感覚。そう、快感だった。
一方で、砲弾の破壊力を正確に観察する彼女もあり、さらに余った思考の片隅では、そう言えばこういう暴力的な情景を見た男性は、性的興奮に近い感情に包まれるって聞いたな、とも思った。
いまだ欠けることなく七隻いる戦艦の腹の中には、まだ六割近い砲弾が残っていた。その総量を全部ぶちまければ、三〇〇〇トン、三キロトンもの鉄量になる。
これは、小型の戦術核に匹敵する破壊総量であり、B17約五〇〇機が一度に襲来し、ハンブルグの街を破壊した時に等しい威力だった。さらに言えば、砲弾そのものが生み出す運動エネルギーを破壊力として換算すれば、その数字はどれ程になるのか、数学的な知識の不足する者にとっては、想像することすら難しい力となる。
戦艦の艦砲射撃が野砲一〇〇〇門、七個師団の破壊力に匹敵すると揶揄される事もある。もしその算定が正しければ、野砲戦艦一隻が野砲七〇〇〇門、約五〇個師団の破壊力が、今この時地上に向けて発揮されている事になる。
事実「大和」の一斉射で、米軍の一個歩兵中隊や戦車部隊が一瞬で消滅したほどなのだから、破壊力の凄まじさも多少は理解できるだろう。
確かにこれで、何かしらの感覚に包まれない方が不思議というものだった。
七隻の艦艇、ちょうど地獄の軍団長と同じ数の戦艦は、それぞれが海の軍団長リヴァイアサンとしての役割を果たし、悪魔長サタンですら満足したであろう完璧な仕事を成し遂げていった。
即席で砲撃区分を決めると、まずは人と物資が犇めく海岸から一キロのエリアを絨毯砲撃し、そこに積み上げられた物資による誘爆も手伝って短時間で破壊し尽くすと、次は二キロ、そして四キロ、さらにその向こうにある目立つ目標へと破壊を振りまいていく。
発砲間隔は艦砲射撃なので一分感覚、約一時間、約五〇斉射した時点で目に付く目標をすべてを破壊し尽くした。
何しろ相手は、ロクに防護施設を作る間もないまま砲撃に晒されているのだから、戦艦の巨砲群が破壊するなどワケなかった。
ただし、破壊目標で唯一例外とされたのが、マッカーサー将軍が付近にいると思われたタクロバンの街だった。この殺戮戦において、一般市民を巻き込むことを是としない日本軍が、唯一示した人道的行動となった。
だが艦砲射撃の実施された約一時間、付近一帯は地上の地獄へと化した。東部ニューギニアの戦場と同じように、日本軍を蹂躙する筈だったアメリカン・ボーイズは、海の悪魔の軍団長たるリヴァイアサンに食い尽くされる生け贄に任務を転属させていくだけの存在に成り下がっていた。
そして戦艦七隻、総量二五〇〇トン以上の砲弾が海岸と付近のジャングルをクレーターの群に作り替えた時、ようやく殺戮に飽きた第一遊撃部隊が引き上げを始めた。
時に一九四五年一月二五日、午後二時一四分の事だった。
旗艦「武蔵」から送られてくる『集マレ』の信号を眼前に見ながら、戦場の空気に意識の大半を飲み込まれていたさつきも、ようやく成すべき事が終わったと感じ、そこで全身の力が抜ける気がした。
そしてその憑き物が落ちたような感覚を味わった時、初めて何か温かいものが自分の身体を覆っている事に気付いた。
それは良く見知った感覚であり、その暖かな感覚に自らの意識を委ねると、不意に意識が遠のいていくのを感じた。
・
・
・
橘さつきが瞼を開くと、そこはどこかの医務室、もしくは病院の中だった。少なくとも、目に入るすべての情報がそう教えていた。ただ、いつもと違うのは、身体が少し重い事だった。
だがそれは、彼女の胸元あたりから見えてくるもので察しが付いた。
手入れの行き届いたフワフワした髪。いい匂いのしてくる髪。それは紛れもなく朝霧かすみのもので、彼女がさつきを抱きかかえるように上から覆い被さっている事を教えていた。
その視線の向こうでは、安堵した表情を浮かべた東雲みゆきの姿も見える。
さつきは自由になる左腕をゆっくり挙げると、静かにかすみの頭に手を当てた。
「ありがとう、かすみ。おかげで地獄、ううん悪夢から帰ってこれたよ」
その言葉に、抱きついたままのかすみが視線を上げた。あまりに顔が接近していたので、かすみが少し涙目なのがよく分かった。声まで涙声だ。
「もー、ビックリしたんだから。艦長さんが去ってすぐに、突然パッタリ倒れるんだもん。かすみちゃん、危うく『大和』からも落っこちるところだったんだよ」
「せやで〜、とっさに支えようとしたウチまで、ミイラ取りがミイラになりそうやったんやで。さっちん大きすぎんねん。もうおれへんけど、あの水兵さんと艦長さんに後でお礼言いや」
ちゃかすようにみゆきも声を掛けたあと、ジト目になって続ける。
「まあ、それはエエとして、いい加減その格好止めたらどないや、かすみっち。見てるこっちが恥ずかしなってくるやん」
みゆきの視線に、少し顔を赤らめたかすみも身を起こそうとしたのだが、それをさつきの腕力が押さえ込んだ。
「ダメ。もう少し、かすみの柔らかい胸の感触を楽しませて」
案の定かすみの叫び声が部屋に響き渡る。
それでようやく空気もほぐれ、いつもの雰囲気に戻った事を確認したさつきは、かすみを抱えたまま上半身を勢いよく起こした。
「さ、帰ろ」
◆
「ちゅーわけにもいかんで。取りあえずお互いに事情説明がいるやろ。センセも原因分からへん言うているしな」
さつきがかすみを抱きかかえたような格好でベッドに腰掛けた時点で、みゆきがその場を仕切りだした。
かすみの悲鳴と共にベッドの向こうのカーテンが開き、イスに腰掛けたいかにもな女医が微笑みかけている。
昨晩の宴席で男どものお目付役を買って出た、まだ若い女性の軍医だった。だが、さつきはいまいち印象がよくなかった。何しろ化粧の時に玩具にされたからだ。
その女医が口を開いた。
「おはよう、気分はどう? あ、時間はあなたが倒れてから三〇分ぐらいしか経ってないから、時間は気にしなくていいと思うわ」
その瞳は好奇心に近いものが宿っている。さつきは、自分がまな板の鯉であることを自覚した。
その後二、三質問があり、型どおり体温や脈拍を図ったが特に問題もなく、それを確認した女医はやっぱりね〜と、話を切りだした。
「え〜と、橘さつきさんだったわね。あなた、倒れている間中、ずっとうわごとを言い続けていたのよ。それでね、この艦に見学に人で同じような症状になる人がたま〜にいるの」
「へー、他にもおるんや〜」
後ろで感心するみゆきの声が響くが、それをやんわりと目で押さえた女医が続けた。
「ねえ、橘さん。あなた変な夢を見ていたでしょう。それはね、この戦闘艦の放つ気とでも言うものに、あなたが飲み込まれちゃったのよ。チョット非科学的だけど、代々『大和』に配属された軍医の間ではそう言う事になっているわ」
女医の背の後ろでは、かすみとみゆきが事の成り行きを話すべきかどうすべきか、視線を交わしあって逡巡している。
それを確認したさつきは、取りあえず女医の発言に素直に頷く事とした。
「やっぱりね〜、倒れている間中、脈拍とかも少し変だからそうだと思ったの。でも、あそこまで眠りが深いのに、うわごと続けていたのはあなたが初めてよ。よっぽど『大和』が気になったの、それともこの『大和』に魅入られたのかも、何しろ日本の軍艦は男の子らしいからね、フフフ」
さつきがうなづくと、女医は妙なことを口走った。恐らくは安心させるためからかっているのだろうと、さつきは思った。
そこにかすみが会話に入ってきた。
「そうだよ、救急車呼ぼうかって話しになってたから、だから、私心配になって思わず抱きかかえちゃったんだよ〜」
そこから話は、さつきとかすみの二人の抜き差しならぬ話しなど、精神をリラックスさせるためのとりとめのないものになった。また、さつきの夢そのものについては、それ以上触れることはなく、現象そのものも周りの雰囲気に飲まれた一般人ということで女医の側から片づけられた。三人も事の詳細を話しても仕方ない、もしくは信じてもらえまいとと考え、語ることはなかった。
その後十数分会話を続けた後、念のための薬をもらうと、もう安心という事で女医と『大和』の医務室からも解放され、時間も押していたので帰路の道へと急ぐことになった。
「また、いらっしゃいね〜」という、喜んで良いのか悪いのか判断の難しい女医の言葉を背に受けて。
◆
その後三人は、予定より少し遅れたが、六時過ぎには廣島空港から羽田に向かう旅客機に乗ることができた。
機体は国産(川崎)の新型中型旅客機で、一時間半もあれば半分が浮体構造式の羽田空港に降り立つ予定だと機内アナウンスが伝えていた。
「ねえ、何を見たの? やっぱり、最後の戦闘?」
「ウン、レイテ湾の辺りを一部始終」
二人は、みゆきを起こさないように小声で話した。それは、安定高度に達してすぐに出された夕食を食べ、その後すぐみゆきが船を漕ぎだしてしまった事への配慮だった。
今では、さつきに寄りかかってすっかり眠っている。
「……その、倒れている間、さつきちゃんうわごと言ってたんだけど……あのね」
「凄いこと口走っていた、でしょ」
かすみのとぎれとぎれの言葉に、さつきが確信を込めて答えを先回りし、それにかすみがただ頷いた。
「ウン、それでね私怖くなって、一生懸命起こそうとしたんだけど全然反応なくて、先生も少し変だって呟くし、だから何をしていいか分からなくなって、目を覚ましてって思わず抱きついちゃった、エヘヘ」
「そっか、ありがとう」
さつきは言いたいこと、話さなくては行けないことは沢山あったが、何となくかすみのおかげですべてが問題解決したように思えた。それが例え今回限りの事だったとしても、かすみの穏やかな顔を見ていると、どうでも言い事のようにも思えた。
そこに、かすみが少し不安げな顔で訊ねてきた。
「ねえ、まだこれからもあるのかな?」
「分からない。けど、何があっても大丈夫だよ。一人じゃないから」
「そうだね、ウン、きっとそうだよ」
さつきの言葉に、ようやく心からの笑顔をしたかすみを見ていると、彼女の心も固まっていくのを感じた。
この笑顔の為にも、そうでなければと。




