第五章 「エンガノ岬沖海戦」
「で、何があったんよ? ウチにも分かるように説明してんか」
午後二時を少しまわった閑散とした士官用食堂に、東雲みゆきの疑念と好奇心を混ぜ合わせた元気な声が響きわたった。
横には、お茶缶を両手で持った朝霧かすみと、ノートPCを自らの手足のごとく操る橘さつきの姿があった。
「うん、あと一〇分ほど待ってね。夢の中のことを取りあえず箇条書きにするから……」
みゆきの声に、さつきが別の事に意識を集中している人特有の間の延びた声で反応し、まだ目を赤くしたかすみがポツポツと話し始めた。
「ウン、あのねみゆきちゃん。私、ウウン、多分私達は大きな船の集団同士が戦っている『夢』を見たの。それでね……」
かすみの語った言葉の過半は、素人が見たそのままの大海戦の情景に他ならなかった。だが生の言葉であるだけに、かえって凄さを増していた。同じ情景を体験したさつきはまだマシだったが、いまだそんな『夢』に出会っていないみゆきは、普段の益体もないツッコミは序盤二、三分で消えてしまい、いつしかウン、ウンと相づちを入れるだけになっていた。
また、かすみの記憶は、一心に敵を見続けていた事以外、後半になるほどあやふやだった。口走っていた言葉についても語ることはなかった。だがみゆきは、かすみが知らないことについては、今は触れないことにした。
それにそんな保有も、今のみゆきにはなかった。
そして体験談のBGMとなっていた、ペタペタペタという古いめのノートPC独特のタイピング音が止むと、さつきが顔をあげる。
「できたよ、見て」
そんなさつきのの言葉によって、ようやく二人も会話を中断する糸口を見つけた。
その数分後、若干明るくなった雰囲気の中、みゆきがノートPCから顔を上げた。
「いや〜、良〜分かった。さすがさっちんや。ただし文学的表現はまだまだやけどな。けど、かすみっちの話し聞いとったから、何かめっちゃリアルな感じするなぁ」
いつもの通り思ったままを口にする。文学的表現云々も、すでにみゆきの季語のようなものと理解しているので、さつきも気にもしていなかった。
だがみゆきは、言葉のあとジトーっと二人を交互に見つめて続けた。
「けど、なんでウチだけ仲間外れなんよ、神さんのイケズ〜」
「ホントだね。でも料亭での事もあるし、きっと大丈夫よ」
「前は多聞丸だったんでしょ、だったら別行動で当たり前だよ」
「ホンマかいなぁ〜」
気分も落ち着いたのか、かすみはいつものおっとりとした調子に戻り、さつきが的確な論評を挟み込む。
ようやく、いつも通りに戻った。
そして、一瞬手元のケータイに目を落としていたさつきが、そのまま最後を締めた。
「さ、そろそろ艦長さんのところ行かないと。海軍じゃあ、何事も五分前を目安に行動するんだって」
『艦長室』
そう書かれたプレートのかかった扉をノックし、再び案内に戻った水兵に案内されるまま部屋の扉をくぐった。
二人の横ではみゆきが瞳をキョロキョロさせているが、特に変化はないらしい。他の二人も瞳を交差させ、特に何事もない事を確認すると、艦長の「さ、どうぞお嬢さん方」という紳士的な声に導かれるままにソファー腰掛けた。
「コーヒーと紅茶どちらがよろしいですか。あ、もちろんデザートも用意しましたよ。有志が主計にねじ込んで用意させたそうです。いや、まったく困った者達です。ハハハ」
艦長の言葉がまずは続く。三人はやっぱり海軍の人は説明が好きなんだと納得するしかなかった。
そして艦長は、最後に「こちらが勝手にしたことを重々承知で頼みますが、後で部下達に一言声を掛けてやってください」と付け加えるのを忘れなかった。
これには三人も好意を抱き、それを受けてかすみが三人を代表して話し始めた。
「ハイ、皆様のご厚情には、とても感謝しています」
(オー、オー、余所行きの言葉使いよって)
かすみは、そのような好奇に満ちたみゆきの視線を強引に無視し、「既にご存じかと思いますが」と、事の経緯をかいつまんで説明する。
その後会話は、かすみの曾祖父の事をはさんで、今の海軍の生活面などの資料などから見ることの難しい話が主に交わされていく。
会話は、三人にとって収穫のおおきなものだった。特に、何人かの存命な人物への紹介状を書いて貰える事はありがたかった。また横須賀で現在改装中の海軍記念館(※数年前アメリカから返還された戦艦『信濃』が当時の状態のまま展示されるのが新たなスポット)への公開前入場の手配をしてくれるというのも、うれしい収穫となった。
何しろ今の『大和』や『武蔵』は、戦後二度改装工事を受けているので、内装の一部や主砲以外当時の形状をした場所を探す方が難しく、当時の状態を知るという目的で見学するにあまり適していなかったからだ。
この二隻については、単に海軍の象徴というだけではなく、いまだ第一線の任務をこなす大黒柱としての役割が強かった。
だから今回わざわざ『大和』を訪問したのも、かすみの強い希望に押された面が強い。単に戦中の軍艦を見学するだけなら、昨日少しだけ見学した呉海軍記念館側の岸壁に接岸繋留されている『長門』で十分だっただろう。
何しろ『長門』は、戦後早めに退役。六〇年代後半には記念艦としての保存が決まり、その後の改装もあって見学設備は充実している。艦内には、昔のままの状態で保存されている場所も多く、艦内食堂も当時の状態に近いメニューなので、マニアにとっては一度は訪れるべきだという立場を、この三〇年の長きにわたり保っているからだ。
そんなこんなで、一通り話しも弾み一段落ついたところで、爽やかな笑顔の似合うオジサマと三人の中で定義されてしまった艦長は、最後の結びの話しをしてきた。
「かすみさんの曾祖父、つまり権三さんのお話はこの『大和』内では有名でした。何しろ、戦争中最初から最後まで負傷などによるリタイアもなく乗り組んだベテラン下士官というのは、意外に少ないですからね。この『大和』は、殴り合いばかりしていましたから。だからでしょうか、色々逸話も語り継がれているのです。もちろんそのような事は、かすみさんご本人は権三さんかあらお聞きでしょう。ですが、そう言うワケですから今回権三さんがおいでになるという話は、かなり前から広まっておりまして……」
(やっぱり、オジサマでも説明長いよ)
三人はそう同じように思ったが、取りあえず失礼のないように話しに集中した。
「その、つまり、権三さんがおいでになると言う前提で、以前から歓迎会のようなものを準備しておりました。恥ずかしながら今更中止もできず、手紙でもお知らせしたように、誠に失礼なのですがその宴席に出席してはいただけないかと、こうして直にお願いし直させていいただきました。もちろん宴席への招待ですので、賓客としての招待です。お引き受けいただけないでしょうか」
(はは〜ん、それが艦長さんの目的かいな。つまりウチらは宴会のダシって事やな)
みゆきはそう思い話し出そうとしたが、それよりも早くさつきが切り出した。
「いえ、全然構いません。私達も色々お話を聞けるのですから、むしろお願いしたいぐらいです」
「そう言っていただけると助かります。まあ皆さんにとっては、私のようなオジサンのような年齢の者も多数いますが、適当に話を合わせてやってください。あとできれば、若い連中にも少しだけ笑顔を向けてやってください。何しろ軍艦てところは、今でも男やもめですからね」
さつきの言葉に安堵した艦長は自らも言葉を続け、最後に若い連中には既にキツク言い含めてありますので、海の男にあるまじき態度を取る者は、足でも踏んづけてやってくださいと結び、さわやかに微笑んだ。
(曾お爺ちゃんと一緒の時、こんな事はよくあったよね)
(よし、これで夕食代が浮いた!)
(艦長さん若くしたみたいなエエ男おるかなぁ)
その笑顔を見ながら、三人三様に考えていた。
そして夕刻五時半頃、『大和』艦内の大食堂では、立食パーティーの準備が整っていた。何となく、地方巡業の芸人の慰労会のような感じだ。
三人の方も、格好は仕方ないが、『大和』乗り組の婦人兵の私物で軽く化粧をしてもらい、上座の待機テーブルへと案内されていく。
「何だか少しドキドキするね」
「そうやなぁ、チョット予想以上って感じやな」
「う〜、これじゃ食べる暇ないんじゃないかな」
「ええなあ、さっちんは。ダイエットと無縁なん?」
「そうだね、そう言うところ見たことないね」
「違うよ、食べられる時に食べる主義なだけ。普段粗食だから、すぐ肉が付くよ」
「へー、意外に省エネ体型なんや」
近くに誰もいなくなると、顔をよせてヒソヒソ会話を始めるが、先ほどは戦場に包まれていたことなどまったく感じられない。
そんな三人がそんな無駄話をしていると、徐々に人も増え、料理や飲物も大型のワゴンで運ばれてきた。
それは、意外というべきかかなり本格的なものだった。それを見た三人三様の反応に、男どものお目付役を買って出た若い女医(非番の軍医だと自らを紹介していた)が、思わずクスリと笑ってしまう一幕も見られた。
そして午後六時五分前、会場は人で一杯になった。確かにこれでは立食パーティーにするしかないと納得する人数だった。
(ここって一番大きな食堂って言ってたよね)
そう思うかすみだったが、良く見渡すと見知った顔も幾人かいた。大抵はかすみの視点からならすでにオジサンなのだが、昔来たときに会話を交わしたりお世話になった人たちだから、ベテランの水兵もしくは中堅将校達だった。
そして、六時丁度、「ピーっ」というマイクのハウリング音と共に宴席が始まった。
まずは、この宴席を幹事役n将校(副長)が、え〜、本日は朝霧権三元海軍特務少佐は身体のお都合でお越しになれませんでしたが……と、型どおりの挨拶をし、三人が順に紹介され、では本日は無礼講であるが、くれぐれも羽目を外しすぎんように、という言葉で結ばれ乾杯の音頭となった。
その後は三人は、事実上のもみくちゃ状態だった。特に、オジサンから大人気のかすみは、曾祖父の近況をせがまれたり、言づてを頼まれたり、挙げ句に大量の贈り物を贈られて(もちろん曾祖父に対してだが)、食事どころではなかった。
もっとも、当人は上機嫌でそれに応対している。
また、モデルのように見た目にも目立つさつきは、薄化粧をするとそれが際だってしまい、主に若い男たちが群がっていた。しかも、さつきが社交辞令で来年国防大学を受験するつもりだと説明すると、海軍の事を我が事ように語られ、チラリとみゆきに向けた顔は辟易としたものだった。さらにその目は訴えていた。私の晩ご飯〜、と。
そして、そのみゆきには最初の頃こそ、さつきと同じように人だかりも出来たが、それも昔の話。三〇分もすると人々からも解放され、適当に周りの会話に合わせながら、ビュッフェ形式の豪華な食事にありつく事ができた。
まあ、周りの反応については、当然だろうと割り切っていたので、特に気にするでもなく本来の目的に取りかかった。
そして、一通り大和食堂自慢の料理を堪能し、二人分の料理を満載した小さなワゴンを引いて二人の近くに凱旋してくる。すると、かすみの周りにできた人だかりの外で、しきりに話の和の中に入ろうとしては、それを遂げることの出来ない一人の人物を見とがめた。
ひょろ長い出で立ち、やや猫背ぎみ、がに股、かなりの反っ歯、やや髪の長い角刈り、デザインの古くさい眼鏡。
(まあ、背だけは標準以上だが、どうみても某お化け作家の描く日本人そのものやなぁ)
厳しい考察評を付けたみゆきだったが、彼女が注目したのはその水兵のうだつの上がらない風采ではなく、彼が包囲網に突撃できずにいた理由の一つ、大事そうに両手で抱えているものにあった。
「どないしはったんですか?」
みゆきは両手の物体に興味を向けつつ訪ねた。
突然横合いから話しかけらたその水兵は、小さな悲鳴をこぼすとみゆきの方を振り向き、少しうわずった声で話し始めた。
「は、ハイ。し、東雲みゆきさんですね」
そう語り始めた水兵は、みゆきの素人知識の予想から外れ、自分を海軍中尉だと紹介した。
(ホンマ冴えヘンお人やなぁ。でも、こんな人でも将校になれるんや)
そう思いつつも、みゆきは別のことを口した。
「はい、初めまして。ほんでチューイさんは、かすみとお話したいんですかぁ?」
少し京都風の柔らかいイントネーションの関西弁にしたみゆきは本題に入った。それに、相変わらずうわずりぎみの声のチューイが答えた。
「は、ハイ。自分の曾祖父は海兵団と大和で朝霧特務少佐のお世話になったのですが二年前他界しました。その曾祖父の遺言で、朝霧特務少佐に曾祖父の遺品の一つをお渡ししようと今日遺品を預かったんです。だから、せめて品だけでもご子息の方に渡しておこうかと思ったのですが……」
最後には、言葉が小さくなる。
(将校になるぐらい知力や体力があんのに、度胸は今ひとつって事なんやろか……それにしてもチューイにしては老けてるんかな?)
「お話、よお分かりました。せやけど、チョット今は話の輪の中に入るん難しそうですから、チューイさんさえよろしければ、ウチが受け取っておきましょか。もう、あんまりお時間もおまへんし」
みゆきは、内心とはまったく別のことを口にしていたが、口にした内容は失礼だったかもとも思った。何しろ相手は親族の遺言を託された将校だ。
だが、その言葉に心底ホッとした表情をチューイは浮かべた。
「は、ハイ。とても助かります。俺はどうもこういうのは苦手でして。ああ、俺は根っからの軍人じゃないんですよ。一般大学に通っている時、単位が欲しくて幹部候補生の講義とって、そのまま就職口もないので軍人になった次第で。五年前までは、地方の経済大学の大学生だったんです」
(いや、そういう事聞いてへんし、そう言う問題以前やろ)
内心ツッコミを入れながらも、話を進めることにした。
「そうでしたか。全然きーつきませんでしたわぁ。それよりも、その曾お爺さんの遺品はどれです? あと何か言づてなんかありますかぁ? ウチが全部伝えておきますよって」
そこまで言うと、堰を切ったような言葉がチューイの口から飛び出してきた。
(あ、ヤッパリ海軍のお人や、説明メッチャ長い)
話の内容は、曾祖父の遺言と遺族からの言づて、彼の曾祖父の軍歴、権三曾爺さんとの縁、そして聞きもしないチューイの身の上などに及んだ。
だが、意外なことにみゆきの一番の興味を引いたことは、チューイの身の上、正確には彼の趣味と活動に関する事だった。
要するに「同じ穴の狢」というやつなのだが、当たり障りのない会話に飽き飽きしていたみゆきは、思わぬ所で同類を見つけた喜びから、その後宴席の最後まで会話が弾み、最後には事後報告のという理由でメールアドレスまで交換していた。
そして再び宴席を企画した将校がマイクに立ったとき、彼が大切そうに抱えていた彼の曾祖父の遺品と遺族からの手紙が入ったという封筒を受け取った。
遺品は一冊の古びた本、いや日記もしくは手記のようなものだと察したついた。
◆ ◆ ◆
「手空き総員帽振れヨーイ」
突然そのような声が響いてきた。
場所は、まだ朝が空けたる前、夜空の遙か彼方で紫色の朝焼けが始まろうという頃だった。場所はどこかの展望台のような所で、そこには強い風が吹いていた。
目の前には、小型のプロペラ飛行機が数機に並んでいて、エンジンを全開にして一機ずつ滑り出すように発進していく。
(あ、アレェ、こんなところで『夢』の中かいなぁ)
意外に思ったみゆきだが、原因がチューイから受け取った遺品なのだと思うことにした。
(ま、ありがちやけど、時の扉をくぐるにはお約束のアイテムやな。チューイの曾お爺は、この艦に乗ってはったんやろ)
そうアタリを付けると、まずは情報収集と現状の整理に入った。
(さ、今度はウチの番や、気張んで〜!)
が、しばらくは何も情報は入らなかった。全員特に会話もなく、ただ無心に帽子や手を振っているだけだったからだ。
そしてそこでさつきの言葉が蘇る。
(せやせや、精神集中、精神集中と)
しばらくすると、ある程度の情報が手に入った。
二四日未明、沖縄南東方海上、偵察機発進、第二機動艦隊、第二航空戦隊、空母「飛龍」、艦隊司令山口多聞、様々なキーワードが浮かび上がっては、泡のように消えていく。
(さっちん、なんでこんなぎょーさんの情報を簡単に覚えてまとめる事できんのよ、ウチには無理やでぇ)
さっそく悲鳴をあげてしまった。そこでみゆきは、もうエエ。ウチはウチらしくケースバイケースで行くで、と自らの行動方針を決定してしまう。
決断が早いのはけっこうだが、それを日本語で行き当たりばったりという事を分かっているのかは不明だ。
しかし、しばらく事態は進展しなかった。
要するに偵察機を放ったので、その結果を待っているのだ。
仕方ないので、戦力比較その他を『宿主』のお知恵を拝借したりしながら進めることとした。
(えっと、まずは戦況やけど……)
残念ながら戦況はまだ動いていなかった。分かっていることは、米軍の未曾有の大艦隊がフィリピン中部のレイテ島に侵攻し、これに対処すべくブルネイより第一遊撃部隊四二隻の大艦隊が出撃したと言うことと。空母九隻、艦載機約四五〇機を抱える第一、第二機動部隊が瀬戸内から勇躍フィリピン沖を目指しているという事ぐらいだ。当然だが、詳細については日本側の事以外殆ど分からず、だからこそ偵察機を大量に放ち、情報収集に当たっているのだ。
偵察情報の方は、多めに搭載してきた高速偵察機『彩雲』の足の長さを活かして、かなりの広範囲にわたっていた。そして随時フィリピン中間部の狭隘な海を突進する第一遊撃部隊に、情報を伝達することにしているらしいと分かった。
(ま、ウチにも処理できる情報と思えばこんなもんか。けど敵って、どれぐらいやったかなぁ……)
敵の動きもそうだが、敵兵力の詳細についてもあまり詳しくは判っていなかった。
日本側が掴んでいる概要としては、高速空母一〇〜一二隻、補助空母多数、艦載機一〇〇〇機以上、他戦艦など多数、というものだった。みゆき自身の頭の中の情報はもっと少なく、数字的にほとんど意味がなかった。ほとんどが丼勘定以上の大雑把さだ。
(え〜と、確か……)
懸命に記憶をたぐり寄せて思い出せた事は、ハルゼー提督率いる高速空母機動部隊が、空母の数は日本側とあまり変わらないが、飛行機の数において日本空母部隊の一・五倍、質の面では二倍以上。しかも防御力は、日本側の比較にもならない。つまり殴りかかって、例え相手に怪我を負わせることが出来ても、そのパンチで自分の拳も使い物にならなくなり、後はサンドバッグのように殴られるだけだと言うことだった。
だが、この時米機動部隊は、北からの空母部隊と西からの戦艦部隊への対処、上陸した部隊の支援と三つの任務を抱え、全力を発揮できる状態にはなかった。しかも艦隊そのものもかなりの間隔が開いており、叩くなら今日の午前中を置いて他にはないとも言えた。
つまりは、抽象的な要点だけしか頭の中には入ってなかった。いつも何かを書くときは、まずノリだけでストーリーを進めてしまい、後でアクセクしながら説明や数字の必要なところを埋めていくのだが彼女風だった。今回その担当が別にいて、軍事的な事など剣と魔法の世界のノリで書ける戦争以外関係のなかったから、彼女の頭の中にはそれ以上のものはどう叩こうと出てくる筈もなかった。
あと残っている知識は、大雑把な結果についてだけだ。
(こらアカンは、しばらくオッサン連中の会話聞いて勉強しとこ)
結局、思考を一通りひっくり返した後にたどり着いた結論はそれだった。
だが、待てど暮らせど、報告はなかった。ようやく入った報告も朝飛び立った偵察機が折り返すというものだ。
そしてその後、ようやくフィリピン・ルソン島に展開する第二航空艦隊が、ルソン島東方に機動部隊発見と知らせてくる。これを受けて、追加の偵察機が多数飛び立っていく。時計は午前十時ちょうを指していた。
朝よりも数が多いところを見ると、こちらが本命らしいとみゆきにも分かった。
そしてそれから一時間以上が経過し、退屈で意識がうつろいでいた頃、二人の男の会話を聞きとがめた。どうやら、『宿主』と戦隊司令とやらが、あまり意味のない会話をしているらしい。
「どうかね加来君、戦隊の調子は? オレは赤レンガ通いか小澤さんと丘で図演ばかりで、正直なところ少し様子を見たぐらいなんだ。今更だが要約を確認しておきたいんだが」
「ハイ、山口司令。これは、戦隊だけでなく全体の問題でもあるのですが、ご存じの通り内地には油が不足しています。これは艦艇用の重油や軽油ばかりではなく、航空機用燃料も含まれます。そして、最も不足しているのが最後の航空機用燃料だと言うことも、私以上にご存じかと思います」
まずはそこまで一気に話すと、そこで言葉を句切った。
「そうだろうな。赤レンガでは、なんでオマエらもリンガや南方に行かないんだって、白い目で見られらよ。内地にいるなら艦隊付きの高速油槽船を南方輸送に欲しいと直談判に来た海上護衛総司令部の大井君も、事情は飲み込んでくれていたが、思いは皆以上だったろうね。だが、あっちじゃ潜水艦が怖くて安心して訓練できない以上どうにもならんよ。まったくいつからこうなったんだ。……で、肝心の練度は、結局燃料不足で満足するには至らず、か?」
山口が、憤懣やるかたなしという風に続ける。
「いえ、まったくダメという事はありません。時間は少なくとも、継続的に訓練を続けられたのは大きいでしょう。半年もありましたから、ヒヨッコも何とか母艦からの離発着ができるようになりました。それに内地にいましたから、負傷したジュクもかなり戻って来ました。それからもう一つイイ話しが有りますよ、司令」
先ほどより幾分明るい声で加来司令が言葉を返し、何だね、という山口の合いの手に答えた。
「去年十二月に愛知の方行ってた連中が、ギリギリ地震の前にこっちに飛行機連れて戻ってきまして、その中に色々面白い機体が混ざっておったんです。村田君なんて、うちの総飛行隊長のくせに自分で『流星改』で戻ってくるし、千早君は帳簿外の『彩雲』を数機持ち帰ってます。で、その『彩雲』てのが曰く付きで、ハ45じゃなくて無理矢理ハ43を付けた帳簿外のヤツで、従来より一割近く早く、エタノール噴射と加速用ロケットを同時に使えば、まず敵は追いつけないと上機嫌ですよ」
「さっきここを飛んでいったのがそうか。道理で変な音させてたワケだな」
その言葉に、山口司令もニヤリと笑い返した。
勝負を捨てるにはまだ早いと。
もっとも、会話の大半はみゆきにはチンプンカンプン。「まだ手はあるのだろう」ぐらいの認識しかできなかった。
そうこうしているうちに時間も過ぎ、その話題の人からの緊急伝が飛び込んでくる。
「偵察二番より入電。我敵空母発見、数、大型空母三、戦艦二、護衛艦一〇以上、方位三四〇、距離三〇四マイル、位置ルソン島東方海上……」
第一報にしては、詳細な報告だった。
そして電文の最後にはこう添えられていた。
『ナオ、我ニ追イツクしこるすきいナシ』
それを伝令から受け取った山口司令が読み切ると、その場は一変に興奮状態になる。
全員の目がランランと輝きだした。
(戦闘開始、ちゅーわけやな。エエ感じやでぇ。ケンカっちゅうもんは、先に見つけて踏み込んで、一気に殴りかかったモンの勝ちやで!)
その場の気分に飲まれたのはみゆきも同じで、自らが筆を取った時のように、心の中で勢いよく捲し立てていた。
そこにさらなる報告があがる。
「第一機動部隊より入電、第一、第二機動部隊ハ総力ヲ挙ゲテ敵機動部隊ヲ撃滅セントス。ナオ、只今旗艦ハZ旗ヲ掲ゲタリ」
「ウォー!」
興奮が爆発したような喧噪が、狭い空母の艦橋を満たした。
周囲をゆっくりと見回した山口司令も、最後に加来二航戦司令を見つめると力強くうなづき、そして吠えた。
「第二機動艦隊は、直ちに攻撃隊を全機発進。米機動部隊を撃滅せよ!」
その山口の言葉と共に、艦隊すべてが活発に動き出した。各母艦では甲板に溢れ、発進を今や遅しと待ちくたびれていた航空機が、一斉にエンジンを始動する。
もの凄い爆音が、周囲を埋め尽くした。
エンジン音は、関係者や専門家なら大きく三つに分類できると分かったかもしれないが、二二〇メートル程度の飛行甲板の上で三〇機近い大馬力エンジンが激しく回転しているので素人に聞き分けるのは困難だ。もし聞いても、大半の者は何がなんだかだろう。今近いものを探すなら、F1レースのスタート直前の状態が一番近いだろう。
そこに、再び二人の会話割り込んできた。
「加来君、どれぐらい出せる?」
「ハイ、第一波は「飛龍」、「天城」、「葛城」からそれぞれ二七機、四航戦の「千歳」、「千代田」からは各一八機の計一一七機、それぞれの格納庫では第二波として合計五五機が準備中です。後は、偵察機と直援任務の戦闘機以外残りません。第一機動部隊からもほぼ同じ数が出る手はずです」
「確か最後の想定では、小澤さんと合わせて三二四機だったな。本来なら十分以上の戦力と思いたいところだが、当面の相手だけで大型のエセックス級が三隻で、その後ろには同規模の艦隊があと二つか、直掩だけで二〇〇はいそうだな」
「一〇〇機単位の集団が二つも殴り込むのです。いくらハルゼーでも防ぎ切れないでしょう。それはマリアナ沖でも、それまでの戦いでも実証されています」
そこに一人の男が会話に割り込んできた。航空参謀の村田重治中佐だった。
(サイの目の悪い戦争の方やったら、この頃日本の空母ぜんぜんおらへんから、ここはさしずめ亡霊クラブやなぁ)
縁起でもない事を思ったみゆきだったが、当の亡霊達は元気いっぱい、いや任務に懸命だった。
何しろこの戦いは、日本の国家存亡を意味するZ旗を掲げているのだ。それにフィリピンの海では、彼らの同胞達が敵の激しい空襲に晒されているのだ。今この時を、一日千秋の思いで待っているに違いない。
その瞳がすべてを物語っていた。
だからみゆきも、昂揚した気分をかかえつつも、それ以上余計なコメントを挟むことは控え、記憶に刻み込む作業に没頭した。
みゆきの気分としては、ファンタジー世界で魔王との決戦に赴く騎士たちに従軍した吟遊詩人と言ったイメージだろう。
航空参謀の言葉に山口が強く頷く。
「ウン。それなんだが、なるべく小澤さんの部隊と接近して、ひとかたまりになるように進軍できないか」
小澤さんにはまだ相談していないんだが、その方が効果は高いと思うんだがどうだろうか。彼は続けた。
「戦力集中と飽和攻撃は今の戦闘の基本で、空でこそ最も効果を発揮する、でしたね。どうかね村田君できそうか?」
「ハ、当初からジュク連中を先頭に立ててジャクを引っ張っていく予定でしたので、問題は少ないでしょう。ただそうなると、まっすぐ敵を目指すわけではありませんので、いくらかの落後は覚悟せねばなりません。今までの経験から、一割は敵直掩接触前に落後するかと」
山口の問いに対して加来と村田が、それぞれのコメントを挟み込んだ。一長一短ということだ。
「時間も遅いから、これ以上の接近は時間的に無理だ、距離が遠いのはやむを得ん」
観念したような山口の声が応えたが、それを押しのけるように自ら続けた。
「いや、この方針で行ってくれ。責任はすべて俺が取る。とにかくアメリカ側の分厚い直掩機の壁を突破しない事にはどうにもならん」
そして命令を受けた二人が勢いよく立ち去ると、山口が独白した。
「後オレにできる事は、殴られるだけだ。頼んだぞ黄金仮面さんよ」
最後の冗談と共に浮かべた苦笑は、どこか寂しげだった。
小澤提督からの命令から十分が経過した頃、日本軍が自ら最後と認める機動部隊は、自らの剣を抜き放つ瞬間を迎えていた。
「全機発進!」
「手空き総員帽振れ〜!」
この二つの命令により、最前列の戦闘機が甲板を滑り出す。甲板の脇では、待避していた白い作業服の整備兵や、くすんだ草色の第三種軍装をした兵士たちも、鈴なりになって帽子や腕を力の限り振っていた。
少し高い所にある、新鋭の「大鳳」なき今、「隼鷹」の次に高い位置にある飛龍の艦橋脇でも、山口司令以下幹部達がゆっくりと帽子を振っていた。
『なお、歴戦の「飛龍」は、一九四四年の改装で、全身ハリネズミのように対空火器を装備し、司令部機能強化のため艦橋は様々な施設が詰め込まれ、艦橋下部の格納庫にまでそれが影響するほどだった。これは日本海軍なりに近代戦に対応した結果だ。この改装の結果、もとから他との違いが目立っていた「飛龍」は、なお一層自らの存在を際だたせていた。このため、世界一有名な中型空母として戦後有名になるのは、後日談だ。』
さっちんやったら、こんな風に書くんかなぁと思いつつも、目の前に展開される一種荘厳な光景に、みゆきは大きな感動に包まれていた。だから、最後に重厚な姿の雷撃機が発進していく時、誰かが叫んだ声に彼女も素直に賛同していた。
頼んだぞ〜、と。
その言葉は、彼女が物語を書くにあたりテスト的に書いた文章の末尾を飾る言葉であり、航空機とそれを操るパイロット達に後を託すしかない船乗り達の最大級の言葉だった。
もっとも、その後「飛龍」艦橋は、焦燥と期待、不安と楽観といったアンビバレンツな感情が支配した。
それは、第一波と比較するとかなり規模の小さい第二波が送り出され、直掩隊が発進したり、即時待機で甲板に引き上げられる作業の中でも途切れる事はなかった。
無線装置の貧弱な日本海軍では、一旦攻撃隊を解き放ってしまうと、後は事実上、攻撃隊を信じて待つしかないのだ。
しかも数十分間、友軍はただ進撃するだけで、時折偵察機からの情報が飛び込む事はあったが、情報入手の手段と言えばその程度だった。
しかし、友軍の第一波が敵グラマンの群と接触したと言う報告で、期待と不安そして焦燥は最高潮に達した。前回のマリアナ沖海戦でも、グラマンの群に苦戦を強いられたのだ。
すべてを代弁するように、村田が言った。
「万全とは言えませんが、前回より戦闘機の比率は増やしました。虻蜂取らずに終わった戦爆は全廃しています。今は彼らを信じましょう」
その言葉にほぼ全員がうなずく。
一年前まで自らも機上の人だった彼が言うからこそ価値のある言葉であり、最も信じたいのは彼自身だっただろう。
それから二〇分もすると、瑞鶴飛行隊長にして総飛行隊長でもある関行男大尉からの無電が飛び込んだ。大尉が一個空母機動部隊の総飛行隊長というところに、この頃の日本海軍航空隊の状態を見る事ができるが、今は彼らこそが矛だった。
そして彼は、ト連送を継続発信していた。
突撃開始。攻撃隊が空母機動部隊を捉えたのだ。
これは、焦燥の極地にある全艦隊将兵にも知らされ、各所では様々な喧噪が飛び交った。
艦橋近くの機銃群からも、「ウォー!」、「アメ公をやっつけろ!」、「大鳳の仇だ!」。様々な歓声や怒声が飛び込んでくる。
だが、艦隊司令部たる飛龍艦橋だけはその例外で、全力を挙げて情報収集に努めていた。
二〇〇機以上が殴りかかった第一波の攻撃は、損害も相当に上ると見られた。が、それに似合うだけの戦果を挙げていることも分かった。
無線傍受班も、敵が大きく混乱していることを掴んでいる。
その後も、最初の混乱から立ち直れていない米軍のスキをついて、第一波よりかなり規模の小さい第二波が戦果を拡大した。小澤、山口機動部隊が集中攻撃を仕掛けた米空母群は、過小評価しても稼働空母ゼロ。過大評価すれば、艦隊を構成するすべての主力艦艇を撃沈した事になる。
そして、今までの米軍との戦いから、楽観などという手前勝手な感情は、少なくとも現場では排除されていた。
「後は、彼らが帰ってからですな」
加来二航戦司令の言葉通り、詳細な戦果については、攻撃に参加したものの直の言葉と、それを客観的に見ていた偵察機からの報告を待つより他なかった。
だが、その言葉で緊張が少しほぐれた。
何しろ、時間はもう午後四時に迫っている。進撃時間が片道二時間という事を思うと、今から戦闘していては薄暮攻撃、夜間着艦という悪夢のような戦闘をしなければならない。そして、上陸作戦での制空権維持の任務を最優先しなければならない筈の米軍が、無謀な攻撃を選択するとは考えられなかった。しかも目の前の敵はまったく行動不能であり、それ以外についても距離が離れていたので、今日の戦闘は実質的にこれで終了だ。
山口司令が、小澤提督からの命令を読み上げる。
「第一機動部隊より全艦隊に発令、艦載機収容ト共ニ進路一七〇度変進。ナオ対潜警戒ヲ厳ニナセ、以上だ」
その言葉を聞くと、みゆきも何やら気が抜けて、意識があやふやになるのを感じた。
(なんや、今日はもう終わりかいなぁ。けっこう粘ったのになぁ)
・
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瞬きすると、目の前に神妙な面もちのチューイが先ほどの姿のままいた。
「そ、それではよろしくお願いいたします!」
みゆきの事には一切構わず、いや構う余裕もないらしく、それなりに軍人らしい折り目正しい礼をすると、回れ右して早々に立ち去っていった。
「任しといてください。あと、別件は後日連絡しますよって」
女の人とあんまり話した事ないんやろなぁ、と思いつつもその背中に声を掛けた。
そして、最後の儀礼的な挨拶のあと、最後に主計担当の人に折り詰めをもらい、二人のために確保した料理をお土産にして、二人と共に『大和』を後にした。
もっとも、現実と『夢』とのギャップが埋まりきらず、心あらずにという行動となった。
「みゆき、ありがとう。宿でそれいただくね」
(こういう顔してると、年下って気がするなあ。それに色気より食い気ってところが、お約束でエエ感じや)
乗組員に声が届かないところまで来たところで、さつきが嬉しそうに声をかけた。
それを見たみゆきは、ようやく現実に帰ってきたという実感を持つ事ができた。
だが、そこまで思うと宴席の情景が思い出され、持ち前の好奇心が俄然頭をもたげてきた。さつきの側まで近寄り、お約束とばかりにさつきの脇を小突く。
「なあなあさっちん、エライもてとったけど、エエ男釣れたか?」
「釣れる? まあ、 今後の参考になる話は沢山聞けたけど、最後の方は三十代の幹部クラスやベテラン下士官の人に進路相談してたようなものだったし、それに途中で若い人はいなくなったよ」
みゆきの期待に反して、何をくだらないと言いたげな言葉だった。
その後二、三交わしたが、要するに男にとって面白みのない話を熱心に聞くものだから、周りが彼女を女性として見ずに、子持ちのオジサン連中が、自分の娘と話すように身の上相談に真剣に取り組んでいたとらしかった。
「学校と同じこと繰り返しとんちゃうか。難儀な娘やなぁ、宝の持ち腐れやで」
処置無しと言いたげに会話を切り上げたみゆきは、かすみの方にも同じように話を振ってみたが、こっちはこっちで曾お爺ちゃんのお話をいっぱいできたとかでご満悦だ。
そして自分は自分で、風采のあがらないオタク将校と親しく話ているのだから、一体何時間も何をしていたのかと思わずにはいられないみゆきだった。
そんなやるせない気分のまま何となく向けた視線の先には、戦後発展した西洋風カジノを今風にアミューズメント化した大型レジャー施設が、夜の闇を焦がすようにネオンを瞬かせていた。ぼんやり眺めていたみゆきは、かすみが捕まえたタクシーに乗る瞬間までそれを見続けた。
(そう言えば、インケツな歴史上やと、ああゆう所も違うもんになるねんなぁ……変な感じや)
その約三〇分後、みゆきは夜空を見ていた。
展望風呂の窓際、パノラマ状の窓ガラスに背を向けながら湯舟の中に座り込み岩場に腕と頭をあずけた、何というか少しオヤジくさい格好で、逆さに見える夜空を見上ていた。
彼女なりに思うところがあって、少しのぼせた頭で考え事をしていたのだが、それも長くは続かず、ゆっくり頭をもたげると周囲を見回し始めた。
今、彼女たちのいるホテル最上階にある展望大浴場には、数人の客がいるだけ。すぐ側には、長々と湯舟に浸っても澄ました顔をしたさつきが、長髪を器用にタオルでまいた姿でいて、洗い場の方ではかすみが自らの髪と大決戦の真っ最中だった。潮風に吹かれ過ぎたとかで、何となく髪が気持ち悪いのだそうだ。
(それやったら、もう少し短くしたらエエのに)
かすみを遠目にみつつ思ったみゆきだったが、口にしたのは別の事だった。
「なあ、さっちん、かすみっちの昼間のアレ、どない思う」
その言葉に反応し、みゆきと同じように少し上気した顔を悪戦苦闘するかすみに向けつつ、キッパリとした口調で語った。
「私、オカルトや精神的な事は詳しくないから。それにどちらにせよ、私にできるのはかすみの支えになるだけだよ」
「ほな、あんたはどうなん、同じもん見てたんやろ」
どこか、のぼせたような、もしくはやや突き放したような口振りだった。
「正直分からない。それに今のこの状態は不可解だし、納得いかないし、理不尽に思ってる。けど明確なイメージで事態を見られるって事はありがたいかな。私自身はただそれだけ」
「強いっちゅーより自分本位やな、まウチも同じやけど」
「そうでも思わないと。まず自分を支えないといけないから、仕方ないよ」
最後はいつもより小さな声だったが、せやなぁ、とみゆきはいつも通りの相づちを入れ、そこでやおら立ち上がるといつもの元気な声で末尾を飾った。
「グダグダ考えとっても、しゃーないって事やな。じゃ、これからもケセラセラで行こやないか!」
(何か見たのかな?)
そう思ったさつきだったが、ただ静かに頷くと、今少し深く湯舟に浸かる事にした。
全身血や硝煙で身体が穢れたような気がしていたのは、何もかすみだけではなかった。
◆
風呂から上がった三人は、ホテルの仲居さんを拝み倒して折り詰めを暖め、それをつつきながら今日起こったことについて話し合っていた。
とはいえ、最初は食事と無駄話ばかりでそれどころではなかった。何とか話し合いらしくなったのは、午後十一時を回ろうかという頃だ。
みゆきが、食べていたものを勢いよく飲み込むと、唐突に切り出した。
「エエか、今ウチらは史実のレイテ沖海戦を概ね追いかけてる形になってる。途中小さい寄り道もあるけど、殆ど全部そうや。ちゅうーことは、あと一日、いや半日でレイテ沖海戦の残りが体験できるかも知れへん。もしそうやったら簡単に本が一冊完成で、取りあえずはめでたしめでたし、て所ちゃうか?」
二人を交互に見ながら一気にまくし立てる。
それにかすみは、ウンウンと頷いているが、さつきはまたも愛用のノートPCで何かを作っていた。
(大方、ウチがさっきチョット話した辺りをまとめてんねやろ)
そう当たりを付けたみゆきだが、そっちについては取りあえず待つ事にした。なにしろさつきは、顔を画面に釘付けにしたまま、生返事しかしないからだ。こうなっては処置無しだ。
「でも、どーしてだろうね」
ごもっともな疑問をかすみが口にした。
「今までだって『夢』は何度も見たけど、こんな事なかったよ」
しかも、まったく意図せずに畳みかけてくる。
(そんなん知るかいな、この天然娘は)
まったく意図せず畳みかけてくるので、内心なんとかしてくれと思うみゆきだったが、口ではやっぱり別の事をしゃべっていた。
「せやなぁ、まあ原因として考えられるんは、ウチらがまずレイテ沖海戦をテーマにしようとした事。これはこっちがポジティブに動いているちゅー点では、今までとは違う点、そやろ。ほんでお次は、本物の『大和』を見に来た事。後は……かすみっち一人やのうてウチらも関わってる事ぐらいちゃうか?」
「う〜ん、そうか〜、そうだよね〜」
妙に納得しているが、すぐに首をかしげた。
「アレ? どうして私中心みたいな話し方なの?」
(だから知らんちゅーてるやろ)
みゆきは内心ツッコミの入れまくりだが、みゆきの口は既に答えを導きだしていた。
「正直ウチにも分からん。さっちんにも強引に納得してもらうなら、超自然的な何かやと考えるのが普通やろな。そやなかったら、三人とも集団幻覚を見る精神障害患者決定や。けどまあ、ここは乙女チックにこう考えたらどないやろか。エエか、つまりこの世界には運命を司る神様や閻魔様みたいなんがおんねんけど、第二次世界大戦はあまりにもぎょーさん人が死んで色んな事がいっぺんに起こったから、その神様だけでは手が足らんようになって、陪審員みたいな役割を適当に割り振ったってワケや」
「その陪審員が私?」
自分を指さしながらかすみが小首を傾げ、そのすぐ後に首を横にフルフルする。
「ダメだよ。私じゃ依怙贔屓するもの」
「裁判の陪審員って一人ちゃうやろ。それと同じで、ウチらみたいに誰も知らんだけで、他にも色んな時代に何人もおって、それぞれに依怙贔屓に判定して、それでバランス取れてるってのはどうや?」
「あ、何となくソレっぽい」
「じゃあ、どうして私達は三人まとめてなの? 判定が日本有利に傾かない?」
二人の会話に、作業を終えたさつきが割り込んできた。
「そら、神様や閻魔様かて、些細な間違いの一つぐらいするやろ」
みゆきは、日本以外では不信心や不道徳と言われかねない言葉で即座に返した。
もっとも、さつきは別に答えを気にしていたワケではなく、会話に入る切っ掛けが欲しかっただけのようだ。だから、こう続けた。
「フ〜ン、まいいけどね。それより見てよ。みゆきの疑問の答えだよ」
三〇分ほどの間に、液晶画面上に新たな文章が組み上げられていた。
『二五日になってすぐ、第一遊撃部隊が海峡を突破して南下していた頃、それを唯一阻止できるハルゼーの高速空母部隊は、まったく身動き出来ない状態になっていた。
日本艦隊の戦力を過小評価したアメリカ軍は、日本側の正面からの空襲により大混乱に陥っていたのだ。
二四日未明から開始された日米最後の空母同士の戦いは、昼前に温存していた稼働機の過半である三二四機を叩きつけた、小澤・山口の両提督による攻撃によって一気にボルテージはあがった。
四つの群に分かれた二波にわたる日本軍攻撃隊は、一番北に位置して日本側空母部隊を待ちかまえていたTF三八の第三群に殺到。他の空母群からの増援を含め二〇〇機以上展開されていた防空隊を強引に突破した攻撃機が米空母を襲った。この攻撃では、自爆機二機を含む一〇発近い命中弾を得て、第三群を構成していた三隻すべてのエセックス級大型空母は被弾・損傷した。中でも空母「ランドルフ」は、格納庫で準備中の艦載機と燃料、弾薬のため激しい誘爆を引き起こして艦載機の過半を失う。一時は全艦が炎に包まれ、数百名の戦死者を出すほどの大損害を受けた。
だがこれは、一種の飽和攻撃となったからこその成功だった。未熟な搭乗員が過半だった事を考えれば、日本側搭乗員の健闘は特筆に値するだろう。だが、日本側攻撃隊の七割はこの戦闘の間に米戦闘機に追い回されて失われた。さらに艦載機の一部は帰投の簡単なルソン島に向かったため、艦隊に戻ってこれた機体はわずか六〇機程度に過ぎなかった。
一方、突然殴りかかられたような形の米機動部隊だが、この時沈没した米空母は皆無だった。だが、損傷した三隻でその後運用できたのが、応急修理が成功した空母「サラトガ二世」一隻のみとなった。第三群所属空母の格納庫にあった二〇〇機以上の艦載機も焼き払われ、戦力価値を大きく減少させた。この大損害に怒り狂ったハルゼー提督は、麾下の全戦力を日本空母部隊に向けさせる。
しかしこの日は互いに距離が離れており、日本側の攻撃も午後を大きく回った時点だった事、米機動部隊が日本軍戦艦部隊を攻撃していた事から、米軍の復讐は翌日へと持ち越された。
そしてこの小澤艦隊の攻撃は、ハルゼー提督が西村艦隊に最後の大規模な航空攻撃を送り出した後に行われたもので、これ以後西村艦隊への攻撃がなかったのは、すでにそれどころでなかったと言う理由が大きい。
北上を続けた米機動部隊は、残存戦力のすべてが「主力」である日本側空母機動艦隊を追いかけた。そして二五日黎明から積極的な索敵を開始し、早くも午前七時には二〇〇機以上の大編隊で日本側空母部隊への攻撃する。
ハルゼー機動部隊が焦ったような行動に出たのは、深夜にオルデンドルフの艦隊が反転退却した筈の西村艦隊に大敗を喫したからだ。しかも、西村艦隊の所在が戦闘後不明となっており、どうしても午前中に日本空母部隊を撃滅しなければ、米侵攻船団全体はもちろん、自らすら挟み撃ちになるのではという恐怖があった。
だが二五日の時点で、小澤・山口両提督に残されていた機体は戦闘機一一六機、他四三機に過ぎない。対するアメリカ側は、いまだ四七七機という三倍以上の大戦力を有し、のべ三五〇機が三波に分かれて日本艦隊の頭上に送り込んだ。
一方では、半壊した第三群から集成した水上打撃艦隊を編成してレイテ島方面に向かい、西村艦隊撃滅に向ける姿勢を見せてもいた。後世一般的に言われているほど、ハルゼー提督が小澤艦隊にかかりっきりだったワケではない。小澤、山口艦隊の決死の戦闘と、母艦航空隊壊滅後も水上艦艇による圧迫を続ける闘志が、ハルゼー艦隊をレイテ沖に行かせることを阻んだのだ。
このため戦後長らく、日本軍機動部隊が事実上の囮となりハルゼー艦隊をすべて北方に釣り上げたと言う意見が一般的で、日本側の戦略的勝利と判定する向きが強かった。
そしてそれを象徴するような戦闘が、この日の早朝からレイテ近辺で開始される。
二五日午前六時三八分、第一遊撃部隊が偵察に出していた水上偵察機により、付近を遊弋していた米護衛空母群クリフトン・AF・スプレイグ少将指揮)を発見。
発見されたスプレイグ少将からの悲鳴とも言える無電が全天を覆い尽くした時、ハルゼー高速空母部隊は夜間の北進によってまったく戦場に間に合わない地区に位置していた。しかもいまだ健在な日本軍空母部隊による圧力は存在していたため、戦場を離れることができなかった。慌てて編成した水上艦隊だけを北進させたからと言っても、世界最強の艦隊は戦略的には「独活の大木」として世界中の笑いぐさとなる汚名を被ることになった。
『全世界は知らんと欲す』という有名な電文が、そのすべてを物語っているだろう。
なお二五日の、日米空母部隊同士のその後の戦闘だが、アメリカ側は着艦時を含め約八〇機の損失、軽空母「ベロー・ウッド」の損害と引き替えに、空母「天城」、「龍鳳」、「千代田」、軽巡一隻、駆逐艦二隻を大破もしくは撃沈し(その後すべての大破した艦は友軍により処分)。真珠湾以来の仇敵だった空母「赤城」、「飛龍」も大きく損傷させて、日本海軍の空母部隊に実質的な引導を渡している。だが、艦隊旗艦となった空母「瑞鶴」他数隻の空母は、大きく損傷する事もなく健在なままで、その後も米空母部隊に圧力を加え続けて西村艦隊を間接的に支援した。このため、この海戦以後も米軍に強い疑心暗鬼をもたらすようになる。
いっぽう、敵主力艦隊に続いて恨み昔年の空母部隊すら目視で捕捉した西村艦隊は、司令部から一般将兵にいたるまでお祭り騒ぎと表現してよい興奮ぶりで、旗艦「武蔵」に座乗する西村提督からの命令が発せられると、その興奮は最高潮に達した。』
二人が液晶画面から顔を上げると、それぞれ対照的な反応を示した。
「うわ〜、ウチこれから叩かれるんや、何か死刑宣告受けた死刑囚の気分やわ」
「ふぇ〜、まだ終わってないの〜」
みゆきは諦め顔で天井を仰ぎ見、かすみは今にも泣き出しそうな顔をして、救いの言葉を求めるべくさつきを見つめた。
これを予想していたさつきは、なるべく言葉を選んでかすみに話しかけた。
「ウン、もう歴史で決まっている事だからね。でもこのあと丸一日の戦闘は日本軍の優位で進むから、もしこの辺りの『夢』を見たとしても、すぐに切り上げて問題はないよ」
「ダメだよ、ちゃんと全部見なきゃ。サイコロの目は一でも六でもダメなんでしょ」
「大丈夫、私が見ておくから。せっかくこの辺りじゃ、同じような場所にいるんだから。二人いてもしかたないよ」
さつきはさらに語るが、それも無駄だった。
「さつきちゃんにばっかり、あんなツライ思いさせられないよ」
かすみは、泣き出しそうな顔をしているくせに、譲る気配はなかった。
(こら、千日手ちゅーやつやな)
そこに、しゃーない二人やと、みゆきが強引に割り込んだ。
「ハイハイ、二人の愛の絆の固さはよー分かったから。それはこっちに置いといて、もう少し先に進もやないか」
二人も、言葉を交わしたところで問題が解決するわけではないのは分かっていたので、その後はお互いの情報交換をもう少し深くしたあとは、明日の予定を確認して、昨日よりは早めに眠る事にした。
なお明日の予定は、午後五時半に飛行機で一気に羽田まで戻り、そこから鉄道で帰ることになっていたので、四時間もあれば家に帰り着く予定だった。だから、もう一度『大和』を見学させてもらい、資料館などで資料を収集することにした。
だが、いざ眠るとなると若さと稚気がそれを許さず、結局そのまま深夜遅くまで騒ぐことになる。昨晩は作業だけで疲れて寝ただけに、その反動は大きかった。
どこにしまってあったのか、食べきれないほどのお菓子と旅館内の自動販売機で買ったり、部屋据え付けの冷蔵庫に保管しておいた飲物が御膳の上に無造作に積み上げられている。
また、さつきは、今まで控えていたPCのオンラインかを行い、片手で器用に操作しながら、会話と食事を平行していた。
「あのの、原稿料は曾お爺ちゃんに入ることになるんだけど、曾お爺ちゃんは私たちにくれるって行ってるんだ。どうしよっか」
「うち円盤とか欲しいもんごーらんあるから、めっちゃ助かるわあ」
「え、私ももらえるんだ。……う〜、駄目だ。貯金か投資に回しそう」
「エ〜っ! 打ち上げでお食事や旅行行こうよ〜。そう思って話したのに。……そりゃ、服とかも欲しいけど」
かすみのお願いにも似た言葉に、二人が軽く視線を交わす。
「打ち上げかあ、エエなそれ。どこ行く? 国内、海外? それとも旨いもん食べにいくか?」
「私は旅行がいいな。普段行けない、海外か国内の遠いところがいいかな」
「あ、海いいね。でもサイパンとかだと、本土の言葉あんまり通じないよ。こないだ行ったパラオはそうでも無かったけど」
その言葉に、さつきがスナック菓子をほおばりながら、げんなりしたように言葉を挟んだ。
「旅行行くにしても、サイパンとパラオは止めようよ。どっちも戦場になった場所だよ。今検索したら、めちゃヒットした」
「あ、そうそう。パラオに行ったとき、慰霊碑と神社にお参りしたよ。……う〜ん、確かにまた取材しているみたいになったらヤだもんね」
「あ、そうなん。ホナどないする、やっぱりメシか?」
「まあ、そうじゃない場所もまだまだあるし、金額に余裕あれば海外でもいいんじゃない」
「あ、私、オーストラリアがいいなあ。ゴールドコーストとか綺麗だし」
「……かすみ、戦場って意味じゃそこもアウト。『大和』があの辺り攻撃してるし」
「エ〜っ、あんな遠くまで行ったの〜! 『夢』で出てきたことないよ〜。じゃあ、じゃあ、ニューカレドニアは? タヒチは? バリ、プーケット。それから、それから……」
「まあ、そう急きなや。で、どないなん、情報手に入る?」
「え〜と、ちょっと待ってね。アレ〜、あんまりヒットしないなあ。……ちょっと質問投げてみるか」
「さつきちゃん、それ多いね」
「某掲示板か? オタク色の強い濃いところで聞くのは止めた方がエエんちゃうか?」
「まあ、色々でね。運がよければ赤道近くや海外からも反応あるよ」
さつきは、みゆきの言葉も聞かずに、巧みにパソコンを操作している。そうしているのが、とても楽しそうだった。かすみも隣で苦笑いしている。
そして、沈黙の数分後。
「お、キターってやつね。ちょうどいい時間帯だから反応早いな。何々……バリ、プーケットは日本軍が占領してるけど、激戦にはなってないみたい。ニューカレドニアは少し空襲があっただけ。タヒチは、旧日本軍がそんなところ行けるワケないだろゴラァ、だって。AA付きだよ、アハハ」
「さよか。せやけど、さっちん慣れてるなあ」
「そうかな。まあ、情報は自身で調べ直さないといけない場合も多いけど、ネットは便利だよ。中には親切な人もいるし」
「ホンマ、さっちん濃いなぁ……。いや、それよりも旅行先やったな。で、戦争跡避けようと思たら、太平洋はかなり厳しいねんな。じゃあやっぱり、どっか温泉とかにするか? それやったら、旅行もメシもオーケーやし。それとも……、いっそ北の方にするか、樺太とか。海外やったら、最近は満州もおもろいて聞くで」
「う〜み〜っ! 南の海がいいよぉ〜」
二人の会話を静かに聞いていたかすみが、みゆきの言葉を聞くと寝転がって手足をジタバタしだした。
「かすみっちて、こんなんやったか?」
「ウン。子供の頃は、けっこうお嬢入ってたかな?」
「ひど〜い。冗談なのに〜。……あ、でも、海がいいのはホント」
「ハイハイ。じゃあ、条件に合いそうな場所を探してみるね……」
その後、日付が代わっても会話と悪ふざけが続くが、夜も更けてくるとだんだんと睡魔が気持ちに勝っていった。
そうして三人は、いつしか布団の上で語り始め、さらに部屋を少し暗くて話し続けた。そして気が付いたらさつきだけが、真っ暗な部屋の中でノートPCに向かい合っていた。
だがそれも限界に近づき、静かにマシンダウンすると小さく欠伸をして眠りについた。
(明日は……ま、明日でいいか。ケセラセラだもんね)
時刻は、まもなく朝の五時を指そうとしていた。




