第三章 「重なる世界」
『巨大な鋼鉄の集団が二つ、白い航跡を引きながら水面を驀進していた。機械の暴力と人の闘志を漲らせた艦艇群だった。』
(確か、こんな始まり方だったよね。みゆきちゃんのお話って)
朝霧かすみは、旅館に向かうタクシーに乗ったところまでは何とか起きていたが、車内で再び寝入ってしまい、今は朝霧権三、つまり彼女の曾祖父の意識の中に入った『夢』のただ中に居ることを実感していた。
(けど、続けて『夢』を見るなんて珍しいなぁ、きっと久しぶりに呉の街に来たせいだよね)
そんな事を思いつつも、かすみ自身はこの曾祖父の既視体験と言える『夢』を見ることに違和感は感じていなかった。
確かに、戦争の場面ばかりで危険な場面も多いし、専門的な言葉など繰り返し使われる言葉以外チンプンカンプンだった。だがそれも、『夢』と割り切ってしまえばどうという事はなかった。
自分、つまり曾祖父や彼の乗る『大和』に向かってくる敵の攻撃は当たらないでと願えば自然と逸れるし、当たってと願えば味方の攻撃が命中していた。遠くで味方の勝利を願っている曾祖父の思いを、自分の思いとして重ねてしまえば、それすら思い通りになる事すらあったほどだ。
それもすべては『夢』だと思えばこそで、さらには既に決定した歴史的事実をだと思えるかすみにとっては、もはや日常の一コマですらあった。
そして何より、こうして曾祖父の意識の中にいる『夢』を見るという事そのものが、曾祖父に抱かれているようで大好きだった。
この『夢』のおかげで、かすみは曾お爺ちゃんっ子になったと言ってもよいだろう。
(場所は、いつもの「ぼーくーしきしょ」かぁ。え〜と、太陽が少し西に傾いているけど昼間みたいだね。『大和』はどこかに移動中。後は、どこか南の海って事以外分からないなぁ……。でも、そんなのいつもの事だし、周りは味方でいっぱいだから、大丈夫だよね。きっと今回も勝つよ、ウン)
かすみなりに状況を整理してみるが、もともと軍隊や海軍、歴史の事に関心が薄いかすみにとっては、その殆どがどうでもよい事だった。
ただ、曾お爺ちゃんといっしょに『夢』の中にいる事が重要だった。
そう言う意味から言えば、曾お爺ちゃんが懸命に曾孫に伝えようとしていた戦争体験談は、暖簾に腕押し、糠に釘でしかなかった。
今回かすみが、曾お爺ちゃんの頼み事を快諾したのも、原因を突き詰めれば、彼女の曾おじいちゃん好きに行き着いてしまう。もちろん、取材旅行にタダで行けるなどの特典に釣られたのも事実だが、曾お爺ちゃんからの話がなければ受けることはなかっただろう。
しばらく、曾祖父が覗く双眼鏡から同じ景色を眺めていたかすみだったが、さすがに少し退屈になってきた。同じような景色ばかりが規則的に展開されるだけで、単調すぎたからだ。
(これが、この『夢』の欠点だよねぇ、曾お爺ちゃんの視線からしか見えないんだから。もっと、食事中とか、さっきみたいに宴会中なら面白かったのになぁ)
そんな事を思ったせいだろうか、周りが俄に騒がしくなってきた。
曾祖父やその周りの人が色々な報告を「でんせーかん」を使って各所で送り、曾祖父の視線の先には、空に忽然と現れた胡麻粒が、だんだんと近寄ってくるのが分かった。
(曾お爺ちゃん、相変わらず目がいいなぁ……私だとここまで見えないよねぇ)
敵が接近しているのに暢気なもので、まわりの緊迫した雰囲気も何のそので、かすみはその様子を眺めていた。
そうこうしていると、一つの報告が周りの空気を一変させた。明るい空気だった。
(あ、騎兵隊の登場ね)
ウンウン、ピンチの時には味方の助けが来てくれないと盛り上がらないよねぇ、とこれまた気の抜けた感想をつけた。曾祖父にもそれが伝播したのか、艦長に「ハイ、連中、本当に来てくれましたね」と相づちを打っていた。
それを聞いたかすみも、ますます安心してしまい、しばらくは曾祖父の目を介して観覧に洒落込む事とした。
かすみの大抵の記憶では、こう言う時は味方のゼロセンが大活躍して、苦もなく敵を蹴散らしてしまうのだ。
だから、ゼロセンだけはすぐに見分けが付き、彼女の中での戦闘機と言えばゼロセンとそれ以外というほどの認識だった。さらには空での無敵の象徴と言っても良いほどだった。しかもこの時も、『大和』のすぐ横をもの凄いスピードで追い越していった飛行機もゼロセンだったから、かすみの安心感をより一層確かなものとしていた。
だが、眼前で展開される光景は、かすみの考えをもろく突き崩していく。どうひいき目に見ても、味方が苦戦している事が分かった。
(あぁ、またやられた。最初から味方の数が少ないのに、ゼロセンの数も少ないからなのね。ガンバレっ!)
少し不安な感情を抱えつつも、かすみは曾祖父の視線を追いながら、彼女なりに情報を整理し、そしていつになく強い声援を送った。
どう見ても、白い星でマーキングした敵機の数は、濃緑色の味方の三倍以上もあり、味方の殆どが敵のすばしっこい飛行機と絡み合うように交差しあっていた。
見慣れているだけに、その程度の事はかすみにもよく分かった。味方の数が少なく、そしていつになく不利な条件にある事も。
「二時方向高度三〇〇ヨリ敵機約一五機接近中」
「四時の方向、敵機直上〜、急降下〜」
「取舵一杯ヨーイ」
「ト〜リカ〜ジ!」
様々な怒号が、海の男独特の潮で潰れた怒号が、防空指揮所を埋め尽くしていた。そうしなければ、周りの喧噪に声が負けて正確に相手に伝わらないからだ。
防空指揮所の全周からは、無数の巨大ロケット花火を打ち上げるような火線が上空に向かって伸び、すべての音を打ち消さんばかりだった。
さらに頭上からは、もの凄い音で空気を切り裂きながら落ちるように降下してくる群青色の集団があった。低空に回り込んだ別の群青色の群には、他の戦艦、かすみの目には『大和』とまったく同じに見える戦艦が、一瞬爆発したような火焔を吹き上げると、その爆発が投網のように広がり、群青色の一群を飲み込んでいた。
もちろん、群青の群の攻撃をすべて防ぎきる事などできるはずもなかった。
空襲の前まで真横にいた『大和』と同じ形の戦艦では、大きな爆発音と共に真横で大きな水柱が吹き上がり、それが収まると付近から煙を噴き上げ、別の場所からももうもうと黒煙をたなびかせていた。かすみにとって、どうして眼前の船が沈まないのか不思議でしょうがないほどの破壊力だった。
なにしろ曾お爺ちゃんのところまで、一呼吸遅れて全身を平手打ちするような勢いの熱い衝撃波がやってきたのだ。
(今までとは、比べものにならないよぉ!)
かすみは、心の奥底で悲鳴をあげながら、地獄のような光景に魅入られていた。生身でその場所にいたら、耳を押さえてしゃがみ込み、力の限り悲鳴を上げていた筈だ。
今にしても気を失っていない、いや、『夢』から醒めていないのは、それまでの「体験」があるからだ。もしかすみでなかったとしても、とてもではないが現代人に耐えられないだろう。
もちろん今のかすみに、そんな事まで考え及ぶ筈もない。逸らす事の出来ない目の前の光景を前に、ただただ、『大和』には当たりませんように、曾お爺ちゃんが無事で切り抜けられますようにと願い続けるしかなかった。たとえ夢でも、その逆の情景は見たくはなかったからだ。
そうして戦場の情景に魅入られていると、不意に曾お爺ちゃんの視線が直上に向かい、そして力の限りの怒鳴り声がかすみの意識の周りに響きわたった。
また、敵が急降下してきたのだ。
曾お爺ちゃんの視線は、機械的に今まさに急降下に入ろうとしている群青色の翼の群に注がれていた。群青色の翼の周りでは、白っぽい爆発や真っ赤な火線が通り過ぎていたが、ほとんど効果があるようには見えず、かすみの目の前で一斉に急降下に入った。
(アアァ、もうダメ。助けて!)
心の中で悲鳴を上げたまさにその瞬間、突然逆さ落としをかけていたうちの一つが、破片をまき散らすとバランスを崩し、そして爆発、空中分解。すぐ後にほんの一瞬だけ、背面を明灰色で塗装し日の丸を付けた翼が双眼鏡の視線上を横切っていくのが見えた。
(ゼロセンだ!)
見間違える筈なかった。
かすみにとっての空の守護神、ゼロセンに間違いなかったのだから。
だが、そこで安心したのがいけなかったのか、さらに列から離れた一機をのぞく七機が一斉に、胴体の下から黒い塊を放り出し、急速に視界から消えていった。視界の中には正円に近い黒い塊がいくつも、急速に接近しつつあった。
周りの切迫した会話から、群青色の飛行機が『大和』に向けて大量の爆弾を落とした事は分かった。だが、かすみにできる事は、ただただ祈ることだけだった。
当たらないで、と。
彼女の思いが通じたのか、正円に近かったほとんどは楕円の形にだんだんと変化していく。
爆弾が横に逸れている、もしくは船が避けようとしている証拠だと、それまでの体験からかすみにも察しがついた。
しかし、投下されたうちの一発が、『大和』右艦橋のやや前、一番副砲のすぐ横辺りに吸い込まれるように落下していった。かすみは、ほんの一瞬だがその黒い塊を真横で見た気がした。
だが、そう思うのも束の間、強い衝撃が襲いかかり、かすみの意識は途切れてしまった。
・
・
・
「あ、やっぱり起きた?」
次に目を開けると、薄暗い中で穏やかな顔をした橘さつきが、横からのぞき込んでいた。
そのむこうには東雲みゆきも居た。
「ホンマや、よう分かるなあ、普通に車が揺れただけやと思てんけど」
さつきに少し感心げに囁きかけていた。
二人の会話で、かすみにも自分が起きることになった原因に察しがついた。
料亭の時より頭はハッキリしている。
「エヘヘ、少し飲み過ぎたみたい。でも、もう大丈夫だよ。寝たら頭もスッキリしたよ」
「ウン。じゃあ、宿に着いたらお風呂いただいて、それから少し話し合おうね」
かすみを見つめ続けながら、さつきが穏やかな顔のまま話しかける。が、
「ああもう、また勝手に二人の世界に入る! ウチも居ること忘れんといてや」
演技がかった小さな怒り声で、みゆきがさつきの向こうから笑いかけてきた。
(やっぱり、あんな『夢』の中よりも現実が一番なのかな)
いつもと変わらない二人の様子から、ぼんやりと思うかすみだった。
◆
「あ〜、エエお湯やったなぁ、ちょうど人もおらんで貸切状態やったし、いや、満足、満足」
みゆきが、開口一番部屋の扉を開いた。
少しだぶついた浴衣に火照った身体を包んみ、手には大浴場の側で買い求めた瓶入りのコーヒー牛乳を握っている。栓が空いていないところを見ると、部屋で飲むのだろう。
「ホント、大きいお風呂だったね。展望風呂で夜景も綺麗かったし」
「そうだね、でも温泉じゃないのが少し残念かな」
「さつきちゃん贅沢だよ。この辺りは温泉宿まで遠いんだから」
それぞれコメントをはさみながら入ってきた二人も、浴衣に丹前、塗れた髪をタオルで包むという、女性らしいお決まりの姿だ。
そして部屋に入ると、かすみはそのまま部屋に備え付けの洗面室の方に向かい、ドライヤーを使って念入りに二度目の髪の手入れを始めた。髪の手入れという点では、三人の中で最も長髪のさつきも同様で、大きな御膳の側に座り込むと、前に回した長い黒髪をバスタオルで丹念に拭き直していた。そんな二人と違い、みゆきの方はすでに身支度は万全と言いたげにテレビの前に陣取っている。
「うっわ〜、チャンネル少な〜。それにローカル番組ばっかりや。関東やったら今○○(アニメ番組)やってるのになぁ」
色々文句をつけながらしばらくリモコンを操作していたが、物足りないのかテレビの側の小さな冊子を手に取った。
「なあ、有料やったら色々見られるんやけど、カード買うてきてエエか〜」と二人に問いかける。だが、
「ダメだよ〜、だってエッチなやつとかも見られるんでしょう」
「そうだよ。オヤジっぽいから止めた方がいいよ」
「純な心の持ち主にソラないで。ウチはケーブルのアニメ見たいだけやのに。だいいち、オヤジっぽいんやったら、さっちんなんか価値観が昭和並やで」
「そうかな? うん、貧乏性だからそう見えるのかもね。でも、私これでも平成生まれだよ」
言われっでは関西人の名折れとばかりに反撃していたみゆきだったが、さつきの言葉を聞くと突然指折りしたり何かブツブツと数字を読み上げ始めた。
「なあ、さっちんて早生まれなん……いや、それでも計算あわへんなぁ……て、もしかして飛び級してきたんか!」
最後に核心に至ったみゆきが、驚きの声と共に首を勢いよくさつきに向けた。
それに対してさつきは、対照的に、当のさつきは淡々としている。
「ああ、そうかまだ話してなかったよね。私、小学校と中学校は一年ずつ飛び級してるから、今一五才なんだ」
「ウソーっ! 全然見えへんやん。そんなに背高いのに。それに、それやったら何でかすみっちと幼なじみなんよ」
部屋の外にまでみゆきの大声が響いた。
そこに、ようやくドライヤーの騒音を止めたかすみが客間に戻ってきた。どこか嬉しそうだ。
「小さい頃、さつきちゃんの道場通っていたって言ったでしょ。だから、飛び級してきたさつきちゃんと同じ高校の同じ学年になったとき、すごく嬉しかったんだぁ」
「え、そう言う問題なん」
みゆきのツッコミも、かすみには通じない。二人を交互見たみゆきは、突然持っていたコーヒー牛乳を高らかに掲げた。
「こ〜さんや〜。二人の愛にカンパ〜イ! あ、これ『乾杯』と『完敗』の駄洒落な。せやけど、さっちんてホンマに天才少女やってんなぁ」
「多分、さつきちゃんの飛び級知っている人の方が少ないと思うよ。たいていは、どこからか引っ越してきた人ぐらいに思ってるから。小学生の終わりに急に背が大きくなって、それぐらいから髪も伸ばしているから、昔道場に行ってた子でも気付かないよ」
「へえ、そうなん」
「うん。子供の頃は髪もけっこう短くて、男の子みたいだったんだよ。私も最初そうおもったもん」
みゆきの親父ギャグをさりげなく無視したかすみが、さつきの話を続ける。見ていてもさつきの話をするのが楽しいのがよく分かった。その姿は、単に幼なじみというよりは、女の子がキレイなものを好むという風聞を照明するようにも見えた。
もっとも、俄に話題の人となったさつきだは、まったく意に介した風もなかった。二人の会話を聞き流しつつ、念入りに髪の手入れを終えると、荷物の中から様々なデジタル機器を取りだしては、セッティングをしている。
五分もすると、宿泊先の和室はさつきの分室へと変化を強要されていた。PCには既に電源が入れられ、国内でよく見かける「TRoN」の起動画面が浮かんでいた。
「え〜と、ノートPCが二台に、それは外付けのHDDか、他には……て言うか、何でそんな大荷物なんかと思たら、そんなもん入れとったんかいな。乙女の荷物ちゃうでぇ」
初めてさつきの驚異に接したみゆきは、この一時間ほど驚きっぱなしだった。
風呂場での驚きが最大級だったのだが、それは彼女の心のオシャレ小箱の奥底にしまわれているのはここだけの秘密だ。
そんなみゆきの内心など知りもしないさつきは、マイペースにすべてのセッティングを終えると切り出した。
「さ、私の身の上話はいいから、本題に入ろうよ」
「と、我らが参謀殿がおっしゃってるから、そろそろ始めよか〜」
「そうだね、じゃあ何から話そうか」
二人が相づちを打つと、ようやく作戦会議へと移った。
形としては、思い出せる限りの話をすべて出し、さつきがそれぞれのデータをそれぞれ入力しながら、あとの二人が最低限の要点や表題だけを、時系列や項目別に整理していく。
言葉にすると何やら複雑だが、要するに既に分かり切った歴史という枠の中でジグソーパズルを組み上げているようなものだ。
そしてさらに、カテゴライズ化する手段として、すべてのキーワードを単語カード使い、それを時系列順にトランプの七並べのように順番に並べていく。
しかし、できあがったものは、完成にはほど遠いジグソーパズルであり、到底成立し得ない七並べだった。しかも、どこにも入らないカードがかなりの数あった。
「う〜ん、全然情報が足れへんなぁ。やっぱり、『夢』なんかに頼たらアカンて事かぁ……おもろいアイデアやと思てんけどなぁ」
「そんな事ないよ、私は今までの事が整理できてスッキリしたよ。それに、これからお話書くのなら、予習にはちょうど良かったんじゃないかな」
みゆきとかすみがそれぞれのコメントを添えるが、どこか少し疲れていた。それもその筈、ここまで組み上げるのにすでに二時間以上が経過していた。時間はとっくに深夜だ。
だが、黙りこくってそれを見つめ続けているさつきは、疲れる素振りもなく真剣にカードを見続けていた。二人の会話に加わることもなく、自らの考えに集中していた。
そして数十秒後、残されたカード手を伸ばすと規則的に並べ始めた。
「何してんの? そんな意味のない夢の断片つなげてもしゃーないやん」
何気なく、みゆきが語りかけた。それにさつきが作業を続けつつ反応した。
「そうでもない……と思う。歴史の時系列を日本に不利と仮定して並べていくと、このカードは全部別のつながりになるんだよ」
「じゃあ、さつきちゃんと私の夢には二種類あって、それぞれに関連性があるって事? まさかぁ」
もう、冗談きついよさつきちゃん。
かすみがコロコロ笑いながら話しかけるが、さつきは自分の作業に没頭していた。
そしてカードを並べ終えると、今度はノートPCに向かい、何やら表計算ソフトを使って一〇分ほどで何かを作り上げた。
「見て、これがかすみと私の夢の断片を史実から逸脱しないように再構成した夢の中の歴史。右の欄は、本来の歴史の大雑把な概略ね」
その言葉に釣られるように画面に見入った。
『いよいよ、(その時)です』
付けっぱなしのテレビからは、国営放送の再放送番組が流れていたが、まるでさつきの組み上げた『夢の中の歴史』の解説をしているようだった。
「海軍壊滅、東京大空襲、沖縄決戦、廣島・長崎原爆投下、ポツダム宣言?、無条件降伏?? 何これ、負けっぱなしじゃない!」
「ああ、料亭でウチも少し見てきつく突っ込んでもうてんけど、こうやって眺めてみると、妙に納得いくくなぁ」
二人の言葉をよそに、さつきには別の意見があるらしい。静かに語り始めた。
「見事なまでの負けっぷだけど妙に納得がいく、私もそう思うよ。けど、本来『夢』がこんなに繋がる事そのものがヘンだと思わない。これって全部、二人の夢の中での劇みたいなもの。そういう普通の夢は、夢単体だったとしても、とりとめのないものになる筈じゃないかな?」
「どういう事? これが普通の夢とは違うって?」
眼前のあまりに凄惨な文字の羅列に、かすみが不安そうに問いかける。
「せやなぁ……よお出来てるけど、こんな鬱なストーリーじゃあウチのネタには使われへんなぁ」
「いや、そうじゃないって」
みゆきの相変わらずの言葉に、思わずツッコミを入れてしまったさつきだったが、そこでニヤリと笑ったみゆきが、やおら立ち上がるとゼスチャーを交えて演説を始めた。
「まあまあ、待ってんか。つまりこういう事やろ。これは単なる夢やのうて、意識が過去や別世界に飛んでるんちゃうかって事やろ。昔そんな映画かドラマ見た事あんで。今と未来がごっちゃになったミステリーみたいなやつ」
「昔の事なんだから、未来じゃなくて過去だよ」
「当たり前の事いいなや、例え話しやんか」
「そう、それに気付いたから、こうして分かりやすい形にしたんだよ。でも……」
「そんなのドラマや小説の中だけのフィクションで、現実にあり得ない、やろ」
そこでみゆきがさつきを指さし、それに釣られるようにコクリとうなづくと、みゆきが主導権を握った。
「で、こっからはウチの推論。というよりまだ妄想なんやけど、聞いてんか。我らが参謀殿のおかげで、情報が整理できたからこそウチもこうして気付いてんけど、実は、夕方ぐらいから少し引っかかとってん」
ウンウン、かすみが興味深げに次を即す。
みゆきはそこで軽く手をかかげ、右手にすでに空になった牛乳瓶を持ちながら応えた。
「さて、ワトソン君。ここからはまったく私の推論なのだが聞いてくれ。だが、まずは『夢』と過去が繋がっているという前提を頭の隅に置いてくれたまえ。そうでなくては話が前に進まないからね。……さて、二人の『夢』には二種類ある。これは間違いない。だがその違いはなんだろうか」
どうやら、シャーロック・ホームズを気取っているらしい。アニメやマンガ好きという割には、昨今の人気作品の真似をしないところを見ると、案外彼女こそが文学少女なのかもしれない。
みゆきが芝居がかった口調のまま話し続けた。
「私は『夢』の違いは、ある一点に集約されていると考える。そしてその一点とは、『夢』を見たときのそれぞれの心の持ちようだ」
「ねえ、そのウソっぽいしゃべり方はいいから、勿体つけずに早く教えてよ〜」
かすみが即すが、『演技』を続けるみゆきは、それを手で制した。
(同じ結論だろうな)
さつきは確信に近い思いを抱き、そしてそれにまったく納得いかないが、それを少しでも解消できればと、静かにみゆきの独演会を聞き続けた。
「結論を急いではいけないよ、ミセス・ハドソン。だが、そろそろ他の聴衆も退屈しているようだから結論に入ろう。つまりこういう事だ。『夢』を見ている当人が『夢』だと意識して考えた事がその次のシーンで実現され、願ったことが目の前の結果として現れる。これは『夢』ではよくある事だ。だが、ただぼんやり眺めているだけの『夢』も当然ある。むしろそちらの方が多いだろう。そしてこの違いこそが、二種類の夢を作り出していると言うことだ」
「確かに、それってあるよね」
(ホームズ、それだけじゃないよ)
かすみは関心し、勝手にワトソンにされてしまったさつきがそう心の中で異論を挟んだところで、みゆきは座り込んで「地」にもどった。
「でまあ、ウチらが現実としている世界は、意識的に操作された方の『夢』の延長線上にあるって事なるんや。けど、なんでわざわざもう一個歴史があるのがよう分からんねんなぁ」
「どうして、それなりに筋は通っていると思うけど……」
かすみが可愛らしく小首を傾げながら問いかけるが、それにはさつきが質問を挟んだ。
「かすみって歴史はあんまり得意じゃないよね」
コクリ。かすみが頷くと、さつきが続けた。
「反対に私は無駄に記憶力はいいから、教科書やセンターレベルたいてい覚えてる。けど私には、二人みたいに文学的才能はないし、覚える以外の文系的な事は苦手だよ」
「せやのに、なんでわざわざ別に『夢』の歴史がもうワンセットあるのかって事やな。そんなん一個で十分やん……せやけど、さっちんも万能ちゃうねんな」
取りあえず、一言感想を入れねば気が済まないみゆきが最後を締めくくった。そこでしばらく、三人が向かい合ったまま沈黙が訪れた。
だが、沈黙が数十秒続くと、耐えられなくなったみゆきが再び話し始めた。
「ほんでな、まだあんねん」
何? かすみが小首を傾げながら促す。
「ウン、仮に、そう仮にウチらの『夢』が結果として歴史に介入しているとして、それが既に全部終って今の状態にあんのか、進行中なんか、それともまだ始まったばっかりなんか、全然分からへんんねん」
「そうなの?」
かすみが、不思議な表情をしたまま小首を傾げている。
(ええかげん首痛なんで)
そう思いつつも、みゆきは続けた。
「あんな、ここで一つ例え話しするで。『夢』と今の歴史が繋がってるとして、もし『夢』の中で『大和』が沈んだらどうなると思う?」
「ダメだよ、曾お爺ちゃんが死んじゃうかもしれないじゃない!」
思わず、かすみが悲鳴に近い声をあげた。仕草もすでに悲劇のヒロインのように、両手を小さく握り口の前で並べている。
(自然にそうできるって、才能に近いよね)
さつきが、妙なことに感心しつつ話を引き継いだ。
「だから、例え話。それでね、その過去と今が連続していると仮定すると、『大和』が沈んだ歴史を私達は当たり前の歴史と思うんだ。で、歴史が代わった結果かすみがこの場にいなくても、私達二人もそれを当然と思うようになる。それがそこでの歴史だから」
「う〜ん、SFの世界やなぁ」
「気楽に構えている場合じゃないよ。私達にも関わることなんだから。みゆきのご先祖様は、戦争中どこにいた?」
「え、確かおとんのお爺が大陸でおばあは沖縄、おかんのお爺はサイパンやったかな? おばあの方は聞いてへんなぁ。それがどうかした……そうか」
「そう、歴史がもう一つの方に変わればそこも戦場になって、死んだり怪我をしたり、そうでなくても私達の歴史とは違う行動をする可能性があって、その結果私達も消えたり、それどころか歴史そのものが違う時間軸に流れるんだよ」
「じゃあどうしよう」
かすみは半ばパニック状態だ。だからこそ、さつきは言葉を続けた。
「だから、あくまで仮定の話し。非科学的すぎて私自身が全然信じてないのに、かすみだけが深刻に考えないでね。単なる偶然の積み重なりの可能性を、私は一番押したいね」
「そうか? ウチはその仮定の上で動きたいな」
「どうして?」
みゆきの言葉に、少しムッとした表情でさつきがみゆきに顔を向ける。だが、対してみゆきはアッケラカンと答えた。
「そら決まってるがな、燃えるからや! ウチらは歴史ちゅーどデカイ超越者に選ばれた勇者様みたいなもんやで。そう思うえば、俄然やる気が出るやろ。それにどうせ本を作る過程で色々せなあかんねんから、何事にも動機は大切や。仮定、妄想、大いに結構やないか! 想像力の中から物語は生まれてくるねんで!」
「そ、そうだね」
みゆきの妙に気迫に満た態度に、思わずかすみが合いの手を入れてしまったし、これにはさつきも苦笑するしかなかった。
(もう、ゲームは始まってるって事だね)
だが、ゲームと考えると守らねばならないルールがある。だから告げた。
「分かった、そのゲームに乗るよ。ただし、一つだけ守らないといけないことがあるんだ」
「「何?」」
二人同時にさつきを見た。
「無介入でも、やりすぎでもダメ。もし狂いそうになっていると分かったら、必ず『今』あるレールの上に歴史の流れを乗せること。サイコロの目で言えば、1や6はダメ。絶えず3か4ぐらいを出し続けないといけない筈だから」
「難しいなぁ、インケツどころかカブもあかんかいなぁ」
「ゲームと思うと楽しそうだね。でも、私はどうすればいいのかな? 私曾お爺ちゃんの夢以外見たことないんだけど、勉強して他の人に入れるようにしないといけないの?」
みゆきが二人に分からない言葉で表現し、気持ちを切り替えたかすみが、どこか論点のずれた質問をした。だからさつきは、かすみにだけ付け加えた。
「大丈夫、今までの話を信じる限り、多分かすみは『夢』の世界の女神様みたいなものだから。今のまま『大和』の上で自分の気持ちに素直でいてくれれば……多分そういう事だと思う」
「やだぁ、女神様だなんてぇ」
かすみが両手で頬を押さえ照れる横で、みゆきも何やら考え込んでいた。
「ほな、ウチとさっちんが、『夢』の先々でレールのポイントねじ曲がらんよにするって事やな、けどウチはそんなに記憶力良くないしなぁ……」
その言葉に、それこそがみゆきに与えられた『役割』なのだとさつきは確信に近いものを感じた。いや、そんな気がしただけかもしれなが、ゲームなのだから自分も気楽に考えればいいのだ。恐らくそれが今私に求められる事なのだ。さつきはそう信じ込むことにした。
(もう、すべてが理不尽すぎて、そうでも思わないとやってられないよね)
だからみゆきに語った。
「違うよ、みゆき。私のこと参謀って言ったでしょ。だから、考えるのは私の仕事。みゆきの『役割』はそのノリのまま突っ走ればいい、切り込み隊長みたいなものだよ、きっとね」