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第二章「状況、そして始まり」

 沖縄、台湾、フィリピン・ルソン島に対する一連の空襲で、現地日本軍航空戦力の撃破が完了したと判断したマッカーサー大将率いる米軍は、一九四五年一月一七日、ついにフィリピンへの帰還を果たした。

 帰還の第一歩となった地は、フィリピンのほぼ中央部に位置するレイテ島だ。

 米軍がこの島に侵攻した経緯は色々ある。

 本来米軍の『レイテ上陸作戦』は、四五年三月の予定だった。四四年十二月一二日にハルゼー提督率いる第三八任務部隊(TF三八)が、セブ島を攻撃した事で状況が加速する。

 彼は、予想以上に日本軍の航空戦力が低下していると看破し、レイテ上陸作戦を繰り上げ実施するべきだと太平洋艦隊司令長官のニミッツ提督に緊急打電したからだ。

 報告を受け、様々な方面から情報を検討した米国中央統帥部は、『飛び石作戦』のヤップ、タラウド、ミンダナオへと続く上陸計画をすべて繰り上げ、レイテ侵攻を実施するようにマッカサーとニミッツに指令を出した。

 その威力偵察ともいえるスルアン島に侵攻したのが一月一七日で、この米軍の動きに対して日本側は、『捷一号作戦』を発動させている。

 だが、米軍に不安要素がないと言えば嘘になる。

 特に、日本側が台湾沖海戦と呼称した戦闘終盤の台湾島での戦いは、米軍に非常に大きなショックを与えていた。

 それまで、順調にフィリピンや沖縄での航空撃滅戦を展開していた。にも関わらず、日本海上交通線のキーポイントとでも言うべき台湾は、「ジョージ(紫電)」、「フランク(疾風)」、「トニー(三式戦)」など新鋭機ばかり数百機が展開する強固な航空要塞と化していたからだ。

 ここで待ち伏せと送り狼の攻撃を受けたTF三八は、空戦だけで艦載機約一八〇機を喪失した。しかも大型空母「フランクリン」が、一時退艦命令が出されたほど酷く傷つけられ、マリアナでの打撃から回復したばかりの空母部隊をまたも消耗した。この大打撃のため、米空母部隊が不用意に台湾近辺に近寄ることを、長きにわたり躊躇させる事となる。

 しかも米艦載機隊のパイロットは、開戦以来日本との戦いによって消耗しては補充された新兵が実戦に向かうため、高い損耗率を示し続けていた。

 この時も損失した航空機とパイロットは、素早く後方の護衛空母群から補充された。だが、技量という面、特に実戦経験がもたらすファクターから考えると、戦力がかなり低下していた。

 地上支援や中規模以下の拠点攻撃ならともかく、日本海軍の精鋭である筈の空母機動部隊の艦載機との戦いには、能力が不足するのではと考えられていた。

 しかし、主導権を握っている陸軍の強い要望により発起されたフィリピン作戦に、海軍は強く反発することができなかった。しかも海軍は、パラオの戦いでも不甲斐ない面を見せており、これ以上陸軍に後れをとるわけにはいかないとして、陸軍の言うがまま作戦が実行される事となった。


 一方、長期的視野に立った原因を見ると、この時の連合国軍によるレイテ島侵攻は、ある意味戦争だった。

 そもそも、太平洋における戦いは、海軍の戦争だった。日本の戦いは聯合艦隊の戦争と言われた。この言葉に異論を挟む者は、陸軍関係者とそれぞれの戦場で戦った者以外は少数派だろう。

 今日、『太平洋戦争』が使われる事が多く、『大東亞戦争』がマイナーな事からも明らかだ。

 日米の存亡を賭けた戦いは、間違いなく海での戦争だったのだ。

 そして、日本の戦争が聯合艦隊の戦争と言われるように、戦争のここに至るまで大規模な戦闘、いわゆる『決戦』とされる戦いでの結果は、ほとんどの場合が聯合艦隊に軍配が上がるか、せいぜい両者痛み分けだった。

 このため、聯合艦隊のライバルたる米太平洋艦隊を率いたニミッツ元帥が戦後、『連合国は確かに日本との戦争は勝利した。だが、果たして我々海軍は、果たしてそう言えるのだろうか』という私的な言葉を残している。

 「ハワイ」に始まり、「マレー」、「インド洋」、「珊瑚海」、「第一次ミッドウェー」、「ガダルカナル」、「ポートモレスビー」、「南太平洋」、「い号作戦」、「第二次ミッドウェー」、「そして「第一次マリアナ沖海戦」。そのすべての戦場で、聯合艦隊が戦術的勝利を掴んでいる事は驚異に値する。

 日露戦争を例えにするなら、半年に一度のペースで日本海海戦を行っているようなものだ。

 また一方で、それだけ戦術的に押されていても、戦争そのものの勝利の階段を着実に上ってくるアメリカの国力にも驚嘆せざるを得ない。このような戦争の形は、戦史上ほとんど存在しないだろう。

 日本は、決戦場で常に勝っているのに、戦争に負けているのだ。

 そして今回も戦争の定形パターンを踏襲すべように、二つの巨大な軍事力が動いていた。

 いや、アメリカ軍の場合、今度こそ戦場での勝利も確実に得るべく、最大限の努力をしていた。

 陣容に、彼らの決意を見ることができる。


 第三艦隊(ハルゼー大将直率)

 第三八機動部隊(第一群)

空母 :「エセックス」「ハンコック」

軽空母:「ベロー・ウッド」「モントレイ」

戦艦 :「ニュージャージ」

軽巡:二  防空巡:二   駆逐艦: 一六 

 (第二群)

空母 :「レキシントン二世」「ベニントン」

軽空母:「ラングレー二世」

戦艦 :「アラバマ」

重巡:一 軽巡:二  駆逐艦: 一五

 (第三群)

空母 :「サラトガ二世」「ランドルフ」「ワスプ二世」

戦艦: 「ミズーリ」「ウィスコンシン」

軽巡:一 防空巡:二  駆逐艦: 一六 

   (艦載機:約七五〇機)


 第七艦隊(TF七九)(キンケイド中将)

戦艦:「ウェスト・ヴァージニア」「メリーランド」

   「テネシー」「カリフォルニア」「ミシシッピー」「ペンシルヴァニア」

重巡:三 軽巡:四  駆逐艦: 一六


 第七艦隊(TF七七—一、三)

重巡:二 軽巡:三 駆逐艦:一〇

 第七艦隊(TF七七—四)(護衛空母群)

護衛空母:一八

駆逐艦: 九  護衛駆逐艦:九

   (艦載機:約五〇〇機)

 第七艦隊(TF七八)(船団護衛)

駆逐艦(護衛駆逐艦): 三一


 侵攻部隊(マッカーサー大将)

米第六軍(クリューガー中将)

 第一波:四個師団・他多数

  第十軍団(第一騎兵師団、第二十四師団) 

  第二十四軍団(第七師団、第九十六師団)

 (※後続含め総数七個師団・約二〇万名)


船団総数:六五〇隻

(装備総量:一五〇万トン、戦闘車両:二〇三万トン、弾薬:二〇万トン)


 この艦隊には、ニューギニア南東部にあるアドミラルティ諸島と、カロリン群島のウルシー環礁に、最後に記した侵攻部隊を乗せた大船団が伴われていた。侵攻部隊のための船団は総数約八〇〇隻にまで膨れあがり、西部ニューギニアからの航空機傘の下、海を圧するように進撃していた。

 その様は、数千年の昔にトロイを滅ぼさんとしたギリシャの艦隊をイメージさせるものであり、日本人の目からすらば第二の元寇と言えただろう。

 この大軍団が、フィリピンのほぼ中央部に位置するレイテ島に押し寄せたのが一九四五年一月二〇日の事だった。

 いっぽうの日本側は、米軍の動きに従い機動戦力として出しうる全ての駒を動かす。

 中核は、リンガ泊地での激しい訓練を終え、急ぎブルネイへと移動した戦艦部隊と、国内でマリアナ沖で受けた傷を癒していた空母部隊だ。

 なお以下が、最終的に付近海面に集まった日本海軍の主要艦隊だ。


 第一遊撃部隊(第一部隊)(西村祥治中将)

戦艦:「大和」「武蔵」「信濃」「長門」

重巡:「愛宕」「高雄」「鳥海」「摩耶」「妙高」「羽黒」

軽巡:「能代」 駆逐艦:一二

 第一遊撃部隊(第二部隊)(角田覚治中将)

戦艦:「金剛」「比叡」「榛名」

重巡:「最上」「三隈」「鈴谷」「熊野」「利根」「筑摩」

軽巡:「矢矧」 駆逐艦:九


 第一機動部隊(小澤治三郎中将)

空母 :「赤城」「瑞鶴」

軽空母:「隼鷹」「龍鳳」

戦艦 :「伊勢」「日向」

防空巡:「五十鈴」 軽巡:「大淀」「多摩」 駆逐艦:一〇

 第二機動部隊(山口多聞中将)

空母 :「飛龍」「天城」「葛城」

軽空母:「千歳」「千代田」

戦艦 :「扶桑」「山城」

防空巡:「伊吹」 重巡:「那智」「羽黒」 駆逐艦:八

 (艦載機総数:四五〇機(実数約四三〇機))


 直接参加艦艇だけで約八〇隻。これ以外に補給のための艦艇、ブルネイまで出張ってきたサービス艦隊、哨戒のため出撃した潜水艦などを含めると、作戦参加艦艇数は百隻以上になった。

 まさに『根こそぎ』と表現して間違いない艦艇が、歴史を回天させるべく集められたのだ。そして編成の中で特筆すべきは、戦艦を始めとする多くの有力艦艇がひとまとめに戻され、空母部隊と行動を別にしている点と、艦隊決戦以外考えていない艦隊構成にある。ここにマリアナでの戦いを境とする戦術の変化を強く見て取れる。

 また、個々の兵器を少し見てみると、何と言っても目立つのが「大和級」戦艦三番艦「信濃」の存在だ。

 同艦は「大和級」の完成度をさらに高めた上に戦訓を取り入れて完成した「改大和級」と呼ぶべき超大型戦艦だった。四五口径四六センチ砲に対してすら過剰防御だった「大和級」の装甲厚を少し減らし、浮いたリソースで艦底を三重底にして水密防御を強化するなどバランスの良い防御配分に変更したのが前者との最大の違いだ。

 そして当初から新型高射兵器を多数装備しただけでなく、建造中の戦訓により艦の余剰空間すべてを防空火器で埋め尽くしていた。内容は、二種類の高角砲が合計二四門、機銃約九〇門、多連装奮進砲一四基だ。日本海軍艦艇の中で、最も高い防空能力が与えられていた。

 「信濃」以外にも、機動部隊に属する四隻の旧式戦艦は、高速空母にも随伴できるよう中央部の主砲二基と副砲すべてを下ろして速力を少し回復し、空いたスペースには多数の防空火器を搭載した防空戦艦とされていた。さらに、第一遊撃隊に属する「鳥海」、「摩耶」も防空巡洋艦に改装され、その他の艦艇も資材と予算、時間の許す限り高い防空能力が与えられていた。

 加えて空母部隊には、今までで最多の「秋月級」駆逐艦が配備され(総数六隻)、全身に機銃と高角砲でヘッジホック(ハリネズミ)のようになった新鋭防空巡洋艦「伊吹」の姿もあった。さらに対潜水艦専門の駆逐艦「松級」も複数が両艦隊に配備されるか別働隊として前路警戒し、今までにないほど対空、対潜戦が強化されていた。

 ちなみに、対空、対潜が強化されたのは、マリアナに至る苦しい戦いが余程堪えたからだった。


 なお先に説明した通り、日本艦隊は艦艇構成のみならず、集結地も大きく二つに分かれていた。一見ブルネイと瀬戸内海の二箇所から、フィリピン近海での合流を目指しているように見える。だがこれは、マリアナ沖海戦と比べると戦術が稚拙なのは疑う余地がない。

 しかしそれは結果として事実であるが、本来日本海軍の意図は別のところにあった。

 本来聯合艦隊は、泊地としての規模がある沖縄で、二つの艦隊を合同させて決戦を挑む方針にあった。だが、集結予定頃の四五年二月初旬までに米軍の侵攻があっため、集結前に敵侵攻が発生した場合に用意されていた、次善の作戦を採用せざるをえなかったという理由がある。つまり聯合艦隊は、本来「第一次マリアナ沖海戦」と同じ作戦を考えており、辛うじて維持できるであろう友軍制空権の下、戦艦部隊が敵攻略船団とその護衛艦隊を撃砕するのが本来の作戦だったのだ。

 だが、現状では分進合撃の作戦を採らざるをえなかった。作戦そのものも、北方の機動部隊が米高速空母部隊を拘束している間に基地航空隊の援護を受けて、南方部隊が敵泊地に突入するというものに変更された。

 こうした日本海軍の作戦内容は、戦争全般の主導権が日本の手に無いことを示すと共に、組織的作戦が崩壊しつつある事も伝えている。

 なお、ここで間違えてはいけないのは、日本が空母を「囮」として米軍をつり上げたという説が、実際は意図して行われたものでないという点だ。

 少なくとも彼らは、通常の決戦の変形パターンを演出しようとしただけだ。

 また、複雑な作戦における指揮順序と指揮そのものだが、いまだ山本五十六大将を頂点に戴く連合艦隊司令部は完全に陸にあがって、現場の指揮はすべて実戦部隊指揮官に委ねられていた。艦隊が大きく二つに分かれている為、最先任の小澤治三郎提督がすべての指揮を取るのではなく、小澤提督は空母部隊の指揮だけを行い、第一遊撃部隊の指揮は西村祥治提督の手に委ねられる事になった。

 なお、西村提督の第一遊撃部隊指揮官就任は、内地にあった戦艦「信濃」などを第一遊撃部隊に合流させる任務の臨時指揮官としての立場からの抜擢に近かった。これには現場指揮官は命令を決して違えない人物が良いとして、山本長官自らが推薦したと言われている。

 そして、西村提督が指揮官に就任した経緯はかなり複雑だった。

 四三年九月から先の戦いで負傷した栗田健夫中将に代わって、五藤存知中将が第二艦隊を率いていた。本来なら、この作戦でも五藤提督が第一遊撃部隊の指揮を取る筈だった。しかし彼は既に「信濃」がリンガ泊地に向かった四四年一〇月末、リンガ泊地にてマラリアが悪化して体調を崩し、職務を果たす事ができなくなていった。

 そしてこの時、同じ三九期の角田覚治中将がテニアン島からマリアナ戦勝利による凱旋転任という形で第二部隊を率いるべく艦隊指揮に就いていた(実際は単なる定例の人事異動の結果だが)。

 彼以外での上級指揮官は、前線にあって人事異動の機会を逃してしまった第一戦隊の宇垣纏中将、第三戦隊の鈴木義尾中将だ。しかし彼らは共に四〇期で、本来なら横滑りで角田中将が総指揮官に就任する筈だった。

 だが、山本長官が角田提督は目の前の敵に突っ込みすぎるとして、この頃内地の小規模な訓練艦隊を率い、現地にその艦艇群を送り届けに行く形になっていた、同じ三九期の西村祥治提督に白羽の矢を立てたという経緯がある。

 どこか日露戦争開戦時を思わせる人事といえなくもないだろう。

 ちなみに西村祥治提督は、温厚で真面目な人柄で軍歴のすべてを海上で過ごし、途中から航海科から水雷科に転向したほど努力家だった。だからこそ今回の任務にはうってつけとされ、いかなる事態があろうとも艦隊を目的地にまで送り届けると見られていた。そして提督は、今回が死出の出撃だと強く考えていたらしく、ブルネイでの海軍恒例の壮行会では自ら進んで酒をついで回るなど常にない行動を行い、後の語りぐさとなる数々の逸話を残すことになる。

 そんな彼が指揮官に就任した事による艦隊全体の一番の変化は、防空戦闘についてだった。

 彼は日本本土を離れる時、「伊勢」、「日向」を率いる第二戦隊司令の松田千秋少将から航空機に対する最新の回避運動をまとめた冊子を受け取り、リンガでの訓練で第一遊撃部隊すべてに訓練させた。

 さらに対空戦闘においては、戦艦、巡洋艦の主砲は使用しないと厳命した。この決定はかなり不評だったとも言われているが、その効果は戦場での結果が示している通りだ。

 一方、マリアナ諸島で空母部隊の壊滅した日本海軍など鎧袖一触と考えていた米侵攻部隊は、t……


 ◆ ◆ ◆


「なあ、さっちん、さっちん、何もこんなところで原稿書くことないんちゃうん、もうちょっと旅を楽しもうや。その為に、わざわざ新幹線にしたんやし」

 東雲みゆきが、うんざりした口調で問いかけた。

 ゆったりしたハーフパンツを中心にしたボーイッシュな姿が、小柄で活動的な彼女らしい。ただ、大きなウェストポーチを付けていたりと、ややオタクっぽさがにじみ出ているのはご愛敬だろう。

 いっぽう話しかけられた橘さつきは、朝霧かすみを挟んで通路側に座り、タイピングに熱中しつつ間延びした言葉を返した。

「そう? でも、せっかく飛行機じゃなくてネットの出来る新幹線にしたんだから、使わないと損だし……」

「それに、着くまでに予備知識は血肉にしておきたい、でしょ」

 さつきの答えを継いだかすみが、すべて心得ていますとばかりに、少し逸らした胸に軽く右手を当ててウンウンとお姉さんぶっている。

 その姿は、白を基調にしたレースやリボン・フリルに溢れたゴシックロリータルックで、デートにでも行くかのように気合い十分だ。

 そのかすみの言葉にコクリとうなずいたさつきの出で立ちは、ロングの黒髪に合わせた、黒を基調とした小ぎれいだがあまり見かけないデザインの服をまとっている。また荷物の大きさから、たくさんの衣装を持ち歩くのだろうとみゆきは踏んでいた。

 さつきが、うなずいて少ししてから、ようやく手を止めて顔をあげた。

「ただ、ネットで集めた情報だと、どうしても正確さに欠けるんだよね。せいぜい、一次資料の転載だし。それに、生きてる人ももう殆どいないだろうし、専門書ってもの凄く高いのに図書館には少ないし、何とかならないかな?」

「さっちん、貧乏くさいなぁ〜。本代ぐらい経費で落とせばええやん。それに編集はんに言うたら、貸してくれるんちゃうか?」

「そうだね、インタビューとかは仕方ないにしても、本代は経費でいけると思うよ。貸して貰えるかも連絡しておくね」

「経費だからこそ、締めるところは締めないと。浮いた経費を、当時の人でなくても今の軍人なんかの意見聞く時の取材費に充てられるでしょ。それと貧乏くさいのは性分だよ。だから、お給料貰える大学目指すんだよ」

 さつきが、顔を僅かにしかめつつ反論に入った。

「何や、もう解決策考えてあるんやないか、イケズやなぁ……あ、でも性分って何なん?」

 最後の問いの方が興味津々なのがアリアリと分かる口調に、さすがに苦笑したさつきに代わり、かすみがやんわりと言葉を挟んだ。

「みゆきちゃん、あんまり込み入った話はよくないよ」

 何か知っている風な口調のかすみに対して、みゆきの方は言葉に対してバツが悪い顔を浮かべた。

「あ、ゴメン。知り合おうてあんまり経ってへんのに、込み入った事聞いてもうて。せやけどスポーツ万能、才色兼備って感じやん、さっちんて。せやから興味あってん、ほんま、ゴメンな」

「いいよ気にしてないから。それより、こんな感じでいいかな」

 本当に気にしていないのか、相変わらずのポーカーフェイスのまま、自前のやや古びれたノートパソコンの画面を二人に向けた。

 じゃあ、順番に見るね、そう言ってかすみがマシンごと受けると二人で顔を並べながら読み始める。

 そして十数分後。

「いいんじゃないかな? て言うか、専門的な言葉ばかりで全然分かんないんだ、エヘヘ」

「ウ〜ン、それなりにまとまってると思うけど、なんか味気ないなぁ〜。シレー長官とサンボーなんかの会話形式の方がエエんちゃう?」

「元々説明的なパートになるんだから、ヘタに会話形式にしたら間延びするし、だいいち会話にしたらくどくなり過ぎるよ。それに、これでも東雲さんの文章参考にして飾り言葉は入れたつもりだったんだけど……う〜、やっぱり現場の人の意見とか聞ければなぁ」

 さつきの言葉は最後は独り言になり、自らの思考の海に沈んでいた。それは、列車の出す静かな音がちょうどよいBGMとでも言いたげな仕草だった。あまり他者の介入を許すような雰囲気にはない。しかしかすみは、自然にさつきの中に入り込んでいく。

「あのね、さつきちゃん。参考になるかどうか分からないんだけど、私ね、曾お爺ちゃんになった夢をよく見るんだ」

「夢〜? 何やそれ」

 向こうではみゆきが怪訝な顔をしているが、さつきはそうでもないらしい。

「ああ、かすみの家にお泊まりした時、私も見た事あるよ。意識は自分自身なんだけど、誰かの中に入っているみたいな……」

「あ、さつきちゃんもなんだ。知らなかった。でも、そんな夢の話しなんて恥ずかしくてできないよね、エヘヘ」

 「まあね」

 一見気のない言葉を返すさつきだが、二人のコミュニケーションは十分成立していた。

「ちょお、ちょお、待ってえなあ。ウチ一人置いてかんといて。何なんそれ。詳しく説明してんか。ワケ分かれへんやん」

 そんな二人の世界にみゆきが強引に突撃していく。

「あのね、笑わないでよ。私、小さな頃から曾お爺ちゃんの戦争体験よく聞いているせいか、曾お爺ちゃんの話した戦争の中に入り込んだみたいな夢をよく見るの。それが夢とは思えないぐらい現実っぽいから、ちゃんと思い出せたら参考ぐらいにはなるかなって思っただけ」

 へ〜、と半信半疑で感心するみゆきに、さつきが言葉を挟んだ。

「私も小さな頃は、よくかすみんちで話し聞いたけど、私は曾お爺さんじゃなかったな。あまり覚えてないけど、大抵周りには偉そうな人が多くいたし、私……じゃなくて外の人は指揮官みたいな役職が多かったと思うよ」

「その口振りからすると、外の人は複数って事か。なんか節操ないなぁ」

 みゆきがいらぬ一言を入れるが、最後に何かを思いついたらしく、突然ニタリと二人に笑いかけた。

「よっしゃ! だいたい話は分かった。取りあえずあんたら二人に仕事追加や」

 二人が注目するのを待って、さらに続ける。

「その夢とやらをできる限り思い出して、メモみたいな形でええから文章にしてまとめてな。ウチが話し作る時のソースにするさかい。あとソレ、次のウチの作品のネタにいただきやで!」

 最後にビシッと人差し指を二人に突きつけると、次の瞬間にはメモ帳を出して、そそくさと何かを書き始める。

 だが無情にも、彼女が本格的な作業に入ろうという時、車内に目的地を告げる機械的なアナウンスが流れてきた。

「まもなく廣島、廣島……」


 ◆


「へー、私軍港って始めて来るけど、戦艦が浮かんでいるだけで、あんまり普通の港と変わらないね。もっと大砲とかミサイルがあるのかと思ってた」

 数時間後、三人は海軍の水兵に案内されながら呉軍港の中枢部へと入り込んでいた。


「あのいーじす艦て、一〇万馬力なんだって。でも、どのぐらい凄いの?」

「さあ、某ロボットも同じ馬力やから、やっぱり凄いんちゃうか〜」

「車なんてせいぜい数百馬力だから、やっぱり一〇万馬力もあると凄いんじゃないかな」

 三人の言葉に小さな苦笑を浮かべている水兵をよそに、そえぞれ勝手な感想を言ったり、三人で話し合ったり、場合によっては案内を任された水兵に質問を浴びせかけていた。

「なあなあ、兵隊さん。あの戦艦(注:指さしているのは駆逐艦クラス)の大砲って、どのぐらい飛びますん?」

 特に激しく質問しているのは、やっぱりと言うべきかみゆきであり、水兵が返答に困るような事も平気で聞いていた。

 そうこうしていると、建物の影になっていた岸壁に一隻の軍艦が見えてきた。

 そびえ立つような艦橋構造物と太い煙突、そして前に二つ後ろに一つ据え付けられた巨大な砲塔、その周囲にトッピングされたいくつものレーダーと兵器群。ライトグレーに塗装されていたが、それは紛れもなく『大和』級戦艦だ。半世紀以上もの間洋上に君臨し続けた海の女帝が、新たな衣装をまとった姿だった。

 艦首碇付近には所属戦隊を示す『311』、艦尾には、『やまと』と白いペンキで書かれている。

 間違いなく日本海軍の軍艦だ。その証拠に、艦尾には大軍艦旗が翻り、マストにも日本のものである事を示すはためきがいくつも見える。

 そして全貌が初めて見えた時、三人は一瞬デジャブーにも似た感覚に襲われたが、眼前にあって圧倒的存在感を放つ『大和』が、その時の感情すらふき飛ばしていた。

 当然と言うべきか、様々な感想が三人の口から飛び出していく。

「うっわ〜、デカっ!」

「大きいだけじゃなくて、全身凶器って感じだね」

「アレ? 前見たときと少し違うなぁ」

 最後の言葉にだけ、水兵が反応した。どうやら質問されたと思ったらしく、立て板に水とばかりに話し始めた。こればかりは、時代が変わろうとも姿を変えることのないセイラーの姿だった。

「はい、目の前にある『大和』と同型艦の『武蔵』は、二年前に現役復帰し、小規模な改装を済ませたばかりです。艦中央部の大きな構造物にある八角形に見えるレーダー群により、東シナ海で洋上監視の任務に就けるようになっています。もちろんこれは、昨今緊張を増している中華人民共和国に備えるための装備です。また……」

 一つ聞かれたら十答えるとされる説明が続く、あくまで軍事に関しては素人の三人は、あまり理解できているような顔を浮かべていない。たまらずかすみが口を挟んだ。

「ご、ごめんなさい。詳しい事はあまり分からないんです。せっかくお話していただいたのに……」

 それに水兵は、なるほどと頷くと言葉を変えて続けた。よくある事なのだ。

「いえ、こちらこそ失礼しました。女性ばかりの学生さんだけで軍艦の見学に来るという方が珍しく、ついつい舞い上がってしまいました。それに」

「それに、何ですのん」

 水兵の思わせぶりに、みゆきが後を即した。

 その言葉に勇気を得た水兵が続ける。

「ハイ、お三人の中に我々の尊敬する方のご令息がいらっしゃるので、できる限り便宜を図るようにと内意を受けており、ついつい出過ぎてしまいました。お許しください」

「それは、朝霧権三特務少佐の事ですか」

「ハイ、ではあなたが、朝霧権三特務少佐のご令息の方ですか?」

 さつきが質問したのだが、水平の仕草は単に美人との会話を楽しんでいる風にしか見えないので、さつきの未来の奥さんを自称するかすみが、そうはさせじと割り込んだ。

「いえ、朝霧は私です。権三は私の曾祖父にあたります。今日も曾祖父が海軍さんの知り合いに手紙を出しただけで、こうして気安く入れていただいて、とても感謝しています」

「そうでしたか、これは重ね重ね失礼しました。さて、お三人に便宜を図った方が、『大和』艦内でお待ちです。さ、ご案内します。参りましょう」

 ペコリと頭を下げるかすみに、水兵はそう付け加え、三人を艦へと導いた。


 大きな桟橋に横付けした『大和』は巨大だった。最初に見えた時は少し離れていたので、実のところそれ程インパクトはなかったのだが、こうして見上げる位置まで来ると、その存在感は威圧感を以て三人を押し潰さんばかりだった。軍や兵器とは縁遠い三人にも、自らは兵器だとアピールしているようだった。

 間近まで来ると、鋼鉄の壁が連なってその向こうに艦中心の構造物が見えるだけで、これが本当に動くのかという錯覚すら抱かせてしまう。まさに鉄の城という言葉が相応しい。

 そして大抵ここで、一般の見学者は後込みするような仕草や感情を見せるのだが、案内役の水兵の見たところ、どうもこの三人にはそう言ったところがまったく見られなかった。

 しかも三人三様だった。

 ゴシックロリータで着飾った少女は、その服装に不釣り合いな事に、まるで古巣に帰るような自然な足取りだった。しかし、子供の頃曾祖父に何度も『大和』に連れて来られたという言葉によって納得もいく。関西から来たらしい背の小さい少女は、威圧されたといよりは、今までとは打って変わってどこか場違いなところに来たでも言う風な感じを受けた。長い黒髪を潮風に任せているモデルのような長身の少女は、まるで提督や艦長が自らの艦に乗り込むような堂々とした態度だ。

 当然というべきか、長身の少女が三人の先頭を歩いていた。そしてラッタルの入口でサブマシンガンを構え警備に付いていた陸戦隊腕章を付けた水兵が、思わず姿勢を正そうとしたほどだから、長身の少女、つまり橘さつきの威風堂々ぶりは、それ程堂に入っていた。

 もっとも、三人とも軍人のように規則通りの答礼をするわけではなく、他の一般見学者同様に甲板の上へと進んでいく。案内役の水兵も、軍港内で少女の集団を連れて歩いているので、少し毒気に当てられたぐらいに思い直し、目的地への案内を淡々と続ける事とした。


「ねえ、どうしたの急に黙って」

 『大和』艦内の廊下を歩きながら、かすみがさつきに少し心配そうに語りかけた。

「いや、何となく無口でないといけない気がして」

 さつきが、わずかに困惑した顔を浮かべてかすみにに苦笑した。その前でキョロキョロしているみゆきは、そんな二人を気にする風でもなく、案内の水兵に色々聞いている。

(確かに、軍艦の中を実際見ながら色々聞けるのは貴重だよね)

 さつきはそれを見て思いつつも、今しがたもらったラムネを飲みながら呟いた。

「何だか、初めて来た気がしないんだよね」

「そうなの。あっ、デジャブーってやつだね、フフフ。私はえ〜と、これで七回目だからこの道なんかも結構覚えてるよ。昔とは少し違ってるらしいけど……ホラあそこが多分目的地。偉い人の部屋でホテルの中みたいなんだよ」

「さすが、よく知ってるね」

 少し得意げに話すかすみを微笑ましく見つつ、さつきもそこに視線を移した。

 そこに掛かるプレートには、『司令官室』と書かれていた。

「ここにかすみっちの曾爺さんの知り合いがおんねんて〜、早よこっち来いや」

 水兵の言葉を先取りしてみゆきが、扉の前で小声で語りかける。二人も会話を中断して頷くと、みゆきに並んで扉の前へと進んだ。それを確認した水兵も、扉を向かって型どおりの対応をしてから、扉を開き三人を即した。

「中で提督がお待ちです。どうぞお入りください」


 ◆ ◆ ◆


 扉をくぐった先にあった部屋は、確かにホテルの一室のようだった。

 そう、そこは「だった」と過去形を使うべき場所だった。

 かつては様々な調度品に飾られ、ところどころにその片鱗を見ることはできる。しかし目の前には、スチール製の簡素なテーブルとイスが並んでいるだけで、かなり広い部屋だけに余計に閑散としたイメージが広がっている。

(軍隊ってそこまで貧相にしないといけないのかなぁ)

 さつきはツイツイ思ってしまった。

 目の前には、テーブルとその周りに六つの古い造りのスチールイスがあり、そこに白い海軍の礼服を着こなした男が二人座り、共にこちらに視線を向けていた。

 正面奥には五〇代ぐらいの温厚そうな顔の壮年の紳士が座り、向かって右横には同年代だろうが精力的な顔をした人がいて、どちらも肩や左胸のあたりがキラキラ輝いていてる。

(このどちらかが、曾お爺さんと知り合いの提督なんだろうね)

 と、さつきは漠然と思った時、向こうから話しかけてきた。

「まあ、掛けてゆっくりしてくれ、宇垣君」

 奥の紳士がそう切り出し、彼の右手は空いたイスを指していた。

(チョット待って。誰の事? あの水兵に言ってるの?)

 さつきは小さなパニックに襲われた。

「ハイ、失礼します」

 さらに耳には壮年男性の声が響く。声は、どう考えても自分の口から発したものだった。

(『夢』だ。間違いない。でも、今の今まで普通に歩いていたのにどうして。もしかして扉をくぐる時、勢いよく頭でもぶつけて気を失ったのかな。ア〜ァ、だったら格好悪う〜。後で二人に笑われるだろうなぁ。東雲さんなんてお腹抱えて笑うよね、きっと。いや、それよりも、倒れた私のおかげで今頃みんな大わらわなんだろうから、後で謝らないと)

 そこまで思うと気分も幾分落ち着き、まあそれなら内容をしっかり記憶して、『夢』から醒めてやろうと考えるようになった。

 ある意味これはチャンスだった。この記憶が現実に持ち帰れるのなら、テストケースになるに違いない。

(それに、転んでタダで起きたら損だしね)

 持ち前の貧乏性が頭をもたげると、俄然やる気が出てきた。

 そして詰め込んだ知識の総動員を開始する。

(頑張れ私、想像力の限界まで『夢』を見せてね)


 外の人は宇垣って言ったから、多分宇垣纏という提督だ。確か、『戦藻録』をという日記を書いた人で、聯合艦隊の参謀長や色々な要職を果たした、この頃の海軍実戦部隊の大黒柱の一人)

 というところまで記憶をたぐり寄せると、宇垣提督は中に『居る』さつきの意志などおかまいなし、目の前の二人と会話を始めた。既にソファーに着いていた。

「西村司令官、先ほどは失礼しました」

 彼はそう切り出すと、座ったままキリっと腰を曲げた。

 頭の向こうから先ほどの声が響いた。

「いや、頭を下げるのはボクの方だ。先ほどは本当に助かったよ。宇垣君」

「まったくだな。ただ、一言だけ言わせてもらうと、少し意外というのが正直な感想だがね」

 苦笑混じりに別の声が響いてきた。男性的な力強い語り方だ。

(あの元気そうなオッサンか)

 さつきは目星をつけたが、どちらにせよ顔と名前が一致しない。いや、顔が思い浮かばなかった。記憶力には強い自信があり、レイテ沖海戦に関わる主要人物の名前や役職ぐらいまでは記憶したが、情報収集がそこまで及んでいないのだ。

(だったらどうして、目の前の人物はちゃんと再現されてるワケ?)

 一瞬さつきの脳裏に疑問がよぎる。たが、その間も三人の会話は進み、勝手に進む会話の中で、言葉を交わしている二人も明らかになった。温厚そうな紳士が、レイテ沖海戦で第一遊撃部隊の総指揮官を務めた西村祥治中将で、精力的なオッサンが第二部隊を率いていた角田覚治中将だ。

 しかし、まだ分からない事が山積みだ。これが分かるまで最低でも『夢』から覚めないでと、矛盾した願いをしつつも考えを巡らせた。

(三人が一同に会していると言うことは、レイテ沖海戦の前後。そうだ、リンガ泊地かブルネイに居るからで、のんびりしているのだから、戦場には出ていないのかな……)

 どう考えても、今のところ分かるのはその程度で、今しばらくは『観客』に徹する事にした。

「いえ、あの冊子は私と同じ鉄砲屋の松田君が作ったものですから、本来なら彼よりも先輩にあたる私が先に考え至らねばならない事です。西村司令がそれに重きを置かれるのは当然です」

 宇垣が、いつになく多弁に答えた。

「そうだな、そう言う意味ではオレの罪はもっと重い。この戦争が始まってからは、ほとんど飛行機を商売道具にしていたんだからな。それにしても、松田君の発想の柔軟さにはいつもながら驚かされるな。大したもんだ」

 我が意を得たりとばかりに、角田が両腕を組みながら深くうないた。

「確かに、あれの原型を開戦前に既に作っていたと言うんだから、大したもんだね。マリアナの後に改訂されたものを受け取り、彼から直にレクチャーを受けた時は、目から鱗ものだったよ、ハハハ」

 照れくさそうに頭をなでながら、西村が二人の言葉を纏めていく。

(へー、結構いいチームワークなんじゃないかな)

 さつきは、これでおやつでもあれば観客側としては最高なんだけどなどと、頭の片隅で出来もしない欲求をもて遊びながら、持ち前の記憶力を全開にして会話に集中した。

「しかし、これからしばらくは大変だな。訓練要項から変更しなければ」

「それなら、もう小柳君が参謀連中と始めているよ。彼には苦労をかけるが、ボクは方針を変更する積もりはないよ」

「そうか。さすがに仕事が早いな。これは俺もうかうかしてられん。急ぎ『比叡』に戻らねば」

「さすが見敵必殺の角田だな。でも、冊子のゲラがあがるまでまだ時間があるし、何より訓練要項の変更にはもう数日かかるだろう」

 西村と角田は二人で会話しており、宇垣はその会話に入るでもなく、静かに聞き入っていた。しかも二人は同じ三九期、つまり同期生なので気心も知れており、会話には入りにくいのだろう。


(う〜、少しぐらい話してよ。後で話のネタに困るでしょう)

 自分の無口と『夢』という事を棚に上げ、『宿主』に手前勝手な悪態をつけた。

 それが効いたのか、その後は宇垣も二人の会話に入るようになる。しかし今度は専門的な会話が多くて、さつきは付いていくのが精一杯になった。

(どうも、『夢』ってはうまくいかないな)

 そう思うさつきだったが、事前に知識を詰め込んだおかげもあって、会話には何とか付いていけた。三人の会話によって知識の総量も少しずつ増え、少し気持ちにも余裕が出てきて、再び色々と思考を巡らせるようになった。

 そして、この会話は自分自身がどこかで見たものが再構成されたに過ぎないと思い直すと、尚更リラックスできた。

(そう所詮私の『夢』だもんね。で、今の会話は、空襲から船を守る為の方法の相談だよね。え〜と、話を総合すると全艦の「だんまくしゃげき」で相手をビビらせて、相手が爆弾や魚雷を落とす直前に避けようって事か。でも、相手が外れると分かっても落とすように仕向けないといけないなんて、結構セコイなぁ。それに、『大和』って世界一頑丈なのに、爆弾が当たったら大丈夫じゃないって事なんだろうね。なんだか幻滅。アニメやマンガみたいには行かないんだ)

 さつきの思考は、専門家から見たらまるっきり素人のもので、それは彼女自身が強く自覚するに至るにはこの短い時間でも十分だった。だから、しばらく思考を巡らせるとそれが虚しくなり、そのうち考えるよりも情報を集める作業に戻っていた。

 そうして三人の会話もそろそろ終わりにさしかかった頃、ふと疑問がよぎった。

(チョット待って、三人の会話少しおかしいな。「だんまく」って小さな大砲をいっぱい放つのに、そんな時に「さんしきだん」とか言う主砲を撃ったら、大きな衝撃でそこにいる人が危ないし、それって矛盾しない? それに、進む先々で敵艦隊と戦うつもりなのに無駄弾にならないのかな? て言うか、ヤッパリ駄目だ)

 いつになく激しい調子で、三人の会話に勝手に批評していたさつきだったが、まるでそれを待っていたかのように、『宿主』の宇垣提督が話を切り出した。

「西村さん、角田さん、最後に一つ追加提案したいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「ウム、何だね宇垣君」

 西村司令が即した。

「ハイ、対空射撃の間は大型艦艇、つまり戦艦、甲巡の主砲射撃を控えてはいかでしょうか。松田君の追加資料によれば、残念ですがマリアナ沖ではあまり役に立っていないようです」

「何、三式弾を打たないと言うのか? 遠距離弾幕の要ではないか」

 これには、角田が否定的な意見を差し挟んた。「三式弾」による射撃は、今まで対空射撃の切り札の一つと思われていたからだ。

「ですが、事実です。私としても慚愧に耐えませんが、効果の程は目を覆わんばかりです。また、何より敵が対策を取ってくる可能性も大であり、戦艦の主砲弾とて無限ではありません。今回のような戦闘の場合、大型艦の砲弾はより有効に活用すべきです」

 腕を組んだ角田は、そのままウ〜ンと唸り込んでしまい、宇垣の視線は角田から西村へと移った。

「ウン、それは僕も考えていたんだ。宇垣君がそう言ってくれると心強いな。早速次の会議で提案して、実行させよう」

(なんだ、ここでそういう会話があったって事ね。私も流し読みでサイト回るの控えないとなぁ)

 ウンウンと妙に納得していると、どこからともなく耳に慣れた声が聞こえてきた。

 ・

 ・

 ・

「・・つきちゃん、さつきちゃん」

 さつきが声の方を向くと、かすみの顔が斜め下からのぞき込んでいた。

 かすみの顔を見つめつつ情報を整理した。

(首、いや体は思い通り動く)

(『夢』からは覚めたようだ)

(場所は……部屋に入ってすぐ)

(アレ? 倒れたりしていないなあ)

(それに、一瞬の出来事みたい)

(……て事は、白昼夢だったのかな?)

 ざっと、こんなものかなぁとさつきが思っていると、釘付けになったさつきの視線のせいで、かすみが顔を少し赤らめていた。そして視線だけでさつきを前に向けさせ、小声で囁きかけてくる。

「どうしたの、さつきちゃん。ホラ、てーとくが座ってくださいって言ってるよ」

(こういう時の、かすみの声って耳に心地いいんだよね)

 さつきが妙なことを思いつつも、『夢』と同じ配置のソファーに促されるまま座った。

 目の前の提督は、中華動乱時までかすみの曾祖父に世話になったという将校の息子で、以前からこうしてかすみやかすみの曾祖父が軍港や軍艦を見学に来たときの世話を焼いている人物だった。

 だからこそ、こんな場所まで一般人が入り込めるのだ。普通なら、当直の水兵が当たり障りのない場所bト内して終わるだろう。

 しかも軍艦としても巨大な『大和』の公開見学は、休日以外は滅多に行われるものではなく、たいていは海軍の関係者に限らる。そういう点では、実に日本海軍らしいと言える。

 その後の会話は、提督とかすみが一通り思い出話に花を咲かせ終わると、簡単に事情が説明された。ここからは主にみゆきがいくつか質問し、自分のメモ帳に書き込んでいく。

(意外にマメなんだ)

 さつきはそう思いつつも、『夢』の内容を忘れまいと記憶を反芻していたので、提督との会話はほとんどなく、かえって質問されたりした。

 そうして二〇分ほどの会見で、小さなお客さんから解放された提督は任務に戻り、再び同じ水兵に案内された三人は、時間ギリギリだったが『大和』艦内で昼食をいただく事になった。


 三人が大食堂に案内されると、そこには『お客様』という事で席がすでに用意されており、少し値段の高いレストランで案内されるように水兵のエスコートを受けて席につくと、互いに小声で言葉を交わしあった。

「なんか、エライ扱いエエなぁ」

「そうだね。曾お爺ちゃんと一緒の時よりと少し雰囲気違うみたい」

「それより、カレーの臭いがするけど、意外に庶民的なんだね」

 『海軍の金曜カレー』と言えば、日本海軍に詳しければ知らない筈はないのだが、知らない三人にとっては、せっかくいい気分でテーブルに着いたのにカレーかぁ……と言う思いを隠せないでいた。

 ただし、彼女たちの思いは、マニアにとっては許し難いものだった。数十年の伝統を誇る『大和』、『武蔵』の食堂メニューやレシピは、マニアの間では伝説的とされていた。しかもそれをリアルタイムで食す栄誉に欲した彼女たちは、羨望に値するものだった。

 もっとも、イザ食べ始めると現金なもの。

「ウワっ、メッチャ旨い」

「うん、美味しいね」

「具が多いし、味が濃厚だね」

 などと、手のひらを返したように大声で褒め称え、これには周りで三人を興味津々に隠れ見ていた一部の大和クルー達も、苦笑する事しきりだった。


 食後、既に閑散とした食堂で、ちょっとしたデザートやコーヒー・紅茶をいただきながら、さつきは先ほどの経緯を二人にだけ聞こえるようにかいつまんで話した。

「へー、そんな事あるんだぁ、不思議だね。でも、突然ボーっとしたかと思うと今度はジッーっと私のこと見つめるんだもん。困っちゃったよ」

 かすみはそう言うと、両手を頬に当てて軽く身をよじっている。

「ホンマかいなぁ……いや、そんなん嘘言うてもしゃーないのは分かるけど。けどなぁ……何か不公平やん。ウチも同じ場所におったのに」

「そうだね、それよりも参考になるかな?」

「せやなぁ……本の基本は曾爺さんの伝記に近くするつもりやから、あんまり司令官や提督なんか出てきてもしゃーないねんけど、説明パートのところのドラマとして使えるんちゃうかな。やっぱ友情、努力、団結みたいなところは読み手が燃えるしな」

 一転して、みゆきは意外に冷静な答えを返した。

 これにさつきは、みゆきは公私混同しない正確らしいという換装を持つと、話しの内容を打ち合わせに入った。

 その間少しだけかすみが席を外し、戻ってくると二人に告げた。

「あのね、今ついでにこれからの予定を聞いてきたんだけど、今日は訓練日だから、『大和』艦内の見学は明日の午後からにしてください、だって」

「アレ、そうなん。じゃあ、他の戦艦(※軍艦と誤解している)とかも見られへんの」

「う〜ん、それは言ってなかったけど、『大和』が訓練なら、他もそうじゃないのかな……。あ、そうそう近くにある海軍の記念館もあるから、参考になるんじゃないかって」

「戦艦がアカンても、選択肢は色々あんねんな」

 かすみの言葉にみゆきが色々無責任な質問をぶつけていたが、これではキリがないので、さつきが突破口を開くことにした。

「じゃあ、記念館に行く道々の施設を見せてもらって、記念館に寄ってから夕食にしようよ。確かどこかのお店を予約しているんでしょ」

「そうだよ。確か『岩越』って名前の料亭で、海軍の人がよく行くお店なの」

「ホーっ、料亭とはそらまた豪勢やな。じゃ、それでケッテーな。そうと決まれば、早よ行くで〜」


 その後三人は、基地にいる間は、水兵に案内されるまま様々な施設を覗いてまわった。

 中でもインパクトがあったのは、今でも海軍施設として使われている『大和』が建造されたドッグ、つまり『大和』のゆりかごとなった施設だ。今では大型空母すら入渠できるようにさらに拡張されていた事もあって、その存在感は圧倒的だった。何しろドッグそのものは、直線で四〇〇メートル以上もある巨大な空間だ。

 おーっ、とばかりの感嘆の声を挙げていた三人だが、不意にみゆきが呆然とした顔を二人に向けて、心ここに在らずといった風に語りかけた。

「なあ、かすみっち、さっちん。ウチにも見えたで」

「何が?」

 二人は怪訝な顔でみゆきを見返したが、そこで正気に戻ったようにまくし立てた。

「せやから、『夢』や『夢』。一瞬やったけど、今ここにさっきの戦艦が入ってるのが見えてん!」

「デジャブーや錯覚じゃないの。『大和』に来た人は、よくそう言う既視感に囚われるって聞いたことあるよ」

 『大和』の逸話に関してだけは詳しいかすみが、冷静な論評を付けたが、当のみゆきは首をブンブンと横に振る。

「いや、ちゃう。絶対ちゃうで。ウチが見たんは、さっき見たピカピカの『大和』やのうて、濃いグレー色した古くさいヤツやった。それに、そこに見えた人も今の人ちゃうし、何よりそこら中が壊れて黒こげやったで!」

 小さなからだに力をみなぎらせて二人に向かい合う。が、次の瞬間には自分の世界に入り込んでいた。

「なるほど〜、こういう事かぁ……けど何でやろ」

 ブツブツと独り言をつぶやきながら、メモ帳に色々と書き込んでいる。

 そんな美由紀の側では、困ったような顔をしていたかすみを、さつきが視線でなだめている。そのさつきは、そう言った体験をデジャブーや白昼夢と完全に割り切っていたので、特に感慨を受けたわけでもなく淡々としていた。

「ま、よかったんじゃない。これで公平になったんだから。それに、私達の仕事も幾分減ると思えば、けっこうな事じゃない」

「相変わらずだね」

 そう苦笑するかすみをよそに、さ、次に行こうと二人に声を掛けると歩き出してしまった。


 ◆


「お姉ちゃん、これボックスごとちょうだい」

「も〜、先に行かないでよ〜」

「先っていうより、そっちの売店出口側なんだけ」

「まあ、細かい事いいなや。こえ、今オタクに人気のあるレアなフィギュアやねん。ものによったら、定価の十倍異常の値がつくねんで」

 『呉海軍記念館』。いかめしい真ちゅう製の看板のかかった正面玄関をくぐり抜けると、みゆきは真っ先に目的のものへと駆けだした。

 入るまでにあった、『大和』竣工時の巨大なスクリューや、『武蔵』の碇などまったくの無視だった。もちろん、呉軍港郊外の岸壁近くにある、記念館最大の目玉である軍艦『長門』(一九四一年状態)など、まったくスルーしていた。

 それら厳つい展示物の数々は、三人にとっては古くさい鉄の塊に過ぎなかった。

 そして入口での、少しばかり場違いなやり取りのあと、ようやく中へと進み始める。

 かすみの手には、海軍将校の真っ白な詰め襟に小さな探検をたずさえた、十センチほどのかわいらしい女の子の人形が乗せられていた。

「エエなあ。かすみっちだけレアもん当たって」

「無欲の勝利だね。けど、よくできてるね〜」

「そうだね、けっこうカワイイね。あ、でも曾おじいいちゃんの持っている制服と少し違うなあ」

「制服やのうて軍服。せやけど曾おじいいはんて、ショウ奥さんやったん?」

「うん。最初は普通の水兵さんだったけど、ベトナム戦争の少し前に定年になった時には少佐だったって。今でけっこう恩給もらってるから、偉い人だと思うよ。『大和』が復活する前に定年になって、階級より現役にとどまりたかったって、よく話してくれるの」

「ほな、戦争始まった頃は?」

「確か下士官。……そうそう、戦争の少し前から『大和』に乗ってたんだよ」

「一九四一年一二月八日?」

「ウン。その年の十月には乗ってたって」

「よお覚えてるなぁ」

「太平洋戦争の開戦と停戦ぐらい覚えといた方がいいy。センターにだってよく出るんだから」

「真珠湾攻撃やろ。それぐらい知ってるがな。あ、ホラあそこに展示してるヤツやろ」

 三人は、展示物を何となく眺めながら歩き、ちょうど歴史展示スペースの太平洋戦争を順に追っていくコーナーにたどり着いていた。

 少し前方のガラスケースには、パノラマ状の真珠湾の情景模型が広がっている。

「へ〜、これが真珠湾かぁ。ハワイは行ったけど、こんなところ見なかったなあ」

「そりゃっそうだよ。これって軍の施設だからね。……ふ〜ん、沈んだうちの一隻が、今じゃメモリアルか。アメリカ人って、何でも記念にするんだね」

「この近くでも戦闘があって、日本が駆ったって書いてあんで。めっちゃ一方的やな。うわっ、カーク船長もはられているわ……けど、空母ばっかりで『大和』の名前あらへんなあ」

「『大和』は、あっちで紹介しているんじゃないかな。ホラ、大きなイミテーションがあるよ」

 かすみが指さした先、今いる場所の隣の部屋、記念館中心部の大きなホールには、十メートルはあろうかという大きさの『大和』の模型が鎮座していた。

 かすみの視線は、精巧な模型に注がれている。

 自然、二人もつられるように視線を向け、そのまま他の展示物を無視して近づいた。

 もっとも、VTRで開設している場所に陣取ったのはさつき一人。それぞれ思い思いの場所に陣取ったので、自然大声での会話になっていた。

「なあ、さっちん。何て紹介してる?」

「ウン。今ちょうど、略歴のテロップが流れるよ」

「あ、そうなん。ほな初陣は?」

「エっ、口で説明するの?」

「ええやんか。こうやって昔の姿を目にしながら聞いたら、イメージも湧くっちゅーもんやで」

 菊の御紋の真ん前で、みゆきは腕組みしている。

「……分かった。昭和十七年六月、第一次ミッドウェー沖開戦。聯合艦隊旗艦として初出撃。ミッドウェー島に艦砲射撃を実施だって」

「カンポー? 何やそれ。戦艦と撃ちあったんか?」

「違うよ。敵の戦艦と戦ったのは、同年九月末のソロモン諸島。夜戦で苦戦の末に勝利だったさ。ここで日本が苦戦したから、姉妹艦『信濃』の建造が急ぎ進められたって」

「苦戦なあ……。世界最強ちゃうんか?」

「日米の技術格差が開いたのがこの頃。昔の日本は、今とは違って先端技術が後れていたんだよ」

「へ〜、そうなんや。で、そのあとは? まあ、取りあえずレイテの戦いまでは何してたん?」

「ウン、いろんな場所に行ってるよ。けど、最初の方って一方的。最初は日本ってボロ勝ちだったんだね。どうして、これだけ勝って戦争に負けたんだろ」

「『大和』は運のいい船だから、負けたことないんだよ。戦争に負けたのは、アメリカとの数の差に負けたんだって、いつも言ってるもん」

 二人の間に、ボーっと艦橋上部のあたりを見つめているかすみが、ようやく会話に入ってきた。

「まあ、そうかもね。あ、それより続きね。レイテの前は、マリアナ沖海戦。けど、この時はたくさんの空母と飛行機の戦いだから、あまり活躍してないね。その前の「い号」作戦が、山本元帥が旗艦として乗艦した最後の戦いで、豪州北東岸に艦砲射撃しているのか。で、その間の第二次ミッドウェー沖海戦は、派手な艦隊決戦してるよ。たぶん、かすみが殺気はなしてくれたやつじゃないかな」

「夕日のきれいな時の戦い? じゃあ多分そうだよ。……ねえ、外見て。今日も夕日きれいだよ」

 かすみが視線を向けた先には、広い窓ガラスを挟んで瀬戸内海へと急ぎ降りつつある太陽が、オレンジ色の光彩を強めつつあった。

「ホンマやなぁ……。あ、そそろろ料亭行った方がエエんとちゃうか?」

「じゃ、少し資料買ったら、ごはん行こうか」

「そうだね、ここからだと歩いて行ける距離だよ」


 くだんの料亭へは難なくたどり着いたのだが、店の前まで来たところで、今度はかすみが立ちつくした。

「どないしたん、かすみっち」

 みゆきが不思議そうに声をかけ、それよりも早くさつきがかすみの身体を支えられる場所に滑るように移った。

 もっとも、立ちつくしていたのは一瞬でしかなかった。少し青ざめた顔にぎこちない笑みを浮かべ、「ううん何でもない」と答えると、二人を即してお店の中に入っていった。

 お店では、名前を出すと女将自らが顔を出して、自ら三人を奥座敷へと案内した。

「すみませんけど、今日はこの座敷で我慢してくださいね。お三人で丁度いいお部屋が、お話もらった時にはもうふさがっていましてね」

 済まなさそうに謝る女将だったが、部屋に通された三人は、部屋に入るなり感嘆の声をあげた。

「広〜っ!」

「私もこんな広い部屋初めて」

「確かに三人用じゃないね」

 そこは、二〇〜三〇人ぐらいが、同数の芸者を交えながら宴会を開けられるほど広かった。その床の間のあたりに衝立と共に三人用の座布団と大きく高級そうな御膳が既に用意されていた。

 ただ、夕食の時間まではまだ三〇分近く間があるため、女将はお茶だけ注ぐと、しばらく待ってくださいねと残して部屋を後にした。

 そしてポツンとした状態に置かれた三人だったが、まったく気にしていない風だった。

 みゆきは御膳の上にメモ帳を広げて集めた資料の整理を始め、さつきはノートPCを持ちながら部屋の中にあるコンセントを求めてさまよい歩いていた。料亭にあってのこの二人の行動は、もはや傍若無人だった。

 その間かすみは、一人静かに両手を添えて上品にお茶を飲んでいたが、そこに作戦目的を達成したさつきが戻ってそばに座った。

「さっきは、どうしたの? 目眩でもした」

 体調不良なら、みゆきに気を遣わせる事もないと言いたげな行動だったが、かすみは髪を僅かに揺らしながらゆっくり首を横に振った。

「ううん、そうじゃないの。さっきの二人みたいに、現実とは違う景色が見えたから、少しビックリしただけ」

「へー、何が見えたん?」

 かすみが普通に話したので、それまで頭を下げてメモや資料を見ていたみゆきが、首をもたげた亀のような少し奇妙な姿勢のまま問いかけてきた。

「ウン、見えた風景は二つ。多分どっちもここか、この辺りの景色だと思うの。最初に見えたのが、一面焼け野原になった町。その後で見えたのが、なんだか喫茶店みたいになった、今とは全然違うロックっていう名前のお店だったの。ミックスジュースが名物だって看板が出ていたよ。でもね、そこの私は、どっちもこの場所だっていう思ってたの」

「ほー、外の人を介さず、別のどこかのかすみっち本人が見た白昼夢っちゅうわけか?」

「ううん、後に見えた景色だけが私自身で、最初に見えた方は曾お爺ちゃんだと思う」

 小説のネタにでもしようと言うのか、みゆきが興味深げな眼差しを向けている。そして、話しをメモに書き留め二、三質問をするが、大きな収穫がないと分かるとそのまま以前の資料へと視線を戻した。

 そんな二人の様子を眺めていたさつきだったが、特に何かを口にすることもなく、少し不安そうなかすみに少し寄り添うと、かすみにコッソリとささやいた。

「もう少し情報が集まって確信が持てたら話すね」


 午後六時少し前になると、数人の女中が賑やかに入ってきて料理を運び込み、そのうち一人が三人に付く形で料理の世話を始めるという、普通の女子高生同士では体験が難しい夕食が始まった。

 しかも、「やっぱりこれがないとお寂しいでしょ」と言う、女将の計らいでお酒も振る舞われ、ますますあるまじき事態となっていた。

「二人とも酒強いんやなぁ・・うち下戸やからついていかれへんわ」

「そうなんだ、少し意外。でも、料理だけでも美味しいからお酒なくてもよかったかもね」

「も〜、ダメだよさつきちゃん、そんなにお酒のんじゃぁ〜。ウフフ、でも美味しいのには大賛成〜」

 食べ方も飲み方も様々だが、そのうちかすみがお酒に負けて眠ってしまい、丁度向かい合った形でさつきとみゆきがだけが残された。

 さつきは膝の上にかすみの頭を置き、静かな寝息をBGMにして、手酌で目一杯注いだお酒を器用に飲みながらみゆきに語りだした。

「こうやって、二人で話すの初めてだね」

「せやなぁ……知り合おうてからはいつも三人やったからなあ。せやけどさっちんはいっつも姿勢エエから、そうしてるとどっかのお大尽みたいやな。いや、今回の場合、艦長さんみたいって言うた方がええんかな」

 さつきは、相変わらずのみゆきに苦笑しつつも言葉を返した。

「私んち歴史だけは古い道場してて、私も子供の頃からお父さんにしごかれたから、そう言うのが染みついてるんだよね。かすみはそこに通っていた女の子の一人だったんだ」

「ああ、それなら聞いたで。かすみっちも見かけに寄らず結構強いんやろ。でも、さっちんて武道してる割には機械に強いなぁ、羨ましいわぁ」

「そうかな。ただこれからの仕事のスキルでいると思って勉強して、なるべく安く高性能のマシン手に入れようとして詳しくなっただけだよ」

「へーっ、そうなんや。せやけどアレやなぁ、こんな場所でサシで話してると、ホンマに海軍提督同士が会話してるみたいやな」

(破天荒な下戸と美丈夫の上戸か……山本五十六と米内光政だね。まるで)

 さつきは、笑うみゆきを見ながら、新しく手に入れた知識に自分達をなぞらえて見ると、少しおかしい気がした。

 しかしそこで、さつきの脳裏にフラッシュバックするものがあった。

 そう、子供の頃見た夢の中の情景の一つが、まさにそのような情景だったのだ。

 しばらくさつきは、その夢の記憶をたぐり寄せるのに懸命になったので会話が止まったが、みゆきも何か考え事をしているらしく、同じように黙りこくっていた。

 そして、さつきがたどり着いた『夢』の記憶は、自身が歴史で学んだものと違うものだった。

(何かおかしい)

 そう思って、みゆきにどう問いかけるかを考えるべく、今度はその思考に沈んでいった。


 ◆ ◆ ◆


「まあ、一献」

「これはどうも。山本長官」

 どうみてもオッサンの手になったものが、自分の意志に関係なく動き、山本と呼ばれた男が持つ徳利から流れ出るものをお猪口に受けていた。

(何や変な夢やなあ。……ははぁん、『夢』ちゅうやつか。ちゅーことは、ウチも知らん間に座敷で寝てもうたって事かいな。あ〜あ、さっちにん迷惑掛けてるやろなぁ……。ま、しゃーない、今はネタのために犠牲になってもらお)

 相変わらずポジティブ・シンキングなみゆきは、突然の事態にも大きな混乱もなく、二人の会話に集中することができた。

 もっとも、表面上の軍事知識すら不足するみゆきにとって、二人の会話の専門的な部分はほとんどが宇宙人同士の会話に等しかった。

(さっちんが横におったら、この会話解読してくれんのになぁ〜。て言うか、『夢』なんやからウチ自身の脳味噌はこれだけの知識は既に持ってて、それを引き出されへんウチはアホって事なんかな)

 そこまで考えると、しばらくは会話内容をなるべく追いかけることにした。語彙は不明でも、覚えておけば何とかなるに違いない。彼女のポジティブな脳がそう告げている気がした。


「山口君。今度の戦い、どう思うかね。何、忌憚ない現場の意見を言ってくれ。それが聞きたくて伏魔殿からわざわざここまで飛んで来たんだからね」

 軽く笑いながら、魅力的な瞳を向けてくる。

(ほー、これが教科書にも出てくる山本元帥かぁ……。何かサル山のボスザルやな)

 相変わらずの感想をはさむみゆきをよそに、深刻そのものの会話が交わされていく。

「はい、長官。個人的には今回の作戦は無謀と考えます。やるなら、何よりも先に艦隊を一カ所に合流させて仕切直し、敵がルソン島に侵攻する時に付近航空戦力を結集して決戦を挑むべきだと考えます。この意見に変化はありません」

「だが、『捷一号作戦』は既に発動された。今更変更はきかんよ。西村や角田、それに福留や大西もすでにそれに向けて動き出している。明日には君たちも出撃だ」

「はい、ですが神参謀の作戦案は危険です。聯合艦隊を賭博の対象にすべきではないとの、私の信念にも変わりありません」

「ふーむ、難しいなぁ。この戦争でずっと前線にあった君が言うのだから間違いないだろう。だが、敵はそこまで強大かね。マリアナでは尻尾巻いて逃げ行った連中だよ」

 山本の口調は穏やかだが、常にどこか挑発するような口振りがある。山口もそれを知っているのか、あえて強硬な口調で続けている。

「去年の六月と今とでは状況が違いすぎます。特に、彼我の航空戦力の実戦力の差は、残念ですが大人と子供です。我々は、マリアナで勝利した時点で、万難を排して停戦に動くべきだったのです」

「『大和』の主砲を国会議事堂と陸軍参謀本部に向けてでも、か」

 まるで猛る牡牛をあしらうマタドールのような山本の口振りだが、どこか達観した風でもあった。

「そこまでは申しません。いや、海軍軍人として申せません。それにもう過ぎた事です。今はこれから始まる戦闘の事で私の頭は一杯です。少なくとも負けない算段を丸一日後には考えつかねばなりませんから」

 最後は苦笑に近い顔になってしまった山口に対して、山本が再び彼の杯に酒を注ぎつつ、決然とした言葉を綴った。

「君達には苦労をかけるな。だが、今は少しでも多く敵を倒してくれとしか私の口からは言えん。私も今やお飾りとは言え、海軍実戦部隊の長に過ぎないからね。だが、この戦いに勝てないまでも負けることは帝国の敗亡を意味する。西村君には既に内諾してもらっている事だが、何としても彼らの艦隊をレイテに突っ込ませてやってくれないか。戦艦とマッカーサーの軍団が相殺して、帝国が戦略的に時間が稼げるのなら、まだ道は開ける。そして制空権さえ完全に奪われなければ、彼らはレイテに突っ込める筈だ」


(ウワッ、滅茶苦茶言いよるなぁ。それって死ね言うてるようなもんやんか)

 みゆきは、気持ち的に少し青ざめていた。さすがに当時の人々の、尋常ではない気持ちに触れた事はショックだった。

 ただ、そこで疑問が頭をよぎった。

(ウチ、こんなところ資料目に通してへんと思ったけどなぁ。知らん間に流し読みしてたんやろか)

 そして、みゆきが自分の考えを巡らせている間も、二人の会話が続いていた。これもみゆきにとっては意外だった。

 夢なんてものは、自分の記憶と意識の断片の再構成されたもので、自分の意識が夢だと認識していたら制御できるものだという自負があったからだ。今まで投稿したり同人誌にしてきた作品のいくつかは、そうした夢の中の記憶の集合体だった事もあり、だからこそ自分の夢の操作には自信があった。

 だが、今はどれだけ自分に都合良くねじ曲げようと考えを巡らせても、二人は意に介することなく話し合いを続けていた。

「長官もそこまでお覚悟なさっておられましたか。ならば、槍の穂先たる我々が、もはやとやかく言う事ではありません。あの薩摩のチョビ髭に得意顔をさせるのは本意ではありませんが、見事成し遂げてご覧に入れましょう」

 会話の最後をおどけた調子で締めた山口が、山本に対して覚悟を語ってみせ、それに対する山本は、頼む、とだけ短く答えると静かに湯飲みをすするだけだった。

(クーっ、熱い、熱過ぎる!)

 みゆきは、自身が創作した小説を読む時のように、眼前の情景に酔っていた。同時に、今の記憶を絶対持って帰ってみせるでぇ、と意気込んでいると、徐々に意識があやふやになっていく。

(どうやら、『夢』から醒めるみたいやなぁ。ま、エエ夢みたからヨシとするか)

 ・

 ・

 ・

 みゆきの意識が再び繋がると、目の前では先ほどと変わらない位置で二人がいた。

 かすみはさつきの膝枕の上で気持ちよさそうに寝息を立て、さつきは何やら深刻そうな顔で考え事をしているらしかった。

 手元には、いつの間にか愛用のノートPCがあり、熟練したピアニストのように両手が激しく軽やかに動いていた。

 部屋の時計を見ると数分経過しているらしいが、身体が本格的に眠っていたような跡はない。その事に違和感を覚えなくもなかったが、それよりもさつきが何をしているかの方が気になった。

「なあ、さっちん何してんの?」

「ウン。少し思い出したことがあったから、忘れないウチにメモっとこうと思って。ホラ、昼間東雲さんが言ってたでしょ。それをしてるんだよ」

(真面目なお人やなぁ)

 感心しつつも、みゆきは別のことを口にした。

「なあ、さっちん、その『東雲さん』て言うの止めてくれへん。みゆきでエエよ」

「ウン……そうだね、そうする」

 さつきは素直に頷くと、反対に質問してきた。

「ところでみゆき、今少しぼーっとしてたみたいだけど、もう眠くなった?」

 みゆきは理屈家らしい質問やなぁと思いつつもそこには触れず、四つん這いでゆっくり移動しながら自分の『夢』を大ざっぱに話し、さつきのノートPCをのぞき込んだ。

 さつきは、それは重畳と古くさい表現で愛想笑いを浮かべつつも、自分の作業に没頭していた。

 ノートPCの画面上では、通常の三倍とみゆきがツッコミ入れたくなるようなスピードで文字が増殖していた。内容は、何かの記録らしかった。

 しかし、会話だけでなく何やら沢山の数字も記録され、別のところではグラフが自動的に作成されている。そんな作業をするさつきが少し質問しがたい雰囲気だったので、作業が落ち着くまで待つ事とした。

(だたし、待つんは一〇分だけや)

 みゆきはそう思ったが、それよりも早くさつきは作業を終え、営業スマイルを向けてきた。

「さ、どうぞ。何でも質問して」

(ウチはすぐ顔に出るからなぁ)

 意外なほど華やかな笑顔をむけてくるさつきを見ながら、内心で苦笑しつつも本題に入った。

「ほな、ご期待通り聞くけど、何の記録? 『夢』の中でグラフまで覚えてきたんか? ごっつい記憶力やなぁ……さすが鉄仮面や」

「お願いだから、その言い方は止めてね」

 みゆきの最後の言葉に低い声で強く反応したさつきは、さらに心の中で続けた。

(何しろ宇垣提督のニックネームは「黄金仮面」、絶対改名するに違いないからね)

「ハイハイ分かったから。そんな怖い顔したら眉間の小皺が増えるで。それよりも何? 早よ教えて」

「ちょうど、みゆきと二人きりで向かい合った時に記憶がフラッシュバックして、それを書き留めてみたんだ。ただ、不思議な事に私の記憶の奥底にあったものは、史実とはかなり食い違ったものだったんだ。見て、どう思う?」

 さつきは、みゆきのこの癖のようなおしゃべりを何とかしてもらえないかと思いつつも手を軽やかに動かした。おかげでみゆきは、画面上を懸命に追いかけなくてはならなくなった。

 すべてを見終わると、みゆきは怪訝な顔を浮かべながら、グイッとさつきの目の前に顔を向ける。

「なあ、何やこれ、創作にしてはタチ悪いで。終戦工作に奔走するヨナイとかいうオッサンの事はともかく、何で日本中が焼け野原で、この近くの廣島に核が落とされてんのよ? 落ちたんは嘉手納やろ。 しかもこのグラフって、日本人の一般人の死者の数やって? めっちゃ凄い数やん」

 みゆきの怒りすら含んだ声に、さつきは声のトーンこそ少しあがったが出来る限り淡々とした口調で反した。

「私は『夢』をありのまま記録したただけ。それにこれは五年以上も前の夢の記憶だよ」

 そこまでキッパリ言われたら反論のしようもなく、みゆきがやや険悪になりかけた雰囲気を気にしていると、二人の顔の下あたりで可愛らしいうめき声が聞こえてきた。

 しまったと顔を見合わせたが、もう遅かった。

「失礼しました渡辺中尉、この権三不覚にも壮行会の宴席で寝入ってしまうとはぁ……ぁあれぇ、おはよぅ〜」

 無防備かつ間の抜けたかすみの言葉に、二人は顔を見合わせたまま吹き出し、みゆきなどそのまま腹を抱えて爆笑している。

 状況の飲み込めないかすみに、素早く立ち直ったさつきが話しかけた。

「おはよう、かすみ。曾お爺さんの夢見てたんだね。でも、そろそろ時間だからお店出ないと。あとは旅館でね」

「うん、そうする」

 まだ、寝ぼけているのか、かすみは素直に頷くと、ゆっくり起きあがった。

 その頃には、お腹が痛いとのたうち回っていたみゆきも何とか復活し、最後に二人に向かって勢いよく叫んだ。

「二人とも内容ちゃんと覚えときや、宿で落ち着いたら作戦会議やで〜!」


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