PIECE5 朽ちた、黒
ライブ会場付近はすでに、人だかりがあった。ユガはスタッフルームの石井のもとへと向かい、声をかける。
「いつもより人多いな」
石井は振り向き、「よう、常習犯罪者」と片手を上げ、「これだろ」とデスクのパソコンを指さした。画面にはLinχへのメッセージが次々と流れている。
「そろそろ世代交代かな」
ユガがなげく。マスタアドは、ずっと二位をキープし続けている。
「素直にうちでデビューすりゃいいのによ」
と、石井が言う。
「やだね。俺は自分でレーベル作ってデビューするって決めてるんだから」
「一位は不在のままだし、二位は居座ってるしで……ルール改変するのも面倒なんだぜ。それに今回のLinχの特別扱いだって、あとでなにを言われるか」
石井の動かすマウスカーソルが、所在無げに画面上を浮遊する。
「それだけの価値があるだろうが」
「それはそうだけれど。言われる立場にもなってみろよ」
「だから俺は自分でやるんだよ。誰にも従わず、誰にもなにも言わせない。ジャックたちだって、そうだったじゃねえか」
ジャックと呼ばれた石井は頭を掻いた。
「いつまでも時間があると思うなよ。プロになったとして、保証はないんだぜ。終わりは急に降ってくる。スコールみたいにな」
自分自身のことでもあり、音楽業界に長年身を投じてきた石井は、その厳しさを誰よりも知っている。
「スコールじゃなくてストームだろ」ユガはぽそりと言い、続けた。「俺は、俺がやりたいようにやるだけだ」
「……待ってるのか。神壱を」
答えず黙っているユガに、石井は言葉を重ねる。
「イチルが出てきたとしても、あいつはこの世界には戻ってこれないだろ」
「そんなの、わかんねえじゃねえか。無理とか絶対とか俺は持ってない。イチルには、歌う場所があるって思ってほしいんだ」
「だけどもう三年だぜ。いい加減上行けよ。イチルの歌う場所くらい、俺がここで守っていてやる」
片方上がったユガの唇から、「犯罪者守るのも大変だな」という褒章が漏れた。
「それが俺の役割だろ」
開演の案内が流れる。部屋を出て行こうとするひとりの犯罪者に、石井は役割を遂行する。
「Linχに記録を塗り替えられたら、マスタアドはここを抜けろ。そもそもおまえは、勝ち負けにこだわってないだろう?」
「条件」
「なんだ?」
「STORMの再始動」
「なあ、ユガ。……無理とか絶対とか俺は普通に持っているんだぜ」
「ジャックの仕事はここであぐらかいて俺らに指示することか?」
石井は黙った。
「いつまでも時間があると思うなよ。オマエラ、もれなくジジイなんだからな」
言い返したいが、なんの言葉も石井には出でこなかった。
Linχがステージにあがる。配信での曲が流れ、会場が盛り上がる。新しい場所でのスタートに、メンバー全員手応えを感じていた。
レンは歌いながら、客席を見渡した。
一瞬、空間がスローモーションのように歪み、音が何も聞こえなくなる。歓声も、奈愛の軽快なドラムも自分の声も、何も聞こえず、視覚だけが有効になる。
<なんだろう、これ>
<色が見えない>
<しろい>
レンは、客席を見た。手を振りかざす大勢の観客。クラスメイトの姿、マネの姿も見える。常連のファン、みんなが無音のモノクロームとなってレンの視覚を惑わす。
<ユガさん>
レンはステージ上を確認する。
<海叉、奈愛、グミ……>
やはり色も無く、音も無い。
<蝶だ>
白い空間の中を、蝶が飛んでいた。
レンの視線が追っていく。蝶は、羽ばたくほどに朽ちていき、その姿を消した。そうして、いつもの色がレンに戻った。
最後の演奏に入る前、レンはマイクを通して話し始めた。スポットライトが眩しく、手をかざし客席のただ一点を見つめる。
「どうやら、朽ちた羽を持った蝶が迷い込んだみたい。その黒い蝶は、私につかまえてほしいと願ってた。……見つけたよ」
イントロが流れ、“Lose the light”の曲が始まる。会場が盛り上がる中で、たったひとり、シアがたたずみ泣いていた。