PIECE14 午前七時、
二十二分。
イベント前日、待ち合わせ場所のバスの前で、海叉の踵は、バスドラムを叩いているかのようなリズムを踏んでいた。狂いのない一定の拍子ではあるが、苛立ちを刻んでいることは誰の目にも明らかだ。待ち合わせ時間は七時から。出発予定時刻は七時半。海叉はまた時間を確かめる。
二十三分。
まだ、レンとシアは現れていない。他のバンドメンバーやスタッフは、もう全員バスの席についている。Linχのメンバー同士で、七時前には集合しようと約束していた。
{ごめん、寝坊した。
でも間に合うから。
ホントごめん……)06:45
レンはシアのアパートに泊まっていた。今まで、レンが遅刻をしたことは一度もない。バンド関連を問わず、学校の行事があるときでも、誰よりも早く起きて、ベランダから海叉の部屋に侵入し、妙なハイテンションで海叉を起こすくらいに朝は強い。
{タクシーに乗った)07:01
吹き出しが海叉の携帯の画面を占領する。待ち合わせ場所までは、混んでいなければ十分ほどで到着する距離だ。
海叉はシアへの嫌悪感が募る。まさかシアがついてくるとは思わなかった。レンには、「ケンカしないでよ」と念を押されている。シアに言えよ、と海叉は答えた。自分たちにとって、高校生活最後の夏休みでもあるし、イベントとはいえ、楽しむのもありだと許可したことを後悔した。
二十四分。
タクシーが止まり、レンは急いでメンバーのもとにきて、「ごめんなさい」と頭を下げた。シアは、バッグの持ち手を指先に引っ掛け肩越しに持ち、ゆっくりと歩いている。海叉はシアを視界にいれまいと努めた。口をきけば言い合いになることはわかっている。
「気い抜きすぎじゃねえのか?」
海叉の注意に「うん……」と頷いたレンの横で、シアは「間に合ったんだからいいだろ」と海叉を睨んだ。
二十五分。
海叉の苛立ちが、溜め息と共に顕著になる。
「そういうことじゃないだろ。遊びじゃねえんだよこっちは」
奈愛が、もう時間だから行こう、と海叉を引っ張った。視界に入れてしまったシアの存在は不快以外の何物でもなかった。
「シア、先輩たちに失礼な態度とるなよ」
海叉は、極めて穏やかに言ったつもりだ。
「うるせえな。わかってるよ」
いつもの口調でシアが突っぱねた。
「今日はケンカしない約束じゃない」
レンは困ったような顔つきで、「本当、ごめん」とふたりの間に入った。
「謝ることない」
シアは引かない。
「おまえは黙ってろよ」
海叉は、落ち着け、と自分に言い聞かせた。喉から出かかった「帰れ」という言葉を飲み込む。
二十六分。
「思杏のアンは、引っ込み思案のアンだったんだけどな」
その場にいた全員の視線が、バスの乗降口に立つ、ユガへと向けられた。
シアが驚いたような表情で、ユガの名を呼んだ。呼び捨てにしていることにLinχのメンバーが戸惑う。
「久しぶりだな、思杏」
黙って目を伏せたシアに、ユガは無味な言葉を塗りつける。
「おまえ帰れ」
そのひとことは、海叉の苛立った心を一瞬のうちに冷静に浸すことができた。
シアは、下唇をぎゅっと噛んだあと、「……イヤだ」と小さく拗ねた。ユガは続ける。
「今回のイベントは、Linχにとって、将来もかかってるといっても過言ではない。初参加だし、リーダーの海叉は特にピリついてるだろーよ。浮ついた気持ちで来てるおまえを擁護できない。メンバーの気持ちのほうが大事だからな」
シアは黙って聞いている。
「ももたぬ」
ユガに呼ばれて、メンバーの後ろにいたももが顔を出した。
「このたぬきみたいな顔の女は奈愛の彼女ね」
「月雲萌佳です」
ももは、笑顔でシアに挨拶をした。シアは無愛想に頷く。
「Linχの安定剤。メンバーが穏やかでいられるのは、萌佳のアシストが大きいと思う。俺のバンドに奈愛をドラムで欲しいけど、萌佳が欲しいもん。どっちかって言われたら、萌佳が欲しいもん」
「ええ……それだったらセットにしてよ」
奈愛が嘆願すると、「どっちも駄目だから」と海叉が阻止した。
「思杏にできることは、レンを支えることだろ。違うか?」
ユガの問いに、シアは「そうだね」と答えた。
「レンを不安にさせることは、メンバーの全体の気持ちにも関わってくるんだ。なにかあれば、即おまえを帰らせるからな」
素直に「はい」と答えたシアを目の当たりにして、海叉は自分の記憶を疑った。どのページを捲ってみても、反抗的なシアが刷り込まれている。いや、違う、海叉は思う。疑うべきはユガさんなのかもしれない。その手にはきっとムチがあるに違いない。
ムチをちらつかせながらユガは乗降口に立ち、獣たちはおとなしくバスの中に入っていく。
ユガは、海叉に向けて片手を挙げた。海叉は、タッチをしながらユガの真意を探す。触れた手のひらとは真逆の熱に、海叉はいつだって戸惑い、胸が昂ぶった。
二十九分。
ユガは、扉の開閉音を鑑賞した。それは滑らかに時を区切った。シアに笑みがあることに救いを感じた。時間のどこかに切り取られた本当の笑顔はもう取り戻せないことをユガは知っていた。




