SOUNDEFFECT
非現実的な空間の中で、取り返しの付かない日常を過ごしていたのかもしれない。なんのためにこの道を選んだのだろうか。
たったひとりも幸せに出来ないで。
届けられた箱には、黒い表紙の日記が入っていた。分厚くて重みのある鍵付きの日記だ。鍵穴の上に蝶の模様が刻まれている。レンはそっと手を伸ばし、模様に指を重ねる。
レンの脳裏に薄暗い光りが灯る。
蝶は、死んだのだ。
葬った鱗粉の光沢に、幻影など見ない。
部屋の中を探してみたが、日記を開ける肝心な鍵がどこにも見当たらない。「そもそも、あれが鍵なのか」定かでもなく、部屋中を放浪した末、玄関のシューボックスの扉に手をかけ、苦笑いした。こんなところにあるわけもなく。
長い年月が経ち過ぎていた。肌身離さずつけていたほど大切なものだったはずなのに、外した記憶さえ抜け落ちている。こうなると本当に持っているのかどうかも疑わしい。レンは、はあーっとため息をつきながら、その場に座り込んだ。何年も口にすることのなかった言葉を声帯に押し付けてみる。
「シア」
レンの脳裏に、淡い想いが映った。
蝶の破片……赤と黒の破片が寄り添う。修復のできない傷が、ただわずかに跡を残している。後悔はしていない。ふたりで飛ぶことは、とうに諦めたのだ。
レンは立ち上がり、クローゼットを開けて、奥にしまい込んだギターケースを取り出した。バンドを始めた当時に使っていたギターだ。ファスナーを途中まで開けて、やめた。ギターは壊れている。すべての思い出を見たくはなかった。思い出は、壊れている。
ファスナーが臆病者の音を奏でて閉まる。
今度は、ケースのポケットに手を突っ込んだ。指先の感触はその形を覚えていた。
「あった」
そう呟いて取り出すと、掴んだチェーンの下で、鍵のモチーフのペンダントトップがゆらゆらと揺れた。
持ち手に小さく蝶の模様が刻まれている。日記の模様と同じだ。アクセサリーだと思っていたこの鍵は、シアの心の鍵だったのかもしれない。黒くて、重い……心の内側を、誰にも見られてはいけなかった。レンがそこに触れるとき、レンはシアを、シアのすべてを、受け入れなくてはならない。
鍵は迷いなく封を解いた。
それは「最期の記」というタイトルから始まっていた。シアのひとつひとつの想いを拾い終えたとき、レンとシアの解放を意味付けることになるだろう。
『最期の記』
-月-日(-曜日)
準備は出来ている。
白い粒を飲み込んでしまえば明日はなくていいんだ。
…さっきからボクはどうしてしまったのだろう。
聴こえてきた歌に、呪縛をかけられたみたいだ。
ボクはその音源に抱き締められながら泣いた。
そこに行けば無にたどり着けるの?
あなたに?