愛イコール脅迫
短いんで気軽に見てください。特にストーリーというストーリーはありませんが。
「私も君が大好きだよ、でも君は私が好きなの?それとも君を好きでいてくれる人が好きなの?
もし君を嫌いになった私は君にとって無価値なのかな?」
何も言えない僕にイライラする。
彼女は小さく笑って悔しそうにへー、言い返してくれないんだ。と言った。
僕は何の根拠もなく違うなんて言いたくなかったんだ。
人は愛されたいから愛すのだ。
君は僕に愛されているのだから少しはなんとかしてねって言うエゴの入り交じった圧力。
人は愛されたいのだ。
自分を見てもらいたいのだ。
無償の愛なんてくだらない。
あるとしたらそれは街頭で配られるポケットティッシュみたいな。
あるいはお客様は神様ですをスローガンにしたうちの近所のスーパーみたいな。つまりそれは僕でも君でも近所の田中さんでも差し障りないんだ。
陳腐で安っぽくてどこでも手に入る。
それに比べて告白は脅迫と同じ。
僕の思いや言葉を刃にして喉元に突き立てて僕はあなたが好きですと言うのと同じ。
つまり愛はギブアンドテイクなのだ。
人は愛されると自分を愛した人を意識し責任を感じる。
相手が自分を好きであればあるほど責任を感じる。
嬉しさが体に受ける重力に変わる。
僕は君に愛されたいから愛すのだ。
重い重い愛で脅迫するのだ。そうやって君を喜ばせながらも苦しめてなお愛す。
それは全部僕のため!
君のためなんかじゃない。
だから何でもできる。君が目障りだから今すぐ消えてと言ったなら僕はふらりと消えるし死ねと言われたら死ねるよ。
それは全部僕のため。
「僕は愛してもらいたい。でもそれは不特定多数の誰かにではない。君に愛されたいから僕は君を愛してるんだ。君が望む事は何でも出来るよ。だって僕のためにやってることが君のための行為にもなるんだもん!」僕より少し年上の君は言った。
「君は、怖いね」
そう言って君は僕と指切りをした。
「私も君を深く愛してる。」
僕が君に責任ができた。
(損得勘定と押し付けの連鎖
これをあなたは醜く狂おしいと思いましたか?)
愛についてずっと考えました。私の愛し方は愛されたいから愛します。愛してもらうことは嬉しいけれどそれを受けたら何かしなければならないような使命感に狩られる。深く重い愛は尚更です。愛は脅迫です。