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俺と女王様  作者: 冬野 暉
本編
8/19

Act.3 青い海と試練の夏(6)

 06 きみのとなりへ(1)




 泣いている女の子がいた。

 寂しいと、ひとりぼっちはいやだと、泣いている女の子がいた。

(泣かないで……)

 俺がしてやれたのは、彼女の隣に並んで俯いた頭を撫でながら、必死に慰めることだけだった。

(おれがそばにいるから。ずっとずっと、一緒にいるから)

 彼女の涙なんて見たくなかった。

 いつだって、笑っていてほしかった。

 だから、約束をした。

 傲慢な思いこみかもしれないけれど、俺の隣にいる彼女は、どんなときも笑顔で、楽しそうで――幸せそうだったから。

 そばにいると。ずっと一緒だと。大人になろうとじいさんばあさんになろうと、決して離れないと。

 約束を、した。

 ――俺が、彼女の隣にいたかったから。




「ねぇ、苑ちゃん見なかったっ?」

 どこか焦っているような水沢の声に、俺は思わず振り返った。

「どうしたの?」

 不安に追い立てられたような表情で駆けこんできた友人に、松下はテーブルを拭く手を止めた。店じまいの準備をはじめていた仲間たちの視線が、自然とふたりに集まる。

「お昼休みに出かけたっきり帰ってこないの! もう夕方なのに……」

 一瞬、呼吸が止まった。松下は眉をひそめる。

「一度も帰ってきてないの?」

「うん。交代の時間までには戻ってくるって言ったのに……苑ちゃんに限って、おかしいよね!?」

「ケータイは?」

 長谷の冷静な指摘に、水沢は首を横に振った。

「つながんないの。何度かけても――電源、切れてるみたいで」

「おいおい、それって……」

 声を上げかけた香坂は、何かに気づいたように口をつぐんだ。その隣で、宮野が腕を組んで唸る。

「神崎、だれかと一緒に出かけたんだよな?」

「昨日ナンパしてきた大学生とね」

 松下は呟くように答えると、両手を固く握りしめている水沢の肩にそっと手を置いた。

「いつ気づいたの?」

「一、二時間ぐらい前。さすがに遅いと思って、でもケータイもつながんなくって……藍ちゃんと一緒に探したんだけど、全然見つかんないの!」

 水沢は唇を震わせると、崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。

「どうしよう。苑ちゃんに何かあったらっ……」

「あっちゃん、落ち着いて」

 松下は膝を折ると、水沢の背を優しく撫でた。そこへ勢いよく丈部が飛びこんでくる。

「丈部、神崎は?」

「いや……」

 尋ねる宮野に、丈部は息を整えながら言葉を濁らせた。水沢は顔を歪ませ、深く項垂れた。

「――それより、いやな噂を聞いた」

「噂?」

「ああ。別の海の家の店員が言ってたんだが、あの高見沢っていう大学生、ここらじゃあまり芳しくない評判で有名らしい。見かけに似合わず、毎年何人も女を引っかけては遊んで捨ててるそうだ」

 すうっと腹の底が冷えるような感覚を覚えた。おまけに、と丈部が苦い口調で続ける。

「仲間がいるらしい。そいつらも似たり寄ったりの連中だそうだ」

 吐息まで凍りつきそうだった。

 ざわざわと項が粟立つ。寒気を感じているというのに、握りこんだ掌の内側がじっとりと湿っている。

 彼女は今、どこにいる?

 最後に交わした、冷たいまなざしがフラッシュバックする。次いで、彼女に親しげに話しかけていた男の笑顔が。

 彼女を手放したのはだれだ? 好きにすればいいだなんて言ったのは、大切なものを見誤ったのは。

 俺だ。

 だから、俺の隣に彼女はいない。

 だから、彼女がいるのは――。


 俺ではない、俺以外のだれかの隣。


 脳裏で、白い光が爆ぜた。

「……本原!?」

 驚きに染まった香坂の声が聞こえたときには、もう走り出していた。蹴るたびに舞い上がる砂は熱を失い、あたりは夕闇に呑まれつつあった。どこへ行けばいいのかなんて思いつかず、ただ心の叫ぶままに足を動かした。昼の賑わいが嘘のように人の声は途絶え、自分の荒い息だけが耳を掠めていく。

 後悔か怒りか嫉妬か、それとも他の感情か。爆発するように噴き出すものにどんな名前をつければいいのか、わからなかった。

 ただ、ただ、彼女がいないという事実が許せなかった。俺の隣ではなく、他人の隣にいることが我慢ならなかった。

 俺以外のだれかが彼女に触れることも、笑わせることも、怒らせることも、泣かせることも、傷つけることさえ認められなかった。

 笑うがいい。俺は馬鹿だ。とことん追い詰められなければわからないような大馬鹿者だ。

 勝負に負けることがなんだ。雀の涙のような男のプライドを踏みにじられても、俺には譲れないものがあるのだ。

 俺は、彼女が好きだ。

 腐れ縁よりもたちの悪い幼なじみが。どうしようもなくわがままで自己中心的な女王様が。

 守れるかどうかもわからない約束に、心の底から嬉しげに笑った女の子が。

 神崎苑香が。

 好きだ。

 ただひとりの女として想う。これからの人生すべてを捧げてもかまわない。欲しい。手に入れたい。

 好きだ。

 好きだよ、――苑香。

 おまえのことが、だれよりも。

 好きに決まっている。

 手遅れかどうかなんてわからない。間に合わないかもしれない。だからどうした。

 奪わないでどうする。取り戻さないでどうする。

 女王様の思惑も、友人たちのお節介な親切心も関係ない。俺が望むから、だからこそ。

 覚醒しきった獣が吠え猛る。荒々しい響きは身の内を駆けめぐり、俺はひたすら残照に染まる砂浜を疾走した。

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