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俺と女王様  作者: 冬野 暉
本編
6/19

Act.3 青い海と試練の夏(4)

 04 想いはもつれ絡まりて




 自分に耳があることをこんなにも苦痛に感じたのは、生まれてはじめてだ。

 あるいは、だれかの口を二度と開かないようにしてやりたいと思ったのも。

「それでそれで? なんていうんだって?」

 彼女の隣に座った水沢が、興奮した様子で身を乗り出した。短く切り揃えたショートヘアに、こんがりと小麦色に焼けた肌。男の子めいた外見に似合わず、この手の話が大好物だ。

高見沢たかみざわさん。K大の二年生だって」

 いささか鼻息の荒い水沢に対して、彼女は落ち着いている……というか、まるで他人事のように素っ気なかった。

「K大!? 超頭いいとこじゃん! さっすが苑ちゃん、捕まえる魚も大物だぁっ」

「顔もなかなかカッコよかったよね。チャラチャラしてなくて、感じのよさそうな人だった」

 水沢の向かい側で、松下まつした果林がふんわりと微笑む。たとえるなら綿菓子やマシュマロのような、気が抜けるほどやわらかい笑顔。だが、どんな修羅場でも同じ表情を浮かべられるのだから、おそろしいことこのうえない。その視線が一瞬こちらに動いたことに気づき、俺は無理やり青汁を飲まされた気分になった。

「だけど女慣れしてそうじゃなかったか? ああいうタイプは結構遊んでると思うぞ」

 松下の隣で頬杖をつき、聞き役に徹していた丈部藍たけべ あいが涼しげな眉間を曇らせた。途端に斜向かいから反論が上がる。

「んもー、わかってないなぁ藍ちゃんは! 逆にそこがいいんだよ。格好ばっかりつけたがって中身がない男よりずぅっとマシ!」

「遊び人もどうかと思うが……」

 女三人寄れば姦しいとはうまく言ったものだが、こちらは四人な上にひとりでふたり分しゃべる水沢がいるので、一種の騒音と化していた。女という生きものの辞書に、沈黙の二文字はないのだろうか。

「まあまあ、選ぶのは苑ちゃんだし。で、苑ちゃんはどうするの?」

「明日一緒に出かけないかって訊かれた」

「おおー、いきなりデートですか!」

「……毎度のことだが、明音。ちょっとテンションを下げろ」

「藍ちゃんが低すぎるんですぅ! ねっ、果林?」

「わたしに同意を求められても困るなぁ」

「ひど! 何気にひど!」

 ……ないのだろうな。

 俺は深々とため息をついた。向かい側の宮野は苦笑を滲ませ、その隣では長谷が悠々と読書に耽っている。嫌味さえ感じる余裕っぷりだ。

 夕食が終わっているからいいものの、食事中までこれだったら心底うんざりしただろう。ハードな仕事に慣れてきたからか、隣のテーブルの面々は俺たち以上に元気があり余っているようだった。

「…………ぁあ〜っ、もー、うるせえぇッ!」

 俺の隣でテーブルに突っ伏していた香坂が、唐突に吠えた。椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、充血気味の目でギッと女子を――水沢を睨みつけた。

「人が珍しく感傷に浸ってるってのに雰囲気ぶち壊しやがって……特にそこ! おまえうぜぇんだよ、ハイテンション女!」

「なんですってぇ!? あんたに言われたくないわよ、童顔女顔!」

 指差された水沢も、がたたんっと椅子を鳴らしながら立ち上がる。激しい火花を散らしながら睨み合うふたり。いつものことだ。

「別におまえが声かけられたわけじゃねぇだろうが! 自分のことみたいに騒いでんじゃねぇよ、恥っずかしいやつ!」

「あんたこそ八つ当たりしてんじゃないわよ! センチメンタルぶって、ナンパがうまくいかなかっただけじゃない。馬っ鹿みたい!」

「な、なんでおまえ知ってんだよ!」

「あんたのやってることなんて脳味噌使わなくったってわかるわよ、この単細胞!」

 女子のおしゃべり以上のやかましさに、俺はため息をつく気力すらなくなった。ぎゃいぎゃいと小学生レベルの口喧嘩をくり広げる彼らは、本当に俺と同い年なのだろうか。

 ――つき合っていられるか。

 今この瞬間が、くだらないと言う価値もないほどくだらない時間に思え、俺は椅子を引いた。口論に熱中している香坂たち以外の視線が集まる。

「本原?」

 宮野が不思議そうに瞬きをした。長谷は文庫本から顔を上げ、うっそりと目を細めた。

「……先、部屋戻るわ」

 すべてを見透かしているだろう友人のまなざしさえ煩わしかった。俺は宮野の返事を待たずに、さっさと部屋をあとにする。

 腹の底でぐらぐらと感情が煮え立っているのに、それを冷ややかに見下ろしている自分がいた。だれかを傷つけてしまいたいような苛立ちと、もうどうにでもなれと呟く疲労感がずっしりと胸の内を詰まらせていた。

 もう何も聞きたくなかった。耳を塞いで、喉を切り取ってやりたかった。

 そう考えることすら馬鹿馬鹿しいと笑ってしまいたかった。

 だから、いやというほど聞き慣れた足音が追いかけてきたとき、俺はいっそ彼女を殺してしまおうかと思った。

「――はじめ」

 いつになく平坦な声に、心はいっそう荒み、冷たくなっていく。少しでもはしゃいだ素振りを見せたりすれば、こんなに苦しくなかったのに。

「……なんだよ」

 振り返ると、彼女は無表情だった。色の深い双眸を細め、どうしよっかとひとりごちる。

「どうすればいいと思う?」

 あくまで淡々と。だがその裏に隠された計算高い期待に、本気で彼女を殺したくなった。

 最低最悪な女だ。

 どうしてこんなやつを好きになってしまったんだろうと思いながら、俺は答えた。

「別に」

 たとえば。

 ここで行くなと言えば、きっと試練ゲームはあっけなく終了しただろう。彼女の勝利という形で。

 そんなのごめんだ。

 追い詰められた俺の思考は麻痺していた。

「行きたかったら、行けばいいんじゃねぇの。俺には関係ねぇし」

 きっと後悔するに決まっている。

 それでも、このときの俺は、放り出して逃げることを選んだ。

 敵の思いどおりになるなんてまっぴらだった。

「…………あっ、そう」

 彼女の声音がすっと低くなる。憤りと落胆がない混ぜになった、詰るような色が見つめてくる瞳に一瞬浮かんだ。

 俺はそれを投げやりに受け止めた。

 試合は、混戦へ突入しようとしていた。

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