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俺と女王様  作者: 冬野 暉
本編
5/19

Act.3 青い海と試練の夏(3)

 03 先手、女王様




 女はこわい。

 怖いし、こわい。

 ――ということを、俺は痛感していた。

 昨日に続いて本日も快晴、絶好の海水浴日和だ。つまり、海の家にとっては他でもない稼ぎ時。少しでもたくさんの客を呼びこもうと、まぶしい陽射しの照りつける砂浜では熾烈な戦いがくり広げられていた。

 別名、女の意地と矜恃のぶつかり合い。

「ねぇねぇ、そこのお兄さんたちぃ。ちょっと寄ってかなぁい?」

「うちのお店に来てよっ、他よりもっといいサービスあるからさ!」

 弾むような声を上げているのは、色とりどりの水着を身に纏った少女たち。輝くような夏空の下、惜しげもなく晒された瑞々しい肌に、行き交う海水浴客(特に若い男)が目を奪われている。

 砂浜に軒を連ねる海の家は決して少なくない。それはそのまま、客引きの人数に比例する。大して広くない縄張りの限られた範囲の中、少女たちは凄味さえ感じられるような勢いで声を張り上げ、笑顔を振り撒いていた。縄張りの重なる境界線の周辺は気温が鰻上りだ。正直少し……いや、かなり近寄りがたい。

 俺たちが働く海の家も、例に漏れず参戦中だ。他のアルバイトの女の子とともに、俺の同級生たち――もちろん、彼女も。

「休憩ならどうぞこちらへー。シャワー・更衣室、完備してまーす」

 昨日と同じポニーテールにまとめられた髪。線の細い肢体を包むのは、淡いブルーの――。

 …………どうしてビキニなんだよッ!

 俺は思わず悶絶したくなった。よりにもよって、ビキニ。

 まだショートパンツタイプだからマシなのかもしれないが、はたしてそれがいったいなんのフォローになるというのか。その威力は核爆発にも等しいといわれる海辺の最終兵器だ。

「どうしたの、本原。今にも悶え死にしそうな顔して」

 一緒に貸出し用のボートを壁に立てかけていた長谷が、不思議そうに目を瞬かせた。俺の視線の先を追いかけ、ああ、と納得したように呟く。

「さすがだねぇ、神崎女史。道行く男たちの目が釘づけだよ。あんまり気づいてないみたいだけど」

 長谷の言うとおり、彼女はかなり注目の的になっていた。本人にはその自覚があるようでいて、実のところあまりない。

「……たち悪すぎだろ」

 俺の呻きに、長谷の含み笑いが重なった。

「自業自得じゃない? あれは彼女なりの、きみへの『挑発』なんだろうし」

 鋭い指摘に、俺はぐっと言葉を詰まらせた。

 昨夜の悪夢が甦る。言葉の拷問によって、彼女がアルバイトに急遽参加した経緯を吐かされたのだ。俺の自白を聞き終えた長谷の第一声は、「本原って本当にヘタレだねぇ」だった。余計なお世話だ。

 そっと彼女に視線を戻す。惚れた欲目を入れたとしても――悔しいほどに、似合っていた。

 ……頭が沸騰しそうだ。めまいが起こりそうなほどの熱を、途端に意識する。

 火を吹きそうな顔を押さえながら視線を逸らすと、生ぬるい笑みを浮かべる長谷と目が合った。

「……なんだよ」

「いやぁ、初々しいっていうか純情っていうか……本原ってかわいいよねぇ」

 嘆息するような声音に鳥肌が立った。

「なっ、何気持ち悪いこと言ってんだよ!」

「失礼だなぁ、褒めたんだよ? 別に変な意味はないしね。なんて言うか、傍から見てると思わず顔がにやけちゃうような……こう甘酸っぱさが、ね」

「ね、じゃねぇよ。つまり俺の懊悩を見て楽しんでるってことだろうが」

「いやだなぁ。草葉の陰からそっと見守ってるって言ってよ」

「おまえまだぴんぴんに生きてるだろ!?」

 ああもう、なぜこの友人との会話はこんなにも疲れるのだろう。

 げっそりとした気分でため息をつくと、不意に長谷が表情を改めた。

 心の最奥を隠すベールを容赦なく切り裂いてしまいそうな鋭いまなざしに、心臓が震え上がる。

「でもさ、本原。いったいいつまで逃げ続けるの?」

 いつもと変わらない、だが氷の刃のような声がざっくりと胸を抉った。

 こういうときの長谷は、本当に冷酷だ。たとえ相手がだれであろうと決して手を抜かない。

 真っ黒なガラス玉を思わせる瞳から目を逸らすことも、何か言い返すこともできなかった。

「逃げて逃げて逃げて――ずっとそのままでいたら、いつか追いかけてもらえなくなるよ?」

 ツイ、と長谷の視線が動く。

 透明な糸に引っ張られるように、同じ方向へ振り返る。瞳がたどり着いた先の光景に、喉の奥から叫びがせり上がってきた。

 唇を噛みしめ、必死に抑えこむ。

 彼女が――笑っていた。

 その隣にいるのは、見覚えのない若い男。おそらく大学生ぐらいだろう。さっぱりとした黒髪、癖のない顔立ち。親しげでありながら粘着質なしつこさを感じさせない笑顔を、他でもない彼女に向けている。

 ナンパというにはいやらしさのない、爽やかな空気がふたりを包んでいた。

 胸の奥がじりじりと焦げつく。肺を満たしていくきな臭さに、俺は喘ぐように息を洩らした。

 あんなにも無防備な彼女が放っておかれるはずがない。

 わかっていた、つもりだった。

 つもりだけで、ちっとも理解していなかった。

 あのとき。眠る彼女を前に抱いた焦燥よりも、もっと荒々しい感情が咆哮を上げる。

 食い入るような俺の視線に気づいたのか、ふと彼女の目がこちらを向いた。

 小さく瞠られる瞳。そして。

 ――白と黒に彩られた盤上に、彼女が先の一手を打つ音が聞こえた気がした。

 試練ゲームは、すでにはじまっていた。

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