Special.1 きみのためにできること
2007年クリスマス企画。高校一年生のふたり。
ピピッと試合終了を告げる電子音が静かに鳴った。
俺は唾を飲むこむと、そろそろと腋の下から体温計を引き抜いた。
ベッド脇で控えている審判にそれを渡す。審判は無表情に体温計を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
さぁ勝利の女神よ、今こそ俺に微笑めぇ!
「――三十八度二分」
一発KO負け。
「はい、今日は一日中寝てるの決定ね〜」
無情な判定に、俺はベッドに崩れ落ちた。
「そ、そこをなんとか……!」
「なんとかなりませーん。ほら、さっさと布団の中に入んなさい」
審判は軽やかに俺の訴えを無視すると、さっさと布団を被せてきた。さすが俺の母親だ。
「お友達には母さんが連絡しとくから、おとなしく寝てんのよ? わかった?」
ん? て顔を覗きこんでくる母さんに、俺はため息混じりの頷きを返すしかなかった。
「…………了解」
正直なところ、布団にくるまった途端に「あ、こりゃ駄目だ」と思った。全身から力が抜けて、とうてい起き上がれそうにない。脳味噌が煮え立っているような熱と痛みに、頭の芯が痺れてくる。目を開けていることさえ億劫になってきて、俺は瞼を閉じた。
今頃友人たちは、カラオケボックスで大いに盛り上がっているのだろうか。たぶんトップバッターは香坂だ。もしかしたら、水沢とマイクをめぐっていつものように喧嘩しているかもしれない。それを見て、みんなが笑って。
彼女も、一緒に。
……ああもう、今日は最低最悪のクリスマスだ。
ひんやりとした感触を頬に覚え、俺は薄く目を開いた。
ぼんやりと滲んだ視界に人影が映りこむ。だれだろう、母さんだろうか?
「目、覚めた?」
しかし耳元で聞こえた声は、ここにはいないはずの彼女のものだった。
朧な輪郭が、やがて見慣れた幼なじみの顔を形作る。伏し目がちに覗きこんでくる双眸。俯いた睫毛の長さまでわかりそうだ。
普段なら耐えきれないような至近距離も気にせず、俺はぼうっと彼女の瞳を見つめ返した。
「……逃げないのね、いつもは逃げるくせに」
だいぶ重症ね、と彼女はひとりごちた。
「冷えピタ、貼り替える? 氷枕は?」
「……大丈夫、だ」
どうしたのだろう、彼女が優しい。あの、わがまま放題の女王様が。いや、そもそもどうして彼女がここにいるんだ?
……ああ、夢か。
熱に浮かされて彼女の夢を見るなんて、俺の頭は相当やらてしまっているらしい。嬉しいやら虚しいやら、俺はどれだけ彼女のことが好きなのだろう。
滑らかな指の腹が優しく頬を撫でる。頬を包みこむ掌の冷たさが心地いい。
だが今の俺に心地いいということは、彼女の手はかなり冷えきってしまっている状態だ。
「……手」
「え?」
「冷てぇ……」
「ああ。戻ってくるとき、手袋し忘れちゃったのよ。あんまり急いでたから」
珍しい。あんなに手が荒れると言ってまめにつけていたのに。
ふと、どうしようもないほど都合のいい考えが思い浮かんで、俺は口の端を持ち上げた。
「……そんなに俺が心配だった?」
いつもの俺なら、絶対訊けない質問だ。
彼女はくるりと目を丸くして――ふんわりと、それこそどんなクリスマスケーキよりも、甘く、やわらかく微笑んだ。
「当たり前でしょ」
……脳味噌がとろけるって、こういうことを言うのだろうか。
熱と頭痛とは違う原因で意識が麻痺しそうだ。
やっぱり夢なんだなぁ、と俺は納得した。現実の彼女がこんなことを口にするはずがない。
ああ、けれど。
こんな幸せな夢が見れるなら、クリスマスに風邪を引くのも悪くないかもしれない。
「はじめ」
「んー……?」
再び霞みはじめた視界の向こうから、彼女がささやいてくる。
「そばにいるから」
「……ん」
「あんたがしてくれたみたいに、そばにいるから」
穏やかな波にさらわれるように、ゆっくりと彼女の声が遠のいていく。いつの間にか瞼が落ちたのか、目の前はまどろみの闇に満たされていた。
「……だから早く、元気になって」
吐息のような呟きは、まるで泣き出す寸前のように震えて聞こえた。
大丈夫だと伝えたくて、俺は冷たい彼女の手に自分のそれを重ねた。どうか俺の熱で彼女があたたまるように、サンタクロースに願いながら。