Extra.2 ぼくの家族
決着編その後。苑香の弟・彰視点。
ぼくの家族
五年一組 七番 神崎彰
ぼくの家族は、お父さんとお母さんと姉ちゃんとぼくの四人家族です。だけど、ぼくには姉ちゃんのほかにもうひとり兄弟がいます。それは、ぼくの家のとなりに住んでいるお兄さんです――。
***
「ただいまぁ」
ちょっと重い玄関のドアを開けると、階段の上からいつものように賑やかな声が降ってきた。
「ちょ、おま、いったいどこ触ってんだ!? ひとをベッドに押し倒すな、ほくそ笑んで舌なめずりすんな!」
「あーら、別にあたしの部屋で何しようとあたしの勝手でしょ? 父さんは仕事、母さんは近所の奥様方とショッピング。今はこの家にふたりっきり――と来りゃあ、ヤることなんて決まってるじゃない」
「決まってたまるか! 時と場所を考えろ! もうすぐ彰が帰ってくるだろうがっ」
「ごちゃごちゃうるさいわね! 『据え膳食わぬは男の恥』って言葉を知らないわけ!?」
「この状況のどこが俺にとって据え膳だと!? むしろおまえの据え膳だろうがッ」
……ぼくは大きく息を吸いこんだ。
「た、だ、い、ま!」
途端、シーンッと二階が静まり返る。ひと呼吸置いて、どたばたと慌ただしい物音が階段を転がり落ちてきた。
やれやれとため息をつき、ぼくはやっと家の中に入ることができた。脱いだスニーカーは、几帳面に並べてあるぼくのものより大きいスニーカーとちょっと小さいローファーの横に置く。「靴はきちんと揃えて置くように」って、兄ちゃんから口を酸っぱくして言われている。
洗面所で手洗いとうがいをして(これも兄ちゃんからの厳命だ)ダイニングに行く。テーブルの上にはお母さんからの伝言メモと、箱に入ったドーナツが置いてあった。
『 彰くんへ
お母さんはお友達とお買いものにいってきます。今日はお姉ちゃんが早く帰ってくるそうなので、お腹が空いたらはーくんに何か用意してもらってください。
お母さんより』
……メモを読んで、ぼくは微妙な気持ちになった。
『はーくん』とは兄ちゃんのことで、ぼくの家のお隣さんである。ぼくの姉ちゃんと同級生で、もっというと姉ちゃんのカレシだ。
兄ちゃんはとても真面目で面倒見のいい人で、姉ちゃんよりもよっぽど本当の兄弟のようにぼくをかわいがってくれる。今日みたいにおやつを買ってきてくれたり、宿題を見てくれたり、休みの日には遊びに連れていってくれたりする。
お母さんはそんな兄ちゃんを我が子以上に信頼していて、常々「はーくんに任せておけば、苑ちゃんも彰くんも問題なしね」なんて笑顔で言っている。お父さんは、複雑そうな無表情で黙っているけれど。
「だからっておやつの用意まで当てにするのはどうかと思うよ、お母さん」
ぼくはぼそりとツッコんだ。たけどそんな期待を裏切れないところが、兄ちゃんの兄ちゃんたる由縁……なのかもしれない。
箱を開けると、中には色とりどりのドーナツが並んでいた。ぼくは浅いお皿を三枚用意すると、兄ちゃんと姉ちゃんの好きなものをそれぞれひとつずつ乗せた。最後に自分の分を選ぼうとして、ちょっと迷う。結局、最近CMで「新発売!」と宣伝しているものに挑戦してみることにした。
冷蔵庫からジュースを出して、三人分のグラスに注ぐ。ドーナツと一緒にお盆に乗せて、そうっと二階へ運ぶ。背中のランドセルが厄介だ。
なんとか階段をのぼりきると、姉ちゃんの部屋のドアがちょっぴり開いていた。道理でよく声が聞こえたわけだ。
ぼくは念のため、ドアから少し離れた場所で声をかけた。
「兄ちゃーん、両手塞がってるからドア開けて!」
ばたんっと弾けるようにドアが開いた。自分で開けたのになぜかびっくりしている兄ちゃんが、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「ああ……彰、おかえり」
「うん、ただいま。ドーナツ持ってきたよ」
「あ〜……ありがとな。重かっただろ」
「大丈夫だよ」
兄ちゃんは困ったように苦笑いすると、ひょいっとぼくの手からお盆を取り上げた。「一緒に食おうか」というお誘いをもらってから部屋の中に足を踏み入れる。
姉ちゃんはベッドに腰かけて腕を組み、吹雪のような目でこちらを睨んでいた。ぼくは同じくらい温度を下げた視線をお返ししてやった。
「……お邪魔虫め」
憎々しげな呟きに、ぼくは肩を竦めてみせた。うわぁ、舌打ちってこんなに大きく響くんだぁ。
「おまえなぁ、実の弟に向かって舌打ちするなよ!」
「神崎家の家訓は『素直に生きろ』よ」
「……納得しちまう自分が悲しいんだけど」
遠い目をしつつ、兄ちゃんは座卓の上にドーナツとジュースを置いていく。ぼくはランドセルを下ろして兄ちゃんの隣に座った。
「兄ちゃん、ドーナツわざわざありがとう」
「いや、おまえが昨日食べたいって言ってたからさ。ちょうど半額券もらったところだったから」
目つきがいいとはいえないのに、兄ちゃんの笑った顔はとても優しい。兄ちゃんに頭を撫でてもらうのと同じくらい、ぼくはこの顔が好きだ。……兄ちゃんには内緒だけれど。
「あ、た、し、が、食べたいって言ったからよ!」
兄ちゃんを挟んで反対に座った姉ちゃんが余計なことをつけ加える。ぼくはしみじみと呆れた。
「姉ちゃんってさ、ホントに兄ちゃんのことが大好きだよね」
兄ちゃんが盛大にむせた。姉ちゃんは眉を片方跳ね上げ、それからとろけるように微笑んだ。
「だから、あんたにだってあげないわよ」
「別にいいよ。だって、どうせそのうちホントの兄ちゃんになるんだし」
ぼくはいただきますと手を合わせてから、ドーナツにぱくりとかじりついた。うーん……まあまあかな。
隣の兄ちゃんは、すっかり息も絶え絶えになっていた。
「なっ、ちょ、何言ってんだ!?」
「だって兄ちゃん、そのうち姉ちゃんと結婚するんでしょ? 姉ちゃんが兄ちゃんとやっとこさっとこくっついたってお母さんに報告した日の夕飯、お赤飯だったし。お母さんすっかり舞い上がっちゃって、ネットで流行りの結婚式場とか探してたよ。お父さんは『はじめくん、夫婦円満の秘訣は忍耐だ。とにかく忍耐だ……』って空の彼方に呟いてたけど」
「おばさん……おじさん……っ」
兄ちゃんはがくりと座卓に突っ伏した。それを横目に、姉ちゃんはひたすら満足げににやついている。
「ちなみに、おばさんからは『初孫はぜひ女の子で』ってリクエストされてるんだけど?」
兄ちゃんのお母さんであるおばさんは、うちのお母さんとツーでカーな間柄だ。そこに姉ちゃんが加わると、兄ちゃん曰く『鬼に金棒どころか機関銃が備わったようなおそろしさ』らしい。
女傑三人衆の集中砲火を浴びた兄ちゃんは、もはやぐうの音も出ない様子だ。ぼくはなんだかかわいそうになって、慰めるつもりで話そうと思っていたことを切り出した。
「大丈夫だよ、兄ちゃん。そんなに恥ずかしがらなくても、みんな知ってるから。だってぼく、作文に書いたんだもん」
「……は?」
兄ちゃんは顔を上げると、ぽかんと目を丸くした。姉ちゃんが怪訝そうに眉根を寄せる。
「いったい何を?」
「夏休みの宿題で、『ぼく・わたしの家族』ってテーマで作文を書いたんだ」
ぼくは掌についたドーナツの屑を払い落としながら答えた。
「ぼくには姉ちゃんの他に兄弟みたいなひとがいて、いつか姉ちゃんと結婚してホントの兄ちゃんになってくれるから、それがとても楽しみですって」
沈黙が落ちた。
兄ちゃんと姉ちゃんは、揃って絶句していた。しばらくして、兄ちゃんは湯気が立つような勢いで真っ赤になり、ばたりと床に倒れこんだ。姉ちゃんも頬を赤くして、「あんたって、馬鹿じゃないけど阿呆よね……」と呻いている。
ぼくはそんなふたりの様子を眺めながら、にんまりと笑ってやった。さんざん弟をやきもきさせてきたのだから、これぐらいの仕返しは我慢してほしい。鈍感で臆病な兄ちゃんと、わがままで意地っ張りな姉ちゃん。どうしようもないふたりだけれど、ぼくにとってだれよりも幸せになってほしいひとたちなのだから。
前言撤回。兄ちゃんと姉ちゃんと一緒に食べるドーナツは、やっぱりおいしいに決まっている。
***
――ぼくは、お兄さんと姉ちゃんが一緒にいるところを見ることがとても好きです。笑い合っているふたりを見ていると、なんだかぼくまで嬉しい気持ちや楽しい気持ちになってくるからです。
だけど、お兄さんと姉ちゃんはいつもふたりっきりじゃなくて、ぼくも仲間に入れてくれます。すると、ぼくは二倍も三倍も幸せになるのです。
ぼくをいつでも世界で一番幸せにしてくれるぼくの家族は、最高の家族です。ぼくは、ぼくの家族が大好きです。