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俺と女王様  作者: 冬野 暉
番外編
13/19

Extra.1 女王様の騎士

決着編後日談。苑香視点。

「さあ泣いて喜べ、崇め奉れ。苑香様のおなりであるぞー……って」

 いつものように幼なじみの部屋を急襲すると、珍しいことに彼は座卓に突っ伏して居眠りをしていた。

 ちょうどこちらに向けられた寝顔はなんとも無防備だ。普段は冷めたような表情ばかり浮かべるくせに、ぱかりと中途半端に開いた口から寝息を洩らしている姿は、子どもの頃と少しも変わらない。

「……もしもーし、はじめさん?」

 苑香ははじめに忍び寄ると、耳元にそっとささやきかけた。反応はない。思いきり熟睡している。

「まぁ、あんたに狸寝入りなんて巧妙な技は無理だもんね……」

 完全に寝入っていることを確認し、苑香ははじめの隣にぺたりと座りこんだ。

 本人はクールぶっているつもりなのだろうが、この幼なじみはおそろしく嘘や演技が下手だ。ポーカーフェイスとはほど遠い人物である。彼の友人の香坂京平は単純ゆえにわかりやすいが、はじめの場合はよくも悪くも素直なのだ。「本原くんは優しいからね」とは、人間観察が趣味という松下果林の言である。

 はじめは優しい。だがそれは、ときに毒にもなる優しさだ。

「昔っからお人好しよね、あんた」

 苑香は座卓に頬杖をつくと、じっとはじめの寝顔を注視した。少し長めの前髪の下にある面立ちは、別段端整なわけでもない。もはや当たり前になってしまった眉間の皺、切れ長な一重の目、不機嫌そうに引き結ばれた唇。たいてい抱かれる第一印象は「とっつきにくそう」だ。だからこそ苦笑をこぼす瞬間のやわらかさなどといったら、軽く椅子から転げ落ちるような衝撃である。

 当の本人は知りもしないが、そのギャップに打ちのめされる異性はいないわけでもない。なんだかんだ言いつつも放り出さずにつき合いきる面倒見のよさに、特に同学年や後輩の女子からは受けがよかったりする。現に、女の子同士の他愛ないおしゃべり――つまるところ恋愛談義の最中に、ふとはじめの名前が挙がることがそれなりにあった。

 おそらく本気だっただれかもいたのだろう。だというのに、はじめに近づく者がいなかったのは、間違いなく自分のせいだ。

 他者の入りこむ隙がないほど、はじめの瞳はまっすぐに苑香だけを見つめていたから。

 はじめの目に『女』として映るのは苑香だけ。それ以上もそれ以下もない。至極単純で、だからこそ揺るぎない事実に、彼の優しさに惹かれた者は叩きのめされる。

 だからはじめは優しくて、残酷なのだ。

 わかっているからこそ彼のそばにいる人々は、はじめをそういう対象には捉えない。特別や大切に思っても、それはあくまで仲間や友人として。

 はじめに恋するのは、あまりに痛くてつらすぎるから。

 裏を返せばそれは自分にも通じることだが、どうでもいいような他人にくれてやる優しさなどあいにく持ち合わせていない。人間関係を成り立たせるうえで必要な場合もあるが、それですら最低限である。

 そもそも苑香は優しさを与える人間ではない。記憶にも残らないような昔から、自分はずっと与えられてきた。目の前で眠る少年から、惜しみないほどの想いとぬくもりを。

 絶え間なく降り注ぐ慈雨のようなそれを、いかに多く受け止めるか。苑香はずっとそんなことばかり考えてきた。だから他人に優しくするどころか、はじめに報いることすら難しいような女になってしまった。

 申し訳なさがないわけではない。だがそれよりも、納得する部分が大きかった。当然だわ、だってこいつはあたしのものだもの。

「……我ながら、ホント独占欲の塊よねー」

 苑香はしみじみと呟くと、ちょんとはじめの頬を指先でつついた。ぴくり、と微かに頬が動く。

 それでも目覚める様子のないはじめの顔に、ぼんやりとした面影が重なった。今よりもずっと幼く、屈託のなかった男の子。苑ちゃん、と舌足らずに名前を呼ぶ声が甘く甦る。

 あれは弟のしょうが生まれたばかりの頃。

 それまで自分だけのものだった両親を新参者に奪われてしまった。お姉ちゃんなんだからと諭されても、はじめて見る小さな赤ん坊を自分の弟だと可愛がる余裕は、つい先日までひとりっ子だった甘えん坊にはなくて。

(お母さんもお父さんも、もう苑香なんていらないんだ!)

 寂しさと悲しさが喉の奥までいっぱいになって、もう勝手にしなさいと母に放り出されるまで泣きじゃくった。

 止まらない涙、押し寄せてくる絶望と孤独。このままひとりぼっちで死んでしまうのではないかと恐怖に閉じこめられたとき、まるで正義のヒーローのように彼は現れた。

(おれがそばにいるよ)

 大人になっても、おじいちゃんとおばあちゃんになっても、ずっと一緒にいるよ。苑ちゃんのそばにいるよ。

(泣かないで……)

 隣に寄り添って、しまいには自分が泣き出しそうになるほど必死に慰めてくれた。脱水症状を起こすのではないかというほど泣き続けて、ようやく苑香の涙が収まるまで、そばにいてくれた。

 あのときだ。

 あのときから、はじめは苑香のものになった。

「ねぇ、はじめ……あの約束、憶えてる?」

 問いかけつつも、苑香には確信があった。そうでなければ、今のふたりの在り方はありえない。

 苑香にしてみたら、ようやくここまで来たか、である。互いの胸に抱えた想いが同じものだと気づいたときから待ち続けていたというのに、この男ときたら「拒絶されるのが怖かった」などとのたまう始末。

「あんたってホント鈍感よね……」

 自分と同じぐらい、よそ見なんてする暇もなく注がれる苑香のまなざしに気づかなかったとは。

 だから勝負に出た。あまりの泥仕合に、思いがけずこちらも追い詰められてしまったが、それでも勝利をもぎ取った。

 手に入れた。今度こそ本当に、完璧に。

「約束、最後まで守ってもらうからね」

 大人になっても、おじいちゃんとおばあちゃんになっても。

 ずっと、一緒。

 苑香は一度手を引っこめると、今度ははじめの頬に掌を添えた。昔よりも頬骨が張り、顎にかけての輪郭がずいぶん鋭角的になった。ふと、むせ返るような夏の夜の空気を思い出す。抱き締められた腕の力強さ、すがりついた胸の広さ。

 体の奥底に火を点すような、掠れた呼び声を。

「はじめ」

 頬杖を外して顔を傾け、苑香ははじめの顔を覗きこんだ。伏せられた睫毛が意外と長い。

 そろそろ眠れる王子様に目を覚ましていただきたいのだが。

 ――いや。

「あんた、王子様って柄じゃないわね」

 王子様にしては情けなさすぎる。下僕――というのはあまりロマンチックではない。

 苑香はしばらく沈思していたが、ふっと唇を綻ばせた。

「さしずめ、騎士ナイトってとこかしら」

 約束を交わした遠い日から、苑香のそばにいる――寂しがり屋な女の子を守り続ける優しい騎士。

 今までも、これからも。いつまでも。

 それはきっと、永遠。

 途方もない幸せを思い描きながら、夢から騎士を呼び起こすために、女王様はやわらかな唇を寄せた。




 あのときは照れくさくて言えなかったけれど、白状するわ。

 大好きよ。

 あたしの騎士様。

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