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俺と女王様  作者: 冬野 暉
本編
12/19

Act.3 青い海と試練の夏(10)

 09 されど試練の夏は続く




 夏の空には、今日も太陽が輝いていた。

 光の粒のような飛沫を弾いて笑う人々。砂の上に刻まれた足跡を、打ち寄せる波があっという間に消していく。だが陽気な喧騒は絶えることなく、それどころか熱気となって広がっていくようだった。

 もうすっかり見慣れた光景だ。この数日のうちに日常となりつつあるそれが、なぜか愛しい。

 ここにいるだれもが同じ時を分かち合い、それぞれの夏を過ごしている。まるでひとつの物語を織り成すたくさんのエピソードのように。

 俺も、彼女も、友人たちも。

「なぁににやけてるのかなぁ?」

 含みを感じる声とともに、長谷が肩に手を置いて顔を覗きこんできた。おまえのほうこそ笑顔がにやにや言ってるぞ、とツッコみたい。

「昨夜の甘〜い逢瀬でも思い出しちゃってるの? いやらしいなぁ、本原ってば」

「違ぇよ! なんで断定形なんだよ!?」

「照れない照れない。で、結局どこまでいったの? まさかキス止まりなんてことはないよね?」

「デリカシーもプライバシーもない質問だな! 断固黙秘する!」

「うわぁ、ABCのAで満足しちゃったの? やだやだ、これだから初心者は」

「おまえら絶対覗き見してただろーッ!?」

 あまりのありえなさに切腹したくなった。だれか、だれか出刃包丁を持ってきてくれ……!

 最悪だ最低だ、と地面にめりこむ勢いで落ちこんでいると、ふ、と長谷が軽い吐息を洩らして笑った。

「でもまぁ、これでようやく安心できたよ。百点満点にはほど遠いけど、なんだかんだがんばってたと思うよ」

 手のかかる教え子を見る教師のような目で、そんなことを言う。

 鼻の奥がツンとするような切なさがこみ上げてきて、俺はわざとらしく鼻をこすった。

「だれかさんたちにさんざんケツを蹴っ飛ばされたからな」

「そうでもしなきゃ動かないようなヘタレだったからね」

 くすりと喉を鳴らす長谷は余裕そのもので、俺は素直に降参した。

「……感謝してる」

 どんなに馬鹿でも情けなくても見捨てずに、最後まで手を差しのべて背中を押してくれた。

 彼らにめぐり会えたことは、俺の人生における最高の幸運のひとつに違いない。

「ありがとな」

 長谷はくすぐったそうに目を細めた。

「僕らは、僕らにとっての当たり前のことをしただけだよ。……でも、その気持ちは受け取っておく」

 大切にしてね。

 最後に続いた言葉に、俺は力をこめて頷いた。

「ああ」

 はっきりと口にはしない。だがそれはまぎれもない、俺と長谷との――彼女を思い、俺を思ってくれる彼らとの約束だった。

「……おや。噂をすればお姫様のお越しだよ」

 何かに気づいたらしい長谷に促されて振り返ると、波打ち際からこちらへ向かって駆けてくる彼女の姿があった。

 お姫様というよりも、女王様と称するほうがふさわしい――俺の恋人。

 そう呼べることが叶えられた、今までもこれからもただひとりの、俺の好きなひと。

「また水着だけだし……」

「これから苦労するねぇ」

 肩を叩く長谷の生ぬるい笑みが心に痛い。

「ふたりとも、せっかくの半日休みなのにそんなところで何してんのよ!」

 再びポニーテールに結い上げた髪を弾ませながらやってきた彼女は、降り注ぐ陽光よりもまぶしかった。まっすぐ俺の傍らに寄ってきた時点で、頭のねじが二、三本ゆるんだ。

 しかし、それでごまかされてはいけない。

「おまえなんで上に羽織ってねぇんだよ? あれだけ注意しただろうが」

「だって海に入んのよ? 塩水に濡れたら、洗濯してもべたべたになっちゃうもん」

「四の五の言わずに着ろ! あーもーいい、取ってくる!」

「ちょ、なんでそんなにうるさく言うわけ? 日焼け止めなら、水に濡れても落ちにくいやつだから大丈夫だってば!」

「そうじゃねぇぇ……っ!」

 どこまで鈍感なんだと怒鳴りかけたとき、それまで静観していた長谷がにっこりとのたまった。

「神崎女史、神崎女史。本原は妬いてるんだよ。周りの男がみんなきみのこと見てるから」

「ばっ……」

「え?」

 俺は一瞬呼吸困難に陥り、彼女はきょとんと目を瞬かせた。言葉を失ったまま硬直した俺に、彼女の大きな瞳が問いかけてくる。

「そうなの?」

 ここで頷ける男がいたら、そいつは勇者だと思う。

 固まり続ける俺に彼女は瞬きをくり返していたが、やがてにまぁっと口の端を持ち上げた。

「そっかぁ、そうなんだぁ……つまり俺の前だけで着ろってことね? だったら言ってくれればいいのに」

 長谷と同種の表情を浮かべた彼女は、凍りついている俺から上着を奪って袖を通した。男物であるためにサイズが合わず、胸元を残して前身頃のチャックを閉めると、まるでそれだけ着ているようだ。これはこれでいい……よくない気がする。

「これでいいでしょ?」

 満面の笑顔で小首を傾げ、腕にすり寄ってくる。俺はぎこちなく首を縦に振ろうとして、

「……って、ちょ、苑香さん!?」

「なぁに?」

 離れようとすればするほど、彼女はますます密着してくる。腕に当たるやわらかい何かがふにゃりとたわんだ感触に、俺は総毛立った。

 身長差から見下ろす形になってしまう俺の視線の先には、狙ったかのように上着から覗く彼女の胸元。白い肌に刻まれた影の意味を考えるな……!

 彼女は爪先立って俺の耳元に唇を寄せると、息を吹きこむようにささやいた。

「今度はふたりっきりで来ようね。――もちろん、お泊まりで」

 ごちそうさま、と呟く長谷の声が遠く聞こえた。




 一難去ってまた一難。

 どうやら、俺の試練の夏はまだまだ続くようだ。

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