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俺と女王様  作者: 冬野 暉
本編
11/19

Act.3 青い海と試練の夏(9)

 08 満開の花火の下で




 夜が世界を呑みこんでも、その日は砂浜から人気が絶えることはなかった。

 昼間ほどではないが、細長く伸びた砂浜のあちこちに固まった人影が見える。その多くが波打ち際から離れた場所に陣取って、これから起きることへの期待にざわめいていた。

 暗い空に雲は少なく、山吹色の月が威風堂々と輝いている。闇に溶けた波間に月影が落ちて、ゆらゆらとたなびいていた。

 微かな潮風に運ばれてくる波の音に紛らわすように、俺はこっそりとため息をついた。ちらりと隣を盗み見れば、Tシャツにショートパンツという出立ちの彼女が膝を抱えて座りこんでいる。長い髪はいつものようにほどかれたまま、上目がちに前を向いている横顔を撫でるように小さく揺れていた。

 俺は彼女と並んで地面に腰を下ろし、両手を後ろについて片膝を立てていた。彼女との距離は、およそ拳ひとつ分。周りに友人たちの姿はなく、近寄ってくる者もいない。

 つまり、ふたりきり。

 これが自称参謀の考え出した『作戦』だった。今夜開かれる花火大会に彼女を誘って告白せよと。

 ……提案というよりも脅迫に近かったかもしれない。なんだかんだ言いつつ女子も乗り気だったらしく、あれよあれよという間に俺と彼女はこの場に置き去りにされた。こんなときに限って友人たちは見事な連携プレーと手際のよさを発揮する。まったくもって器用なことだ。

 俺は携帯電話の液晶画面を開き、現在の時刻を確認した。花火の打ち上げがはじまるまであと少し。

 この状態になってからすでに十分以上経っているが、未だに会話らしい会話をしていない。何から話せばいいのかわからない、微妙な沈黙。

 いつまでも無言でいるわけにはいかないのだが、うまい言葉が出てこない。口にする前にあれこれ考えてしまい、形になりきらず溶けてしまう。

 たぶんここに長谷がいたら間違いなく凶器を持ち出してるよな、と半ば現実逃避めいた考えが脳裏をよぎったとき、

「この前は、ありがと」

 不意に、まるで呟くように彼女が口を開いた。

「迎えにきてくれて、ありがと」

「……ああ」

 いったいなんのことかと思ったが、すぐに先日のことだとわかった。俺は鮮やかな月を見上げながら、口調を強めて言った。

「我慢できなかったから」

 わずかに伏せられていた彼女の視線が浮上し、こちらを向く。俺は今度こそ彼女を見据えた。

「たとえ本気じゃなかったとしても、おまえがだれかの隣にいるなんて我慢できなかった」

 彼女はじっと俺の言葉を耳を傾けていた。一言一句聞き漏らすまいとするように。

 一度口火を切ってしまえば、あとはするすると言葉が溢れてきた。湧き上がる想いが水泡となって水面から現れ、弾けた瞬間、声となって響く。

 涸れることのない泉から流れ出したものが静かに胸を満たし、指先まで浸透していくようだった。

 ああ、俺はこんなにも渇いていたのだ。だから苦しくてたまらなかった。

 ささくれ、ひびわれていた心を潤す感情は全身はめぐり、体の奥底から力となってこみ上げてくる。

 今ならなんだってできる気がした。

 人を想うということは、こんなにも、こんなにも。

 ――幸せで、胸がいっぱいになるのだ。

「おまえに試されて、本音を思い知った。俺はおまえが俺以外のやつの隣にいるなんて、いやだ。おまえは俺の隣にいてほしい。おまえの隣にいるのは、俺でありたい」

 それ以上なんてない。十全であることを知ったとき、人はだれでも無敵になれる。

 何かしたいと願う、その人のために。

「……どうしてそう思うの」

 彼女が小さく訊いてくる。震えているような、掠れた声で。

「はじめは、どうしてあたしの隣にいたいって思うの」

 波の上に映る月のように揺らぐ双眸が、どうしようもなく愛しかった。

 その愛しさのままに、俺は一番伝えたかった言葉を紡いだ。


「おまえのことが、好きだから」


 次の瞬間、ドォンと空気が震えた。

 彼女の頬が夜目にも赤く染まり、見開かれた瞳のなかに鮮烈な光が映りこむ。ほぼ同時に空を仰ぐと、月にしだれかかるように大輪の花火が咲いた。

 赤、青、緑。次々に原色の光が花びらを広げ、月の独壇場だった夜空に美しい模様を織り上げる。

 満開の花火。

 刹那の艶姿を網膜に残し、目を凝らす間もなく消えていく。

「……あのとき逃げたのは、なんで?」

 月を背景に咲き乱れる花火を見上げたまま、彼女が問うてきた。俺は視線を隣に戻した。

「あのとき?」

「あたしの寝こみを襲おうとしてたとき」

 少し棘のある声とまなざしが返ってくる。一瞬言葉が詰まりそうになったが、どうにかため息で押し出した。

「……怖かったんだよ」

 情けない限りだが、それが俺の本音だった。

「おまえに拒絶されんのが、怖かったんだ。あんな馬鹿なことしといて言えることじゃねぇけど」

 自嘲せずにはいられなかった。

 彼女は――再び黙りこんでしまった。きゅっと唇を引き結び、痛いくらいの強さで睨んでくる。ほんの一瞬、花火に染まる瞳が大きく震えた。

「ホンっトに、馬鹿じゃないの」

 くしゃりと歪んだ彼女の表情に、俺は思わず息を吸いこんだ。みるみる潤んでいく双眸に緊張してしまう。

「なんでそうやって決めつけるのよ。いつあたしがいやだって言った? ひとりで勝手に思いこんで逃げ出して、あたしがどれだけ……っ」

 とうとう溢れた涙が、彼女の頬を流れ落ちる。彼女は膝の上で両手を握りしめていた。

「……っ、嬉しかったのに!」

 ドォン、とまた花火が上がった。

「そりゃびっくりしたけど、いやじゃなかった。嬉しかったの!」

 彼女は飛びこむような勢いで俺の胸を叩いた。反射的に受け止めた細い体のやわらかさに、電流が頭のてっぺんまで駆け抜ける。

 胸元に顔を埋めた彼女は、本格的にすすり泣きはじめた。くぐもった泣き声に合わせて肩が震える。俺のTシャツを掴んで放さない手を見て、俺はようやく彼女の背に腕を回した。

「……苑香」

 名前を呼ぶと、彼女はますますすがりついてきた。俺は唾を飲み下し、彼女を抱き締める腕に力をこめた。

「苑香」

 潮の香りに混じる彼女の甘い匂い。頭の芯が熱でとろけてしまいそうで、首筋をくすぐる彼女の髪の毛の感触に、俺はたまらず目を閉じた。

 腕の中の彼女が、世界のすべてだった。

「苑香。……顔、上げて」

 抱擁をゆるめると、彼女はゆっくりと面を上げた。頬に残っている涙を拭ってやると、喉を鳴らす猫のように目を細める。

 ……本気で鼻血を噴きそうになった。

 幸福感に窒息しそうになりながら、俺は彼女の頬を両手で包みこんだ。ほとんど吐息のような声で訊く。

「キスしてもいいか?」

 あの日、臆病で卑怯な俺は勇気が欲しかった。

 まっすぐに彼女と向き合う勇気を。想いを告げ、そして彼女の答えを受け止める勇気を。

 それは嘘ではなく、だが言い訳に過ぎなかった。

 俺があんな馬鹿げた失敗をした理由は、俺が本当に欲しかったものは。

 ――苑香。

 俺だけの女王様。

「……今更訊かないでよ」

 彼女らしいひねくれた返事に笑ってしまう。彼女は拗ねたように唇を尖らせたが、やがてゆっくりと瞼を下ろした。

 花火が上がるたび、鮮やかな光に彩られる彼女の顔に見とれながら、俺はそっと唇を落とした。

 はじめての口づけは、彼女の涙の味がした。

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