Act.3 青い海と試練の夏(8)
07 いざ反撃
嵐が過ぎ去ったあとの静けさは、気が抜けるほど穏やかなものだった。
いつもと同じようでいて、確かに何かが変わっている。そんな安心感が滲んだ生ぬるい日々。
台風の目ともいうべき高見沢とは、あれからなんの接触もなかった。一度、砂浜で偶然すれ違ったときも、決まりが悪そうな恨めしそうなまなざしを投げられただけだった。もちろん受け取りなんてしなかったが。
もう彼女にちょっかいを出すつもりがないのなら、眼中に入れる必要などない。だが、もしも二度目をくり返すというのなら――相応の覚悟をしてもらおうではないか。
どうやら俺は、彼女が絡むとどこまでも残酷な人間になれるらしい。そのことに驚きつつも、心のどこかで納得している自分がいた。
我ながら呆れるほど他人事めいているが、俺は案外、危うい場所に立っているのかもしれない。一歩踏み外せばどこまでも堕ちていくしかないような、底の見えない闇が覗く断崖絶壁の上に。
そしてその選択を迫られたとき、もしもそうしなければ彼女を失うのだとしたら、俺は簡単に答えを出すだろう。迷いもためらいもなく、あるのはどうしようもない真実だけだから。
ようやく掴んだ揺るぎない確信を噛みしめる俺を、しかし近所のおばちゃんよりも小うるさく目敏い友人たちが放っておくはずがなかった。
「――で、いったいいつになったら告白うのかな?」
貴重な休憩時間、俺は呼び出しを食らっていた。ちなみにここは海の家内のバックヤードで、体育館裏ではない。
いつもの胡散臭い笑顔にうっすらと青筋を浮かべ、ちっとも笑っていない目で長谷が凄んでくる。こいつがここまで感情を顕にするなんて珍しい。
「あれからもう二日だよ? そろそろいい加減にしてくれないと、さすがに僕の堪忍袋の緒も持たないよ?」
「長谷やん、目が殺気立ってる! 視線が凶器と化してるから!」
軽く青ざめた香坂が、俺ににじり寄ってくる長谷を必死に止めようとしている。そんなふたりに、宮野は苦笑いをこぼした。
「俺も同感だな、本原。このままだと砂浜が血の海になりそうだぞ」
「やーめーてー! マジで冗談にならないから! 長谷やんならやりかねないとか思っちゃう自分がおそろしくて悲しい!」
ひぃぃっと悲鳴を上げる香坂に、俺は肩を竦めてみせた。
「まぁ、そのときは尊い犠牲のうえで鎮まっていただくさ」
「ちょっと待って、なんでそこでおれを見んの。宮野も『あっ、そっか』なんて顔しない!」
「くれるっていうなら、遠慮なく骨の髄までしゃぶらせてもらうよ?」
「長谷やんも当然とばかりに乗んなーッ!」
魂の底から叫ばんばかりの香坂を、俺は生あたたかい目で眺めずにはいられなかった。日頃の鬱憤を晴らすには、俺よりもなおいじられ役の座を欲しいままにする香坂をいぢめることが一番だ。これこそまさしく香坂クオリティ。
ひととおり麗しき友愛の披露を終えたところで、俺は素直に白状することにした。ここでごまかそうものなら、本当に長谷が刃傷沙汰を起こしかねない。
「ほっとしてふやけてなかったとは言わない。ちょっと感慨にふけってた」
「それでずるずる今日までなんの行動も起こさなかった、と?」
「うん……まぁ」
長谷はふう、と悩ましげなため息をついた。
「ごめん、宮野。なんか細長くて固いものくれる?」
「殿中でござるー!」
ご乱心ご乱心っと、おまえがご乱心じゃとツッコみたくなるほど喚く香坂を宥めつつ、宮野は首を横に振った。
「だめだぞ、人殺しは」
「大丈夫。証拠隠滅はきっちりするから」
「おまえなら本当にやり遂げそうだよな……」
「どこのどいつのせいだと思ってんのかなぁ?」
「い、ひゃい、ひひゃいひひゃい! ほぉひっはんは!」
容赦なく頬をつねり上げられ、俺は降参の意味をこめて犯人の肩を叩いた。
二十秒ほど無視されたのち、ようやく解放される。赤くなったに違いない頬をさすっていると、もはや長谷の顔からは笑みが消えていた。
「ねぇ、本原。ここまで来て逃げるなんて、本当に許さないからね?」
「だれが逃げるかよ」
むっとして言い返すと、長谷は眉間に深々と皺を刻んだ。
「……即答できるくせに土壇場になって気がゆるんじゃうって、心底本原らしいよねぇ」
「嫌味か」
「褒め言葉だよ?」
ようやく怒りを解いた長谷は、まぁやる気は充分みたいだからよしとするよ、と愚痴るように呟いた。
「じゃあ改めて作戦会議といこうか」
「作戦会議?」
いったいなんのと首を傾げる香坂に、長谷は真っ黒な腹の中身を覗かせるような微笑で答えた。
「そりゃあもちろん、神崎女史の攻略法を」
「ぶふっ」
「汚いなぁ、いきなり噴き出さないでよ」
「おまえが変なこと言い出すからだろうが! なんだよ攻略法って! しかもなんでおまえら参戦が前提なんだよ!?」
「目には目を、歯には歯を、助っ人には助っ人を、だよ。女子の助力を得た神崎女史にひとりでも勝てるっていうなら、いらないお節介は焼かないけど?」
俺はうぐっと声を詰まらせた。そんな自信、むしろ掃いて捨てられるほどもらいたい。
「果林は優秀だからね。太刀打ちできるのは僕ぐらいだと思うけど? 水沢女史や丈部女史も、結構容赦ないんじゃないかなぁ」
頭を抱えてうずくまりたくなった。そんな俺に尻目に、自称参謀は実に楽しげに宣言する。
「さあ、反撃をはじめようか」