9話 力が支配する世界(2)
所持スキル
パッシブスキル 『無限転生』『視力向上』『聴力向上』『運向上』
アクションスキル なし
広々とした部屋の壁際に一人で震えながら立っていた。床石の冷たさで足の指がしもやけのように赤く染まる。その上、中途半端に伸びた髪は生乾きとあって触れた毛先で肩をひんやりさせた。
賞品を綺麗に保つ意味があるのか。決勝戦が終わると俺は施設内の風呂場へ連れて行かれ、そこで二人組の屈強な女性に全身を洗われた。ワンピースとよく似た服に着替えたが保温性は無いに等しい。トランクスのような下着の恩恵も得られず、足元から断続的に寒さが這い上がってきた。
そのような状況下にいると、どうしても中央のベッドに目がいく。天蓋付きの洒落たデザインではないが、太い脚に支えられたどっしりした質感が実に好ましい。最高の寝心地を保障しているように思えた。だからと言って賞品の俺が無断で使うわけにはいかない。
ベッドの先に見える扉をひたすら眺めて過ごす。そこに足音が聞こえてきた。一気に緊張が高まる。
程なく木製の扉が開いた。赤髪の女性、ナザクが前屈みで入ってきた。天井の高さに合わせて普通の立ち姿となった。
決勝戦の時とは服装が異なる。革製のジャケットは異様に丈が短い。六つに割れた腹筋は亀裂の入った岩を想像させた。下は布地のホットパンツで筋張った太腿の大きさに圧倒された。
ナザクは歩きながら首を鳴らし、ベッドの縁に腰掛けた。木が軋む中、上体を倒し、目を上下に動かした。
値踏みするような視線に耐えられず、俺は笑顔を作った。瞬時に舌打ちされてベッドの端を平手打ちにした。何度も叩かれてようやく意味を理解した。
「……失礼します」
凹んだところに俺はちょこんと座る。
体感で数分の時間が過ぎた。一向に会話が始まらない。横目をやるとナザクの表情が険しくなっていた。口角を強引に引き上げ、カチカチと歯を鳴らす。
命の危機に晒されて身震いが起こる。俺は回避に努め、辛うじて話題を捻り出す。
「決勝戦のナザクさんの雄姿に見惚れました。あと熱狂的な女性が多くて驚きました。男性は格闘技に興味がないのでしょうか」
「この国に男はいない」
会話が成立した喜びよりも内容に引っ掛かる。
「男の子が誕生することはないのですか?」
「女は産むことがない。子供は他国から奪う。この国の常識だ。お前、どこの出身だ?」
「そ、それなんですが、よく覚えていなくて。どこかで頭を強打されたみたいで」
「そうか。よくあることだ」
少し躊躇った記憶喪失の設定がすんなりと認められた。会話が途切れる前にもう一つ、訊きたいことがあって少しばかり早口となった。
「連れて行かれた風呂場で女性に何度も『美味しそう』と言われました。その意味なのですが、わかりますか?」
「男を食べると強くなる。この国の古い言い伝えだ」
「そ、それでは、こ、この私もナザク様に、た、食べられてしまうと!?」
声の震えが止められない。ナザクは笑って顔を近づける。
「オレは男を食べない。いや、違うな。食べる必要が無い。絶対的な強者だからな」
「そう、ですか。それを聞いて安心しました」
張り詰めた心は一瞬で緩んだ。そこに別の不安が急浮上。表情に出ていたのか。ナザクは探るような目で、どうした? と訊いてきた。
「……私がここにいる意味が、わからなくなってしまって。なにをすればいいのでしょう」
「そもそも何ができるんだ?」
「肩くらいは揉めると思います」
「試してやろう」
ナザクは背筋を伸ばす。俺は急いで後ろに回って、失礼します、と一言掛けて両肩を掴んだ。渾身の力を加えると瞬く間に爪の先が白くなった。
「揉まないのか?」
「揉み返しがあると、いけないので。少しずつ、力を加えて、いきますから」
鋼の筋肉に阻まれて一ミリも沈まない。指先の痛みに耐えられず、一度、両手を離して大いに振った。再度、挑んでも結果は同じであった。
「非力な私には無理でした」
「その細腕では仕方ない。他には?」
「あとは……」
深い思考に入る直前、耳が音を拾った。用心深い足音が重なって聞こえる。音の出所を目で見てナザクに小声で伝えた。
「この部屋に誰かくる予定はありますか?」
「ない。ここは特別で勝者だけに許された部屋だ」
「私が指さした位置に人がいます。足音が重なっているので二人だと思います」
「……オレには聞こえない。本当なのか?」
「間違いありません」
壁に向けた人差し指をゆっくりと左へ動かす。ナザクはベッドの上に立った。鋭い眼光を扉に放ち、身を低くして構えた。
人差し指が扉で止まる。直後にナザクは跳び出し、両手を突き出して扉を剥ぎ取り、対面の壁に叩き付けた。裏側から断末魔のような悲鳴が上がる。
ナザクは止まらず、右手へ走る。生木を折るような音がして笑顔で部屋に戻った。
「お前の耳のおかげだ」
「そ、それは、どうも……」
ナザクは手土産のように掴んだものを前へ差し出す。髪を掴まれた女性の表情は虚ろで半開きの口から舌が食み出していた。首は異様に長く、身体は前と後ろが入れ代わっているようだった。
「オレの耳として今後も仕えるがいい」
「お、お役に立てるように頑張ります」
憐れな女性が目に入らないように俺は深々と頭を下げた。