2話 いきなり決戦
所持スキル
パッシブスキル なし
アクションスキル なし
目の前に黒雲が広がっている。今にも大粒の雨が降ってきそうだ。そこまで考えて疑問が湧く。
――なんで外で寝てるんだ?
過去の記憶はぼんやりしていた。深く探ろうとしても同じなので思考を中断した。
何となく仰向けの姿で空を眺める。ゆったりした気分に浸っていると、おい、と不機嫌な声を掛けられた。少々の濁声ではあるが女性特有の高音を併せ持つ。
上体を起こすと目が合った。瞬間、尻を蹴り上げられた感じで慌てて立ち上がる。
「て、店長、どうしてここに!?」
「はあ? 誰が店長だ、ボケッ」
丸椅子に座ったふくよかな女性は腫れぼったい糸目で睨み付ける。軽い舌打ちをすると人差し指を真上に向けた。
薄汚れた庇の上に『女神屋』の看板が傾いた状態で取り付けてあった。
「……女神様?」
半信半疑で呟き、改めて女性に目を戻す。
黒いボサボサの髪は短く一部が外側に撥ねていた。丸顔で目は土偶に似ている。鼻筋は太くて全体が平べったい。唇は肉厚で少し前へ突き出ていた。
今度は服装に目がいく。ワンピースを着ているのだろうか。内側の肉に圧迫されて白いボンデージが頭に浮かぶ。鏡餅のような胸にはほんの少し興奮を覚え、それを上回る太鼓腹で急速に萎えた。
「どこ見てんだ?」
「あ、いえ。そのぉ、本当に店長ではないと?」
「見た目の美醜で判断するな! そもそもこの空間はお前の生前の人生が反映されているんだ。自覚しろ」
さらりと人生終了を告げられた。気落ちする間もなく周囲に目をやる。
のっぺりとした灰色の路面がどこまでも広がり、果ては見えない。恐ろしく巨大なゴミ箱の底のように机や椅子が横倒しになっていた。目を凝らすと『バカ、アホ』の拙い文字が見て取れた。
中学生の時のイジメを思い出し、目を逸らす。他には破られた教科書。握り潰されたような手紙。悲惨な過去が点々と散らばっていた。
「理解したようだな。早速だが、ガチャを回せ」
「ガチャって……」
駄菓子屋のような店舗の前に旧式のカプセルトイが置かれていた。筐体の中には丸いカプセルが詰まっている。下部のハンドルを回すと出る仕組みのようだ。
「もしかして転生の儀式みたいな感じですかね」
「察しの通りだ。スキルを一つ、餞別でくれてやる」
「……わかりました」
元々の運の悪さもあって過大な期待はできない。そこで思い直す。
――転生の機会があるだけ、マシなのでは。
一気に希望が膨らむ。生前が不幸であればある程、目覚ましい飛躍が未来で約束されているような気分になった。
胸の高鳴りを抑えつつ筐体の前にしゃがんだ。ハンドルを握った瞬間、またしても声を掛けられた。
「コインを忘れるな」
「なんですか、それ?」
「ポケットを探れ。持ってるはずだ」
「そんなことを言われても……」
パーカーのポケットに渋々、手を突っ込む。右にはなかった。左には硬貨のような物が入っていた。
摘まんで見ると確かにコインだった。
漆黒に相応しい色だった。中央には鮮血に塗れたドクロが描かれていた。表裏が同じで呪術の道具のように禍々しい。
「それを入れてガチャを回せ」
「……わかりました」
テンションは極限まで下がる。コインを入れてハンドルを回すと軽い音でカプセルが出てきた。
全体が紫色で中身は見えない。掴むと異様に軽い。軽く振った程度では音もしない。嫌な予感が増大する前にパカッと割った。
中には一枚の紙のような物が収まっていて『無限転生』の文字が目に留まる。諸々を持った状態で女神に差し出す。
「カプセルと、こんな紙が入っていました」
「見せろ」
全てを一掴みにした。カプセルは横手にあった一斗缶に投げ込まれ、紙に視線を落とす。
「当たりだな」
「これ、当たりなんですか?」
「レジェンド級の大当たりだ」
女神は片方の口角を吊り上げて笑う。目にしただけで身体が震えた。
「スキルを受け取れ」
口にした直後、紙を握り潰し、瞬時に開いた。掌に光る球体が現れ、ふわふわと飛んで俺の身体の中に入っていった。
「完了だ。今からお前を異世界に送る」
「え、説明は? どのような世界に送られて」
「知らん。転生した姿もわからん。自動ガチャだ」
女神はふてぶてしい態度であしらうように手を振った。
「そ、そんな、待ってくだあああぁぁ!」
突然、足元が抜けた。丸い穴は途轍もなく深い。小学生の時の落とし穴の比ではない。
凄まじい速さで落下する間に意識は消し飛んだ。
大広間のような空間で怒号が響く。銀色の甲冑を着た偉丈夫の大剣がリザードマンの胴体を両断した。二刀流の剣士は太刀筋が見えない。敵対する者を片っ端から微塵切りにした。
地上戦だけではない。とんがり帽子の女性は宙に浮き、掌から火炎の大蛇を解き放つ。標的にされたコボルドの集団を瞬く間に消し炭に変えた。
その勇猛な者達に向かって俺は走る。助けを求めている訳ではない。剣や盾を持っていた。人間でもないらしい。武具を持つ両手が骨だった。周囲に同じ装備の骸骨が何体もいるので理解が早い。
――チュートリアルは!? ここはどこよ!? どうなってんだ俺は!
しかし、心の声は混乱を極めた。肉声で喋ることもできない。俺は走りながら真後ろを見た。
黒いローブを着た悪人面の老人がいた。波打つような杖を掲げると先端の赤い宝玉のような物が妖しい光を帯びる。
老人を取り囲むように空間に魔法陣が現れ、異形の者達がぞろぞろと出てきた。
――お前のせいか! こんな装備でどうすりゃいいんだ! 俺がなりたいのは勇者の方なんだよ!
カチカチと歯を鳴らし、猛抗議をしても現状は変わらない。周囲の怒涛の進撃に流されて一方に走るしかない。
目指す先にはシスターのような女性が微笑んでいる。金色の長髪で吸い込まれそうな青い瞳をこちらに向ける。骨格標本の自分では笑顔を返すこともできない。
その女性は両腕を水平に広げた。全てを受け入れるような姿勢に感動を覚える。
――こんな骸骨でも愛して欲しい。その天使のような微笑みを俺だけに向けてくれ。
女性の身体が光り始める。薄桃色の唇が高速で動き、止まった瞬間、膨大な光が前面に溢れ出した。
神々しい光に呑まれた俺は眠気に似た安らぎに包まれた。さらさらと砂が零れるような音を聞いた。周囲にいた骸骨は形を保てず、その場で砂山と化した。
――今度は、チュートリアルを、お願いしま、す。
薄れる意識の中、ふくよかな女神が強引に割り込み、舌打ちをした。