15話 ゴブリンの王(2)
所持スキル
パッシブスキル 『無限転生』『視力向上』『聴力向上』『運向上』『容姿向上』
アクションスキル なし
雌のゴブリンの背中を見ながら暗闇の中を歩く。篝火の恩恵がなくても周囲にある岩や石筍のような突起は目にできた。俺のスキルには暗視に関係するものはない。
恐らくゴブリンに備わった固有の能力なのだろう。そのせいで余計なものまで丸見えになった。
「ナニカ、アル」
突然の独り言で雌が走り出し、地面にできた亀裂に顔を近づける。両脚はピンと伸ばし、堂々と尻を晒した。
その行動は三回目なので遠慮なく平手打ちにした。反応もほぼ同じで腰をくねらせ、グヒヒ、とくぐもった声で笑った。
マゾ気質なのか。急に足取りが軽くなり、入り組んだ迷路のようなところもすんなり通り抜けた。
そこから単調な一本道が続く。ポツポツと呟くような水音がそこかしこで聞こえる。
日本庭園にある水琴窟を思い出し、ほんの少し心が安らぐ。そこに別種の異音が挟まって一気に緊張が高まった。
先頭をゆく雌は気付いていないようで、これ見よがしに尻を振る。
「オレガ、サキヲユク」
俺は一言で雌の前へ出た。耳に意識を傾けると右手の岩から微かな足音が聞こえる。単体で一歩ごとに湿った音を立てた。
足音は左に向かっていた。追尾するように壁際を速足で歩き、歪な十字路の手前で止まった。右に向かって、そっと顔を出すと音の正体が現れた。
頭部はピラニアで背びれと尻尾が確認できた。見た目の印象は最悪で友好関係を築けそうな気がしない。半開きの口から覗く歯は鋭く、絶え間なく涎を流していた。
ファンタジーでは定番のマーマンと姿形がよく似ていた。目測で二十メートル以上は離れていることもあって、俺は後ろに控えていたゴブリンに訊いてみた。
「アルクサカナ、ツヨイカ」
「ツヨイ。ゴブリン、エサ」
素手では勝ち目がないらしい。左方向に消えるのを待って行動を再開した。
再び雌が先頭に立ち、右方向を直進。途中に分岐はあったがモンスターに出くわすことはなかった。
先の方が明るくなってきた。前をゆく雌の足が目に見えて遅くなる。こちらの様子をチラチラと窺う。目には少なくない怯えが含まれていた。
「アカルイトコロ。タンケン、アルノカ」
「ブキ、イッパイ。キケンモ、イッパイ」
語尾が震えていた。俺は雌の肩に手を置き、この近辺に隠れるように指示した。
「オレガ、イク。オマエ、ココデマテ」
「ワカッタ。キヲツケテ」
不甲斐ない自分を恥じるように雌は頭を下げた。俺は励ますつもりで気軽に肩を叩き、光に向かって歩き出す。
一気に空間が広がった。円形の広場にゴツゴツとした岩は見られない。黒光りする成分で覆われていた。視線を上げると天井の一部が抜け落ち、青い空が覗いている。
降り注ぐ陽光のおかげで武器や防具は簡単に見つかった。光るところを中心に巡っていく。
最初に銀色の脛当てを見つけた。持ち上げると見た目よりも軽い。右脚の脛に当てたが一歩で抜け落ちた。
諦めて他を探すと滑らかな大地に取り込まれた短剣を目にした。柄の先端に赤い宝石が収まっている。両刃で切れ味も良さそうだ。
俺は近くに落ちていた折れた剣を大地に打ち付けた。息が上がるまで繰り返したが、表面は滑らかなままであった。
「ムリダ……」
剣を投げ捨てた俺は瞬時に後ろを振り返る。マーマンが単身、こちらに歩いてきた。開いた口から大量の涎を垂らし、徐々に速度を上げる。自らが出す音で、ここまでの接近を許してしまった。
迷っている時間はない。俺は踵を返し、全力で逃げ出す。陸上のモンスターの走力に賭けた。
壁際を選んで走る。右肩を擦っても構わない。俺は意識を左側に集中した。
視界の隅にいたマーマンが徐々に大きくなる。頭部を激しく揺らし、ガチガチと歯を鳴らす。生臭い息が頬に掛かりそうになる。
恐怖で足がもつれた。派手に転んだ俺は尻餅をついた状態で振り返る。
マーマンが目の前に立っていた。両腕を左右に伸ばし、口を大きく開けて一歩を踏み出す。
目が離せない俺は腰が抜けた状態で後ろに下がる。右の指先に硬いものが触れた。握ると手に馴染む。
マーマンが前のめりで跳んだ。俺の頭部を噛み千切ろうとした。
歯を噛み締める音が辺りに響く。マーマンは即座に左を向いた。
悔しそうに何度も歯を鳴らす。俺は短剣の尖端を相手に向けて後ずさる。
運向上のスキルと短剣特効(速)の合わせ技で致命の一撃を避けた。今は攻撃に転じようと相手の出方を窺っている。
突き出した短剣に視線を落とす。剣身は短い上に赤黒い。高温で炭化したような状態に見えた。
連撃には耐えられそうにない。狙うは一撃必殺。やり込んだ格闘ゲームを頭に思い浮かべた。
痺れを切らしたマーマンは正面から突っ込んだ。合わせるように俺も跳び出し、瞬時に上体を沈めた。頭上で歯を嚙合わせた音が鳴る。がら空きとなった脇腹を斬り付け、後ろへ走り抜けた。
速度を活かした一撃に手応えを感じた。胸躍る状態で相手を見ると震えていた。脇腹に残った細い横線を頻りに摩る。
俺と目が合った途端、頭部が不自然に揺れ始める。涎を方々に撒き散らし、野獣のような声で吼えた。
剣身は折れていないが俺は逃げた。前よりも足が軽い。足場の悪いところは一足飛びで超えた。
入ってきた通路を目前にして足を止める。怒りを露わにしたマーマンが追い掛けて来なかった。
見ると仰向けの姿で倒れていた。両手は宙を引っ掻き、力尽きたように落ちた。
俺は短剣を構えた状態でゆっくりと戻る。途中で目にした肩当てを掴み、マーマンへ投げ付けた。直撃はしなかったが腕の部分に当たった。
全く反応しなかった。小走りとなった俺は間近で見下ろす。
マーマンは顔を真横に向けていた。長い舌の先端を吐き出し、白く濁った目で降り注ぐ陽光を眺めていた。
致命傷となった脇腹の横線は赤黒い色に侵食されていた。腹部と胸の半分ほど、蝕まれていて何かしらの毒を想像させる。
武器固有の能力が備わっているのかもしれない。鑑定するスキルはないが、強敵であるマーマンを斃した事実が証明となった。
喜びが静かに全身に満ちる。抑え切れない歓喜を解き放ち、声の限りに叫んだ。
「オレガ、オウダ! ゴブリンオウダァァ!」
俺の野望は大きく膨らんだ。