10話 力が支配する世界(3)
所持スキル
パッシブスキル 『無限転生』『視力向上』『聴力向上』『運向上』
アクションスキル なし
二人の刺客を撃退したナザクは壊れた扉を見て、帰るか、と素で口にした。それは大きな独り言ではなくて俺に向けた一言に思えた。
対応に困りながらも表情を緩める。
「そ、そうですね。新手が来る前に出ましょう」
「その前に衛兵という面倒事がやってくる」
ナザクは犬歯を見せて笑うと大股で部屋を出た。置いて行かれないように小走りで付いて行く。
堅牢な石の回廊の先で軽武装した大柄な女性に呼び止められた。
「先程の音はなんだ?」
「二人組に襲われた。迎撃したので衛兵の方々に後処理を頼む」
ナザクは端的に答えた。女性は背後にいた俺に鋭い視線を向ける。
「賞品を確認した。勝者ナザクと認め、今回の件は不問とする」
「助かる」
踏ん反り返った一言で足早に通り過ぎた。俺は容姿を活かしてにこやかに頭を下げる。
女性は深い笑みで下唇を舐めた。
「……実に美味そうだ」
「し、失礼します」
身体と声が震える。大きな身震いを起こす前に急いで離れた。
仄暗い回廊に扉が連なる。耳を澄ましても室内から足音や息遣いは聞こえて来ない。それとなく小声でナザクに伝えた。
「物音がしないので不意打ちをされることはないと思います」
「そうか。それは残念だ」
ナザクは瓶の蓋を開けるような仕草を見せた。先程の部屋での蛮勇が頭を過り、思わず首を竦めて愛想笑いに徹した。
先が明るくなってきた。素足の冷たさもあって自然と速度が上がる。
光の中に入ると強い横風を受けた。寒さは全く感じない。ほぼ熱風で、それに相応しい景色が眼下に広がっていた。
茶色いブロックのような建物がぎっしりと詰め込まれ、亀裂のような細い道が方々に見られた。視線を上げていっても街並みは途切れない。パッシブスキルの『視力向上』をもってしても境界となる防壁に行き着くことはなかった。
側にいたナザクは声を張り上げた。
「どうだ。この大きさに驚いたか」
「びっくりしました。果てが見えないと言いますか、茶色い一帯はなんでしょう」
「見えるのか? あの辺りが」
ナザクは指さした。見える限界の辺りを示している。
「薄っすらと見えます。砂漠でしょうか?」
「その通りだ。耳だけではなくて目も素晴らしい。非力と侮ってすまなかった」
ナザクはしゃがんで俺の目を見つめてきた。目礼だろうか。反応に困り、小刻みに頭を下げた。
「目と耳が良いだけです。お役に立てるかどうか、まだ、わからないですし」
「大いに役立つ。お前は今日からオレと共に行動だ」
「警護を期待して、ではないですよね?」
「荒事はオレに任せろ。お前は目と耳を駆使して伝えるだけでいい」
言い終わると太腿を両手で掴まれた。軽々と肩に担いで立ち上がると、行くぞ、の声で石段を下り始めた。
あまりに高い肩車に軽く目が回った。明るい空に太陽は見られず、黒い鳥のようなものが横切った。
数段で階段が終わる。ナザクは早口で言った。
「ここから大きな通りをゆく。不穏な声や人物がいれば教えろ」
「わかりました」
騒動に備えてナザクの太い首に両脚を巻き付ける。その恩恵で身体が安定した。目や耳に意識を集中することができそうだ。
警戒心を強めるとよくわかる。周囲の視線が俺に集中した。柔らかそうな腹部や脹脛に瞬きを忘れて見つめてくる。口から溢れる涎を腕で拭う者までいた。
全くもって嬉しくない熱い視線に寒気を覚えた。そんな状態に晒されながらも役割を果たさなければいけない。有用と思われることで自分の居場所を確保しないと。
身体の震えを抑えて聞き耳を立てる。不満げな呟きや舌打ちはナザクに向けれているようだった。この場で襲う気はないらしく、ゆるゆると安堵の息を吐いた。
聞こえる範囲を意識して広げてみた。その状態を維持していると足音に気付く。一定の間隔を空けて付いてくるようだった。
そこに指示を出す声が挟まった。ナザク様という声も聞き取れた。
「どうした?」
ナザクは軽く頭を左右に振った。俺の意識が下へ向かう。
「危害を加えようとする者はいませんが、ナザクさんの護衛の方達がいるようです」
「オレは呼んでいない。どこにいる?」
「指示を出した声はあの辺りでした」
建物の間にできた小路を指さす。ナザクが瞬時に動いた。混み合った通りを走る弊害で数人が突き飛ばされた。背後の怒号を無視して更に加速。
「どっちだ!」
「左です!」
俺は上体を前に倒し、両手と両脚でナザクの首にしがみ付いた。曲がる時に足が滑る。外壁に体当たりする形でぶつかり、一部が欠けても止まらない。
前方に逃げる背中が見える。肩回りが露出した軽装で、かなりの速度だった。引き離される可能性が頭に過るとナザクが吠えた。
「イズキ、止まれ!」
その一喝が劇的に効いた。名を呼ばれた相手は緩やかに足を止めた。
追い付いたナザクも同様に立ち止まる。どちらも息切れをしていなかった。
「オレの命令を無視するつもりか」
ナザクの一言で逃走を図ったイズキが振り返った。黒目勝ちの目が潤んでいる。閉じられた唇が硬さを増し、急に後ろへ倒れた。
「どのような処分も受けます!」
「オレの命令を無視した理由を聞かせろ」
「……ナザク様の脅威を退ける為です」
「オレの力が信用できないということか」
イズキは大の字の状態で口を噤んだ。苦し気な表情は見ていて痛々しい。
そこに五人の女性が駆け込んできた。全員が速やかに仰向けの姿となった。
「我々はナザク様の護衛役です! 隊長と同じように処分してください!」
「お前ら、いい覚悟だ」
首の膨張を感じた。両肩が盛り上がって上体が不安定に揺れる。その中、握る拳が枯れ木を折るような音を立てた。
「ナ、ナザクさん!」
「急にどうした?」
「そ、その、護衛役の人達は職務に忠実なだけで、命令を無視する意図はなかったと思います」
「お前はそう思うのか」
「そ、それとナザクさんの人柄に引かれた行動なんですよ。皆さんに慕われている証拠です!」
息を吐くような音が長々と聞こえた。肥大した首や肩が元に戻る。
「自ら戦力を削いでも意味はないか。お前達、帰る用意をしろ」
「ありがとうございます。ナザク様の恩情に応えられるように今後も励んで参ります」
イズキが立ち上がるとそれに倣って全員が起き上がった。ナザクを中心に前後に分かれ、警戒を強めて歩き出した。
一波乱を無事に乗り切って安心できるはずが、逆に微かな呟きで身の危険を感じた。
「……ナザクさんだと。様だろ」
「……ふざけたヤツだ」
「……首を捩じ切りたい」
「美味しそう……」
最後の一言は本当に勘弁して欲しい。生きながらに食べられる恐怖は想像を超える。
猛獣に囲まれた小動物のように俺の身体は小刻みに震えていた。