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短編

「真実の愛を見つけた」ですって?何も知らないのですね、あなたは

作者: 流あきら

 仄暗いあかりの中に浮かぶ、瑠璃色の短剣。

 ゆらめく人影。

 そして鋭い刃が私に向かって振り下ろされる。

 

 また同じ夢だ。

 頭の別の部分では私はそう感じている。

 私は必死に声をあげ、その刃から逃れようとする。


 だが体が鉛のように重く自由がきかない。

 刃が私の胸に突き立てられ、そして――


 私は目が覚める。最近あまり寝起きがよくない。

 あのような夢を見ているというのもあるだろう。

 

 だがあんな夢を見る理由も、寝起きがよくない理由も、私にはわかっている……と思う。

 といって、夢の事も今の気持ちも、相談できるような人は私にはいない。

 父や兄に言っても、笑われるか軽くあしらわれるだけだ。


 私は侍女の手を借りて身支度を整えた。

 今日は王宮から呼び出しがあり参上せねばならない日だ。

 鏡の中の自分の顔を見る。

 金髪に碧い目、若々しい肌。

 十六年間見慣れたマチルダという女の顔があった。

 

 美しいと言ってくれる人もいる。侍女や従兄のディヴィッドなどは。

 私は少しやせすぎだと思う。

 それに鏡にうつる顔はいささか生気がない。

 ただこれは、これから起こる事を知っているせいなのかもしれない。

 私は一つため息をつくと、部屋を出て迎えの馬車に乗った。


 王宮の謁見の間。一人の男が私に向かって言った。


「キャリック公爵令嬢マチルダ、あなたとの婚約を破棄する」


 アングリア王国第二王位継承者、ジェームズ王子のその宣言を聞いても、私には何の感慨もなかった。

 ジェームズは暗愚ではないが、賢くもなく武勇もそこそこ。凡庸を絵にかいたような王子だというもっぱらの評価だ。

 

 ずいぶん前から王子が、サフォーク伯爵の長女エリザベスと恋仲であることは、宮廷の人間なら誰でも知っていた。

 もっとも純粋な恋心であるのかはわからない。財政がひっ迫している王家にとって、

伯爵の持つ鉱山、領地とそこから得られる農産物や税収は、喉から手が出る程欲しいものであったに違いない。

 

 サフォーク伯爵はここのところ、政治や経済面の業績で急激に力をつけている家だ。

 軍事面の業績が著しいランカスター公爵家とともに、最近人々の噂にのぼる事が多い。

 王家の血を引く名門とはいえ、今は没落した貧乏公爵であるキャリック家の令嬢よりは魅力的だという事だろう。


 それにエリザベスは確かに華やかな美人だと思う。私と違って。

「わかりました。私に異存はございません。短い間ですが、ご縁を結んでいただけた事を感謝致します」

 私はそっと頭を下げながら言った。ジェームズを愛していたわけではない。

 

 この時代、結婚とは政治の一環だ。

 ただ感じた衝撃は自分でも意外なほど、少なくないものだった。

 それは女としての自尊心が傷ついたせいなのか。

 それとも目の前にいる、自分勝手な男へのいらだちなのか。

 私にはわからない。


「本来であれば、使者の一報だけですますこともできたのだがな。あなたの家と王家とは浅からぬ縁があるゆえ……」

 いささか言い訳がましい言葉を王子は述べる。

「ご配慮痛み入ります」

 なるべく皮肉に聞こえないよう注意しながら私は答えた。


「わかってくれてありがたい。貴女の幸せも祈っている」

 ジェームズは少しほっとしたような口調だった。

 続く私の言葉は余計だったかもしれないと後になって思った。

 やはり私の衝撃は、何か言わずにはいられないものだったのだろう。


「ありがとうございます。エリザベス様とお幸せに」

 その瞬間王子は眉間を曇らせ、鋭い口調で言った。


「あなたには関係のない事だ、マチルダ。だが言っておく。彼女は体が弱い。つい最近まで半年あまりも領地で静養していた」


 ジェームズは言葉を続ける。


「ありえないと思うが、万が一にでも彼女を傷つけるような真似は許さない。もう下がってくれ」

 なるほど。では王子とエリザベスにまつわる、もう一つの噂について、言う必要もないだろう。

 もう関係の無い事だ。私には。

 私は再度一礼すると、部屋を出た。


 ――数日後


 私は自室の机で本を広げながら、ぼんやりとしていた。まだ16歳だというのに老婆にでもなった気分だ。

 以前はジェームズと結婚しておだやかに暮らすのだろうと思っていた。

 今は人生に何の展望もない。

 

 二年前までいた寺院では、薬草学・医術・魔術等・歴史・文学を学び、成績もよくそれなりに充実した毎日だった。

 その後寺院を出てジェームズと婚約した。当然親が決めたものだ。彼には特に良い印象も悪い印象もなかった。

 

 この国で女一人で生きていくには選択肢は多くない。貴族の家庭教師になるか、宮廷魔導師になるか、どこかの寺院に入り神に仕える巫女になるか。

 勉強は好きだったし、結婚してもずっと魔術や薬草学の研究はしていきたいとも思っていた。

 

 ただ私は、誰かを激しく愛することも、恋に落ちることも一生ないのかもしれない。

 そんな思いもわき起こる。

 恋というものは、私には物語の中だけのものだった。

 

 歴史や文学を勉強していた時も、実家に帰ってからも、それなりにそういう本は読んだ。

 伝説にある、マーシアの姫エルフレダと敵対するウェセックスの王子エグバートの非恋、主君の婚約者グラーニアを愛してしまった騎士ディルムッドの悲劇……

 といったものなどはアングリア王国で有名だ

  

 キャリック公爵家は兄が継ぐ。このまま一生公爵家のやっかいものとして過ごすのだろうか。

 もの思いにふけっていると、扉の外から侍女が私を呼ぶ声がした。

「マチルダ様、キャリック公爵様がお呼びでございます」




「マチルダ、お前にランカスター公爵から婚約の申し込みが届いている」

 部屋に入るなり、父が切り出した。

 父のキャリック公爵はいつも唐突で、説明が少ない。


「最近カレドニアとの戦いで新たに公爵位を授与された、あのランカスター公が?」

 私は少し驚いて言った。


「そうだ。ここ数年で急激に力をつけ、今やその財力と軍事力はわが国で並ぶ者がいない」

 父の言葉には言外の含みがあった。

 もはや決定事項なのだろう。

 ただ婚約破棄の件があっただけに、父も一応は私の意志を尊重している風をよそおってはいた。


 「わかりました。少しだけ考えさせてください」

 父は微妙に眉を上下させた。私はその顔を背に部屋を出た。


――二日後


 自室でくつろいでいると、来客があった。


「ディヴィッド久しぶりね」

 入ってきたのは軍服を着た、いとこのディヴィッドだった。彼は外国にあるアングリア王国の在外領事館で駐在武官を勤めた後、今は王宮の近衛隊にいるはずだ。


「マチルダ、婚約するって本当なのかい?」

 挨拶もそこそこに、彼は本題に入る。


「そうね。お受けするのも一つの手かと思っているわ」

 ディヴィッドの眉がくもる。


「そんな……確かにランカスター公は金持ちだし彼の軍は強大だ。だけどよくない噂もあるよ」

「噂ってどんな?」

「外国に通じているという噂さ。このところ急激に力を伸ばしてきたのも、外国勢力の助けがあったからと、みんな話しているよ」


「ただの噂でしょう?公爵みたいな立場にあれば、みんなから妬まれるものだわ」

「それはそうかもしれないけど……」

「すぐに結婚するわけじゃないし。その事含めて公爵がどんな人か判断するつもりよ」


 ディヴィッドが私を憎からず思っているであろう事は、以前よりなんとなく感じていた。

 彼はまた話題を変えた。


「ああ、僕がもっと地位が高くてお金があれば。一度君の父上に、君との婚約の事を話したけれど、けんもほろろだったよ」


 私は少しびっくりして言った


「そんな事が?でも悪いけど、あなたの事は弟にしか思えない。そうなる事なんて考えられないわ」


 彼は私の言葉をさえぎるように


「僕は真剣だよ。その事は覚えておいて欲しい」


 それだけ言うと、去っていった。

 ディヴィッドも悪い人間ではない。だが昔から少し思い込みの強いところがあった。


  いくら結婚は家同士のつながりといったところで、私に一言もなしに婚約の相談を父にするのはどうなんだろう。それこそ知らない仲ではあるまいし。

 さまざまな思いが交錯する中、公爵が我が家にやってくる日が来た。


「はじめまして。ランカスター公爵エドワードと申します」

 エドワードは長身の、美丈夫という言葉がぴったりな男だった。背が高くたくましい体。黒い髪に茶色の瞳。整った目鼻立ち。良く通る声と魅力的な笑顔。まだ21歳らしい。

 父も兄も使用人一同も、みな彼に好意を抱いたようだった。


「はじめまして、公爵閣下。キャリック公の娘マチルダと申します」

 公爵は優し気な目で私を見つめた。どこか懐かしい人にあったような雰囲気を醸し出しているのは、私の気のせいだろうか。


あとはお若い方同士でと、父たちがお決まりの言葉を残して退出すると、公爵と二人きりになった。

「唐突な申し出にもかかわらず、お会いいただきありがとうございます」

 穏やかな口調で語り掛ける。どうも初めて会ったような気がしない。


「あの、もしかして……以前どこかで?」

 一瞬公爵の目がキラリと光った気がした。


「ほう、それは?」

 

 思い出した。


「二年ほど前の、私の婚約お披露目の会で、お目にかかった気が致します」

 公爵の顔に、一瞬失望の影が刺したように見えた。


「ああ、確かに。いや思わぬご縁があるようで」

 公爵はさらに言葉を続ける。


「まずはマチルダ殿には私の事を知っていただきたいのです。王都の私の屋敷や、私の領地へもいらして頂き、ご判断いただければと思います」

「わかりました。そう言っていただけるとありがたいです」

 

「それで、どうでしょうか。この度の申し出については」

 公爵の声は彼に似合わず、少し緊張しているようだった。

 これも何かの縁かもしれない。王子に婚約破棄の宣言を受けてから、自分はもう結婚にも婚約にも縁がないものだと思い込んでいた。


 十六年しか生きていないが、人生なんてわからないものだ。

 それに彼にはどこか見覚えがあり、なつかしい感じがする。パーティーで会っただけでなく、

ずっと以前にどこかで会っているような……


 ただ彼の申し出を受けるにせよ、言っておくことがあった。


「公爵閣下、私は結婚しても、魔術や歴史の研究は続けたいと思っております。かまいませんでしょうか?」


 公爵は少し顔をほころばせた。


「もちろんですとも。お若いながらマチルダ殿が魔術や薬草学や歴史研究について、非凡な才をお持ちの事はうかがっております」

「わかりました。この度の婚約の申し込みお受け致します。これからはマチルダとお呼び下さい、公爵閣下」


「おお、感謝いたします。では私の事も、エドワードと呼んでください」

 こうして私は、ランカスター公爵エドワードと婚約した。

 まずは王都の公爵邸で過ごしたあと、彼の領地を見て回ることになった。

 そして、半年の婚約期間後に結婚という事になるだろう。

 もし何もなければ……




 公爵の邸宅は王都の外れにあった。敷地はキャリック家の三倍はある。

 調度品も豪華でぴかぴかに磨かれ、部屋の数は数えきれないほど。

 

 私にあてがわれたのは、日当たりの良い南側の部屋だった。

 流行の家具、机、東国の陶磁器等が飾られた上品な飾りつけだ。

「あなたに気に入ってもらえると良いのだが」

 少し心配そうなエドワードの声。

「ええ、もちろん。贅沢すぎるぐらいですわ」

 

 公爵家に仕える、侍女・家政婦・近侍たちも紹介された。

 皆、私に好意を抱いているように見えた。

 私を驚かせたのは何より、エドワードの図書室だった。


「ここは自由に使ってかまいません」


 医学・薬学・魔術・歴史・天文・地理・文学等々、小国の王立図書館並みかと思われる量の本があった。



 私達は一緒に食事をし、お茶を飲み、乗馬や音楽会に出かけ、様々な話をした。

 一緒に出掛けた夜会やサロンの会合で、私が話題に困ったり初対面の人相手に気後れしていると、さりげなく助け船を出してくれる。

 そういった細やかな気遣いがあった。


 屋敷に仕える人間たちに、さりげなくエドワードの事を聞いてみると、誰もが口をきわめてほめそやす。

 表情や口調を見る限り、必ずしもお世辞ではないようだった。

 それも理解できる。

 優しく、寛大で、器量と度量にあふれた主人。

 

 特に私には非常に気を使っていることがわかる。

 たまに国王の巡幸にお供した場合、その地方のお土産を買ってきてくれたり、

新作のドレスや宝石細工など、多くのプレゼントを貰った。

 かえってこちらが気づまりになるほどだ。

 

 あと、これは私の自惚れかもしれないが、彼は私にぞっこんであるらしい。 

 彼が私を見つめる目も態度も言葉も何か特別なものを感じる。

 女は自分に向けられる好意には敏感なものだ。

 たいして会ったこともない人間、しかも私なんかに一目ぼれという事がありうるのだろうか?


「マチルダとはずっと以前からの知り合いのような気がするんだ」

 ある時エドワードがそう言ったことがある。


「私もエドワードの事をずっと前から知っているような気がするわ」

 この言葉は必ずしも嘘ではなかった。


「案外そうかもしれないよ」

「2年前の婚約お披露目の時じゃなくて?」

「いや違う。もっと前。ずっとずっと前からさ」

 そこまで言うと彼は、急に口をつぐんだ。しばらく沈黙した後、おやすみといって部屋を出ていった。


 私は彼の言った言葉について考えていた。彼と私がずっと以前からの知り合いのはずがない。

 何か必要以上に、私に好意を示す理由があるのだろうか。

 

 その時ふと、いとこのデイヴィッドが言った事を思い出した。

 エドワード公爵は外国と通じている…… 全くあり得ない事とは言えないだろう。


 今は大小無数の国々に別れて争っていた戦乱の時代ではない。

 ただ紛争の火種は今も尽きることはない。

 現にエドワードが公爵位を授与されたのは、カレドニアとの戦いでの戦果が認められてのことだ。

 生き残るために各国は同盟を結んだり破棄したり、騎士であれば仕える主君を変えたりすることもある。


 だからといって何も証拠はない。

 ただ少し気になる点がないでもない。

 公爵はどこに行くにも、何をするにも、必ず家のものや私に報告する。

 それは何かあった時の用心のためもあるだろう。

 

 だが、週に1回くらい、どこへ行くとも言わずに出かけることがある。

 公爵も忙しい人だから当然かもしれない。

 だが……

 まぁ考えても仕方ないことだ。

 私は明日の舞踏会のドレスを選ぶため、侍女を呼んだ。


 ――翌日――


 今夜は、王妃様の遠縁に連なる伯爵令嬢の社交界デビューの日だった。当然、私とエドワードも招待を受けたというわけだ。

 宮廷の大広間で、白いドレスに羽飾りを付けた令嬢が、国王と王妃に挨拶する。

 その後は、別室には飲み物や軽食も用意され、夜遅くまで舞踏会が開かれる。

 今回は王族や貴族たちだけでなく、各国の大使も招かれた、大規模なものだった。


 どうも私達は注目の的になっているようだ。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのランカスター公爵家と、王家の血を引くキャリック公爵家とが婚姻関係を結ぶ。

 客観的に見れば皆の噂の種になるのは当然かもしれない。

 エドワードの元には、ひっきりなしに彼の知遇や好意を得ようと、様々な人が訪れていた。


 そんな中――


「マチルダ嬢、ちょっとよろしいか?」


 声をかけてきたのは、元婚約者のジェームズだった。

 私はちらりとエドワードの方を見る。彼は、どこかの大使と熱心に話し込んでいる最中だった。

 国王夫妻主催の宮廷舞踏会であり、相手が王族ともなれば、無下にもできない。

 私達はテラスで話をすることになった。


「マチルダ、私ともう一度やり直して欲しい」

 

 それほど意外とは思わなかった。こうなる可能性もあるとは思っていた。


「殿下の運命のお方は、どうなさったのですか?」

「彼女は……運命の人なんかじゃなかった。様々な男と付き合って、しかも子供までいるというではないか!」

 

 エリザベスが男癖の悪い悪女であるというのは、私も耳にしていた。領地に帰っていたのも出産のためだろう。

 もっとも、エリザベスにお熱な王子の機嫌を損ねたり、サフォーク伯を敵に回すような真似をしてまで、王子に噂を伝えるような人間はおそらくはいない。


「さようでございましたか」

「ひどいではないか。誰もかれも、僕に何にも言わない。あなたも噂は知っていたのだろう、マチルダ」

「さて、そのような事を耳にしたようなしないような。ただ申し上げたとしても、あの時の殿下はお信じにはならなかったでしょう」

 

 さすがに返す言葉がなかったのか、ジェームズ王子は押し黙った。

 少ししてから彼は言葉を続ける。


「それでどうだろう。もう一度僕と婚約してくれないか?」

「と言われましても、現在私はエドワード・ランカスター公爵と婚約中の身でありますし」

「破棄すれば問題なかろう。正直あなたがこんなにも美しい女性だとは思わなかった。僕の目が曇っていた。謝る」

 

 綺麗になったとは、ジェームズだけでなく、色々な人に言われていた。

 公爵邸で暮らすようになってから、美容にいい食べ物だの化粧品だの入浴剤だのと、何しろ公爵は金に糸目はつけない。


  しかも侍女たちがしょっちゅう髪の手入れやマッサージをしてくれる。

 確かに以前より血色もよくなり、美しくなったかもしれないとは自分でも思う。


「しかし殿下、私は……」


 ジェームズの強引さに困惑しつつも私が言葉をつづけようとした、その時――


「困りますな、殿下」


 私の背後からエドワードの声が聞こえた。

 振り向くと、私が見たこともないほど厳しい顔をしているエドワードがいた。


「ランカスター公、これは……」

「他人の婚約者を口説くとは、良いご趣味とは言えませんな」

「あなたには関係の無い事だ、公爵」

「これは異な事を。主君と寵姫を奪い合ったディルムッドの故事をなぞるおつもりですかな、殿下?」


 見えない緊張の糸が張り詰める中、もう一つの声が聞こえた。


「ランカスター公」

 国王の声だった。私とエドワード含め、周囲のものはあわてて礼をする。


「これは国王陛下。お見苦しい所をお見せいたしました」

「いやよい、公爵。それより王子が迷惑をかけた。ちと飲みすぎたのであろう。わしからも謝る。このとおりじゃ」

 私たちは再度礼をした。王子はさすがに気まずいのか押し黙ったままだった。


 ふと周囲を見渡す。広間の中のほぼ全ての視線が、私達のいる場所に集まっている。

 互いにひそひそ話をしている姿もちらほら見えた。

 この件は、明日には王都中に広まるだろう。


 帰りの馬車の中で、エドワードが言った。


「すまないマチルダ」

 私は少し驚いて言葉を返す。


「いえ、あなたは全然悪くありませんわ、エドワード」

「いや、私が目を離して君を一人にしてしまった。私のせいだ」


 しばらくの間、沈黙の時が流れた。

 エドワードは何かを決意したように言葉を発した。


「マチルダ。私は君を愛している。この二ヶ月でよくわかった。会ったばかりと言うかもしれない。でもこれだけは本当なんだ。信じてくれ」

 

 私は少し気圧されたように、「……はい」と言うのが精一杯だった。




 それから一週間ほどたったある日。

 私は朝から図書室にいた。ふと外の空気を吸いたくなり、部屋を出る。

 すると窓から、エドワードの馬車が屋敷から出ていくのが見えた。

 少し気になり、執事に聞いてみる。

「旦那様は、軍務大臣閣下からの急な呼び出しで、お出かけになられたようです」

 

 もう一度図書室に戻り、王都の地図を広げてみる。

 エドワードの馬車は通りに出てから南に向かった。その方角には王宮も軍務大臣の家もない。

 貴族の邸宅と……隣国エリン王国やウェラス王国の大使館がある。

 なぜその場所へ?どんな用があるのだろう?

 胸の奥のひそかな疑惑の炎は、いまや少しづつ大きくなりはじめていた。


 翌日、公爵邸に来訪者があった。

 婚約祝いをたずさえた、いとこのデイヴィッドだった。

 つもる話もあるだろうという公爵の配慮で、デイヴィッドと二人で話すことになった。


 二人きりになるなり、デイヴィッドは単刀直入に用件を切り出した。


「やっぱり公爵はあやしいよ、マチルダ」

 以前の私なら即座に否定しただろうが……


「人を使って、調べさせたんだが、ウェラスの大使館に入る公爵を見たというんだ」

「ディヴィッド、でもそれだけじゃ」

「まぁね。それと南東の森にある小さな神殿によく行っているらしい」

「神殿?」

「なんでも元々は、不幸な最期をとげた、エルフレダ王女とエグバート王子の霊を慰めるために作られたものだそうだよ」


 そのようなものがあることは知っていた。だがそれが王都の南東の森にあったとは初耳だった。

 寺院や神殿は数ある中、なぜ公爵がそのような場所に?


「ねぇ、マチルダ。行ってみないか?その神殿へ」

「そうね……それも一つの手かもしれないわね」

「君も何かおかしいと感じているんだろう?」

「あの人たまに、どこかへお出かけですか?と聞いてもちょっと要領を得ないことがあるの」

「それは正直に答えるはずもないさ」

 

 このような経緯で、三日後に私の実家で落ち合い、神殿に行ってみることにした。

 実際行っても何もないかもしれない。だがもしかしたらこの胸のもやもやが少し晴れるかもしれない。

 それに、ディヴィッドが一緒に行ってくれるなら安心だ。

 その時の私はそう考えていた。


 そしてその日が来た。


「ではいっておいで、マチルダ」

「ええ、夜までには帰って来ますね」


 エドワードには、実家で親戚の集まりがあると話していた。

 これは必ずしも嘘ではない。女同士の集まりだというと、同行しようとは言ってこなかった。

 彼の眼には若干疑惑の光がちらついているようにも感じた。

 ただ、これはエドワードに嘘をつくことに引け目を感じている私の思い込みであったかもしれない。

 私は実家からの迎えの馬車に乗り、エドワードの邸宅を出発し、実家に向かう。


 デイヴィッドも来ていたが、親戚の女同士の集まりというのは嘘ではない。

 興味深々な彼女たちの詮索をうまくかわしたり、謙遜したりしながらやり過ごすのも、なかなか骨が折れる仕事だった。

 父も兄も、元気でやっているというと、特に何も言わなかった。彼らにとっては結婚までは既定路線なのだろう。

 

 そして昼過ぎに、デイヴィッドに馬車で送ってもらうといって実家を出た。

 その神殿は、馬車で小一時間ほどかかる森の中にあった。

 神殿というのか祠というのか、かなり小規模な建物だった。私たちの他には誰もいない。

  

 神殿の扉は開いていた。

 私たちはその中に入る。

 祭壇や燭台や女神像があり、特に何も変わったところがない。

 こんなところに何故エドワードは来ているのだろう?

 秘密の会合といったところで、この小さな神殿にはそんな場所もない。


「何もないわね。こういった昔のものに興味があるのかしら?またエドワードに聞いてみるわ」

 私はデイヴィッドに向かって言った。

 すると彼は、今まで見たことのない表情をしていた。


「マチルダ。やっぱりこんな結婚は君には向いてないよ」


 私は驚いて言った。


「何をいうの?私はエドワード公爵の事を好きだし、尊敬しているわ」

「いや、君が彼を愛しているとは思えないね」


 デイヴィッドは矢継ぎ早に言葉を続ける


「大体、夫婦になる間柄に、余計な隠し事なんておかしいよ」

「それは誰だって個人的な事情というものが……」


 デイヴィッドは今や、私の言葉を聞いていなかった。


「マチルダ、僕は君を愛している。僕なら君を幸せにできる」

「ディヴィッド、私はあなたのことは、弟にしか思えないわ」


「君はいつも優しかった。君だって僕を憎からず思っていると信じていたよ」

「ねぇ落ち着いて、デイヴィッド。私は一度だって、あなたに希望を持たせるような事はしなかったつもりよ」

「こんな国は出よう、マチルダ。ここでは君は不幸になるばかりだ」


 全く話がかみ合わない。とにかくディヴィッドが激昂して、思わぬ事態になることは避けなければならない。 

 だがあることに気づいてぞっとした。私がここにいることは、他に誰も知らない。

 何かあっても、誰かが駆けつける事もない。

 私はなるべくディヴィッドを刺激しないように、穏やかな口調で語り掛ける。


「ディヴィッド、あなたの気持ちはわかったわ。でも私はそれに応える事ができない。もしあなたに希望を持たせてしまったのなら謝るわ」

「なぜだ、マチルダ?君だって僕に好意をもっていたはずだ。だから付いてきたんだろう?」

「違うわ!だってそれはエドワードがここに来てるっていうから……」


 しばらくおそろしい沈黙の時が流れた。それを押し破ったのはディヴィッドだった。


「そうか。なるべく手荒な事はしたくなかったんだがな」

 何かを決意したような声だった。


「しばらく一緒に過ごせば君の気持も変わるだろう」

 彼の手には護身用の短剣が握られていた。最初は単に私を脅すつもりだったのだろう。

 だが鋭い拒否の悲鳴と叫び声を上げた私の様子を見るなり、彼は唇をかみしめ、顔をゆがめた。

 そして彼は握った短剣を振りかぶった。

 神殿の中に差し込む、落日の最後の陽光が刃に当たりきらめく。


 これは夢だ。

 恐怖に金縛りにあったような状態で私は思った。

 そうだ、最近までずっとみていた夢だ。あれは予知夢だったのだろうか?

 

 いや、こんな事があった。ずっとずっと以前に。

 次の瞬間、雷に打たれたように、全ての記憶が蘇っていた。

 そうだ、私はこの世界に生まれ変わったのだ。わたしは――


 まるで時間がゆっくり流れているような錯覚に、私はおちいっていた。

 だがディヴィッドが短剣を手にしてから一瞬であったに違いない。

 鋭い金属音が鳴り響き、彼の短剣は床に転がっていた。

 なだれ込む衛兵。私の名を呼ぶ声。誰よりも愛しい人の声。

 エドワード……いや違う。


「エグバート!」

 彼は私を見つめ、嬉しそうに微笑んだ。


「やっと、思い出してくれたんだね、エルフレダ」


「私が前世の記憶を思い出したのは五年前だ」


 エグバート=エドワードが話し始めた。衛兵たちは部屋を出て、神殿の周囲を守っている。


「君もこの同じ国にいるだろうと信じていた。そして君らしき人がいないか探し続けた。だが二年前、君を見つけた時は既に、王子の婚約者になった後だった。私がどんなに絶望したかわかるだろう?君が幸せになるならと自分を慰めるしかなかった。ただ婚約の結果があのようになったのは幸運だったがね」

 

 私は彼の言葉を聞きながら、今までの疑問を口にした。


「あなたが敵国に通じているというのは、ディヴィッドの嘘だったのね?」

「敵国に通じていたのは、ディヴィッドさ。どうも軍の機密情報が洩れているらしいので調査の結果浮かび上がったのが彼だ」


 エグバート=エドワードは言葉を続ける。


「駐在武官時代につながりができたらしい。彼には常に監視がついていた」

「そう、それでこの場所がわかったの。あなたがよくここに来ていたのは本当だったのね」

「何とか君の記憶を取り戻す方法がないかとね。この近くの大使館にも出入りはしていたが、これは秘密の交渉のためでね。国王陛下もご存じの事だ」


「そうだったの」

「ディヴィッドがあそこまでするとは思わず、君を危険な目に合わせてしまってすまなかった」


 そして彼は私の肩をそっと抱きながら言った。


「ここに手をかざしてごらん」


 私は彼と一緒にその箱に手をかざす。カチりと鍵があく音がした。


 彼がその宝箱を開けると、中には瑠璃色の光を放つ短剣があった。

 五百年前、私たちは古の転生の秘術を使い、神々の力を秘めた短剣を、互いの体に振り下ろした。そして今のこの国に生まれ変わったのだ。

 二度と敵同士に生まれ、悲しい思いをしないように。

 

神々との誓約(ゲッシュ)で、たとえ君が前世の記憶を取り戻してなくても、僕からは言えなかったからね」

「ごめんなさい、エグバート。あなたに不安な思いをさせて」

「いや、許さないよエルフレダ」


 彼は愛おし気な笑みを浮かべて言った。


「もう一生離さないからね」


 私たちは長い長い口づけをした。

 瑠璃色の短剣から放たれる優しく青い光は、今や部屋中を包み込み、私たちの未来を祝福しているかのようだった。

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