暖かな時間
再び穏やかな日々が、アイシュエット家の領地に戻ってきていた。
結婚式の準備は、着々と進められていく。
大広間には、領地の職人たちが丹精込めて織り上げた装飾が施され、毛織物工房では、レティシアのための純白のドレスが、一針一針心を込めて仕立てられていた。
「若奥様のお顔が、柔らかくなりましたね」
エマが、朝の支度を手伝いながらレティシアに語りかける。
「本当に、ここに来て良かった」
窓の外では早朝の陽光が降り注ぎ、露に濡れた庭が輝いていた。
鉱山からの活気ある声が聞こえ、畑からは豊かな実りの香りが漂ってくる。
「エマ」
レティシアは、幼い頃から自分を支え続けてくれた侍女に向きなおり、手を取る。
「ありがとう。あなたが、ずっと私の傍にいてくれたから」
「若奥様...」
エマの目に、涙が光る。
その時、扉が静かにノックされた。
「レティシア」
エリアスの声だった。
「少し、時間をもらえるか」
エマは「失礼いたします」と一礼し、静かに部屋を出ていく。
その背中には、主への深い愛情が滲んでいた。
エリアスが入ってくると、朝の柔らかな陽射しが彼の姿を包み込んだ。
彼の手には、一つの箱が握られていた。
「これを」
開かれた箱の中には、一本の簪。
アイシュエット家に代々伝わる、氷の結晶のような美しい装身具だった。
「母上から預かった。代々、この家の当主の妻が身につけてきたものだそうだ」
レティシアは、その簪に静かに手を伸ばす。
寒冷の地で生まれた結晶のように、凛として、しかし儚げな輝きを放っている。
「エリアス」
「ああ」
二人の指が、そっと重なる。
「本当の意味で、夫婦になるんだな」
エリアスの声には、新しい感情が混じっていた。
それは、彼女を受け入れることを頑なに拒んでいた頃からは、想像もできないような柔らかさだった。
「そうね」
レティシアは、窓の外を見やる。領地には、確かな実りが広がっている。
それは神の祝福だけでなく、二人で築き上げてきた信頼の証でもあった。
「レティシア」
エリアスが、彼女の名を呼ぶ。その声には、もう迷いはない。
「俺は...君と出会えて」
「分かってるわ」
レティシアは柔らかく微笑んだ。言葉にしなくても、二人の心は既に通じ合っていた。
部屋の中に、朝の光が満ちていく。
その温かさは、まるで二人の新しい人生を祝福するかのようだった。
窓辺に立つ二人の影が、一つに重なっていく。
それは、もう二度と離れることのない、確かな絆の象徴だった。




