温かな朝食
七年前、まだ幼かったレティシアがフェリエ王国に来たときから、エマは彼女に仕えてきた。その間、周りの侍女たちは次々と王太子の取り巻きたちに引き抜かれていった。
「もう少しお休みになられては?」
「いいえ、これを見て」
レティシアは一枚の文書を取り出した。北部の農村からの請願書だった。
凶作に苦しむ農民たちからの切実な訴えが、びっしりと書き連ねられている。
「彼らは私たちの対応を待っているの。休んでる場合じゃないわ」
その言葉には強い使命感が込められていた。エマには分かっていた。
レティシアは決して自分の立場や名誉のために働いているわけではない。彼女は本気で、この国とその民のことを考えているのだ。
「では、せめて朝食だけでもゆっくりと」
エマは温かい紅茶とスープを用意した。パンも焼きたてを持ってきている。
他の使用人たちは誰一人として動き出していない時間帯だが、エマだけは毎朝こうしてレティシアの世話を焼いていた。
「エマ...」
レティシアの声が少し柔らかくなる。
「ありがとう」
その一言に、どれほどの感謝の気持ちが込められているか。エマには分かっていた。
この宮廷で、レティシアには誰一人として味方がいない。
ただエマだけが、彼女の傍らに寄り添い続けてきた。
「いいえ、当然のことです」
エマは丁寧にカーテンを開け、朝の光を部屋に入れていく。まだ宮廷は静まり返っている。王太子は昨夜も派手なパーティーを開いていたらしく、今頃はぐっすりと眠っているに違いない。
「今夜の宮廷パーティーですが...」
予定を確認しながら、エマの声が僅かに震えた。今夜のパーティー。それは単なる社交の場ではないことを、彼女は薄々感じ取っていた。
普段ならパーティーに呼ばれることのないレティシアに、必ず参加するよう声がかかっている。
「大丈夫よ」
レティシアは窓の外を見つめながら答えた。そこには、いつもの冷静さが漂っている。しかし、エマにはその表情の奥に、深い疲労と諦めのようなものが見えた気がした。
七年間の孤独な宮廷生活。エマには分かっていた。レティシアがどれほど孤独な戦いを強いられてきたか。王太子の仕事を肩代わりし、その実績を横取りされ、それでも決して不平を漏らさない彼女の姿を、ずっと見てきた。
(お嬢様の本当の幸せは、きっとこんな場所にはない)
エマはそう確信していた。だからこそ、今夜起こるであろう出来事を、彼女は密かに期待してもいた。それが、レティシアを解放する契機になるかもしれないと。
「エマ」
「はい」
「あなたがいてくれて、本当に良かった」
その言葉に、エマは思わず目を潤ませた。七年という歳月。それは決して短くはなかった。しかし、その間エマは一度も、レティシアの傍を離れようとは思わなかった。
「私こそ、お嬢様にお仕えできて幸せです」
朝日が少しずつ昇り始め、新しい一日の始まりを告げていた。
今日もまた、レティシアは膨大な仕事をこなしていくのだろう。そして、エマはいつものように、その傍らで彼女を支え続けるのだ。
しかし、この日常も、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。
それを、二人はまだ知る由もなかった。