書籍発売記念SS◆結婚式と、甘い甘い夜(後編)
「喜んでもらえたのなら嬉しい。悩みに悩んで選んだ甲斐があったというものだ」
ロイド様のそんな言葉に、ますます喜びが増す。
(忙しい毎日の中で、私を喜ばせようとそんなにも考えてくださっていただなんて……)
込み上げる愛おしさを抑えきれず、じっと彼を見つめる。するとふいにロイド様が私の手から懐中時計の箱を取り、目の前のローテーブルの上に置く。そしてそのまま私の手を取り、立ち上がった。
(────っ!!?)
そ、そうだ。ここは夫婦の寝室。
私たちは今から初めて、一緒にベッドに入るんだっけ。
幸せに浸りうっとりしていた私は、突如我に返った。するとまた体が石像と化し、動きが不自然になる。
私はロイド様からすっと目を逸らすと唇を引き結び、宙を見つめたまま立ち上がった。ロイド様が小さく苦笑する。
「緊張しているのか」
「も、もちろんです……。すっごくドキドキしてます」
「ふ……、そうか。私もだ」
「え……っ、ロイド様も、ですか?」
意外な一言に、思わず聞き返す。露骨に動揺しまくる私に比べると、ロイド様はとても落ち着いていて、緊張しているようには見えない。
けれど彼は困ったように少し目を伏せ、呟いた。
「当然だ。初めて君に触れるんだぞ。緊張しないわけがない」
ロイド様は、そのまま前触れもなく身を屈める。
そして私の膝の裏に腕を差し入れ、軽々と私の体を抱き上げた。
「きゃ……っ!」
ふわりと宙に浮く感覚と、突然目の前に迫った美麗なお顔に、心臓が大きく跳ねる。ロイド様はそのままゆっくりと歩き、真っ白なシーツのかかったキングサイズのベッドの上に、私の体をゆっくりと降ろした。
「……っ」
覆いかぶさるように真上から私を見下ろすロイド様の、真っ青な美しい瞳。静かなオレンジ色の灯りに揺らめくその瞳に、見たことのない切実な熱を感じた。
私の両横に彼の腕が添えられ、まるで守られ、閉じ込められているみたいだ。ロイド様は掠れた声で囁く。
「自分から女性に触れるのは、君が初めてだ。触れたいと思ったのも」
(……ロイド様……)
その言葉がたまらなく嬉しくて、震えるほどの緊張を押し殺しながら、私も素直な気持ちを口にする。
「……私もです、ロイド様。こんな風に触れ合いたいと思うのは、あなただけです」
初めての夜に体は強張り、少し怖さも感じているけれど。
それでも私は、今こうして彼と二人きりのベッドの上から、逃げ出したいとは思わない。
もどかしかった距離が、糸を手繰り寄せるようにゆっくりと縮まっていく。
「……人を好きになるって、不思議ですね。視界に入るだけで幸せで、そばにいたくてたまらなくて。心も体も相手を求めて、もっともっと近くにと望んでしまう……。隣にいるだけじゃ足りないから、人は恋をするとこうして肌を合わせるのでしょうか」
「……っ、ミシェル……」
「私も今からロイド様と、一つになれるんですね。……嬉しいです、とても」
「……君は……っ!」
ふいにロイド様の肩が、びくりと震えた。そして瞳の中の光が揺れ、彼は言葉もなく口を開いたまま、固まった。そしてそのまま、唇を噛み締める。
「この状況でそんな殺し文句を言われたら、もう何も考えられなくなる……。いつの間に君は、そんな色っぽい言葉を覚えたんだ」
「……? どの言葉ですか?」
「……まったく……」
ロイド様はなぜだかふいに悩ましげな表情になり、私の首すじに顔を埋め深く息をついた。
熱い吐息混じりの囁きが、私の耳元から聞こえた。
「……君も望んでくれるというのなら……もう遠慮はしない。ミシェル、今夜私に、君の全てを教えてくれ。そして……君にも私の全てを知ってほしい」
「……はい、ロイド様……」
まるで優しい魔法のように耳朶に響くその言葉に、私は自然と瞳を閉じ、そう答えていた。
ロイド様の指先が、私の頬を、鎖骨を、丁寧に辿る。
ふいに重ねられた唇の温もりに、胸が甘く疼いた。
何度も角度を変えながら繰り返される口づけの合間に、彼の長い指が私の胸元のリボンを、音もなくほどいていく。
触れ合った唇から伝わる熱に、全身がしっとりと汗ばむ。
その夜、私はロイド様と一つになり、生まれて初めての喜びを知った。互いの名を呼ぶ声さえも夜の空気に溶けていくような、濃密で甘やかな夜だった────。
◇ ◇ ◇
頬に触れた暖かな光に、瞼がかすかに震える。
可愛らしい小鳥の囀りが耳に届き、徐々に意識が覚醒していく。
(……なんだか……くすぐったいな……)
小鳥が髪の毛を啄んでいるのかしら。まだ半分夢の中にいる私は、ぼんやりとした頭でそんなことを考えながら息を吸い込む。
……温かい。一晩中馴染んだ、大好きな人の温もりと匂い。
昨夜の熱を思い出しながら、私はゆっくりと瞼を開けた。
すると。
「──ひゃあっっ!!」
目の前には、恐ろしく整った美青年の顔。……ロイド様が唇の端を上げ、私のことを至近距離から見つめていた。思わず変な叫び声を上げてしまう。
「そんなに驚かなくても。昨夜眠った時の体勢のままなのだが。おはよう、ミシェル」
ロイド様は私の髪を一房指に絡めクスクスと笑っている。……くすぐったかったのはこれか。
「おっ……、おはようございます、ロイドさま……」
(……裸だ……)
頬杖をついて愛おしげにこちらを見つめているロイド様も、そして私も……、昨夜深く愛し合い、そして抱き合って眠ったままの姿で。
いろいろなシーンが次々に脳内によみがえり、私の顔は一気に熱くなった。
「……なぜ顔を隠す」
ロイド様の胸に押し付けるようにして顔を伏せた私の頭上に、彼の不思議そうな声が降りてくる。
「は……恥ずかしくて」
「……可愛い」
熱い頬を両手で覆い小さな声で答えると、ロイド様は低く笑いながら私をそっと抱きしめた。
「こんなにも満ち足りた気持ちで目覚めたのは初めてだ。昨夜はどうしようもなく幸せだった。……もうミシェルなしでは眠れなくなりそうだ。改めて、君は私にとって格別の存在なのだと思い知ったよ」
まるで自分に言い聞かせるかのようにそんなことを呟きながら、ロイド様は私の頭に何度も唇を押し当てる。そしてうっとりするほど優しい手つきで髪を撫でながら、私に問いかけた。
「痛みはないか? ミシェル」
「す、少し。でも大丈夫です」
その言葉に、また昨夜の時間を思い出して耳が熱くなる。何度もロイド様を受け入れた体の奥には、じんわりと鈍い痛みが残っている。私たちが結ばれた証なのだと思うと、それさえも喜びでしかなかった。
(本当に夫婦になったんだなぁ、私たち……)
改めてそう思い、私はロイド様の腕の中で、これから先の日々に思いを馳せる。皆に祝福され、結婚式を挙げた私たち。ついにこうして身も心も結ばれ、今日からはハリントン公爵夫妻として過ごしていくのだ。そして……。
「本当に大丈夫なんだな? 無理はしないでくれ。今日はこのまま、部屋でゆっくり休んでいるといい。……ミシェル、そろそろ顔を上げてくれるか。君の顔が見たいのだが」
優しい彼の声を聞きながら、様々な想像を膨らませていた私の胸の奥に、幸せがふんわりと広がっていく。私は顔を上げ、彼を見つめた。
「……ロイド様によく似た赤ちゃんが欲しいです。可愛いだろうなぁ。ふふ」
思わずそう口にすると、ロイド様が固まった。
「……突然何を言い出すかと思えば。子どものことを考えていたのか?」
「ええ。こうして夫婦になったのですから、きっとそのうちロイド様の赤ちゃんができますよね」
「それは……まぁ、そうだな」
「これからは毎晩一緒に眠るのですから」
「…………ああ」
どうしたのだろう。今度はなぜだかロイド様が目を逸らした。……耳朶が少し赤い。
「……私、変なことを言ってしまいましたか?」
不安になりそう尋ねると、ロイド様はますます強く私を抱きしめた。
「いいや。全く。ただ、素直な君が可愛くてたまらなくなっただけだ。…………毎晩、あんな夜を過ごしてもいいのか」
「え?」
彼が最後にぼそりと言った言葉がよく聞き取れずに問い返すと、ロイド様は私の額にキスをした。
「何でもない。……幸せだよ、ミシェル。このままもう一度お休み」
低く甘いその声はまるで魔法のように、私の瞼を重くしていく。……睡眠時間は全然足りていないのだから、仕方ない。こんな風に甘やかされてしまったら……意識も遠くなってしまうというもの。
こんな風に朝を迎えるたびに、私はもっともっと、この人のことを好きになっていくのだろう。
朝の光の中、幸せを噛み締めまどろみながら、私は彼に囁いた。
「私もです、ロイド様。ずっと幸せな夫婦でいましょうね────」
───── end ─────
この作品を読んでくださった皆様に、心からの感謝を込めて……♡
ありがとうございました(*^^*)