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【書籍発売中】姿を偽っていた令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです  作者: 鳴宮野々花@書籍4作品発売中


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書籍発売記念SS◆その美女の正体は

 その人は、前触れもなく現れた。


 ある日の午後。ロイド様との昼食を終えた私は、庭園に向かおうと廊下を歩いていた。すると玄関ホールの前を通りがかった時に、タイミングよく玄関扉が開く。私は何気なくそちらに視線を向けた。表の掃除を終えた使用人か誰かが入ってきたのだろうと思ったのだ。けれど。

 そこに現れた人の姿を目にした瞬間、体がぴたりと固まった。


(えっ……?)


 視界に飛び込んできたのは、すらりと背の高い、すごい美人だったのだ。

 肩に流れる漆黒の長い髪は、外の陽光を受けて艶やかに揺らめいている。

 息を呑むほどに整ったその顔立ちは凄みを帯びていて、妖艶な紫色の瞳と目が合った瞬間、心臓が大きく音を立てた。

 何より目を引いたのは、彼女のその装いだった。

 明るい色合いの布を幾重にもまとったそれは外套のようでもあり、異国の民族衣装のようでもある。見たことのない不思議な衣装だ。裾を緩やかに揺らしながら、その人は私のそばへと歩み寄ってきた。


「ごきげんよう。あなたがロイドの婚約者かしら?」


 しっとりと低く響くその声は、まるで揺らめく蝋燭の影のように色っぽい。蠱惑的な笑みを向けられた私は、彼女を見上げますます硬直した。


(こっ……この美しすぎる人は、一体誰なのっ……!?)


 動揺のあまりみっともなく唇をあわわと震わせていると、奥から家令が現れた。


「なんと、これはレネ様……! お久しゅうございます」

「ふふ、お久しぶりね。ごめんなさいね、先触れも出さずに来てしまって。ロイドはいるのかしら? お仕事?」


 美女は親しげに家令と会話を交わし、「執務室にいらっしゃいます」との返事を聞くとそのままスタスタと階段を上がっていってしまった。家令は慌てたようにその後を追う。ロイド様に取り次ぐつもりだろう。

 玄関ホールに一人取り残された私は、ただ呆然と彼らの後ろ姿を見送っていた。


(……どっ……どうしよう。どうしよう……。わ、私もご挨拶に行くべき、なのかしら。こういう時って、婚約者としてどうするのが正しいんだっけ……? 先に一言ご挨拶を……、ううん。ここはロイド様に呼ばれるまで待つべきかしら……)


 突然現れた見知らぬ美女の存在と自分の正しい対応について頭をぐるぐると悩ませながら、私はおそるおそるロイド様の執務室の前まで歩いていく。ロイド様にあんな美しいご友人がいらっしゃるなんて、知らなかった。お名前を呼び捨てにしていたし、すごく親しい雰囲気だったけれど、私たちの婚約披露パーティーにはいらっしゃっていなかった。気になって仕方がない。


「…………っ」


 扉の前で息を潜め、室内の様子をうかがう。悪いことをしているようで気が咎めるけれど、好奇心と妙な不安に勝てない。

 するとすぐに、さっきの女性と思われる人の明るい笑い声が室内から聞こえてきた。鈴を振ったような楽しげな声に、ロイド様の声が重なる。


「全く……連絡くらいしろ。驚くなんてものじゃないぞ、こっちは」

「ふふふふ。でも会えて嬉しいでしょ?」


 ……親しいご関係なのは察していたけれど、どうやら予想以上のようだ。漏れ聞こえてくる弾んだ会話に、言いようのない不安が押し寄せる。あのロイド様に、あんな美しい女性のご友人がいたなんて。全然知らなかった。

 その場を離れられず、私は固唾を呑みながら会話の続きを聞いてしまう。


「まぁな。だが一瞬、本気で誰だか分からなかったぞ」

「そりゃあ数年ぶりよ。あたしだって成長するわよ。そのための世界旅行なんだから」

「ふ……。今回は本当に驚いた」

「ますます綺麗になったでしょ?」

「ああ」

「うっふふふ、嬉しーい」


(────っ!)


 その言葉が耳に届いた途端、心臓が痛いほど脈打ち、目の前が真っ暗になった。動悸が激しくなり、指先が冷えていく。

 あの女性嫌いのロイド様が。

 どんなに素敵な女性を前にしても、わずかばかりも興味を示さない、あのロイド様が。

 私以外の女性には、常に固い空気をまとって嫌々接するあの方が……。


(……き、綺麗って、言った……)


 いや、言ってはいない。言ってはいないけれど。

 よろめきながら、私は呆然とその場を離れた。そしてふらふらと自分の部屋に戻り、後ろ手に扉を閉める。

 すると、戻ってきた私の存在に気付いたアマンダさんが、ヒュッと息を呑みこちらに駆け寄ってきた。


「どっ! どうしたんですか!? ミシェル様! お顔が真っ白ですよ!? 具合でも……? とにかく、こちらにおかけになって!」


 私の体を引きずるようにして、アマンダさんがソファーまで誘導してくれる。私は彼女の腕に縋りつくようにしてもたれかかりながら、ほとんど無意識に問いかけた。


「ア……アマンダ、さん……。ロイド様が……ロイド様に……」


 私を座らせたアマンダさんが、怪訝そうな顔をする。


「え? 何ですって? 落ち着いてください、ミシェル様。旦那様がどうなさったんです?」

「……ごっ……、ご存じですか? アマンダさんは……。その、ロ、ロイド様に、すごく綺麗な、本当に綺麗な……女性のご友人がいらっしゃることを……」

「……え?」


 その後、アマンダさんから果実水を受け取り一息に喉に流し込んだ私は、彼女の手を握りしめたまま先ほどの出来事を説明した。


「えぇ……? 本当ですか? それ」

「ほっ! 本当ですよアマンダさんっ!! 家令も知っている人でした! い、今も二人は、ロイド様の執務室に……!」

「うーん……。異国風の背の高い美女かぁ……。私は一度も見たことないですね。その会話のご様子だと、長らく世界を旅していらっしゃった方でしょうか。なんだか信じられませんわ。あの旦那様にそんな親しい女性がいらっしゃるなんて」


 どうやらアマンダさんも知らない人らしい。ますます不安が募る。一体いつからのご友人なのだろう。ど、どんなご関係の……?


(……私だけが、ロイド様にとって特別なのだと思ってた。ロイド様もそうおっしゃってくれていたし……。あの方に優しく見つめられる女性は、この世で私一人なのだと……)


 そう思い込んでいたけれど、もしかしたら、違うのかもしれない。だってあんなに美しい人が、あんなに近い距離感でいらっしゃるんだもの。

 私は以前にも、ロイド様の言葉を大きく勘違いして受け取ったことがあった。彼からの求婚を、ただの雇用主としての温情のように解釈してしまっていた。

 もしかしたら……私また間違ってる?

 ロイド様の言う「特別」にも、いろいろな種類があったりして……。

 アマンダさんの励ましの声が遠くに聞こえる。ミシェル様! ……ミシェルさん? んもう、しっかりして! などの言葉が耳を通り過ぎていく中、私はまたも頭をぐるぐると回転させながら、彼女の腕にしがみついていた。

 その時だった。

 家令が私の部屋の扉を開けた。


「失礼いたします、ミシェル様。旦那様がお呼びでございます」

「ひぃっ!!」


 まるで死刑執行の順番がまわってきた罪人のような悲鳴を上げてしまった。そんな人の心境は知らないんだけど。


「ほら、ミシェルさん! じゃなかった、ミシェル様! 早く行ってください! お客様がどういったご関係の方なのか、旦那様の口から直接聞けば安心できるでしょう!?」


 アマンダさんが私の腕を引っ張り、強引に立ち上がらせる。そしてあわあわしている私の髪を手早く整え、ついでに口紅も塗り直してくれた。


「で……でもアマンダさん……っ。もしも、なんていうか、と、特別なご関係の方だったら……?」


 美女のインパクトが強すぎたせいで、私の脳内にはよからぬ妄想ばかりが繰り広げられていた。美女の腰を抱き、入室した私に微笑みかけてくるロイド様……。


『来たか、ミシェル。紹介しよう。これは私のもう一人の特別な女性、レネだ』

『うっふふふ。随分と可愛らしい子を正妻に選んだのね〜ロイドったら』


「あ……あぁぁ……」

「何を想像なさってるか知りませんが、たぶんミシェル様の取り越し苦労なのは間違いございませんっ。ほら、しゃきっとして、ちゃんとご挨拶なさってくださいよっ!」


 気付けば私はアマンダさんに背中を押されながら、執務室へと向かい廊下を歩いていた。心臓がバクバクする。どうしよう……二人が抱き合っていたら……!

 覚悟を決めるより先に、ロイド様の執務室の前に着いてしまった。

 

「失礼いたします、旦那様。ミシェル様をお連れいたしました」


 心の準備をする間もなく、アマンダさんが執務室の中にそう声をかけるとすぐさま扉を開け、私を押し込んだ。


「……っ、し……失礼いたします」


 視界に飛び込んできた二人の姿に、少しホッとする。ローテーブルを挟み、向かい合って腰かけていたからだ。抱き合ってはいなかった。

 ロイド様がいつものように私に優しく微笑みかけると、そばへ来いとばかりに手招きする。


「来たか、ミシェル。こちらへ。……紹介しよう、この……」


 ロイド様がそう言いかけた時、向かいのソファーから美女が立ち上がった。そしてこちらを向き片目をつぶると、艶っぽい低音で挨拶をはじめた。


「ふふ、さっき会ったわね。改めまして、ごきげんようロイドの婚約者さん。あたしはレネ・ベルモン。ベルモン侯爵家の三男、放蕩息子よ。よろしくねっ」

「……。……んっ!!?」


(さ……三男? 息子……っ!?)


 予想もしていなかったその自己紹介に、私の体と脳はフリーズした。この人……男の人なの!? う、嘘でしょう……!?

 どこからどう見ても超絶美女の彼は、小首を傾げて妖艶に微笑みかけてくる。そんな彼を尻目に、ロイド様は淡々と語る。


「こうして会うのはおよそ五年ぶりなんだ。こいつは私の学生時代の友人でな、会うたびにどんどん容姿や雰囲気が変わるから、私も一瞬誰だか分からなかった。特に今回は激変している」

「……そ……っ、そう、なの、です、ね……。あ、改めまして、ミシェルと申します……。どうぞよろしく、お願いいたします……」


(よ……よかったぁ……! 男の人だったのね……!)

 

 正直、今にも腰が抜けてへたり込んでしまいそうだった。安心して特大のため息をつきたいのをどうにか堪える。別の意味での特別な女性さ、なんて紹介されたら、私たぶん立ち直れなかったわ……。

 私が泣きそうになるほど安堵していることなど気付いていないロイド様は楽しそうに彼の紹介を続ける。


「レネは変わり者だがこう見えて頭は切れるし、学問も芸術方面でもずば抜けて優秀なんだ。特に絵画や音楽にかけては天才肌だ。今は芸術家として世界を放浪している。型破りだが、非常に有能な男だよ」

「さ、さようでございますか……。素敵ですね……」


 立ち尽くしたままどうにかそう答えると、レネ様がンフフと鼻にかかった蠱惑的な声で笑い、私のそばへと寄ってくる。そして身をかがめ、私に顔を近付けた。


「っ!?」

「その様子だとあなた、あたしのことをロイドと特別な関係にある女とでも、勘違いしてたんじゃなくて?」

「……っ! そっ、そのような、ことは、はい」


 途端に頬が熱を持つ。しどろもどろになりながら答えると、レネ様は嬉しそうに体をくねらせた。


「んもーやだぁ。可愛らしいわねぇ、あなた。ミシェルちゃんっていうのね? 覚えておくわ。今後ともよろしくね」


 色っぽい低音でそう言うと、彼は指先で私の頬をちょんちょんとつついた。

 その時だった。


「レネ!! 何をしている!! 私のミシェルに勝手に触れるな!!」


 心臓がひっくり返るほど大きな声を上げたロイド様が立ち上がり、猛烈な勢いで私たちのそばへとやって来た。そして乱暴な仕草でレネ様を押し退けると、私を胸の中へしっかりと抱き寄せる。


(──っ!!)


 心臓が再び大きく音を立てた。レネ様は大してよろめきもせず、楽しそうな声を上げる。


「まぁ〜何よムキになっちゃって、ロイドったら。あんたでもそんなに取り乱すことあるのねぇ。ふふ」

「お前の振る舞いが軽率すぎるんだ。この私の婚約者だぞ。今度触れれば屋敷から追い出す」


 低く唸るような声で言い放ちながら、ロイド様は私をより強く抱きしめる。その強引な仕草に、ますます頬が熱くなった。


「ミシェルは私にとってこの世で唯一の、特別な存在なんだ。たとえ相手がお前であっても、誰にも指一本触れさせたくはない」

「……っ」


 ロイド様のその言葉に、喜びで胸が甘く締め付けられるようだった。痺れるほどの熱が体中を巡る。

 レネ様はそんな私たちを見て肩をすくめ笑みを浮かべた。


「はいはい。分かったわよ。あの堅物のロイドがこんな風になるなんて。大切にしてるのねぇ。……ま、安心したわ」


 そう言うと、レネ様はロイド様の腕の隙間から覗く私の顔を見て微笑んだ。


「ミシェルちゃん、すごいわねぇ。ロイドをここまで狼狽えさせる相手なんて、きっとこの世であなただけよ」

「〜〜っ、そ……そんな……」


 気恥ずかしさに体がますます熱くなる。ロイド様は俯いてしまった私を庇うように抱き寄せたまま、レネ様を睨みつけた。


 その後はレネ様とロイド様と共に、二人の学生時代のことやレネ様の旅先でのお話を聞いたりと、楽しい時間を過ごした。

 盛り上がった末に、結局レネ様はこのハリントンのお屋敷で一泊なさることになった。

 夕食の席で、楽しげに会話をする二人を眺めながら私は思った。


(今日はロイド様の意外な交友関係を知れちゃったなぁ……)


 彼にはまだまだ私の知らない一面があるのかもしれない。

 そんなことを考えそっと笑みを忍ばせていると、ロイド様がこちらに視線を向ける。

 目が合ったロイド様の、いつもと変わらぬ優しい眼差しに、胸が甘くときめいたのだった。





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