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第21話 芽生えるよからぬ企み

「……殿下?」



 アニーが、眉間に皺を寄せながら、ノアを見てそうつぶやく。

 瞬間、アニーの脳裏に何かが閃いた。

 明確に『殿下』が何なのか、正体がわかったわけではない。

 ただ、今ここで勝負をかけなければと思った。アニーの鈍くは無い直感が――、ノアの地位が、決して低く無いということを察したのだ。



「ノア、あの、私……」



 アニーが、すすすっとノアに近付いてはすり寄り、自分が一番可愛く見えると知っている角度でノアを上目遣いに見上げる。



「私……、私ね。前にも言ったと思うけど、あなたのことずっと気になっていたの。たまたま、あの時はグレイブから言い寄られたばかりでタイミングが合わなかったけど。いまならきっと、私たちうまくいくと思う……」



 そう言うとアニーは、「ね……」とノアの腕を取りながら、その腕に自分の自慢の胸を押し付けるように身を寄せる。

 しかし――。



「触るな」

「あっ」



 身を寄せられた方のノアは、ばっ! とアニーの腕を振り払い、汚いものにでも触れられたかのように触られた箇所を幾度もはたく。



「ひ、酷い、ノア……」

「酷い?」



 涙目になりながら、あくまでもまだ可愛こぶりっ子を続けようとするアニーにノアはふっと嘲笑し、未だかつて聞いたことのないような底冷えのする声で答える。



「勘違いするな。本当なら、お前みたいな人間、早々に消してもよかったんだ」



 なんなら今すぐに消してやってもいいんだぞ? と言うノアの表情は、いつものへらへらニコニコしている彼とは同一人物と思えぬほどに酷薄なもので。



 じり、とアニーに対峙するように体を向け、素人でもわかるくらいに殺気を放つノアに向かって、「ノア」とリーンが彼の名を呼んで制する。

 


 ノアは、彼の腕を掴み名前を呼んできたリーンを振り返り、瞳の奥を覗き込んででも来るかのようにそのまま黙ってリーンを見つめた。

 そうして、しばらく二人は視線を交わし合う。

 その時間が、いつまで続くのだろうと周囲も固唾を飲んで見守っていた中。



 結果、ノアがふっとわらって緊張を緩ませ、凍りついていた空気を解いたことで、その場の空気が収まった。



「はいはい。仕方ない、リーンに止められちゃあね」



 その代わりと言っちゃあなんだけど、さっきあいつに触られたところ触り直してくれない? とリーンに軽口まで叩きだす。

 リーンは『まあ、それで気が済むなら……』と思いノアに示されたところをさすっていると、ノアの肩越しにアニーがものすごい形相でこちらを睨んでいるのが見えた。



「あの……、お客さま、もしよろしければご迷惑をかけたお詫びに、当宿で最上級の部屋をご用意させていただきますが……」



 そこに、おずおずと手を揉みしだきながら宿屋の主人がそう申し出てきたので、ノアが「どうする?」と目線でリーンに尋ねてくる。



「いえ。お気になさらないでください。確かに、彼女とは知り合いだったのは本当のことですし」



 むしろこちらこそ、騒動を起こしてしまって申し訳ありません、とむしろ逆にリーンが頭を下げた。



「今回のことも、咎めないでやってください。彼女の……パートナーも。必ず戻ってくると思いますし」


 

 だからそれまでアニーのことを丁重に扱ってあげてほしい、とリーンが主人に申し出ると「そうですかねえ……。まあでも、そうおっしゃるなら」と、リーンの頼みを請け負ってくれた。



 それから「ほら、行くぞ」と、宿の主人がアニーを連れ立てて去っていった。

 アニーはどこか苛立ちの混じった表情を隠さずにいたが、それでも主人に従って黙ってついていった。

 リーンは去っていくアニーを心配するように見送っていたが、アニーの方はというとリーンに背を向けたままで、それ以上こちらをちらりとも見ようともしなかった。


 

 主人とアニーが去った後。

 ノアが「大丈夫? 怖くなったなら一緒に湯に入ろうか?」と、にこにこと纏わりつきながら軽口を叩いてきたので、それをじろりと一瞥し、気を取り直してすたすたと浴場に足を向けた。



 広い浴場に入り。

 軽く身を清め、大きな浴槽に溜まった湯に浸かると、安堵の息とともに先ほどのいろいろが思い起こされてくる。

 

 

(……確かに、グレイブのパーティーは多少散財する傾向があったけど。それでも賄えないなんてことはなかったのに)

 

 

 一体何があったのだろう? と、リーンは想像を巡らせたが、まさかそれが彼女自身が抜けたせいだとはリーンには知る由もなかった。

 しかし、おかげで別の考え事ができたリーンは、以降ノアとの初めての同室での宿泊について深く意識せずに済んだ。

 それは彼女にとっては無自覚に得られた副産物であり、ノアにとっては喜ばしくはない出来事ではあったのだが。



 翌日、リーンとノアは迎えにきた幌馬車に乗って、再びマルベイユの国境を目指して出発した。

 グレイブの事が心配じゃないかというと嘘になるが、自分が介入するとまたややこしくなってしまうという想像もできた。

 なので、宿屋の主人には何かあったらキルキス王国騎士団づてに連絡をくれるよう言い残し――(ソードマスターとなったリーンには、キルキス王宮騎士団を通じて各所で連絡が取れるよう権限が与えられるようになったのだった)、ひとまずはまた、自分の旅の目的に集中する。



 自分が本当に勇者なのか。

 他に勇者としてふさわしい人物がいるのか。



 それを見極めるのは、まだ始まってもいないのだから、と。




 ■■




 一方その頃。



(なんなの……! なんなのよあの女ほんっとムカつく……!)



 何が咎めないでやってくれ、だ。

 何がパートナーは必ず戻ってくる、だ……!



 お綺麗事ばかりで本当に反吐が出る。

 自分はいい子ちゃんで、結局ちゃっかりノアと一緒にいるし。



(てか、『殿下』って何よ……!?)



 普通に考えて、そんな敬称で呼ばれる存在など――王族しかいない。

 百歩譲って愛称だの渾名だのだったとしたって、それなりに地位や役職はあるだろう。

 


(なんでいつも、あの女ばっかりそういういい思いをするのよ! あの、愛想もくそもないつまんない女が)



 あの御者も御者だ。

 人前でうっかり『殿下』呼びするなんて、はっきり言って馬鹿なのではないかと思う。

 おかげで、ノアの正体を知るきっかけを得たわけだが――。



(あの二人、絶対に許さない)

 


 アニーは一人、固く決意する。

 リーンを破滅に追いやり、ノアを奪い取る。



 今はここでグレイブを待つしかないが、彼が戻ったらあの二人を追いかける。

 そうできるよう、二人が出発する前に、こっそりと荷物の中に探知アイテムを忍ばせておいたのだ。



 グレイブが戻り次第、口先三寸で彼を丸め込み、あの二人を追おう。

 新しい目標ができたことに――、アニーはにやりと口を歪ませるのだった。

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