8 王女と騎士
『魔銀騎士』ディーネ・オーズマリーは友人の招待を受け、古巣のキベン王国首都スインセにいた。
彼女の友人とはキベン王国第一王女ナンシー・ツプラ・キベンである。ディーネは元・王女専属騎士であったが、年齢が近いだけではなく性格も奔放で話が合い、いつの間にか気楽に付き合える間柄となった。
もし王女が数年前、「護衛にむさくるしい男の騎士はイヤっ。年の近い女の子がいい! ……女の近衛騎士は前例がない? なら作って!」とわがままを言い出さなければ、二人が親密になることはなかったであろう。
ディーネはオーズマリー伯爵の長女として生を受け、武門の家柄にふさわしく剣術や魔術を学んで育ってきた。
しかし、所詮は女性であるため、武を活かした将来など望むべくもなかった。彼女自身、騎士や勇者に憧れはあったが、伯爵家令嬢という立場から逃れられないと思っていた。成人すれば政略結婚に使われるだろうと理解しており、未来に夢を見なかった。
それが王女のわがままにより、武に優れた女性に招集がかかり、ディーネは最優秀の成績を修めた。まだ15歳で成人してはいなかったが、ナンシー王女はディーネを筆頭近衛騎士に据えて常にそばに置くようになった。
成人してからも一年ほどディーネは近衛騎士としてナンシー王女のもとにいた。離れるきっかけになったのは、とある事件である。
王女が隣国への表敬訪問に向かう途中、反王国派のテロリストが彼女の拉致を目的として襲撃してきたのだ。襲撃自体はディーネを中心とした近衛騎士団の奮闘で阻止された。
そのときのディーネの活躍が尋常ではなかった。
彼女は『オーズマリー家伝来の魔銀の剣』で一度に10人の襲撃者を吹き飛ばし、次の一撃で大地を砕き、最後の横なぎで敵の騎馬をすべて両断していた。
王女たちは呆気にとられ、正気に戻ると恐怖よりも歓喜が勝り、ディーネを『勇者』と讃えたのである。
ただ必死に剣を振るったディーネは、自分の力に興奮し、身震いした。勇者と讃える仲間たちの声が遠くに聞こえた。
この話は瞬く間に国中に広まり、ディーネは王女専属の近衛騎士から、国を守るために自由な裁量が許される『自由騎士』となった。つまりは『勇者』である。
それから一年、ディーネの活躍は目覚ましく、『黄金勇者』ゲイリーと並び称される存在となっていた。
ナンシー王女は自室に友人を迎え入れた。直接会うのはそれこそ一年ぶりである。
「久しぶり、ディーネ。髪、伸びたわね。……伸ばしてるのかしら?」
ナンシーは含みのある顔で再会した友人に声をかけた。
「そ、そんなわけない……いえ、ありません、殿下」
ディーネは昔の癖がでそうになって、慌てて言い直した。
「あら? いつから主従関係に戻ったのかしらね。私はずっと友人のつもりでいるのに」
「わたしは今や殿下の直属ではなく、国王陛下の騎士です。陛下のご息女となれば――」
「はい、そういう建前は終わりっ。私がいいと言っているのですからいいんです。ほら、座って」
ナンシーは手を打ち、些末な話を打ち切った。ディーネは「相変わらずね」と気持ちを楽にして席に着いた。色とりどりの甘い菓子と紅茶の芳香もまた懐かしい。
「で、勇者業はどう? 充実してる?」
「ええ、思うままに楽しんでるわ。家に縛り付けられないって最高」
「あなたずっと言ってたものね。家のための人柱になるのはイヤ、騎士をまっとうしたいって」
「ナンシーのおかげで救われたわ。ナイス、わがまま王女」
ディーネが親指を立てると、ナンシーも「まかせて」と応えた。
二人は噴出して笑い、一年の隔たりを吹き飛ばした。
「いまや勇者様だものね。あの、憧れのゲイリーと同じ」
ナンシーはニヤニヤする。ディーネが勇者ゲイリーの大ファンであるのを彼女は知っている。というより、思い知らされている。突如出現した勇者に大興奮したディーネは、彼の情報を集めるべく王女にいろいろと頼みこんでいた。
「ま、まぁね。彼ほどじゃないけど、がんばってはいるわ」
赤くなってそっぽを向く魔銀騎士に、王女のニヤニヤはとまらない。
「あれ~? 憧れの対象が恋の対象にでもなっちゃったのかなぁ?」
「そ、そんなわけないでしょ! 彼はすごい勇者なのよ! わたしのような偽物じゃないんだから!」
「偽物って……。まだこだわってるの? あなたは立派な勇者よ? 魔銀のおかげもあるでしょうけど、それを使いこなす技量と民を想う心が勇者たらしめているの。あなたは自信を持っていいわ」
ナンシーはディーネのこだわりを知っている。自分が強いのは武器のおかげだと、苦悩を打ち明けてくれた親友を、王女は誇りにさえ思っていた。
「うん……」
ディーネは頭では理解しつつも、感情面では納得しきれずにいる。
「それに、ゲイリーだって半分は玉金のおかげがあるんじゃない? だって――」
「それはないっ」
ディーネは両断した。
「え、でも――」
「でももないっ」
「……はい」
ナンシーは退いた。偶像崇拝の恐ろしさを間近に感じた。
「ま、まぁ、あなたから見てそういうならそうなんでしょうね。私なんて、一度、お顔を拝見したていどで――」
「顔を見た!?」
今までで一番の食いつきだった。
「え、ええ。国王と謁見したときに一度だけ……」
「どんな!? どんな顔してた!?」
ディーネはナンシーの肩を鷲掴みにし、ガクンガクン揺さぶる。
「ちょ、ちょっと待って! 首、首がもげるぅ~」
「あ……」
ディーネは落ち着いて動きをとめた。何事もなかったように席に戻る。
「まったくもう、一年経ってもゲイリー狂信病は治ってないのね。それなりに親密になってるかと思ったわ。同じ勇者なんだし」
「……お互い、勇者だから、余計、ごにょごにょ」
「はっきり言いなさいよ。本当、成長ないわね、この子は」
「そんなことはいい! ゲイリーの顔、本当に見たの?」
「見たわよ。彼が素顔を知られると世間で都合が悪いというので、父と私、側近の数名の前でだけ兜を取ったわ。若かったわよ。私たちと同じくらいかしら」
「そうなんだぁ……で?」
また接近してくるディーネを、ナンシーは「近いちかい」と押し返した。
「ああ、もう、スケッチを描いてあるから持っていきなさい」
「ホントに!? さっすがナンシー、我が親友!」
「あなたが欲しがると思って描いておいたのよ。親友だからね」
嫌味たっぷりに言うが、ディーネには通じていない。
「ありがとー、親友」
「なんて都合のいい親友なのかしら」
言いつつ、ナンシーは書斎に行き、紙束を持って戻ってきた。「これじゃない、これじゃない……」と右下の表題を見ながら数枚めくった。
「あー、もう、わたしが見る!」
ディーネはナンシーの手からスケッチを奪い取り、表題にゲイリーの文字を探した。
「あった!」
その紙には貴族の子弟を思わせる凛とした青年が描かれていた。木炭のスケッチなので荒いが、特徴は充分に伝わる。もちろん色もないが、ディーネの眼にかかれば総天然色であった。
「平凡な顔でしょ? 街中に素顔でいたら絶対勇者なんて思わないでしょうね」
「そ、そうかな? 悪くないんじゃないかな」
紙のむこうのディーネの声が弾んでいる。ナンシーが肩をすくめるが、魔銀騎士は気付きもしない。
扉がノックされた。
「お時間です。アートマン先生が教室でお待ちです」
扉のむこうからメイドが伝えたのは、ナンシーの芸術指導の連絡だった。
「わかったわ、すぐに行くと伝えて。……ディーネ、短い時間だけど、会えてよかったわ。今度はもっとゆっくりお話しましょうね」
「ええ。このプレゼントのお礼に必ず来る」
「期待しないで待ってる」
ディーネの退室を見届け、ナンシーは残されたスケッチの束を集めた。
「……あら?」
たまたま一番上になった絵は、凡俗な青年の似顔絵だった。右下の表題には『ゲイリー(勇者)』とあった。
「なんでこれがここに? え、待って、もしかしてあの子、違うゲイリーの絵を持っていったの?」
おそらくそうだろう。注釈をいれた絵がここにあるのが証拠である。
不測の事態にナンシーはしばし考えた。
「……まぁいいか。恋はこじれたほうが面白い……ではなくて深みが増すと言いますし。誰が言ったのかは知りませんが」
王女ナンシーは愉しそうに笑った。
今回のウンチく
キベン王国……ゲイリーたちが暮らす国。ナンシーは現在18歳の第一王女。第五王女までいるが、男子はいない。いずれナンシーがキベンの女王になるのを周囲も本人も陰鬱な想いでいる。だが翌々年、最後の試みで待望の男児が産まれ、皆が安堵することになる。誕生した翌日にはナンシーは王位継承権破棄を宣言する。これまで彼女に対する暗殺未遂は100を下らない。ちなみに彼女の未来の配偶者はその暗殺者の一人である。