6 戦いの裏で
夕刻ともなれば偵察行も終わりに近づく。オークの一戦以降、敵との遭遇もないので問題はなさそうだった。それに、二人は個人的な大問題を抱えていた。
トイレに行きたい。声には出せない悲痛の叫びである。単独であれば適当に済ませただろうが、そばにいるのは憧れの勇者である。その相手に向かって「トイレ」などと口にできようものか。実は二人とも昼過ぎあたりから我慢していたのだが、さすがにもう限界が近かった。
「こ、このあたりまで来れば問題はなさそうだ。今日のところは終わりにしてもいいだろう」
ゲイリーは仮面の下で脂汗を流しながら重々しく言った。
「そ、そうね。わたしもそう思っていたところよ。それじゃ、今日は解散ということで――」
ディーネが喜んで賛同を示したところ、天空で雄叫びが上がった。その声量に思わず下半身に力が入る。でなければ大参事であった。
二人は同時にそれを目にし、怒りとも失望ともとれる表情を浮かべた。
「火炎竜……」
「なんて間の悪い……!」
普段の二人であれば、体長15メートルていどの竜種など相手にもならないのだが、今は違う。むしろ己との戦いがツラい状態だった。
だがしかし、二人には相棒がいる。相棒は最強の勇者だ。自分が手を下すまでもなく敵を葬ってくれるだろう。そう思って互いを見た。相手を信頼しきった目が、双方の兜の奥から感じとれた。
(さぁ)
(ちゃちゃっと)
((やっちゃって))
心の叫びは不発に終わり、両者ともに動かなかった。
「ど、どうした? 調子が悪いのか?」
「な、なにが? あなたこそ、どうかした?」
「なにもないぞ。さぁ、さっさとやっつけて帰ろうではないか」
「こ、ここは、あなたに任せるわ。伝説の勇者の凄さを一度見てみたかったの」
「そ、それはオレも同じだ。魔銀騎士の腕前を披露していただきたい」
「いえいえ、今回はお譲りしますわ。次回、いくらでもお見せします」
「いやいや、竜退治はそちらの十八番ではないか」
などと不毛な譲り合いをしている間に、火炎竜はまた威嚇の一声を上げた。空気が振動し、二人の体に痺れに似たショックを与える。
「うおっ」
「ひゃぁ!」
二人は下半身にヤバさを感じて声を漏らした。下を漏らさなかったのは奇跡だった。
「な、なんて心臓に悪い攻撃を……!」
「や、やめてよね、ホント……」
二人は安堵し、それからドラゴンを睨む。
ドラゴンはホバリングしたまま、胸に空気を溜めこんでいた。ファイア・ブレスの兆候だ。
「来るわよ!」
「仕方あるまい。一撃で決めるぞ」
「望むところ」
二人は一瞬にして天空に舞い、ドラゴンよりも上に出た。力が入りすぎ、危うくなったのをお互いは知らない。
集中しろ、一撃だ。一撃で終わらせるんだ。ゲイリーはオリハルコンの剣を高く掲げた。
くぅぅ、もう少しもって、わたしの体! ディーネはミスリルの剣を横に構えた。
奥義でもないただの一太刀。ゲイリーが縦に、ディーネが横に薙ぎ、ドラゴンは四つに分断された。そのとき、二人の体が震えたのは互いの技が合わさり、最高の一撃を生みだしたから――ではない。
ドラゴンの死体とともに地上に降り立ち、二人は剣を収める。なぜかスッキリとした顔をしていた。
「……ゲイリー、ズボンが濡れてるわよ?」
ディーネが指を差す。黄金勇者はうろたえながらも視線は下げなかった。
「こ、腰に下げている聖水の瓶が割れたのだ」
と、無事な小瓶を取って見せる。嘘は言っていない。事実、ズボンを濡らしているのは本物の聖水だった。極めて純度の高い聖水だ。
「あなたも聖水を持ち歩いているのね。わたしもよ」
聞かれもしないのにディーネも腰から小瓶を抜いた。このとき、腿を伝って細い雫が垂れていたのだが、スカートのおかげでゲイリーには気付かれていない。
「聖水は必需だからな」
「そうね。絶対に必要だわ」
二人は強くうなずきあった。
「それでは、今日はここまでとしよう。さらばだ」
「ええ、また」
フッと笑って二人は背中合わせに飛んで去っていった。同じ町に戻るというのに。
なお、ドラゴンの死体は森の動物がおいしくいただいた。これにより竜の血を吸って魔獣化した動物が多く発生することになる。
今回のウンチく
竜の血……魔力と生命力の結晶とまで言われ、古来より万能役として用いられてきた。ただし原液のままでは効果が強いため、通常、人間の大人でも100倍に希釈して使用する。原液で飲用した場合、体がついていかずに変異化するか死亡する。