5 ゴースト・バスター?
西の山の偵察行は続く――
オークを斃し戦利品をまとめたあと、遅めの昼食に入る。二人は会話もなく黙々と食べていたが、ディーネがふと思い出したように言った。
「そういえば、この前たまたま見かけたんだけど、町で子供たちに囲まれてたわね」
「よくあることだ」
ゲイリーはフル・フェイス兜の面をわずかに開いてサンドイッチをかじる。
「そうね。でも問題はそのときのあなたの対応。子供たちに勇者でも怖いことがあるかと訊かれてたじゃない?」
「ああ、いつものように『怖いことはたくさんある。だが、勇者は怖くとも決して退かない』と答えた」
それが子供に見せる勇者像だからだ。相手が大人であれば『時として退くこともある』と応じるところだが、子供には夢が必要なのだ。自分がそうであったように。
「そのたくさんある怖いことって例えばなに?」
ディーネは楽しそうに訊いた。その答えが楽しみなのもあるが、こうしてたわいない話をしていること自体が単純に楽しいのだった。
「そうだな……」ゲイリーは考えて、自分の正体が知られることだと思った。本当は勇者などではなく、アイテムに振り回されている小市民であると。そのときの世間の反応がもっとも怖い。
「……負けることだな。わたしが負ければ皆の期待を裏切ってしまう」
うまく言い方を変えてゲイリーは答えた。ディーネはつまらなそうに息を吐いた。
「そういうのじゃなくて、もっと物質的というか、具体的なものとかっ」
「具体的? いや、以前はあったが、今はもう克服したからな」
「それ! それでいいわ! 以前、何が怖かったの!?」
「幽霊」
「……は? オバケ? 誰も子供のときの怖い物なんて訊いてないわよ」
子供っぽい解答に、ディーネはまた呆れた。彼女が知りたいのは子供時代ではなく、今の怖いものだ。
ゲイリーは「いやいや」と手を振った。
「オレ……わたしが冒険者時代の話だ。ほんの二年ほど前だな」
「へー、面白そうじゃない」
一転、ディーネは興味津々の顔になった。勇者となる以前のゲイリーを知る者はほとんどいない。彼は各地を放浪していた冒険者で、一箇所に長くとどまらなかったからだ。それに、親しい仲間の存在もなかった。それだけに冒険者時代の話は貴重で、知っているだけでも特別な気がした。ファンとしては是非とも押さえておきたい。
「町から町への道中、わたしはいつの間にか街道を外れ、森へ踏み入っていた。細いが道があり、それで気付くのが遅れたのだ」
ゲイリーはそう切り出した。日が沈む前には町へ着くはずだったが、夕方になっても森から抜けられない。しかも雨まで降ってきた。ゲイリーは焦り、さらに小道を進んでいく。
と、そこで道が開けた。喜んだのもつかの間、そこにあったのは廃墟だった。おそらく貴族の別荘だったのだろう。噴水つきの大きな庭に、三階建ての館。朽ちていなければさぞ立派な屋敷であったろう。
ゲイリーはうすら寒さを感じたものの、雨の暗い森をさまようよりはマシと考え、一夜をそこで過ごすことにした。
扉を叩き声をかけてみたが当然のように誰も応えない。
館を探索してみたが、家具も朽ち果て、食料もなかった。
「仕方ないので持っていた簡易食を食べ、さっさと寝ようとまずトイレに行った。廃墟とは言え、そのへんでするわけにいかないからな」
「そんな描写いらないわよ」
「いや、そこがはじまりだったんだ」
「トイレが?」
「ああ。トイレで用をたし、出ようとしたとき、どこかで大きな音がした」
「それが――」
「幽霊だ」
ディーネはつばを飲み込んだ。話の流れから予測はついていたが、それでも気分のいいものではない。それに当時のゲイリーはただの冒険者なのだから――
「待って、当時のあなたはオリハルコンの装備なんて持ってなかったのよね?」
「だからこそ恐怖だった。今であれば、霊体であろうとオリハルコンで斬れるが、あのときのオレにはそんなものはない。聖水などの道具もない。逃げるしかなかったんだ」
「それじゃ、館を脱出して難を逃れたのね?」
「いや、扉も窓も固く閉ざされ、破壊もできなかった。朽ちた箇所から逃げようとしたが、それもなぜか見えない壁に阻まれてできなかった」
「それじゃどうしたの!?」
ディーネは背筋が凍った。自分がその立場になったら何ができただろうか。いくつか習得した魔術はあるが、霊体相手にどれほど効果があるかはわからない。
「とにかく逃げた。館中を走り回り、追いかけて来る黒い影から逃げまくった」
「でもそれじゃ、いずれ追いつかれるじゃない!」
「ああ、そうだ。それでも逃げるしかできなかった。あのときの恐怖は今も忘れない」
「それで? どうなったの?」
当人が目の前にいる以上、無事だったのはわかる。それでも気にならずにはいられない。
「実は、オレにもわからないんだ」
「え?」
「逃げ場をなくし、最後に行きついたのははじまりのトイレだった。狭い個室に隠れ、ドアを押さえて震えるしかなかった。しかし、影は確実に迫っていた。はっきりと気配がわかった。オレは神に祈った。祈ったが、どうにもならなかった。神は成人の日に『祝福』を与えてくれたが、この場では何の意味なかった」
「それで?」
「影はオレの隠れ場所をわかっていたかのようにまっすぐと近づいてきて、トイレのドアを叩き、さらに破壊にかかった。ドアの上半分が吹き飛び、狭い個室に影が手を伸ばした瞬間――」
「ど、どうなったの?」
「その手が消滅した」
「……え?」
「まるで溶けるように、伸びるそばから消えていき、本体にもそれが伝わって、断末魔の叫びを上げながら消滅した」
「なんなの、それ?」
「だからわからない。そのときのオレには、助かった安堵しかなかったんだ。あれ以上の恐怖は、今もってない」
ゲイリーはそう言葉を締めた。実は今ではその理由を明確に理解していた。この出来事により、一つの謎が解けたのだから。この日がなければ玉金勇者の誕生はずっと後になったであろう。
「不思議な話ね。あなたのことだから作り話ではないのでしょうけど――」
ディーネはそこで一つの疑念が浮かんだ。もしかして、いや、そんなはずはない。ありえない。彼女は大きくかぶりを振り、自分の考えを完全否定した。
「……ま、ともかく面白い話だったわ。それとあなた気付いてる? この話をする間、ずっと『オレ』って言ってたわよ」
「……!」
驚くゲイリーに、ディーネは喉の奥で笑った。
「いいじゃない、こんなときくらいは勇者をやらなくても。わたしだって肩の力を抜きたいときがあるわ。勇者なんて所詮は他人が観る理想や願望よ。叶えてあげたいけど、ぜんぶ叶えなきゃいけない義理もないでしょ」
「……そう、かもな」
ゲイリーは嘆息した。肩の力も自然と抜けていった。
「同じ悩みを持つ同士ね。まさかあなたもそうだとは思わなかったわ」
黄金勇者が自分の理想と外れていたのを、ディーネは少しだけ残念に思った。けれどそれ以上に身近に感じられ、嬉しかった。
「これからはもう少しうまくやっていけそうね。よろしく、ゲイリー」
ディーネの笑顔を受け、ゲイリーは素直に「よろしく」と答えられた。
今回のウンチく
聖水……邪悪を払う水。闇属性に対して効果的なため、悪霊には弱点となる。高位の神官が銀壺の清水に祈りを捧げることで造られる。物質に聖なる力を付与する効果もあるらしい。